デンマークとテロ国家イスラエル - 日本版「黒は美しい(ブラック・イズ・ビューティフル)」運動、2013年末始動
偽旗作戦シャルリー・エブド事件問題:スノーデン氏、パリのテロとイスラエルの関係性を指摘
■『シャルリ・エブド事件を読み解く―世界の自由思想家たちがフランス版9・11を問う』バレット,ケヴィン【編著】/板垣 雄三【監訳】
1章 「冒涜行為」対「言論の自由」についての市民同士の
グローバル対話に向けて――一人のムスリムとしての見方………12
ケヴィン・バレット
頁55──
デンマークの漫画に対するもっと効果的な対応はイランからはじまった。最高指導者であるハメネイー師が、この漫画スキャンダルはシオニストの挑発だと発言したのだ(われわれも知っているいくつかの証拠に基づいて)。イランの新聞ハムシャハリ[テヘランの有力日刊紙「市民仲間」]は、言論の自由に関する欧米のダブル・スタンダードを暴く、ホロコースト漫画コンテストの共同スポンサーになった。このコンテストの優勝者はモロッコの漫画家アブドッラー・デルカーウィだった。彼は、イスラエル人による人種隔離の壁をアウシュヴィッツ強制収容所になぞらえ、それがどんどん高くなって[エルサレム旧市街地のイスラム聖地アル=ハラムッ・シャリーフにある]アル=アクサー・モスクを覆い隠すまで成長する姿を、活き活きと描いた。これは、単にイスラエルのアパルトヘイト[人種差別隔離政策]によるパレスチナ人への抑圧だけでなく、伝統的宗教を押し退けて新しいホロコースト教で置き換えようとしていることをも巧みに表現したものである。この新しい宗教とは、シオニストの残虐行為を正当化するために用いられてきたものだ。この漫画は、ハメネイー師の声明と同じく、欧米諸国の政府とメディアとが無視し隠してきた、いくつかの真実を露わにした。こうした勇気ある、力強い、真実を語るやり方が、本物の対話への道を拓くのだ。そしてこの対話は、みずからの本心を率直に表現することを恐れない、対等な人々の間でのみ可能なことである。
1章 「冒涜行為」対「言論の自由」についての市民同士の
グローバル対話に向けて――一人のムスリムとしての見方………12
ケヴィン・バレット
頁55──
デンマークの漫画に対するもっと効果的な対応はイランからはじまった。最高指導者であるハメネイー師が、この漫画スキャンダルはシオニストの挑発だと発言したのだ(われわれも知っているいくつかの証拠に基づいて)。イランの新聞ハムシャハリ[テヘランの有力日刊紙「市民仲間」]は、言論の自由に関する欧米のダブル・スタンダードを暴く、ホロコースト漫画コンテストの共同スポンサーになった。このコンテストの優勝者はモロッコの漫画家アブドッラー・デルカーウィだった。彼は、イスラエル人による人種隔離の壁をアウシュヴィッツ強制収容所になぞらえ、それがどんどん高くなって[エルサレム旧市街地のイスラム聖地アル=ハラムッ・シャリーフにある]アル=アクサー・モスクを覆い隠すまで成長する姿を、活き活きと描いた。これは、単にイスラエルのアパルトヘイト[人種差別隔離政策]によるパレスチナ人への抑圧だけでなく、伝統的宗教を押し退けて新しいホロコースト教で置き換えようとしていることをも巧みに表現したものである。この新しい宗教とは、シオニストの残虐行為を正当化するために用いられてきたものだ。この漫画は、ハメネイー師の声明と同じく、欧米諸国の政府とメディアとが無視し隠してきた、いくつかの真実を露わにした。こうした勇気ある、力強い、真実を語るやり方が、本物の対話への道を拓くのだ。そしてこの対話は、みずからの本心を率直に表現することを恐れない、対等な人々の間でのみ可能なことである。
■ジェームズ・ペトラス『アメリカのイスラエル・パワー 』(高尾菜つこ・訳、三交社、2007年)
第10章
中東政治の風刺画
頁185――
●その「風刺画」はなぜデンマークで掲載されたのか。
●その風刺画を依頼、選定、掲載したユランズ・ポステン紙の文化部デスク「フレミング・ローズ」にはどんな政治的背景があるのか。
