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ヘナチョコ革命 2020年版

世界を変える・・・

ジェノサイドはガザの「ここ」と「そこ」を変えた

2024-12-30 15:43:18 | シオニスト・ナチ国(イスラエル)問題
ジェノサイドはガザの「ここ」と「そこ」を変えた
アヤ・アル・ハッターブ エレクトロニック・インティファーダ 2024年12月29日

https://electronicintifada.net/content/genocide-has-changed-gazas-heres-and-theres/50253
ガザの北部は、ほぼ3ヶ月にわたるイスラエルの集中的な攻撃の後、荒廃している。ここでは、ベイト・ハヌーンから強制的に立ち退かされた家族が持ち物を持って行こうとします。
 Hadi DaoudAPA画像
ガザ地区は小さな沿岸地域です。
ここにいるほとんどの人々は、1948年に、イスラエルとなった場所、あるいは私が好んで呼ぶところの、この遠いパレスチナの家、村、土地から強制的に立ち退かされました。
もちろん、この遠いパレスチナはただそこにあり、目と鼻の先です。
この現実を痛感したのは、2022年10月、大学のプロジェクトの一環としてガザの最北端、ベイト・ハヌーンに行ったときでした。
それは私にとって初めてのベイト・ハヌーンへの旅行で、アル・アズハル大学のキウイ・メディア(Kiwi Media)の学生仲間のチームが参加し、ガザ地区の美しさを紹介するとともに、その重要なランドマークを強調するプロジェクトに参加しました。
私の役割は、制作されたビデオを英語に翻訳することでした。
広大な農地と広い間隔の家々があるベイト・ハヌーンは、私が住んでいたガザ市とは大きく異なります。豊富な木々と自然の美しさが、穏やかで絵のように美しい環境を作り出しています。
その日、仲間の学生たちと私はベイト・ハヌーンのほぼすべての部分を探索しました。これには、1948年の境界のすぐ近くに立っていた農業学校の訪問が含まれていました。
学校の屋上から、目の前に広がる素晴らしい景色に思いを馳せました。私は、子供の頃に長い間思い描いていたパレスチナから、そして1948年にガザの人口の約80パーセントが避難を余儀なくされたパレスチナから、ほんの少し離れたところに立っていました。

あの遠いパレスチナ。 
アヤ・ハットタブ
写真撮影が禁止されているにもかかわらず、私はこっそりその瞬間を携帯電話で捉えていました。
立って見ていると、不思議な感覚を覚えました。近いにもかかわらず、それは信じられないほど遠くに感じられました。それはまるで、手の届かない、この遠いパレスチナを見つめているかのようでした。
距離が伸びる
旅の最後には、オリーブ園に集まって食事をしました。オリーブの木に囲まれた場所でパレスチナ人であることには、何か特別なものがあります。
その食事から1年以上経った今、北のエレズ検問所から南のラファ検問所までガザを横断するサラ・アルディン通りは、壊滅的な被害を受けている。
ベイト・ハヌーンは打ちのめされています。果樹園は放棄され、破壊されています。工場や家屋は瓦礫と化しています。焼け焦げた車の砲弾が道路に点在しています。
あるのは荒廃と絶望だけです。
ガザ地区北部は、今や地理的にも時間的にも遠く感じられます。私は2023年10月13日にガザ市の自宅から、最初は南に、そして2月にはガザ地区中央部に避難しました。
さて、北に行こうとすると、イスラエル軍が占領したガザを二分する地域であるネツァリム回廊と検問所にたどり着くでしょう。そこは非常に危険で、「死の枢軸」として知られるようになりました。
今年の12月3日、私はその検問所の近くにいました。それは、私が計算したところでは、ガザ市の美しい家から424日も離れていることを意味していました。
イスラエルは、誰が見ても、北部の住民を空っぽにし、全領土を奪取しようとする計画を進めている。
この計画は成功するのでしょうか?
パレスチナの作家ムーリッド・バルグーティはかつてこう言った:「占領軍兵士は、彼が没収した土地の一部を占領し、それを『ここ』と呼んでいる。それとは対照的に、追放された所有者である私に残されたのは、それを「そこに」と指定することだけです。
私は今、「そこ」を見つめています。その距離は、ガザの私たちがかつて慣れ親しんでいたものを大幅に超えて広がっています。
アヤ・アル・ハッターブは、ガザの作家兼翻訳者である。

