病院で死ぬ 「7割強」

1976年に病院死は自宅死と入れ替わり、
病院死は増え続け8割を超えた。
2016年の人口動態統計(厚労省)によると
病院でなくなる人の割は4人のうち3人に下がってきた。
戦後、高度経済成長の発展に伴い
出産も死亡も、自宅から病院に移ってきた。
私が住んでいた(農村集落)は、
内の話がまとまらず
家に電気が点いたのは、小学校5年のとき(昭和38年)だった。
東京オリンピックに合わせ
農協から洗濯機、冷蔵庫、白黒テレビを購入(ゼネラルの商品だった)し、
生活が一気に便利になった。
世間では、もっと早く普及されていた。
生活が便利になったことで、
出産も死亡も、より便利な医療サービスを求め、
病院に任せるようになり、
いまも続いている。
浅川澄一の用いた統計から
全体の割合では施設死はまだまだ低いけれど
最近は施設死が増えてきている。
介護保険サービスと絡み合っていることは確か。
どこで死にたいか
それは本人と家族が決めることなのかもしれないが
望めるものなら
どこで死にたいかは
自分で決めたい。
元気なときに
意思表示をしておくことなのかな・・・・

浅川澄一:福祉ジャーナリスト(元・日本経済新聞社編集委員)の統計から引用
1976年に病院死は自宅死と入れ替わり、
病院死は増え続け8割を超えた。
2016年の人口動態統計(厚労省)によると
病院でなくなる人の割は4人のうち3人に下がってきた。
戦後、高度経済成長の発展に伴い
出産も死亡も、自宅から病院に移ってきた。
私が住んでいた(農村集落)は、
内の話がまとまらず
家に電気が点いたのは、小学校5年のとき(昭和38年)だった。
東京オリンピックに合わせ
農協から洗濯機、冷蔵庫、白黒テレビを購入(ゼネラルの商品だった)し、
生活が一気に便利になった。
世間では、もっと早く普及されていた。
生活が便利になったことで、
出産も死亡も、より便利な医療サービスを求め、
病院に任せるようになり、
いまも続いている。
浅川澄一の用いた統計から
全体の割合では施設死はまだまだ低いけれど
最近は施設死が増えてきている。
介護保険サービスと絡み合っていることは確か。
どこで死にたいか
それは本人と家族が決めることなのかもしれないが
望めるものなら
どこで死にたいかは
自分で決めたい。
元気なときに
意思表示をしておくことなのかな・・・・