●この風刺画が掲載・転載されたタイミングと一致して、どんなより大きな問題が生じたのか。
●アラブやイスラムの抗議には、現代のどんな政治的背景があるのか。
●イスラエルの諜報機関モサドは、欧米とアラブ・イスラムの衝突を引き起こすことにどう関与しているのか。また、その結果は彼らの期待にどう見合うのか。
頁188――
モサドの元工作員ヴィクター・オストロフスキーによる『モサド情報員の告白』〔邦訳TBSブリタニカ〕の中に、モサドとデンマークの情報機関の長年にわたる密接な関係を記した章がある。
モサドとデンマーク情報機関の関係はひどく緊密で、度が過ぎている。しかし、その取り合わせによって損なわれているのはモサドの対面ではなく、デンマークのそれである。しかもそれは、第二次大戦のさいに大勢のユダヤ人を救ってやったことをイスラエル人は感謝しており、したがってモサドなら信頼できるという誤った印象をデンマーク人たちが持っているせいなのだ。〔中山善之訳〕
モサドはデンマーク人との特殊な関係を通して、デンマークのアラブ系住民、とくにパレスチティナ人(おそらくデンマークの市民権をもつ者も含まれる)を監視することができる。
モサドのマラト(情報聴取者)が、DCSS(デンマーク市保安サービス)本部に陣 取って、傍聴部に入ってくるアラブやパレスチナ関連のあらゆる伝言をモニターしてい る。これは外国の情報機関に対する扱いとしては途方もないものである。〔中山善之訳〕
オストロフスキーによれば、モサドに対するデンマーク情報機関の尊敬は報われていないようだ。
モサドがデンマークを高く評価していないことは明かだ。彼らをフェルサラヒと呼んでいる。ヘブライ語でわずかなガスの突出という意味で、おならを指す。彼らは自分たちのしていることを総てモサドに知らせる。〔中山善之訳〕
その追従の見返りとして、デンマークはイスラエルから貴重な「訓練」を受けている。「3年ごとに、デンマークの情報機関者たちは、モサドがおこなうゼミナールに出席するためにイスラエルへ行く」。それはモサドに有意義な接触の機会をもたらし、「テロリズムへの対応ではモサドがどの機関よりも優っているという考えが、抜きがたくしみつく」〔中山善之訳〕 。
頁190――
モサドがデンマークの諜報機関に長年の影響力をもち、保守系メディアとも密接な関係にあることを考えると、「フレミング・ローズ」という名で活動しているウクライナ系ユダヤ人が、イスラエル(とくに極右のリクード政権)とやはり密接な関係にあり、風刺画論争の中心にいるというのは驚くに当たらない。「ローズ」のイスラエルとの結びつきは、アラブ嫌いで悪名高いシオニスト理論家、ダニエル・パイプスとの有名な宣伝的「インタヴュー」(2004年)に先行する。デンマークの主要な保守系日刊紙の文化部デスクとして配属される前、1990年から1995年まで、「ローズ」はモスクワを拠点とするジャーナリストとして働き、ボリス・エリツィンの利己的な自叙伝をデンマーク語に翻訳した。エリツィンは旧ソ連崩壊後のロシアに現れた親イスラエルの独裁政治家の1人で、彼らのほとんどはロシアとイスラエルの二重国籍をもち、何10億もの不正な資金洗浄を通してモサドに協力していた。1996年から1995年まで、ローズは米国政府担当の記者として、クリントンの中国訪問にも同行し、その後、ユランド・ポステンの記者としてモスクワへ戻った(1999年から2004年)。2005年、彼はその分野の知識がほとんどないにもかかわらず、他のデンマーク人ジャーナリストを差し置いて、ユランド・ポステンの文化部デスクとなった。新しい地位に就いた「ローズ」は、中東から移民、とくに実践的なイスラム教に対する保守的なデンマーク人の敵意を煽る、強力な基盤を得た。「インタヴュー」形式を用いて、彼はパイパスの悪意に満ちたイスラム批判を掲載した。それはおそらく、東西を二極化対決させるというモサドの戦略を次へ進めるための「事前調査」だった。
頁193──
