∞ヘロン「水野氏ルーツ採訪記」

  ―― 水野氏史研究ノート ――

     本ブログの記事、画像等の無断複製および転載を禁じます。

A-3>川村南城

2005-05-20 15:56:08 | A-3>景家系水野氏
川村南城
   愛知県名古屋市守山区白沢町 (現 長命禅寺) Visit :2005-05-13 11:30


水野右京進が築城したお城で、右京進は元亀・天正年間(1570-92)の頃の豪族で、織田信長に仕えていた。歴代水野氏が城主。
尾張徇行記の牛牧村の項に
「城山見取畠三反三畝……是ハ水野内蔵助古城跡ノ由土人 申伝ヘリ、延享三寅年畠ニ開墾ス、此畑山ノ嶺ニアリ」と記載されており、同じく川村の項には「水野内蔵助茅庵ヲ営ミ、仏像を安置シケレトモ、経年暦ニ随ヒ庵室トモ 破壊セシニヨリ、内蔵助三代ノ孫水野保信再建セリ…云々とあり、長久手の合戦により炎上した長明(命)寺を三代の孫水野保信が再建した」
と書かれている。
長命寺の水野氏石碑には「医王山長命寺再興施主 享保五庚丑年…川村城主水野右京進五代孫水野保信源永重」と記されているようだが確認はできなかった。
城主水野右京進について、天野信景が天明2(1782)年頃著した随筆集「塩尻」に、
「織田信長に仕え、詳らかではないが水野景家の子、家継右京進と号す、志段味城水野高家の従兄弟にて鎌倉時代の人也、若しくはその子孫に非ざるやなきや…云々」
とあるようだ。また東春日井郡誌には
「河村城主水野右京進清忠-右衛門佐忠正-内蔵助久重-兵左衛門忠重-保信永重」と系譜をあげてはいるが、詳細はよく解ってはいない。
 守山市史ではこの城を「南ノ城」いい、愛知県中世城館調査報告Iでは縄張りなど不明で長命寺の東丘陵、小幡緑地(西園)の北西、白沢町と城土町、旧牛牧村と川村境あたりを示している。

 この城(寺)は平城であるが、このすぐ東側は、小幡緑地の西端にあたり、小高い丘陵地となっており、なぜこの高台に城が築かれなかったのかと不思議に思われた。

桓武平氏水野系図
http://blog.goo.ne.jp/heron_goo/e/777ff67bab506fc94b32ecf3b04681f4



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。