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ヘナチョコ革命 2020年版

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シオニズムとナチズムは似ている!ヒトラーの同盟者になろうとしたシャミルがシオニスト・ナチ国の首相に!

2023-12-17 07:55:04 | シオニスト・ナチ国(イスラエル)問題
シオニズムとナチズムは似ている!ヒトラーの同盟者になろうとしたシャミルがシオニスト・ナチ国の首相に!
 シオニストの入植者植民地主義は先住民の民族浄化(大量虐殺、強制移住などの手段で特定の民族を殲滅させる)を必然とするから、ガザ強制収容所の公開ジェノサイドも必然となる。シオニスト・ナチへの軍事的人道的介入の可能性──本来は中・ロがやるべきだ──は低いが、アパルトヘイト国家イスラエルを止める方法はなかなかない。何しろナチスの親玉アメリカが味方だから。ロシアがシリアを支援しても、まだナチスの親玉アメリカは米軍基地を置き、石油・小麦を盗んでいる。アパルトヘイト国家イスラエルはゴラン高原を占領し、定期的にシリアに空爆している。こういう事実をなぜか日本低国の「左翼」・リベラルは無視して、シリアの人権を憂えるから笑止千万だ。そこでは侵略は悪いという常識は無視される。


 シオニスト・ナチ国ではナチやファシストと馴れ合ってきた人物が首相までやっているが、とうのシオニスト・ナチ国の首相ネタニヤフは「ハマスを新しいナチス」と呼ぶ。これは事実を逆転させるギャグだが、なぜか(「超富裕層の代理人」)メディアでは何の批判もされずに拡散している。「おいおいシオニスト・ナチのドンが抵抗解放運動をナチスと呼んでいるぞ」という文言が付けば拡散しても良いのだが。


というわけで──


★レニ・ブレンナー『ファシズム時代のシオニズム』
シャミルのテロリストとしての過去に対して関心が集中したことで、自ら望んでアードルフ・ヒトラーの同盟者になろうとした人間でもこのシオニスト国家の首相になれるのだというもっとグロテスクなイメージが曖昧にされてしまうことにもなった。ベギンがシャミルを外相に任じ、シュテルンの肖像を刷った郵便切手を発売することでシュテルンの功績を讃えた時、ベギンは二人の過去を完全に知っていてそうしたのであった。シオニストとファシストおよびナチスとの馴れ合いの遺産とその基礎をなす哲学が、現在のイスラエルに貫徹しているのだということを、この事実ほどによく示す証拠はないであろう。
 
イツハク・シャミル
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%84%E3%83%8F%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%9F%E3%83%AB


シャミルはエツェルに参加。1940年に同組織が分裂したとき、彼はアヴラハム・シュテルンに率いられた組織に参加。それは後にシュテルン・ギャングとして知られるようになる。1941年に彼はイギリス当局によって逮捕される。1942年にシュテルンがイギリス軍に殺害されると、シャミルは拘置所から逃亡し1943年に改組されたレヒの三人のリーダーのうちの一人となる。1946年に再び逮捕されるが、再び脱走し、1949年のレヒの解散まで組織を指導した。彼の指導下でレヒは1944年の英国の中東担当相モイン卿の暗殺と、1948年の中東担当国連代表、フォルケ・ベルナドット伯爵の暗殺事件に関与した。暗殺事件は彼らのパレスチナにおける政治的主導権がレヒの右翼的見解と衝突したためであった。
イスラエル建国後、シャミルはイスラエル諜報特務庁に参加(1955 - 1965)。モサド工作員としてエジプトやシリアに潜入し、これらの国での元ナチのドイツ人技術者らによるロケット開発の情報収集・妨害工作を行った。
1960年代にユダヤ系ソ連人の帰国問題に関心を持ち、メナヘム・ベギンが創設したヘルート党(後のリクード)に入党した。1973年、リクードからクネセト(国会)に選出された。彼は1977年に国会議長に就任し、1980年には外相に就任した。1983年にはメナヘム・ベギンの後を継いで首相に就任した。
シャミルはリクード内では強硬派としての評判であり、1977年のエジプト大統領アンワル・アッ=サーダートのイスラエル訪問とクネセトでの演説を国会議長として迎え入れたが、キャンプ・デービッド合意とエジプト・イスラエル平和条約には反対してクネセトでの投票は棄権した。しかし、1981年および82年に条約締結後のエジプトと交渉、1983年5月17日の協定に後々発展するレバノンとの直接交渉を行った(レバノン政府により批准されなかった)。
1991年1月、湾岸戦争にてイラクがイスラエルにスカッドミサイルを撃ち込んだ際にはアメリカの強い要求でイラクに対する報復を自制した。5月、エチオピアからユダヤ人を脱出させるソロモン作戦の実施を命令した。
一方で、中東和平に関しては概して消極的であり、どんなイスラエルの譲歩にでも反対した。しかし、アメリカからの圧力により渋々、91年のマドリード中東和平会議に参加したものの、パレスチナ解放機構との対話は拒絶するという従来の姿勢を変えることは無かった。1997年にニューヨークに拠点を置く新聞「ジューイシュ・ポスト」とのインタビューには「アラブ人は我々を滅ぼすことを常に夢見ている。私は彼らがイスラエルをこの地域の一部として認めるとは思わない」と述べている。[1]
1992年の選挙において、イツハク・ラビンが率いる労働党に敗北し、リクード党首から退いた。1999年、極右政党である国家統一党に参加し、選挙に出馬するものの落選している。
 