ヴィクター・オストロフスキーの伝記『モサド情報員の告白』によれば、こうした「協力者」の活動は平凡なものから壮大なものまで多岐にわたる。「サヤニム」とは、モサドが定義する「イスラエルの大義」に忠誠を誓い、それぞれ個別にサービスを提供する現役・非現役の個人集団を指す。この構図の皮肉なところは、「フレミング・ローズ」のような行為が本人の国の利益を脅かしたとしても、あるいは、それが発覚して、ディアスポラ(各地へ離散したユダヤ人たち)の地位が損なわれたとしても、モサドはまったく気にしないということだ。モサドの反応はきっとこんなものだ──「いざとなったら、イスラエルへ来ればいい」。この強引さゆえに、国外のユダヤ人がモサドの協力者となることを拒んでいるのは確かである。
第10章
中東政治の風刺画
頁185――
●その「風刺画」はなぜデンマークで掲載されたのか。
●その風刺画を依頼、選定、掲載したユランズ・ポステン紙の文化部デスク「フレミング・ローズ」にはどんな政治的背景があるのか。
●この風刺画が掲載・転載されたタイミングと一致して、どんなより大きな問題が生じたのか。
●アラブやイスラムの抗議には、現代のどんな政治的背景があるのか。
●イスラエルの諜報機関モサドは、欧米とアラブ・イスラムの衝突を引き起こすことにどう関与しているのか。また、その結果は彼らの期待にどう見合うのか。
頁188――
モサドの元工作員ヴィクター・オストロフスキーによる『モサド情報員の告白』〔邦訳TBSブリタニカ〕の中に、モサドとデンマークの情報機関の長年にわたる密接な関係を記した章がある。
モサドとデンマーク情報機関の関係はひどく緊密で、度が過ぎている。しかし、その取り合わせによって損なわれているのはモサドの対面ではなく、デンマークのそれである。しかもそれは、第二次大戦のさいに大勢のユダヤ人を救ってやったことをイスラエル人は感謝しており、したがってモサドなら信頼できるという誤った印象をデンマーク人たちが持っているせいなのだ。〔中山善之訳〕
モサドはデンマーク人との特殊な関係を通して、デンマークのアラブ系住民、とくにパレスチティナ人(おそらくデンマークの市民権をもつ者も含まれる)を監視することができる。
モサドのマラト(情報聴取者)が、DCSS(デンマーク市保安サービス)本部に陣 取って、傍聴部に入ってくるアラブやパレスチナ関連のあらゆる伝言をモニターしてい る。これは外国の情報機関に対する扱いとしては途方もないものである。〔中山善之訳〕
オストロフスキーによれば、モサドに対するデンマーク情報機関の尊敬は報われていないようだ。
モサドがデンマークを高く評価していないことは明かだ。彼らをフェルサラヒと呼んでいる。ヘブライ語でわずかなガスの突出という意味で、おならを指す。彼らは自分たちのしていることを総てモサドに知らせる。〔中山善之訳〕
その追従の見返りとして、デンマークはイスラエルから貴重な「訓練」を受けている。「3年ごとに、デンマークの情報機関者たちは、モサドがおこなうゼミナールに出席するためにイスラエルへ行く」。それはモサドに有意義な接触の機会をもたらし、「テロリズムへの対応ではモサドがどの機関よりも優っているという考えが、抜きがたくしみつく」〔中山善之訳〕 。
頁190――
モサドがデンマークの諜報機関に長年の影響力をもち、保守系メディアとも密接な関係にあることを考えると、「フレミング・ローズ」という名で活動しているウクライナ系ユダヤ人が、イスラエル(とくに極右のリクード政権)とやはり密接な関係にあり、風刺画論争の中心にいるというのは驚くに当たらない。「ローズ」のイスラエルとの結びつきは、アラブ嫌いで悪名高いシオニスト理論家、ダニエル・パイプスとの有名な宣伝的「インタヴュー」(2004年)に先行する。デンマークの主要な保守系日刊紙の文化部デスクとして配属される前、1990年から1995年まで、「ローズ」はモスクワを拠点とするジャーナリストとして働き、ボリス・エリツィンの利己的な自叙伝をデンマーク語に翻訳した。エリツィンは旧ソ連崩壊後のロシアに現れた親イスラエルの独裁政治家の1人で、彼らのほとんどはロシアとイスラエルの二重国籍をもち、何10億もの不正な資金洗浄を通してモサドに協力していた。