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ケイトリン・ジョンストン:10月7日のハマスを私が非難しない理由

2024-10-11 09:10:57 | シオニスト・ナチ国(イスラエル)問題
ケイトリン・ジョンストン:10月7日のハマスを私が非難しない理由
『しんぶん赤旗』のトンデモ主張────イスラム組織ハマスの奇襲が許されない蛮行であることは言をまちません - 日本版「黒は美しい(ブラック・イズ・ビューティフル)」運動、2013年末始動 (fc2.com)

■岡真理『ガザとは何か~パレスチナを知るための緊急講義』大和書房、2023年
頁80──
 10月7日の攻撃について、イスラエルのメディアは、残忍で血に飢えたテロリストの所業と報じました。でも、そうではない。 考えてみてください。彼らは片道切符だと分かった上で行っているんです。祖父母、あるいはその両親の代に民族浄化の暴力で難民となってガザにやって来てから、自分たちの故郷はすぐ向こう、目と鼻の先なのに、行くことができない。故郷に帰ることができないまま亡くなった祖父母に代わって、その故郷の土を自分の足で踏む、そのために、何時間か後に自分が殺されることを覚悟で、解放のためにガザのフェンスを越えて行っているんです。先ほどご紹介したイスラエルのユダヤ人の歴史家イラン・パペは、彼らの「この勇気を称賛する」と言っています。
10月7日のハマスを私が非難しない理由
 1999年、ニューメキシコ州のトレーラーハウス内で、シンディ・ヘンディという女性がシンシア・ビジルという女性にアイスピックで首を刺された。ビジルはその後、現場から近くの住宅に逃げ、その家の所有者がすぐ警察に通報した。…
ケイトリン・ジョンストン
2024年6月3日
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2024/06/post-4f3af2.html
 この英語記事の朗読を聞く(朗読:ティム・フォーリー)。
 1999年、ニューメキシコ州のトレーラーハウス内で、シンディ・ヘンディという女性がシンシア・ビジルという女性にアイスピックで首を刺された。ビジルはその後、現場から近くの住宅に逃走し、その住宅の所有者がすぐ警察に通報した。
 彼女はいかなる犯罪でも起訴されなかった。
 シンシア・ヴィジルがアイスピックでシンディ・ヘンディの首を刺したにもかかわらず、何の罪にも問われなかったのは、ヘンディが連続殺人犯デビッド・パーカー・レイ(別名トイボックス・キラー)の共犯者だったからだ。レイとヘンディが監禁し拷問していたトレーラーからヴィジルは逃げ出し、その後二人は逮捕された。レイは三年後に獄死したが殺人事件の全容はいまだに不明だ。ヘンディは19年間服役し、2019年に釈放された。
 シンシア・ヴィジルはいかなる罪にも問われなかった。誘拐され、恐ろしい扱いを受けたことに対する暴力は全く理解できる正当な反応だと誰でも理解できたためだ。彼女は違う行動を取るべきだったと言う人は誰もいなかったし、女性を誘拐し、殺人地下牢で拷問していた連続殺人犯がいる事実ではなく、彼女の必死の暴力行為だけを主要ニュースにしようと考えた人は誰もいなかった。
 そして、もしメディアがそうしていたら、どれほど馬鹿げたことになっていたかご想像願いたい。トイ・ボックス・キラー事件が報じられた際、主要見出し全てが「ある女性が別の女性をアイスピックで刺した事件」だったらどうだろう。残酷な連続殺人犯に人が監禁され、残忍な虐待を受けた事実ではなく、アイスピックによる刺傷事件ばかり何ヶ月もメディアが話題にしたとしたらどうだろう。
 ニュースで、この事件に関しインタビューを受けるたびに、残忍で邪悪でサディスティックなアイスピックでシンディ・ヘンディを刺したことでシンシア・ヴィジルを非難するかと人々が問われたら、どれほど不条理かご想像願いたい。
 この事件を、ヘンディはただ立っていただけで、いらぬおせっかいなどしていなかったのに、ヴィジルによる野蛮で、いわれのない攻撃の犠牲になったかのように報道機関が報じ続けたら、どれほど不条理なことになるか想像願いたい。
 アイスピックによる刺傷事件に全員が焦点を絞り、この刺傷事件は精神異常の連続殺人犯と共犯女性にシンシア・ヴィジルが監禁されていたため起きたのだと指摘するたびに、ヴィジル擁護者、首刺し支持者だと、ヒステリックに非難され、あの恐ろしい日にヴィジルがヘンディに加えた暴力を弁護したり正当化したりできるものは何もない、絶対何もないと言われたら、どれほど馬鹿げたことになるかご想像願いたい。
 ヴィジルを救出し、彼女を酷い目に遭わせた連中を逮捕する代わりに、警察がヴィジルを犯人の元に戻し、デビッド・パーカー・レイが殺人生活を再開するのを助けていたら、どれほど不条理だったかご想像願いたい。
 デビッド・パーカー・レイが誘拐、拷問、殺人という現状の生活様式を再構築するのを手助けしながら、レイの殺人地下牢は存在する権利があり、レイと共犯者は自分の家と生活様式を守る権利があると警察やメディアが主張したらどうなるかご想像願いたい。
 シンシア・ヴィジル逃亡未遂事件後、世界の目の前で、レイが殺人とサディズムを著しくエスカレートさせ、ヴィジルがシンディ・ヘンディの首に理由もなくアイスピックで攻撃を仕掛けた恐ろしい日を人々が厳粛に引き合いに出し擁護したと想像願いたい。
 レイの凶暴な殺人行為への支援を正当化するために、逃亡中にヴィジルがヘンディを性的暴行し、赤ん坊の首を切り落とし、その遺体をオーブンに入れたと警察とメディアが主張し、嘘と偽情報を流布していたらどうなるかご想像願いたい。
 これ以上馬鹿げたことを想像するのは困難ではないだろうか? 被害者と加害者の逆転が 、どれほど卑劣か、虐待的監禁者から逃げようとする人の必死の努力に対する反応が、どれほど馬鹿げているか想像するのは困難だろう。
 これは、何かに関し人が考え得る限り最も時代遅れで狂気じみたもので、このような不条理を信じ込ませようとする連中は明らかに今後決して信じるべきでない心理的虐待者だ。明らかに連中は狂った考え方をしており、そのあらゆる部分が、あらゆる方法で拒否されるべきなのだ。
 とにかく、そうなのだ。だから私は10月7日のハマスを非難しない。
_______________
 私の記事は全て読者のご支援によるものなので、この記事を良いと思われた場合、必要に応じて私のチップ入れにお金を入れる選択肢がいくつかあります。私の記事は全て、自由にコピーでき、あらゆる方法、形式で利用可能です。皆様が望むことは何であれ、記事を再発行し、翻訳し、商品に使えます。私が公開している記事を確実に読む最良の方法は、Substackメーリングリスト購読です。全ての記事は夫のティム・フォーリーとの共著。
 ビットコイン寄付:1Ac7PCQXoQoLA9Sh8fhAgiU3PHA2EX5Zm2
 画像はニューメキシコ州矯正局提供。
記事原文のurl:https://caitlinjohnstone.com.au/2024/06/03/why-i-dont-condemn-hamas-for-october-7/