■レニ・ブレンナー『ファシズム時代のシオニズム』芝健介・訳、法政大学出版局、2001年
頁72──


第5章 ドイツ・シオニズムのナチズムへの協力申し出


 ドイツ・シオニズム運動の指導者のひとり、ヴェルナー・ゼナートアは、かつて以下のように述べたことがる。シオニズムは活動している国の政治に同化するものだ、と。ドイツ・シオニスト連合による、新しいナチ体制の理論と政策への同調ほどに、彼の右の言葉を裏書きするものはない。シオニズム運動とナチズム運動のイデオロギー的類似性(リベラリズムに対する軽侮のの念、共通の民族至上主義的レイシズム〔人種差別主義〕、さらには自明のこととして、ドイツがユダヤ人の祖国にはけっしてなりえないという共通の確信)によってナチスにシオニストを支持する気をおこさせることができると、ドイツ・シオニスト連合の面々は信じたために、アードルフ・ヒトラーの政権掌握後、ヒトラーによる後援を一度ならず何度も繰り返し懇請した。
 ドイツ・シオニスト連合の目標は、「整然たる退却」になった。すなわち少なくとも若い世代のユダヤ人がパレスティナへ出国できるようにナチスに支援させるというのが目標になった。かくしてシオニストたちは早速、ナチ組織内部のさまざまな分子との接触を追求するようになった。シオニストたちは、ナチスが民族至上主義的なシオニズム理解をベースに、そうした妥協に関心があるものと思い込んでいたのである。シオニスト連合執行部のひとり、クルト・トゥーフラーは、親衛隊のレオポルト・イッツ・フォン・ミルデンシュタイン男爵を説得し、ナチの新聞に親シオニズム的な論稿を書いてもらった。フォン・ミルデンシュタインは、はじめてパレスティナへ旅する条件に同意し、ヒトラー政権誕生から二ヶ月後に二人はそれぞれ夫人を同伴してパレスティナへ向かった。帰国して論稿を書くまでの六ヶ月間、ミルデンシュタインはパレスティナに滞在した。


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暴露されたパレスチナ人に対するシオニストの生物戦争の衝撃的な詳細

2023-12-16 14:52:56 | シオニスト・ナチ国(イスラエル)問題
暴露されたパレスチナ人に対するシオニストの生物戦争の衝撃的な詳細
https://www.mintpressnews.com/shocking-details-israel-zionist-biological-warfare-exposed/282406/
ベングリオン大学の学者ベニー・モリスとエルサレム・ヘブライ大学のベンジャミン・Z・ケダールは、1948年の戦争中に侵略したアラブ軍と地元の民間人の両方に対して化学兵器と生物兵器を使用するシオニスト軍による作戦のこれまで難読化された側面を不穏な詳細で暴露し、アーカイブ資料のウェルターに基づいて並外れた論文を作成しました。
その残忍な紛争はイスラエル国家を創設し、災害、大惨事、または大変動を意味するアラビア語の「ナクバ」として知られる数十万人のパレスチナ人の恒久的な避難につながりました。
モリスとケダールは、英国が5月15日に委任統治領パレスチナを避難させる準備をしたその年の最初の数ヶ月から始まる、非常に詳細なイベントのタイムラインを提供します。その日まで、シオニストの入植者は非常に防御的であり、1947年11月に可決された国連決議181を共同で拒否したため、民兵は近隣軍の支援を受けて飛び地と護送船団を「継続的に」攻撃しました。
エジプト、イラク、レバノン、シリア、トランスヨルダンはすべて、英国が去ったときにパレスチナに侵攻する意図を表明し、この点で英国の諜報機関によって積極的に奨励されたため、シオニストゲリラは、アラブの戦闘機を無力化するだけでなく、領土を占領し、途中で家屋や民間インフラを破壊して、避難民の帰還を防ぎます。
この努力の後半の要素を補強し、シオニストによるアラブの村や町の押収が恒久的であることを保証し、さらなる地域の征服を容易にし、アラブ軍の前進の進展を妨げるために、これらの民兵は井戸を細菌で中毒し始め、腸チフス、赤痢、マラリア、その他の病気の局所的な流行を引き起こし、1925年のジュネーブ議定書に直接違反しました。 これは「細菌学的戦争方法の使用」を厳しく禁止しています。
これから見るように、シオニストは秘密作戦の成功によって適切に大胆になり、最終的には中毒キャンペーンをアラブ軍の本拠地への侵入に拡大しようとしました。
 