1996年から1995年まで、ローズは米国政府担当の記者として、クリントンの中国訪問にも同行し、その後、ユランド・ポステンの記者としてモスクワへ戻った(1999年から2004年)。2005年、彼はその分野の知識がほとんどないにもかかわらず、他のデンマーク人ジャーナリストを差し置いて、ユランド・ポステンの文化部デスクとなった。新しい地位に就いた「ローズ」は、中東から移民、とくに実践的なイスラム教に対する保守的なデンマーク人の敵意を煽る、強力な基盤を得た。「インタヴュー」形式を用いて、彼はパイパスの悪意に満ちたイスラム批判を掲載した。それはおそらく、東西を二極化対決させるというモサドの戦略を次へ進めるための「事前調査」だった。
頁193──
ヴィクター・オストロフスキーの伝記『モサド情報員の告白』によれば、こうした「協力者」の活動は平凡なものから壮大なものまで多岐にわたる。「サヤニム」とは、モサドが定義する「イスラエルの大義」に忠誠を誓い、それぞれ個別にサービスを提供する現役・非現役の個人集団を指す。この構図の皮肉なところは、「フレミング・ローズ」のような行為が本人の国の利益を脅かしたとしても、あるいは、それが発覚して、ディアスポラ(各地へ離散したユダヤ人たち)の地位が損なわれたとしても、モサドはまったく気にしないということだ。モサドの反応はきっとこんなものだ──「いざとなったら、イスラエルへ来ればいい」。この強引さゆえに、国外のユダヤ人がモサドの協力者となることを拒んでいるのは確かである。
■ノーマン・G・フィンケルスタイン『イスラエル擁護論批判~反ユダヤ主義の悪用と歴史の冒涜』(立木勝/訳、三交社)より―─。
つぶさに分析すると、イスラエル・ロビィが反ユダヤ主義として数えるものの正体は次の三つ、すなわち誇張と捏造、イスラエルの政策への正当な批判に対する誤ったレッテル貼り、そしてイスラエル批判をユダヤ人一般への批判にすりかえるという不当な、しかし予想される「波及」である。私の結 論としては、もし現在の反ユダヤ感情が、あらゆる研究が述べているように、イスラエルによる非情なパレスチナ人抑圧と符合するものであるなら、賢明な、そして言うまでもなく道徳的な行動は、占領を終わらせることだ。
一方イスラエルの政策を利用して、それを口実にユダヤ人を悪魔化している本当の反ユダヤ主義者もいる(そういう輩の存在を疑う者がいるだろうか)。イスラエルの完全撤退は、そういう連中から危険な武器を奪うとともに、彼らの本当の計画を曝露することにもなるだろう。さらに、多くのユダヤ人がイスラエルによる占領に明確に異を唱えるようになれば、非ユダヤ人がイスラエルの犯罪的な政策を、またそれへの主要ユダヤ人組織による無批 判の支持(というより実質は奨励)を、一般的なユダヤ人の風潮と取り違えることも減っていくだろう。
つぶさに分析すると、イスラエル・ロビィが反ユダヤ主義として数えるものの正体は次の三つ、すなわち誇張と捏造、イスラエルの政策への正当な批判に対する誤ったレッテル貼り、そしてイスラエル批判をユダヤ人一般への批判にすりかえるという不当な、しかし予想される「波及」である。私の結 論としては、もし現在の反ユダヤ感情が、あらゆる研究が述べているように、イスラエルによる非情なパレスチナ人抑圧と符合するものであるなら、賢明な、そして言うまでもなく道徳的な行動は、占領を終わらせることだ。
一方イスラエルの政策を利用して、それを口実にユダヤ人を悪魔化している本当の反ユダヤ主義者もいる(そういう輩の存在を疑う者がいるだろうか)。イスラエルの完全撤退は、そういう連中から危険な武器を奪うとともに、彼らの本当の計画を曝露することにもなるだろう。さらに、多くのユダヤ人がイスラエルによる占領に明確に異を唱えるようになれば、非ユダヤ人がイスラエルの犯罪的な政策を、またそれへの主要ユダヤ人組織による無批 判の支持(というより実質は奨励)を、一般的なユダヤ人の風潮と取り違えることも減っていくだろう。