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このご時世(シオニスト・ナチの公開ホロコースト継続中)、エルサレム賞受賞の村上春樹はノーベル文学賞は無理なの?

2024-10-11 05:19:24 | シオニスト・ナチ国(イスラエル)問題
このご時世(シオニスト・ナチの公開ホロコースト継続中)、エルサレム賞受賞の村上春樹はノーベル文学賞は無理なの?
 エルサレム賞を辞退せよと言われた村上春樹の感想──「ネット空間にはびこる正論原理主義を怖いと思う」。


 これを村上春樹の「正論原理主義批判」と命名すると、元弁護士の深草徹の「反米原理主義批判」を当然想起する。ただし時系列では村上春樹が先。深草徹は村上春樹の真似をした可能性もある。
 シオニスト・ナチを徹底批判すると「正論原理主義」と批判される。ナチスの親玉アメリカを徹底批判すると、「反米原理主義」と批判される。こういう批判者は、シオニスト・ナチにもナチスの親玉アメリカにも良いところがあるとみている。
 エルサレム賞受賞の村上春樹はシオニスト・ナチのプロパガンダに協力した。賞を与える側は、当然その思惑で動く。村上春樹にはその自覚はない。彼でさえも、アパルトヘイト下の南アからの都市名がついた賞は貰わなかったはず。しかし南ア友好議連の名誉白人の石原慎太郎なら貰ったかもしれない。で実は、シオニスト・ナチのアパルトヘイトは南アより数百倍悪質。村上春樹と石原慎太郎、どっちがよりトンデモなの?