「極度の苦痛の状態」
生物戦争作戦のコードネームである「あなたのパンを投げなさい」は、ユダヤ人に「あなたのパンを水に投げなさい。何日も経つと再びそれを見つけるので」と指示する伝道の書11:1への言及でした。
「敵」に対して生物兵器を使用するという見通しは、1948年の戦争が来ると、しばらくの間シオニスト運動の間で浸透していました。3年前、ヨーロッパでの戦争が終わった直後、クリミア生まれのユダヤ人パルチザン指導者で詩人のアバ・コフナーは、パレスチナに到着した後、ホロコーストに復讐するためにナチスを大量毒殺する計画を孵化させました。
コフナーは、ドイツの都市の水道に感染するか、連合軍の捕虜収容所に拘留されている何千人ものSS将校を致命的な病気で毒殺するつもりでした。エルサレムのヘブライ大学の2人の学者から毒を調達した後、彼は計画を制定するためにヨーロッパに旅行しましたが、致命的な貨物を海に投棄した直後に英国の治安当局に逮捕され、任務を中止しました。
中央のアバ・コフナーは、1944年7月にリトアニアでポーズをとり、パレスチナのアインハホレシュ集落に向かいました。ソース|ヤド・ヴァシェム
前者の戦略は、独立戦争の見通しが迫るにつれてシオニストの意識に再浮上し、1920年から1948年の委任統治領パレスチナの主要なユダヤ人準軍事組織であるハガナーによるHEMEDの創設で形式化されました。HEMEDの3つのコンポーネント(AからC)は、化学的および生物学的防衛と戦争、および核研究を扱っていました。
1948年4月1日、イスラエル国家の主要な創設者と見なされ、初代首相を務めたシオニスト運動の主要人物であるダビドベングリオンは、ハガナーの上級代表と会談し、「科学の発展と戦争への応用のスピードアップについて話し合いました」。
2週間後、腸チフスと赤痢を誘発する細菌がパレスチナ全土のハガナー工作員に配布されました。5月15日に戦争が勃発する前は、アラブ人が支配する地域の水源を毒殺するために使用されており、ヨルダン川西岸の都市ジェリコが最初に文書化された事例でした。これは、「まだ人が住んでいる場所でパレスチナ人の権力を弱体化させ、侵略するアラブ軍の前進の予想されるルートに沿って障害をまく」ために行われました。
シオニスト過激派が、迫り来る戦争で勝利した場合に、国連の分割計画の下でパレスチナ人に割り当てられた地域がアラブ人が居住し続けることを期待していなかったことは、これらの村や町の多くを事前に標的にすることによって強く強調されています。
近くの多くのパレスチナ人入植地にとって唯一の水源ではないにしても主要な水源であったカブリの重要な水道橋が5月15日に毒殺されました。論文の著者は、1948年の戦争全体を通して、生物兵器の「最も深刻で強力な使用」と呼んでいます。
国連によって将来のアラブ国家の一部に指定された歴史的な北部の都市エーカーは、水道橋に依存している地域の1つでした。モリスとケダールは、ハガナーが最近、この地域の首都ハイファのアラブ地域を征服し、その結果、人口の大部分が逃亡し、その多くはエーカーに居住したため、この時点で「すでに不安定」だったと言われています。
シオニストによるハイファの捕獲は、イギリス軍からの保護にもかかわらず達成され、ハイファだけでなく近隣のレバノンからもエーカーを遮断し、イギリスの出発の見通しは、人口の精神を「急落」させる一因となった。チフスの流行の発生は、オペレーションキャストあなたのパンのおかげで、エーカーを「極度の苦痛の状態に」残した、と市の市長は5月3日に報告した。まさにこの理由から、それが故意に作成されたというわずかな手がかりは誰も持っていませんでした。



 
「ポイントは何でしたか?」
モリスとケダールは、パレスチナ全土でシオニスト民兵が従事した生物戦争の広範なキャンペーンにもかかわらず、結果として報告された死傷者は比較的少なかったと主張している-数十人のパレスチナ人と何人かのイギリス兵が殺されたことが確認されている-そしてアラブ軍の侵略の進行は兵士の間で病気の発生のためにかろうじて止まった。
「明らかな効果の欠如...そして、兵器化されたバクテリアの生産と輸送の問題は、イスラエルの防衛幹部の間のキャンペーンへの熱意を抑制した可能性があります。ポイントは何でしたか?」ペアは推測します。
そのような推測は、彼らの発見の多くを考えると、やや奇妙であり、論文の他の場所で引用されたハガナー工作員間の私的なコミュニケーションは、戦略が高く評価され、多くのアラブの村、町、都市の恒久的な占領において極めて重要であることが証明されたことを十分に明らかにしています。
前述のエーカーを例にとってみましょう。戦争のある日、シオニスト軍が都市を攻撃し、最後通告を出しました:住民が降伏しない限り、「私たちはあなたを最後の男まで完全に破壊します」。翌日の夜、地元の著名人が正式に降伏文書に署名し、アラブの人口の4分の3(17,395人のうち13,510人)がことわざのペンストロークで追放されました。
エーカー郊外にあるアラブの村アス・スメイリヤは、1948年5月に解体チームによって平準化された後、廃墟になりました。フランク・ノエル |ティッカー
したがって、学者たちは、ハナガ諜報部隊シャイからの1948年6月の未発表の報告を参照しており、エーカーがシオニストの手に渡った速度と容易さは、彼らが以前に解き放った流行に一部起因していると考えています。チフスの発生と「病気の蔓延の噂によって引き起こされたパニック」は、いくつかの地域の「避難の悪化要因」であると判断されました。
後知恵は時々誤解を招く可能性がありますが、戦争が展開するにつれてシオニスト過激派が毒殺キャンペーンを熱心に拡大するように導いたのは遡及的なパターン認識ではありませんでした。1948年6月から8月の間に、エルサレムをめぐる激しい戦いが激しさを増している間、2人の偽名のハナガ工作員が一連のケーブルを交換しました。一方は進歩の欠如にますます腹を立て、もう一方は「エルサレムの怠慢を直ちに止め、パンをここに送るように注意してください[強調は追加されました]」と懇願しました。
その後、9月26日、「重要なシオニスト幹部」は、パレスチナの標的地域だけでなく、好戦的なアラブ諸国でも、ベングリオンに「あらゆる手段による嫌がらせ」の幅広い電撃を提案しました。この反撃は、エジプト軍による国連が委任したユダヤ人の領土の占領を覆し、入植のためにヨルダン川西岸の一部または全部を占領し、シオニストの支配下にある地域への避難民パレスチナ人の帰還を防ぐことを目的としていました。
これらの目的を達成する上での生物戦争の有用性は明らかであり、文字通り有毒なプロセスを開始するケーブルは、同じ日にハナガの最高レベルからそのさまざまな民兵に発射されました。カイロの水供給は主要な目的地でした。その趣旨の計画は、明らかに他の場所でも事前に検討されていました。
9月21日、ベイルートに隠れていたハナガの工作員は、「橋、線路、水、電気源」を含むレバノンでの妨害作戦の標的の可能性について本部に報告した。
レバノンは、戦争が終結に近づいたときでさえ、しばらくの間十字線にとどまり、シオニストの勝利はほとんど保証されていました。1949年1月、国とイスラエルが彼らの間の戦争を終わらせる休戦協定に署名する2か月前に、ハナガは再び工作員にベイルートの「水源[と]中央貯水池」を調査し、レバノンとシリアの主要な町で「水道管の地図を提供する」ように命じました。



