∞ヘロン「水野氏ルーツ採訪記」

  ―― 水野氏史研究ノート ――

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B-1>願故院 阿弥陀寺の半鐘

2009-10-09 03:42:45 | B-1 >水野太郎左衛門系
●願故院 阿弥陀寺
愛知県日進市浅田町大島57 Visit :2009-10-06 15:30

[由緒]
浄土宗鎮西派 本尊阿弥陀如来
・安永七年(1778)、浅田の浅田源四郎正利(道源)が、傍爾本村(ほうじもとむら、現愛知県愛知郡東郷町)から、薬師堂を譲り受け開基。※
・天明二年(1782)九月十四日、浅田源四郎正利歿(浅井家所蔵系圖)。
・天明六年(1786)、願いによって阿弥陀堂と改号。
・寛政四年(1792)、名古屋南寺町(現名古屋市中区大須二丁目)阿弥陀寺の支配となる(『尾張徇行記』)。以降、第六世までは浅井家の女性が出家して法系を継ぐ。
・昭和十七年(1942)、順応尼が阿弥陀堂を阿弥陀寺として中興。
・昭和三十八年(1963)頃、九世孝順尼が退住、以降無住寺。
・昭和四十四年(1969)、名古屋市千種区春里町の終南山願故院が、当寺に移転(阿弥陀寺と願故院は、登記面は合併ではなく併存)。昭和三十四年(1959)の伊勢湾台風による堂宇荒廃を応急修理。
・昭和五十三年(1978)、堂宇大改修。
(※浅田村は、元来、全戸が眺景寺(愛知県日進市梅森台1丁目201)の檀家であり、浅田氏も庇護はしてきたが阿弥陀寺の檀家ではない。)

[世代]
一世――――感光浄教法子――――明和五年(1768)(天明五年1785カ)五月二十一日寂
二世――――行蓮社相誉頓及―――寛政四年(1792)八月四日寂
三世(中興)―随誉教信順正――――寛政十二年(1800)一月六日寂
四世――――仰誉唯称是信――――天保十四年(1843)十月十三日寂
五世――――随誉常宣栄順――――明治十年(1877)寂
六世――――行誉智皆法順――――明治十三年(1880)寂
七世(中興)―浄蓮社転誉法光清忍―明治四十三年(1910)寂
八世――――孝蓮社道誉佛願順應―昭和三十二年(1957)寂
九世――――孝順――――――――昭和三十八年(1963)頃<退住>
十世――――耕教

    『日進町誌』から引用

●寛政五年(1793) 第十代水野太郎左衛門政和作半鐘

◇銘文[翻刻白文]
――[第一区]――――――――――――――――――――
尾州愛智郡浅田村
道源居士嘗創建阿
彌陀堂一宇以擬自
侘法界増道損生矣
寛政中隆長重而継
亡父志修補且鑄一銅

――[第二区]――――――――――――――――――――
鐘虞鐘以警晨昏
頃者永銘於予因而綴
無辭以應其請
 銘曰
鎔工享錬 法器既成
晨考昏撃 妙韻鏗錚

――[第三区]――――――――――――――――――――
聲穿猿投 響接蓬嶋
撼波鯨吼 震雲雷鳴
停止罪罟 驚覚迷情
千歳不朽 福利何評
維時寛政五年
歳次癸丑十月

――[第四区]――――――――――――――――――――
三州金毫山沙門
     忍阿謹撰
當庵三世随誉順正代
願主當村浅井氏六代目
        政香
法号弘誉長

――[縦帯区]――――――――――――――――――――
鑄工 水野太郎左衛門
        政和


♦銘文の字数が多いため、半鐘の「池の間」四面に、陰刻しきれなかったことから、鐘の製作者名「水野太郎左衛門政和」をやむを得ず「縦帯」に陰刻したものと思われる。通常梵鐘のように大きな鐘では、縦帯まで陰刻される例は殆ど見受けられない。
 尚 この半鐘は、寛政五年、浅田村の浅井氏六代目政香氏が、祖先の追善供養に寄進したものである。

※当寺の半鐘については、名古屋市博物館 部門展『尾張の鋳物師』などに史料として紹介されていなかったことから、つい最近までこの存在そのものを承知していなかった。ところが、他のことで『日進町誌』を閲覧していて、偶然この事を知ったので、早速採訪した次第である。


R-4>梵鐘名所





☆旅硯青鷺日記
約半年ぶりの半鐘採訪記となりました。当日は午前中大学の講義を聴いて、午後から愛知県日進市の岩崎城歴史記念館で開催されている、特別展「江戸時代のにっしん」で、水野代官所の大提灯、幟旗などを観覧。雨のためか客の姿がなかったことから、学芸員の方から展示物の丁寧な説明を受けることができました。在館中に雨がひどくなってきましたが、止むのを待たずに阿弥陀寺を目指しました。
 お庫裏で鐘のことを尋ねると、ご住職が本堂の前面向拝左手に釣り下げられた半鐘を指差して教えてくださいました。撮影の許可を得て半鐘下方から写真を撮っていると、ご住職がそれを見かねてご親切にも脚立をお貸し下さいました。お陰様で半鐘近くで撮影が叶いましたが、鋳造から216年も経ち、長年風雨にされされてきたことから、全面に緑青が噴いて陰刻文字の判読がなかなかに困難でした。撮影後、改めて御本尊に参拝し、仏様とご住職のご慈悲に感謝しつつ雨の中を家路につきました。  合掌






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