韓国の作家ハン・ガンさんがノーベル文学賞 アジア女性で初の受賞
10/10(木) 20:02配信
ソウルで取材に応じた作家のハン・ガンさん=2024年4月30日、チェ・スンド氏撮影
https://news.yahoo.co.jp/articles/c3dd6188066df65e6a928d90c1329f9b3aa19a07 スウェーデン・アカデミーは10日、2024年のノーベル文学賞を、韓国の作家ハン・ガンさん(53)に授与すると発表した。韓国人の文学賞は初めて。アジアの女性としても初となる。 【写真】インタビューに答えるハン・ガンさん  スウェーデン・アカデミーは授賞の理由について、「作品のなかで、過去のトラウマや、目には見えない一連の縛りと向き合い、人間の命のもろさを浮き彫りにした」と説明。「彼女は肉体と精神のつながり、生ける者と死者のつながりに対して独特の意識を持っており、詩的かつ実験的な文体で、現代の散文における革新者となった」とたたえた。  ノーベル賞の公式SNSにアップロードされた電話インタビューで、ハン・ガンさんは「私は韓国で本とともに育ちました。韓国文学や読者、作家仲間にとってこれが良いニュースであることを願っています」と語った。  ハン・ガンさんは1970年、韓国・光州市生まれ。93年に季刊誌に詩が、94年に新聞に短編小説「赤い碇(いかり)」が掲載され、デビューした。心に傷を抱えた人々と、その魂の回復を詩的で繊細な文章でつづり、現代韓国を代表する作家となった。  2002~05年に発表した三つの中編からなる「菜食主義者」に収録した1編で、韓国で最高峰とされる李箱(イサン)文学賞を受賞。国際的な評価も高く、同書の英語版で16年、英国の国際ブッカー賞をアジアの作家で初めて受賞した。  14年には、軍が市民を武力弾圧した光州事件を題材にした長編「少年が来る」を発表。21年の「別れを告げない」は、済州島の4・3事件をもとにした小説を発表していた。ほか、小説に「ギリシャ語の時間」「すべての、白いものたちの」「回復する人間」、詩集に「引き出しに夕方をしまっておいた」などの邦訳がある。  今年の賞金は1100万スウェーデンクローナ(約1億5700万円)。授賞式はノーベルの命日にあたる12月10日、ストックホルムで開かれる。(ロンドン=藤原学思)

ノーベル文学賞の韓江さん 受賞は「〝男の権威〟くぐり抜けた快挙」 沼野東京大名誉教授

10/10(木) 21:45配信
534コメント534件
ノーベル文学賞に決まった韓江さん(AP)
https://news.yahoo.co.jp/articles/a2ddf89161d30d07b75016c0fd4fc1df565f6ed0
今年のノーベル文学賞に韓国の女性作家、韓江(ハン・ガン)さんが決まったことについて、海外文学に詳しい沼野充義東京大名誉教授は「韓国人で初めてというだけでなく、アジア人女性として初めての快挙。53歳という若さで、年を取った〝男の権威〟をくぐり抜けての受賞は非常に素晴らしい」と称賛した。 【写真】2016年5月、記者会見で笑顔の韓江さん モダンな題材から歴史的な事件まで扱う韓江さんの作風については、「現代韓国のさまざまな側面を精力的に書いている作家だ」と評価した。 斎藤真理子訳「ギリシャ語の時間」(晶文社)など、日本でも著作が刊行されていることについては、「ここ20年ほど、女性作家を中心に現代韓国文学の日本語訳が進んでいる」と説明。「ノーベル文学賞は、日本ではあまり知られていない作家が受賞することもあるが、今回はちゃんと日本でも紹介されている作家が選ばれた。韓国文学の翻訳者や読者たちにとっても良いニュースだ」と語った。


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シオニスト・ナチのエルサレム賞を返上しない村上春樹の見苦しい言い訳は?