 
「それはトリックです...」
明らかに、ベングリオンらの観点から、中毒プログラムには明らかに「ポイント」がありました。
黙認により、シオニストはパレスチナの領土を効果的に占領し、何世紀にもわたって住んでいた土地からアラブ人を追い出し、発砲することなく彼らが戻ってくるのを思いとどまらせることができました。彼らの犠牲者も国際社会も、この地域の大部分を襲っているコミュニティを脅かす伝染病が自然に発生したのではなく、人為的なものであることを知りませんでした。
論文から、特定の個々の過激派があなたのパンを投げることに恐怖を感じ、その作戦を縮小しようとしたことは明らかですが、死傷者の相対的な不足は人道的懸念にチョークで書くことはできません。上級シオニストは、細菌に感染した人々が被った悲惨な影響をよく知っていましたが、特に彼ら自身の工作員の何人かがチフスを含むボトルを誤って飲んだ後、チフスに感染したため、内容物は「ガゾズ」であると信じていました当時と現在中東で人気のある炭酸飲料。
代わりに、Cast Thy Bread は、パレスチナの領土や近隣のアラブ諸国の一部など、国連分割計画の下で提案された土地をはるかに超える土地を併合するという入植者の長期的な目的を隠すのに役立ちました。死亡率の低い生物兵器の秘密の使用は、これらの地域からの民間人の大量追放が自発的かつ自発的であるように見え、大規模な虐殺や地元住民が銃を突きつけられて一斉に追い出される必要なしに確保できることを意味しました。
ベングリオンは、アラブ人とユダヤ人の間でパレスチナを分割することを最初に提唱した英国のピール委員会の調査結果の発表に続いて、1937年10月にシオニストの真の領土的野心を詳しく説明しました。彼は、「この所有の増加はそれ自体だけでなく、それを通して私たちの強さを増し、強さのすべての増加が土地全体の所有に役立つため、結果的であるため」提案を支持しました。
そのような正直さはほとんどまれです。植民地イデオロギーを支え、絶対的に基本的なシオニズムの大量虐殺的性格を常に覆い隠すことは、その開始以来、すべての支持者にとって最も重要でした。イスラエルとそれがアラブ人を不法に占領している領土を一掃するために秘密の技術を採用する時代が大部分終わったので、それは維持するのがますます困難になっています。代わりに、パレスチナ人のゆっくりと燃えるような絶滅は、白昼に圧倒的に行われています。
元英国労働党党首のジェレミー・コービンと彼の支持者が、個人的、職業的、政治的に莫大な費用を負担していることを知ったように、イスラエルが今日、パレスチナ人の組織的な民族浄化を公の監視と非難から守る主な手段は、中傷者に対する反ユダヤ主義の偽の告発によるものです。元イスラエル教育大臣でイスラエル賞を受賞したシュラミット・アロニは、2002年にデモクラシー・ナウに次のように説明した。
それはトリックです、私たちはいつもそれを使います。ヨーロッパから誰かがイスラエルを批判しているとき、私たちはホロコーストを持ち出します。[米国]で人々がイスラエルを批判しているとき、彼らは反ユダヤ主義です...イスラエル政府の特定の行為を反ユダヤ主義として批判する人々を非難し、ホロコーストとユダヤ人の苦しみを持ち出すことは非常に簡単です。
モリスとケダールによって照合された資料は、これが長年の「トリック」であることを示唆しています。1948年5月27日、エジプトの外務大臣は国連事務総長に公電を送り、前日、彼の国の兵士が「ガザのエジプト軍が給水を汲み上げる」泉を汚染しようとしていた2人の「シオニストエージェント」を捕らえ、「腸チフスと赤痢の細菌をその町の東にある井戸に落とした」ことを明らかにした。
エーカー水道橋は、1948年5月にシオニストによって注射された腸チフスによって毒殺されました。ソース|パレスチナ土地協会
ハナガンによって傍受された公電は、その日遅くの国連安全保障理事会会議でシリアの代表によって読み上げられた。それに応えて、パレスチナのためのユダヤ機関の代表に指定されたオーブリー・エバン少佐(イスラエルはまだ国際的に認められておらず、当時加盟国ではありませんでした)は、悪質なリポストを提供しました。
彼は、エジプト政府とシリア政府が「中世の反ユダヤ主義の扇動の最も堕落した伝統、つまりユダヤ人がキリスト教の井戸を毒殺したという非難と自分たちを関連付けることを選択した」と非難した。
「安全保障理事会は、ゲッベルス博士の言葉から提供されたシオン賢者の議定書からの朗読のための法廷になることを望んでいないと私たちは確信しています。安全保障理事会がこの軽蔑的な扇動ではなく、現時点でエルサレムとテルアビブに落下している[アラブ]爆弾と砲弾の現実に関心を持つことを願っています」と彼は猛烈に付け加えました。
そのような介入は、2人の外交官の苛酷な言葉の戦争に最初のマスコミの関心が寄せられた後、当時のシオニスト指導者と過激派のいくつかの自伝、および2003年の学術記事。
実際、この作戦は非常に秘密だったため、イスラエル政府の検閲官でさえその存在に気づいていなかったため、作戦のコードネームを参照する多数の非常に有罪の論文が、イスラエル占領軍の公的にアクセス可能なアーカイブに直接、粛清されずに通過することを許可しました。
HEMDの生物戦部門は、1948年の戦争が終わった後、イスラエル中部の町ネスシオナにある正式に民間の生物学研究所になりました。その最初のディレクターは、「パン」の計画と実行に密接に関わっていた元ハガナー役員のアレクサンダーキーナンでした。
今日のイスラエルの生物兵器の研究開発の範囲や性質についてはほとんど知られていません。生物学研究所は、特に部外者のアクセスをブロックする広範なセキュリティ対策のために、立ち上げ以来、ほとんど公の場から隠されてきました。英国の調査ジャーナリスト、ゴードン・トーマスは、航空機の飛行が許可されていない場所について説明し、科学者は地下深くの研究所で苦労して「ボトル入りの死のエージェント」を生み出しています。
それにもかかわらず、現代のイスラエルが、1975年の生物兵器禁止条約にも1997年の化学兵器禁止条約にも署名していない世界で非常に数少ない国の1つであることは重要かもしれません。別の「あなたのパンを投げなさい」は文字通りのことわざのパイプラインにあるでしょうか?少なくとも、そうではないと考える理由はありません。そのようなキャンペーンが今行われるならば、それは前回よりもさらに効果的に公衆の検出を免れるでしょう。
モリスとケダールによって特定された、1948年の戦争についてのパレスチナの執筆の印象的な側面は、当時の流行の発生への言及がほとんど完全に欠如していることです。当時腸チフスにかかった、または腸チフスにかかった友人や親戚がいた今日のナクバの生き残った犠牲者は、事実から74年後、故意に毒殺された今、学習の新たな憤慨に直面しています。
特集写真 |イラスト:ミントプレスニュース
キット・クラレンバーグは、調査ジャーナリストであり、MintPresss Newsの寄稿者であり、政治と認識の形成における諜報機関の役割を探求しています。彼の作品は以前、The Cradle、Declassified UK、Grayzoneに掲載されています。ツイッター@KitKlarenbergで彼をフォローしてください。

