∞ヘロン「水野氏ルーツ採訪記」

  ―― 水野氏史研究ノート ――

     本ブログの記事、画像等の無断複製および転載を禁じます。

B-1 >相応寺の梵鐘

2005-04-20 09:51:27 | B-1 >水野太郎左衛門系
相応寺(相應寺)
 愛知県名古屋市千種区城山町1丁目47  Visit :2005-04-18 12:50


寛永二十年(1643) 第五代 水野太郎左衛門政長作の寺鐘

 この寺は、織田信長の父 信秀によって築かれた末森城(天文十六年1547)の北部
丘陵地にあり、門前には案内立て札がたっており、次のように説明されている。

『宝亀山と号し、浄土宗鎮西派。寛永20年(1643)尾張藩祖徳川義直が母相応院おか
めの方の菩提のために建立した。慶安3年(1650)義直の遺体を当寺に安置して供養
し、のち定光寺に葬った。山門額と本堂額は義直の直筆で、本堂は寛永20年創建当時
のものである。この寺はもとは(名古屋市)東区山口町(現 東区徳川1丁目 建中寺の北
北西)にあったが、昭和の初めにこの地に移された。』
                                     (名古屋市教育委員会)

 寺鐘は、当寺の元の地の西部に居住した鋳物師頭 第五代 水野太郎左衛門政長が、
寛永二十年(1643)に鋳造したものと伝えられている。
 鐘楼(しゅろう)は、寛永年間(1624--1643)の建立(1643の梵鐘鋳造時と同じか)である。
楼は二階建で、下見板張りの袴腰付、屋根は入母屋造桟瓦葺で、当初は桧皮葺かこけ
ら葺であった。上層縁の腰組は持送(壁や柱から水平に突き出て梁・床・棚などを支える
三角形状の補強材)で支えられ、
組高欄(欄干)を廻らす。上層は各面三間に分けられ、円柱を用い、土居上に立ち、腰長
押(柱と柱の間をつなぐ横材)、内法長押、台輪長押を廻らし、中央間に花頭窓(鐘型の
窓)、両脇間に菱格子を入れ、出組斗組を各面二つ割にし、支輪(折り上げ天井を支える
湾曲した竪木)を入れている。軒は二軒吹寄せ垂木とする。


 鐘楼の花頭窓が、遠目には、あたかも梵鐘の額のように見え、写真では一体に写り、
立体感が出せなかった。


水野太郎左衛門家系図
http://blog.goo.ne.jp/heron_goo/e/42f77dfdd91dfcd69ef3357f3d0bfd06



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。