2024-10-07 05:56:43 | シオニスト・ナチ国(イスラエル)問題
 ウェブを中心に受賞辞退を求める動きもあったが、パレスチナで起きていることへ関心を集めた点で「有意義」な問題提起だったと見る。他方、「ネット空間にはびこる正論原理主義を怖いと思う」とも語っている。

 シオニスト・ナチの「食料も、水も、電気も、燃料も、医薬品もない」ガザ強制収容所(絶滅収容所)での「公開ホロコーストにもいいところがある」「シオニスト・ナチの政治屋の露骨な人種差別発言にもいいところがある」「シオニスト・ナチの100年超つづく人種主義に基づく入植者植民地主義にもいいところがある」「虐殺奨励文学書の聖書を使い、聖書が土地台帳、神が不動産屋」(エイアル・シヴァン)のシオニスト・ナチのやり方にもいいところがある」・・・。
 2009年の時点(※ガザ封鎖は2007年6月に始まっている。2006年のハマスの選挙戦勝利後、当時アリエル・シャロン首相の顧問であったドヴ・ワイスグラス氏はガザ地区の住民には「ダイエット」が必要だと発言)で、もう「食料も、水も、電気も、燃料も、医薬品もない」ガザ強制収容所(絶滅収容所)は始まっていた。

 英国出身のジョン・ピルジャーが、同じくエルサレム賞受賞(2011年)の英国のモノカキのイアン・マキューアンを批判している。エルサレム賞は恥の賞なのだ。いくら村上春樹でも アパルトヘイト国の南アの都市名がついた賞は貰わない。だが南アのアパルトヘイより数百倍悪質なアパルトヘイト国家シオニスト・ナチのエルサレム賞を貰う。言い訳できないほどの愚かさだ。

※イスラエルによって徹底封鎖されたガザ地区恐怖の15年
イスラエル・ガザ国境での抗議活動で、有刺鉄線を外そうとするパレスチナ人の障害者男性(2018年10月19日撮影)。(ロイター)
https://www.arabnews.jp/article/opinion/article_69626/



Short Url:
14 Jun 2022 01:06:38 GMT9


15年前の今月に始まったイスラエルのガザ地区封鎖が今なお続いているばかりか一層厳しくなっているとは、誰が想像し得ただろうか?それこそが今や約230万人の人口を擁するこの小さな帯状の地域に起こっていることなのだ。
ガザ地区に住む約80万人のパレスチナの子どもたちは、封鎖のこと以外は何も知らない。彼らはこの人工的に作られた地獄の外に出たことがない。彼らは電車を見たことがない。飛行機はイスラエルの軍用機しか目にしたことがない。電気は限られている。水は動物にさえ適さない。彼らは生まれながらにして死刑囚のような扱いを受けている。