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橋本愛とシオニストのスピルバーグ

2023-12-10 09:23:16 | シオニスト・ナチ国(イスラエル)問題

『週刊文春』(11月30日)頁116「私の読書日記」──「人の間、私は外 橋本愛」


『アドラー心理学入門』を読んで感動したことを凝縮すると主に三つ。
一つ目は、「対等の横の関係」
二つ目は、「楽観主義と楽天主義」
三つ目は、──
以下引用
 三つ目は、「一人の生命を救う者が全世界を救う」という言葉。聖書と並ぶ、ユダヤ教の聖典「タルムード」の教えの一つで、映画「シンドラーのリスト」で引用されているらしい。
 全ての人を救うことなどできない。だから私が何かをやろうとやるまいと、世界にとって大した違いはない。けれど、たった一人の人を救えたなら、その人にとっては大きな違いである。
 このことに胸が震えた。私の取るに足らない小さな小さな行動も、少しばかりは誇りに思ってもいいことなのかもしれない。


ハマス攻撃は「ユダヤ人に対する筆舌に尽くしがたい蛮行」 スピルバーグ監督
2023.12.06 Wed posted at 14:30 JST
https://www.cnn.co.jp/showbiz/35212408.html
(CNN) 映画監督のスティーブン・スピルバーグ氏が、10月7日のイスラム組織ハマスによるイスラエル攻撃について、公式コメントを発表した。



スピルバーグ氏は、米ショア財団が今月1日に発表した特集の中で、ハマスの攻撃に言及している。同財団は、ホロコースト生存者・目撃者の証言を記録するためスピルバーグ氏が1994年に設立した。


「私が生きている間に、ユダヤ人に対するこれほど筆舌に尽くしがたい蛮行を目にするとは想像もしなかった」とスピルバーグ氏は述べている。


同財団は、ホロコースト後の反ユダヤ主義を記録するプロジェクトの一環として、10月7日の攻撃の生存者の証言や記録の収集も行っている。



スピルバーグ氏はこのプロジェクトについて「生存者の声を、反ユダヤ主義や憎悪の危険な台頭に対抗する強力なツールとするための取り組み」と位置付け、「反ユダヤ主義や、あらゆる種類の憎悪のない世界を目指し、歴史を記録する取り組み」と紹介。「そうした取り組みにおいて我々は結束し、断固たる姿勢を貫かなければならない」と訴えている。


スピルバーグ氏は、93年のアカデミー賞受賞映画「シンドラーのリスト」の監督を務めた。同作品はホロコーストの間にユダヤ人1000人以上の命を救ったオスカー・シンドラーの実話に基づいている。


財団の設立は、スピルバーグ氏がこの映画の撮影現場を訪れたホロコースト生存者と会ったことがきっかけだった。同財団はカンボジアやルワンダなどの国で起きた大量虐殺についても記録している。



*****


 シオニストのスピルバーグは、「同財団はカンボジアやルワンダなどの国で起きた大量虐殺についても記録している」のに眼前のシオニストによるガザ強制収容所の公開ジェノサイドを無視する恐るべき人種主義者に過ぎない。かようなトンデモが、「一人の生命を救う者が全世界を救う」と言ったら、その意味は全く違う意味になる。外集団への虐殺を奨励する文学書の旧約聖書をパレスチナに適用しているシオニストにとっては、「一人の生命」とは「ユダヤ人の生命」の意味にすぎない。よってシオニストにより動物以下と認定されているパレスチナ人は虫けらのように殺されている。
 橋本愛は早急に『イスラエルに関する十の神話』(イラン・パペ著、脇浜義明・訳、法政大学出版局、2018年)を読むべきである。
 


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ガザ強制収容所の公開ジェノサイドを見ても、なぜ村上春樹はエルサレム賞を返上しないのか?

