老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

899;要介護老人の「死の備え」(1) 死の準備

2018-08-20 04:00:08 | 生老病死
 要介護老人の「死の備え」(1)

老人介護は、出会いに始まり、死別で終わる。

症状悪化で入院や老衰、死が近いなど
「今日、在宅訪問(あるいは病室訪問)をしなければ」、
と思いながらも、

都合がつかず明日に訪問を延ばしたことで
後悔したことがあった。

症状悪化や「危ない」と感じたときは
思い立ったら今日のうちに在宅訪問(あるいは病室訪問)をする。



冒頭にも書いたが
ひとりの老人とのかかわりの終結は
死である。

老親や伴侶者が死んだことにより
家族介護者が
後悔を抱いたり、引きずったりしないよう
サポートをしていくことが大切。

体力が低下したり、
入院の繰り返しや
訪問看護の利用を検討し始めたときなど

そのような状態になったとき
家族介護者に対し
率直に老親や連れあいの死について話をする。

訪問していきなり「死」の話をする訳には勿論いかない。
家族介護者は戸惑い、心の準備ができていない。

最近のご本人の様子や
介護の苦労や困っていることや気になっていることなどを
聴き取りながら
万が一在宅で急に亡くなったときのことを話す。


自分も含め、誰もそうであるが
予告もなく突然に「死」は訪れる。
病人や老人は「死とは隣り合わせ」にあるだけに
いつ死が訪れてもいいように


症状悪化により入院されたとき、
老衰が進んだとき、
余命を告知されたときなどは
死に対する備え(準備、心構え)をしておかねばならない。

そうは言っても
家族介護者は日々の介護に追われ
疲労困憊にある。
死後のことまで頭が回らないのが実情・・・・。