では、世界最大の野外刑務所と言われるガザ地区での生活は、この15年間でどう変わったのだろうか。規模は大きくなっていないが収容者数は増えている。実際、住人が活動できるエリアは縮小している。イスラエルは、農民が国境フェンスから300メートル以内の土地に立ち入ることを禁じており、漁師の操業海域も厳しく制限している。
昔の記憶は薄れがちなのでハッキリさせておきたい。2007年6月以前もガザ地区は占領下にあり、出入りは困難だった。ガザ地区の外に出るには許可が必要だった。2007年になってその制限はさらに厳しくなった。
2007年になるとイスラエルによる支配が前例のないレベルにまで引き上げられた。イスラエルは、ハマスによるガザ地区の占拠を受け、同地区を敵対的な存在に指定した。イスラエル政府高官は同地区に対する「経済戦争」の遂行に言及した。この言い回しは時間の経過とともに、ガザ地区に何が入ることができて何が出ることができるのかという、より表面的で実際的なものに変容した。しかし政策的な枠組みは何ら変わっていない。
2006年のハマスの選挙戦勝利後、当時アリエル・シャロン首相の顧問であったドヴ・ワイスグラス氏はガザ地区の住民には「ダイエット」が必要だと発言した。ガザ地区の人々全体に懲罰的対応をとればハマスを追い出そうとするだろうというのがイスラエルの言い分だが、これはシリア国民を締め上げればバッシャール・アサド大統領を追い出そうとするだろうと主張する一部の人々と同じく、空論でしかない。
ガザ地区の人々の食習慣を見直すとのイスラエルの決定は、同地区に対するイスラエル当局者の態度を端的に示すものだ。イスラエル指導層は、この囚われの身とも言える人々に対して何をしても構わないという権利があるように感じていた。集団的懲罰は国際法では明らかに違法であるにも関わらず、イスラエルでは完全に容認されている。もしパレスチナの過激派がロケット弾を発射したら、通常は全人口に対する懲罰が待っている。例えば、過激派がイスラエルに焼夷凧を飛ばしたとき、漁業が許可される海域をさらに狭めるという報復措置がとられた。漁業の海域は焼夷凧とは全く無関係だ。
ハマスの支配は独裁的で進歩的と言うにはほど遠く、人権問題でもひどい過去がある。ガザ地区の人々はハマスの悪政と徹底封鎖という二重苦を強いられているのだ。
イスラエルはガザ地区に入るものをすべて管理している。2015年には二重用途製品の禁止品目リストを運用していることを明らかにせざるを得なくなったが、その多くはセメント、鉄、木材といった建築に不可欠な品目であった。リストは更新されるが、イスラエルは現在の禁止品目の開示を拒否している。監視の目も、訴える権利もないのだ。
本当の意味での経済生活はほぼ停止状態に陥っている。ガザ地区では深刻な経済退化が進行中だ。パレスチナ人労働者は2007年以降、イスラエルに入国できなくなった。ガザ地区の人々に向けて2万人分の労働許可証の枠を設けるとの最近のイスラエルの決定を多くの人が大々的に取り上げたが、イスラエルの人権団体ギシャによると同国はさほど多くの許可証を発行していない。たとえガザ地区から出て来ることを許されても、現時点では、まだイスラエル人労働者が持つような権利はない。そもそも労働者として見做されていないのだ。
人道的な状況は悲惨だ。世界銀行によると、人口の60パーセントが貧困ライン以下で生活しており、80パーセントが国際援助に依存していると推定されるが、その援助も非常に減っている。メディカル・エイド・フォー・パレスチナのラシャ・アル・モガニー氏は同地区は「慢性的な医療品・医療機器の不足にも苦しんでいます。2021年には平均41%の医薬品と26%の使い捨て用品が在庫ゼロ、または1ヶ月分未満の在庫しかない状況です」と言う。
しかし、もし仮に封鎖が行われていなかったらどうだろうか?2017年の国連の試算では貧困率は60%ではなく、15%程度になっていただろうと推定している。2020年に国連はイスラエルの封鎖でガザ地区は167億ドルのダメージを受けていると試算している。
おそらく最も辛いのは世界からだけでなく、パレスチナの他地域からも孤立していることだろう。ヨルダン川西岸地区とガザ地区のパレスチナ人は疎遠になっている。この15年間に両地区を行き来できた人はほぼ皆無だ。面会が叶っても、それは国外だ。信じ難いが、ガザ地区のパレスチナ人にとってヨルダン川西岸地区は世界中で一番行きにくい場所なのだ。
エジプトも封鎖に一役買っている。パレスチナ人向けのラファ検問所は一定期間開放されているが、国際協定によりエジプト経由で物資を輸出することはできない。
この封鎖をイスラエルの軍事行動と切り離して見ることはできない。この刑務所は完全に管理されており、囚人が手に負えなくなれば、爆撃が実施される。ガザ地区は昨年5月の戦争から立ち直れないばかりではない。未だに2006年、2008~09年、2012年、2014年の戦争や、帰還の大行進からの回復途上なのだ。
瓦礫は未だに撤去されていない。住宅もまだ再建されていない。水道管も交換されていないことが多い。この状況はイスラエルが直径1.5インチ以上の鉄パイプの持ち込みを許可しないからだ。また、ガザ地区ではすぐに洪水が発生する。適切な排水システムを配備する資材が当局にないからだ。下水道に被害があると汚水の悪臭があたりを漂うことになる。
集団的懲罰は国際法では明らかに違法であるにも関わらず、イスラエルでは完全に容認されている。
クリス・ドイル
ガザ地区の人々が孤立と封鎖によってトラウマを抱えているとしても、爆撃による深刻なトラウマほどではないだろう。ガザ地区の子どもたちの約5分の4が極度の精神不安を訴え、お漏らしや不眠、情緒不安定などの症状を抱えている。子どもたちは、次の爆撃や戦争が始まるのはいつかと恐怖に怯えながら過ごしている。これは大人も同じだ。
ガザ地区の封鎖が20年目、さらには25年目を迎えることはないと信じている人などいるのだろうか?この状況が変わり得るような要素は全く見当たらない。イスラエルの指導層は気にも留めていない。パレスチナ問題とは管理すべき事象であり、解決を目指すことではないのだ。国際社会が強い関心を示すのは戦争が起こった場合だけで、その場合でも戦前への現状復帰を押し付けるだけだ。
ガザ地区のパレスチナ人にとっていま想像を絶することが起きている。何十年もの間、彼らは反抗的姿勢を続け、決してあきらめることはなかった。決して立ち去ろうともしなかった。しかし、今日、それが変わりつつある。多くの人々が危険な密入国業者の手に身を任せ、地中海中央部を横断する破滅的に危険な航海に出ることを考えている。このような恐ろしい事態は全て人為的に引き起こされているのだ。はっきり言えば、これはイスラエルが意図する政策の一部だ。世界は恥を知るべきだ。
  • クリス・ドイル氏は、ロンドンのCouncil for Arab-British Understandingのディレクターを務めている。ツイッター: @Doylech
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村上春樹さんがエルサレムに行った理由 誌上で告白
2009年3月9日12時29分
https://web.archive.org/web/20090312031829/http://www.asahi.com/culture/update/0308/TKY200903080140.html
 2月15日に開かれたエルサレム賞授賞式のスピーチで、イスラエルのガザ攻撃を批判して話題になった作家村上春樹さん(60)のインタビュー「僕はなぜエルサレムに行ったのか」が、受賞スピーチ「壁と卵」(全文)とともに、10日発売の「文芸春秋」4月号に掲載される。昨年11月の授賞の打診、発表前のガザ攻撃で悩んだ経過やペレス大統領の表情、スピーチで明かした昨年90歳で亡くなった父親の戦争体験などを率直に話している。