2023-12-07 10:53:22 | シオニスト・ナチ国(イスラエル)問題

 村上春樹のエルサレム賞受賞は2009年だが、アパルトヘイト国家イスラエルはもうとっくテレビで学者が民族浄化(大量虐殺、強制移住などの手段で特定の民族を殲滅させる)を公言するトンデモ国家になっていた。

■イラン・パペ『イスラエルに関する十の神話』(脇浜義明・訳、法政大学出版局、2018年)
頁234──


 ・・・インタビュアーがハマース以外のパレスチナ指導者に対する政府の方針を質問したとき、彼がヨーロッパ的人種優越論をイスラエル版に翻訳した思想の持主であることがたちまち明らかになった。インタビュアーとシュタインニッツ(引用者注:ネタニヤフの懐刀)は、全てのPAの役員──約4万人──は殺害するか追放するかしなければならないだろう、という点で意見が一致して、クックッと笑ったのだ。「私は満足だよ」とシュタインニッツが言った。「やっと米国が目覚めて、わが国の政策を完全に支持するようになったのだから。」この同じ日に、ベン=グリオン大学のベニー・モリスが、パレスチナ人の民族浄化を支持する意見をまたもや述べ、それが最良の紛争解決方法だと主張した。
 以前は、良い意味では少数意見、悪い意味では狂信的と見做されていた過激な意見が、今やイスラエル・ユダヤ人のコンセンサスの中核となった。体制派学者がテレビのゴールデンタイムなどで、そういう意見を唯一の真実としてばら撒いたからである。2004年のイスラエルはパラノイア社会で、相手社会がどうなろうと、相手側の犠牲者がどれだけ出ようと、力の行使と破壊力で紛争に決着をつけると力んでいた。イスラエル社会の指導者は米国政府と西側の政治指導者から頻繁に励まされた。米欧以外の良心的国家は為す術もなく、当惑して見ているだけであった。・・・



*****
 
 こんな状態が20年も続き、ガザ強制収容所の虐殺もたびたび起き、2014年には、こんな光景も見られた。





 こんな民族浄化(大量虐殺、強制移住などの手段で特定の民族を殲滅させる)が欧米の支援で繰り広げられた末に今の公開ジェノサイドがある。
 こんな国家にガッサン・カナファーニーは暗殺されたのだ。


 まだ間に合う、村上春樹は今すぐにエルサレム賞を返上せよ!

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日本(共産)党問題 日本共産党創立101周年(1922~2023)に寄せて

2023-12-05 08:49:22 | 日本(共産)党問題
 実質、中道右派政党の日本(共産)党問題とは、日本低国の「左翼」・リベラル完全崩壊とほぼ歩調を合わせている。よって日本(共産)党問題は「左翼」・リベラル完全崩壊問題を論ずれば良いことになる。
 アパルトヘイト国家イスラエル問題を論ずるのに「どっつもどっち」論は成立しないが、たとえば検閲を推奨する自称リベラル弁護士・宮武嶺はそれを駆使する。抵抗解放運動のハマスなどの武装勢力もテロ国家イスラエルと同等に批判されるのだ。それは息を吐くように大嘘プロパガンダを行うテロ国家イスラエルに利する行為で、ある意味害悪の部類に属する。
 

■日本共産党創立101周年(1922~2023)に寄せて
https://www.jcp.or.jp/akahata/web_daily/html/jcp101st.html
 日本共産党は、15日で創立101年を迎えます。日本の平和と自由、民主主義のため開拓と苦闘を重ねた101年でした。各界の方に談話を寄せていただきました。
#岡野八代さん #アルテイシアさん #纐纈厚さん #金谷雅史さん #二見伸明さん #浜矩子さん #五野井郁夫さん #スガナミユウさん #萩原伸次郎さん #池田香代子さん

世紀超えた一歩に敬意
同志社大学教授 岡野八代さん
 人間にとって1世紀という長さは、世代を超えてつながることでようやく持続する時間です。日本共産党が世紀を超え、新しい一歩を踏み出された記念すべき年を迎えられることへのお祝いの気持ちをこめて、メッセージをお送りします。
 日本の政党のなかで唯一、戦前より活動を始め、数々の弾圧を乗り越え、その活動が継続されてきたことに、心より敬意を表します。その歩みは、時に重く、数々の犠牲のうえに持続されてきたものであろうことも、想像に難くありません。
 他方で、わたしが出会う党関係者の皆さんは、世界と時代に学び、つねに笑顔で声をかけてくださる方々です。みなさんの日々の活動は、日本社会を生きる喜びに満ちた社会へと変革しようとする挑戦です。
 その挑戦は、古代の哲学者が人間の本質だと考えた、政治的動物(ゾーン・ポリティコン)としての活動です。だからこそ、世代を超え、多くのひとが党の周りに結集したのでしょう。
 21世紀、人間の本質とはなにかが大きく問われています。皆さんと共に、わたし自身も、人間とはなにかという大きな問いに向き合っていきたい。新たな世紀、新しい活動へと大きく飛躍されますことを祈念しています。(寄稿)
(2023年7月14日)

ジェンダー平等で一番
作家 アルテイシアさん
 日本共産党は一番ジェンダー平等に取り組んでる政党ですよね。国会論戦で性暴力の問題や生理の貧困を、党書記局長である小池晃さんが取り上げるのをみて、ジェンダー平等を共産党がいかに重視しているかが伝わります。
 地元の神戸市や兵庫県でも、痴漢撲滅アクションや生理の貧困、包括的性教育など、ジェンダー問題に共産党の議員さんが一番取り組んでいます。そのことをもっと無党派層にも知ってほしいですね。
 私の周りで選挙ボランティアや、JCPサポーターに加わった子は、ジェンダー平等がきっかけになった人が多い。「ジェンダー平等を進めるために何ができるか、と考えたときに日本共産党が政党として一番信頼できるから、ボランティアをやっています」と話す人もいます。ジェンダーが政治参加の入り口になっていますね。
 フェミニストと日本共産党の歴史は似ています。女性参政権を求めて運動した英国の女性たち「サフラジェット」は逮捕され、拷問されました。
 私は、女性の権利や自由のためにたたかってきたフェミニストの先輩たちがいるからここにいて、次の世代にバトンをつなぎたいと思っています。同じように共産党も反戦・平和を貫き、人権を守れと、戦前からたたかってきた先輩がいます。そのバトンがもっとつながってほしい。党ができて101年、今後の100年もつながってほしい。
(2023年7月14日)