■ 2015/01/14(水曜) 22:58
スノーデン氏、パリのテロとイスラエルの関係性を指摘
http://japanese.irib.ir/news/latest-news/item/51318-ス
NSA・アメリカ国家安全保障局の元局員スノーデン氏が、「イスラエル移民省は、シャルリエブドに対するテロ事件に関係している」と語りました。
スノーデン氏はロシアの新聞コメルサントのインタビューで、「イスラエルは外国への移民に不満を感じており、この懸念から、イスラエル移民省の関係者を使って、諜報機関モサドに対して、外国への移民を止めるのを助けるよう要請させた」と語りました。
スノーデン氏はまた、「イスラエルの情報機関や特殊任務を行うイスラエル関係者は、この要請に応じ、イスラムの預言者ムハンマドを侮辱する風刺画を発表することで、西側諸国で作戦を開始し、ヨーロッパ在住のユダヤ教徒を嫌悪する雰囲気を作り出し、やむなく彼らがイスラエルで生活するように仕向けた」と述べました。
さらに、「このような計画により、イスラムの預言者を侮辱する風刺画が2005年にヨーロッパの雑誌に掲載されたが、この作戦は効果を発揮しなかった。シオニストがこの計画で失敗した後、シャルリエブドはテロ組織ISISの指導者バグダディを扱った風刺画を発表した。その結果、フランス・パリで複数のテロ事件が発生した」としました。
シオニスト政権のネタニヤフ首相は、11日日曜、パリのデモに参加し、すべてのユダヤ人に対し、「イスラエルへの移住を歓迎する」と語っていました。
スノーデン氏、パリのテロとイスラエルの関係性を指摘
http://japanese.irib.ir/news/latest-news/item/51318-ス
NSA・アメリカ国家安全保障局の元局員スノーデン氏が、「イスラエル移民省は、シャルリエブドに対するテロ事件に関係している」と語りました。
スノーデン氏はロシアの新聞コメルサントのインタビューで、「イスラエルは外国への移民に不満を感じており、この懸念から、イスラエル移民省の関係者を使って、諜報機関モサドに対して、外国への移民を止めるのを助けるよう要請させた」と語りました。
スノーデン氏はまた、「イスラエルの情報機関や特殊任務を行うイスラエル関係者は、この要請に応じ、イスラムの預言者ムハンマドを侮辱する風刺画を発表することで、西側諸国で作戦を開始し、ヨーロッパ在住のユダヤ教徒を嫌悪する雰囲気を作り出し、やむなく彼らがイスラエルで生活するように仕向けた」と述べました。
さらに、「このような計画により、イスラムの預言者を侮辱する風刺画が2005年にヨーロッパの雑誌に掲載されたが、この作戦は効果を発揮しなかった。シオニストがこの計画で失敗した後、シャルリエブドはテロ組織ISISの指導者バグダディを扱った風刺画を発表した。その結果、フランス・パリで複数のテロ事件が発生した」としました。
シオニスト政権のネタニヤフ首相は、11日日曜、パリのデモに参加し、すべてのユダヤ人に対し、「イスラエルへの移住を歓迎する」と語っていました。
■ケヴィン・バレット編著『シャルリ・エブド事件を読み解く―世界の自由思想家たちがフランス版9・11を問う』板垣雄三監訳、第三書館、2017年初版
頁239──
14章 わたしがシャルリ・エブドでないのは、なぜか
アンドレ・ヴルチェク
頁240──
シオニストやイスラエルのアパルトヘイト[人種差別・隔離制度]に、彼らが突っ込みジョークを向けたことは聞いたことがない。また帝国の盟友のインドやインドネシアが行っているジェノサイド[の実体]を暴けるはずの、彼らの勇敢で機知ある挑発的駄洒落は、いったいどこにあったのか?なぜ、われわれはジャカルタやニューデリーの腐敗した無法者の姿を嗤い、笑い飛ばして床を転げまわることもなく、その奴隷的でねじれた体制を「民主主義」などと呼ぶことになっているのか?そんな滑稽きわまる嘘、すなわちいわゆる欧米民主主義という嘘に向かい合って、シャルリ・エプドその他はいったいどこにいってしまったのか?
