∞ヘロン「水野氏ルーツ採訪記」

  ―― 水野氏史研究ノート ――

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C-1 >新城城

2005-05-21 14:43:27 | C-1 >小河氏系水野
新城城(しんしろじょう)
  愛知県新城市東入船 (新城小学校の南端) Visit :2005-05-19 9:00

 新城城は大谷城主の菅沼定継が築いたのが始まりといわれている。長篠の戦いの後、長篠城主であった奥平九八郎信昌は徳川家康から郷ヶ原に築城を命じられ、天正四年(1576)1万5千石の城主となり現在の場所に新城城を移した。天正十八年(1590)徳川家が関東に移封されると片桐半右衛門正義が7千石で入城した。慶長十一年六月(1606)に水野彈正分長(だんじょうわけなが)が1万3千石の領主として新城に移封となったが、元和六年(1620)この本領を長男水野備後守元綱に譲り、分長は水戸頼房の付家老となった。水野家が上野安中に移封されると、天領を経て菅沼摂津守定実が7千石で入り以降子孫代々相続し、明治2年(1869)十一代菅沼定長の時廃城となった。
 本丸跡は背後が急な崖となっており、南を流れる豊川をひかえ後堅固の城となっていた。現在は新城市役所や新城小学校が建ち、小学校に門が復元されている。 しろあと資料館が城址の西にあるが現在は閉鎖されている。

小河水野系図
http://blog.goo.ne.jp/heron_goo/e/694986f5283c9212e7114538de019f95


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