反戦平和のとりでたれ
山口大学名誉教授 纐纈厚さん
 1922年の結党以来、数多くの犠牲を強いられながらも、軍国主義と侵略戦争に断固立ち向かってきた唯一の政党が日本共産党です。平和憲法をないがしろにし、「新しい戦前」へと向かおうとする戦後日本政治のもとで、一貫して平和憲法を守り、国民に寄り添い、多くの民衆とともに歩んできました。
 日本共産党の1世紀の歴史は、近代日本の100年を映し出す鏡です。日本共産党の苦闘と犠牲は、国民が強いられた苦闘と犠牲ではないかと思います。
 革新政党と評される政党は数多く存在しましたが、離合集散を繰り返して国民の信頼を裏切ってきました。日本共産党は、不動の精神と綱領のもと、厚い信頼を築き上げてきた稀有(けう)な政党です。
 日本共産党が前面に立って再び、「新しい戦前」に数多くの国民とともに立ち向かう状況です。反戦平和運動を起こす大きなとりでになってほしい。本当の意味での平和と民主主義を日本に創り出す政党としての発展を願います。
 「戦争をする国」へと向かう日本を、戦後世界に向けて誓った「平和国家日本」に立ち戻らせるために野党共闘、あるいは護憲共闘の実現が求められます。ブレることなく護憲の立ち位置を厳守し、一貫して野党共闘を呼びかけている日本共産党には、推進役として1世紀の歴史を生かしてほしいと願います。
(2023年7月14日)

私の声をみんなの声に
酪農家 金谷雅史さん
 昨年11月に農林水産省前で行われた畜産・酪農危機打開の集会(農民連など主催)までは共産党をはじめ、特にどの政党も支持していませんでした。
 この集会で私は「酪農ヤバイです」と訴えました。となりに日本共産党の小池晃書記局長、田村貴昭衆院議員、紙智子参院議員がいました。その後、田村さんは質問で、小池さんは本会議の代表質問で私の訴えを紹介し、小池さんは、選挙区でもないのに訪ねてきて、搾乳もしてくれました。紙さんは参院農水委員会の参考人として発言の場をいただきました。
 私の訴えは「小さな声」です。共産党は、この「小さな声」を拾い上げてくれました。その声を国会に届けてくれています。草の根の活動で、私の声を拾い上げて、「みんなの問題だ」として取り上げています。
 乳価は時間がかかって上がってきております。近々にも牛乳値上げの予定があります。ですがまだ十分ではない状況です。
 手をつないで事態を変えていきたい。野党の共闘を進めるためにも共産党が前進してほしい。私も共産党の政策や候補者のことを口コミも含め発信していきたい。
(2023年7月14日)

民主集中制「当たり前」
元公明党副委員長 二見伸明さん
 先日(6月25日)、以下のようなツイートをしたんだ。
 「志位委員長が党幹部会(第8回中央委員会総会)で吠(ほ)えた。民主集中の『民主とは党内民主主義のこと。集中とは統一した党の力を集めること。この両方の要素は国民に責任を負う近代政党ならば当たり前』。集中とは別言すれば団結だ。政治学者二見伸明は百点満点を付けた。自民党は利権に群がり、利権のために集中する徒党集団だ」と。
 「当たり前」のことを言っただけなのに、閲覧数はいつもよりケタ違いに多かったよ。
 翻って、党創立101年、新しい出発なんだよね。『サンデー毎日』(7月2・9日合併号)で倉重篤郎君(毎日新聞客員編集委員)が、日中関係についての志位さんの提言を取り上げて、高く評価していた。
 提言が、これからの日本の外交戦略の要、"日中両国政府の最大公約数"だと思っているんだよ。日本と世界の平和のためにも、日中が本気になって話し合い、提言の精神に立って前向きにやっていく必要があるんだね。
 いろいろあるアメリカと中国だけど、両国の"パイプ"は、本当はすごいんだよ。日中の平和な関係、これは101年目の大きな課題じゃないかな。だから、提言はすごく大きいと思っているよ。
(2023年7月14日)

政治に魂を吹き込んで
同志社大学名誉教授 浜矩子さん
 私は最近、岸田文雄首相のことを「鮒侍(ふなざむらい)」と呼んでいます。歌舞伎の忠臣蔵で吉良上野介(きらこうずけのすけ)が浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)をなじります。おまえはこっちの壁にぶつかったら方向転換し、あっちでぶつかったらまた別の方へ行く、ふらふらしている鮒侍じゃ、と。
 岸田首相はこの鮒侍のようです。バイデン大統領にいわれればふらふらと大軍拡の方向へ行き、「人口減少が大変だ」と財界にいわれればそちらへ行く。明確な信念や論理を持たないから言葉が魂から出てこず、大軍拡を進める理由も説明できません。恐ろしいことです。敵基地攻撃能力の保有は「憲法の趣旨とするところではない」という政府見解を軽いノリで壊してしまい、その重大さが鮒侍にはわからないのです。
 マイナンバーカードをめぐって人々の個人情報をないがしろにしても、政府・与党には責任意識や良心の呵責(かしゃく)がみられません。大企業べったりの政治を続けた結果、人々の痛みに思いをはせる感受性をなくしてしまったのではないでしょうか。
 共産党には日本の政治に魂を吹き込んでいただきたい。それだけに共産党の魂がピュアで潔いものであってほしいと願います。いろいろな批判についても真摯(しんし)に受け止め、自らの魂を力の限りに開示していただきたい。ひるんだり逃げたり意気消沈したりせず、開けっぴろげに語っていただきたい。共産党の組織や理念に確信を持てる空気が形成されることを期待します。
(2023年7月15日)