 村上さんは、国ではなくブックフェアの賞であることや、過去の受賞者のパレスチナ政策批判スピーチも内容が公開されていることから、授賞式で話すという「ポジティブなメッセージ」を選んだ。


 授賞式にはペレス大統領も出席。式の前に「僕は14年前に『ノルウェイの森』を読んだ」と言われた。しかし、「スピーチの途中から最前列に座っている大統領の表情がこわばってきました」。終わると、多くの人が立って拍手したが、大統領はしばらく席を立たなかったという。


 一方、エルサレム市長は「あなたの意見は小説家として実に誠実なものだ」と、積極的に握手を求めた。村上さんはイスラエルにもいろんな考えをもった人がいて、そういう人に会えたのが「大きな収穫」としている。


 ウェブを中心に受賞辞退を求める動きもあったが、パレスチナで起きていることへ関心を集めた点で「有意義」な問題提起だったと見る。他方、「ネット空間にはびこる正論原理主義を怖いと思う」とも語っている。

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シオニスト・ナチを軍事支援する元祖ナチスのドイツ

2024-09-30 04:58:53 | シオニスト・ナチ国(イスラエル)問題
ドイツ、イスラエルへの兵器輸出の認可停止 多数の民間人死亡受け
五十嵐朋子
毎日新聞2024/7/26 05:00(最終更新 7/26 10:33)有料記事1706文字
https://mainichi.jp/articles/20240725/k00/00m/030/300000c

ドイツがイスラエルへの武器輸出を停止したことに言及したドイツ行政裁判所の判決文=2024年7月25日午前7時43分、五十嵐朋子撮影
 イスラエル支援を「国是」とし、米国に次いで多くの兵器をイスラエルに輸出してきたドイツが今年3月以降、兵器の輸出認可を停止していたことが、毎日新聞が入手した裁判資料で分かった。ドイツ政府はこれまで兵器輸出について明確な姿勢を示していなかったが、パレスチナ自治区ガザ地区の戦闘で多数の民間人が死亡していることなどを受け、停止に踏み切った。
 スウェーデンのストックホルム国際平和研究所(SIPRI)によると2023年、イスラエルが兵器を輸入した国は米国が69%で最も多く、ドイツが30%で続く。輸入はこの2国がほとんどを占める。

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