それとも、シャルリ・エブドとその取り巻きは、ペイして、リスクがまったくない場合だけ、勇敢になるのか? 少し調べたところ、イスラムを過激化させた欧米の責任をあばくエッセイも漫画も、シャルリ・エブドには一つとしてなかったことが判った。一つもない!これは20世紀と21世紀とが生んだ主要な物語の一つなのだ。ワッハーブ主義[18世紀のムハンマド・ブン・アブ・アブドルワッハーブのイスラム改革運動に発しサウード家の支配と結合、20世紀サウジアラビアの立場の主流をなす]、つまり世界中に過激主義を転移させたもっとも「厳格で」恐ろしい形態のイスラムを、英国人がどのように支持し、その普及を助けたか、という物語だ。換言すれば、欧米はどのようにして、社会主義的で/世俗的で/寛容な/イスラムのあらゆる形態を文字通り清算的に一掃したのか、の物語である!
風刺画めぐり新聞社などへのテロ事件から10年で追悼 仏
2025年1月7日 22時04分 テロ
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250107/k10014687311000.html
フランスで、イスラム教の預言者の風刺画を掲載した新聞社などがイスラム過激派の男らに襲撃され、17人が死亡したテロ事件から10年となるのにあわせ、追悼行事が開かれました。
フランスでは2015年1月、イスラム教の教えに反して預言者の姿を風刺画で描いた新聞社「シャルリ・エブド」が、イスラム過激派の男らに襲撃されたほか、ユダヤ教徒向けの食料品店も襲われるなどして、合わせて17人が死亡しました。
襲撃事件から10年となる7日、新聞社が入っていた建物の前で、マクロン大統領や、犠牲者の遺族や同僚らが出席して追悼行事が開かれ、亡くなった一人一人の名前が読み上げられたあと、黙とうをして悼みました。
襲撃された新聞社は現在、所在地を非公表にして発行を続けていて、7日、節目にあわせて「76%のフランス人が風刺の自由を支持する」とする調査結果を表紙に載せた特別号を発行し、改めて表現の自由を訴えました。
パリでは、同じ年の11月にコンサートホールなどが襲撃される同時テロ事件も起き、政府のテロ対策強化のきっかけとなったとともに、フランス社会になじめず、過激化した実行犯らの生い立ちも、社会に衝撃を与えました。
事件から10年がたち、フランスをはじめヨーロッパでは、イスラム過激派組織の弱体化も指摘される一方、最近のアメリカやドイツでのテロ事件を受け、再び警戒が強まっています。
襲撃された新聞社は現在、所在地を非公表にして発行を続けていて、7日、節目にあわせて「76%のフランス人が風刺の自由を支持する」とする調査結果を表紙に載せた特別号を発行し、改めて表現の自由を訴えました。
パリでは、同じ年の11月にコンサートホールなどが襲撃される同時テロ事件も起き、政府のテロ対策強化のきっかけとなったとともに、フランス社会になじめず、過激化した実行犯らの生い立ちも、社会に衝撃を与えました。
事件から10年がたち、フランスをはじめヨーロッパでは、イスラム過激派組織の弱体化も指摘される一方、最近のアメリカやドイツでのテロ事件を受け、再び警戒が強まっています。