ポップな打ち出し期待
高千穂大学教授(政治学) 五野井郁夫さん
 ぶれない軸をもった"安心感"ある存在です。市民目線の政治を貫いてきたからこそ、「この政党だけは変な方向にはいかないよね」と信頼がおけるんです。
 安心感の一つに、統一協会との関係がないという事実があります。先の統一地方選でも統一協会からフリーであることは有権者が投票する上での安心材料になりました。また、国会では入管法やLGBT法などをめぐり、人権擁護を中軸に据えた妥協をみせない論戦でたたかってきました。ここまでしがらみがなく、絶対に曲がらないと確信できる政党は希有な存在です。
 一つ提言したいのは、日本共産党に対するさまざまな誤解を払拭する上で、もっとカジュアルかつ正確に発信していく方法の模索です。党運営の在り方に「独裁」との誤解もありますが、民主的選挙と党の一体性を両立させる民主集中制を機能させている希少な存在です。それだけに誤解されたままではもったいない。
 知的な基盤と誠実さ、絶対に揺るがない信念と歴史を持っているのですから、後はどうアウトプットするかです。支持者の中には若くて才能あるクリエーターもたくさんいます。「共産党って実はかっこいいんじゃない?」と思ってもらえるようなポップな打ち出しを期待します。
(2023年7月15日)

真っ当な政策 広げたい
東京・下北沢のライブハウス「LIVE HAUS」店長
 スガナミユウさん
 ここ数年、私の身の回りで「良い質問をしている国会議員がいる」「政策を見ると真っ当だ」と話題になることがあり、その多くが日本共産党議員のことでした。昨年の参院選を振り返っても、特定の政党をいつも支持しているわけではない市民が驚くほど山添拓さん(参院議員)の応援に駆けつけていました。私も、その一人です。
 今の政治はおかしいと感じている人たちが、何の先入観もなくフラットに各政党を見て共産党を応援・投票の選択肢に入れている。こうした動きが全国にもっと波及してほしいと思っています。
 民意を無視した強行的な政治が、与党だけでなく、日本維新の会や国民民主党などもはや野党とは言えない勢力も一緒になって進められています。秋にも予想される総選挙に向けて、この事実を多くの人に伝えたい。
 東京都杉並区で岸本聡子さんが区長になるなど、ジェンダー平等をめぐって地方政治に変化が起きています。この流れを国政でも実現したい。衆院選に田村智子さんが出ると聞いて驚きました。全力で応援します。
 市民の声を受けとめて新しい政治を実現するため前に進み続ける共産党に「101年目の希望」を感じています。
(2023年7月15日)

米・財界批判 唯一の党
横浜国立大学名誉教授 萩原伸次郎さん
 いま日本経済は、岸田政権のアベノミクス継承路線によって、物価上昇、実質賃金の下落、一部大企業の円安による大もうけと株価高騰など、経済格差の深刻化が引き起こされています。また、アメリカの要請による軍拡と軍需品購入によって、財政赤字の巨額化と福祉切り捨てが懸念されています。これらの社会経済現象は、アメリカの新自由主義経済政策への追随によってもたらされたものであり、アメリカ言いなりの政治、財界中心の経済政策によるものであり、その根源には、日米安全保障条約があり、それにつき従う政治がもたらしたものにほかなりません。こうした政治経済政策に敢然と対峙(たいじ)し、日米安全保障条約に代わって日米友好条約を締結し、日米の対等な政治経済関係の樹立によって、日本から米軍基地をなくすことを主張しているのが、日本共産党です。
 日本共産党は、戦前から一貫して、反戦、主権在民、基本的人権の保障という民主主義的要求を前面に打ち出し、戦後も、対米従属と財界中心の経済政策を批判し、国民全体の経済を豊かにする革新的経済政策を打ち出してきた日本で唯一の素晴らしい政党です。この7月15日に創立101年を迎える日本共産党に熱きエールを送ります。(寄稿)
(2023年7月15日)

成熟した「2世紀目」に
翻訳家 池田香代子さん
 著名なミュージシャンが故ジャニー喜多川氏について「功績に対する尊敬の念は今も変わらない」などとラジオ番組で発言したことが、性加害を軽視するものだとSNS上で多くの批判を浴びました。一方でこれらの批判に「反日」とレッテル貼りする発信もありました。
 少年たちへの性加害は、子どもの人権という普遍的価値に照らして許されない行為です。人権の思想を理解しない人たちが、「反日」「人権派」と市民に悪口を投げつける。ジャニーズ問題だけでなく、岸田政権が強行した改悪入管法や与党など4党のLGBT法、マイナンバーカードの健康保険証一本化押しつけにしても、人権が著しく軽視されています。
 内部の掟(おきて)に縛られた世間を脱し、人権という普遍的価値に基づく社会を育てるには、野党共闘で政権を奪取しなければ。その原点は2015年の安保法制反対運動。日本共産党が市民の声に応え、共闘を呼びかけました。
 言い出しっぺの志位和夫委員長が記者会見で「相手のあることですから」と言われ、剛直なイメージの共産党からその言葉を聞いて感動したものです。これからも柔軟性を涵養(かんよう)し、成熟した「2世紀目」となることを期待しています。
(2023年7月15日)

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