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ヘナチョコ革命 2020年版

世界を変える・・・

セ・リーグにはDH制がなく投手がわざとする空振りにも慣れているから、重信の行為が問題になる

2020-11-16 04:04:21 | スポーツ
重信がバットにボールを当てた問題(笑)──右打者はわざと空振りすることには慣れている?

 今回はただの思いつきの発言だから、ある意味適当である。
 実は、左投手なのに三塁走者の動きを察知し、スクイズを防いだと江夏が言っているから、左打者でも一塁走者の動くを察知し、盗塁を助けるためにわざと空振りすることもある可能性はある。だが右打者はたまには一塁走者の盗塁を助けるためにわざと空振りすることはある。坂本や中島のように大振りで空振りすれば捕手は二塁送球に多少時間を要するだろう。よって以上から、重信は左打者でわざと空振りの経験がほぼなかったから、藤川の投げたボールにバットを当ててしまったという結論になる。真剣勝負で重信がこれをやったら、一塁走者の盗塁を阻止したことになるが──まあいわゆる利敵行為──、セ・リーグにはDH制がなく投手がわざとする空振りにも慣れているから、重信の行為が問題になると牽強付会の結論にすれば、早くセ・リーグもDH制を採用せよ、という主張をここでも言えるから、重信の行為はあっぱれだったという結論にもなる。めでたしめでたし。


■藤川球児 引退試合での対戦巡る賛否の声に「必要性を感じない議論ですね」
[ 2020年11月15日 17:26 ]

<阪神・巨人> セレモニーを終え、会見で笑顔を見せる藤川球児                                                      
Photo By 代表撮影
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2020/11/15/kiji/20201115s00001173406000c.html
 今季限りでの現役引退を表明した阪神の藤川球児投手(40)が15日、自身のツイッターを更新。10日の引退試合での巨人・重信慎之介外野手(27)の対応について議論が巻き起こっていることに対し、「必要性を感じない議論ですね」などとつづった。
 22年間の藤川の現役最後の登板は4回ビハインドで迎えた9回。先頭で対峙(たいじ)した代打・坂本、続く中島から2者連続で空振り三振を奪い、最後は重信を二飛に仕留め、有終の美で締めくくった。この引退試合を巡って、最後のバッターが投手に“花を持たせる”ための三振をしなかったことについて、話題となっていた。

 藤川は「引退試合の対戦内容が少し話題になっている様なので…」と問題となっていることに触れ、「必要性を感じない議論ですね」とキッパリ。「僕は固定観念からは何も生まれないと思って人生送ってます」と続け、「皆さんも前向きに楽しい毎日を。今日も天気良い」とつづった。

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【巨人】投手ハヤト、捕手マー君時代があった…誕生から巨人入団まで坂本勇人年表

2020-11-10 05:57:10 | スポーツ
【巨人】投手ハヤト、捕手マー君時代があった…誕生から巨人入団まで坂本勇人年表
2020年11月9日 19時37分スポーツ報知
https://hochi.news/articles/20201109-OHT1T50137.html


# 巨人
2000年、昆陽里タイガースで田中将大(左から2人目)とバッテリーを組んだ坂本勇人(同3人目)


 巨人の坂本勇人内野手(31)が8日のヤクルト戦(東京D)で通算2000安打を達成したことを記念して、誕生から巨人入団までを年表で振り返る。
 ◆名前の由来は池田勇人首相
 ▼1988年12月14日 兵庫県伊丹市で誕生。父・喜代三さんが所得倍増計画を掲げた池田勇人首相の「はやと」を気に入り、勇人と命名された
 ◆左投げで練習
 ▼94年 父のおさがりのグラブを右手にはめて、左投げで練習する
 ▼95年 小学1年になり昆陽里タイガースに入団。兄・勇太さんのおさがりのグラブが右投げ用だったため、右投げになる
 ▼98年 遊撃の守備などでは、三遊間の深いゴロをノーステップでノーバウンド送球してしまう。小学4年ながら、レベルの高さに周りがついていけず
 ▼99年 田中将大らとフリー打撃で、左翼側後方に位置する学校の校舎へ打球を飛ばして当てまくる
 ▼99年 野球の練習後は、仲間たちといつもサッカーをして楽しむ
 ◆投手ハヤト 捕手マー君
 ▼2000年 小学6年になり、チームのキャプテンを担う。投手として捕手の田中将大とバッテリーを組む
 ▼同7月 伊丹駐屯地司令杯争奪野球少年大会 優勝
 ▼01年 中学1年になり、伊丹シニアに入団。周囲によると、 ◆「モテ期」到来 イオン大好き
 ▼02年 野球の時間以外は近隣のショッピングセンター「イオン」に入り浸る

  • 03年、甲子園で行われたタイガースカップに出場
 ▼03年 甲子園で行われたタイガースカップに出場
 ▼03年 光星学院への進学が決まり、毎朝5時から練習に励む
 ▼04年 光星学院で1年秋から遊撃のレギュラー
 ◆テスト白紙
 ▼04年 授業で漢字の小テストを白紙で出すも怒られず
 ▼04年 冬休みに鼻にピアスをあけ、「野球をやめたい」と実家へ帰る
 ▼05年 2年春からは4番を打つ。1日1000スイングが日課
 ▼06年 3年になって本塁打を量産
 ▼06年 光星学院野球部引退。高校生ドラフト1巡目で巨人入団






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巨人・松原聖弥の兄は芸人 ロングアイランドの侑潔、弟のブレイクに「まさか」 16年育成5位「3年間楽しい思い出を」のはずが…

2020-11-01 05:36:51 | スポーツ
巨人・松原聖弥の兄は芸人 ロングアイランドの侑潔、弟のブレイクに「まさか」 16年育成5位「3年間楽しい思い出を」のはずが…
2020年11月1日 5時0分スポーツ報知
# 芸能# 巨人
記念撮影する巨人・松原(右)と侑潔(18年)
https://hochi.news/articles/20201101-OHT1T50016.html

 巨人の松原聖弥外野手(25)の兄で、お笑いコンビ「ロングアイランド」のツッコミ担当・松原侑潔(ゆい、28)がスポーツ報知の取材に応じた。今季ブレイクした弟の活躍を喜ぶとともに、幼少期の秘話など素顔を明かした。(聞き手・浦本 将樹、河原崎 功治)
 巨人の皆さん、リーグ連覇おめでとうございます! 聖弥が16年の育成ドラフト5位で指名された時は「3年間くらい楽しく思い出を作って」って感じに思っていた。それがまさか…。今年の活躍は素直にうれしく思っています。
 僕が野球を始めたのは小学4年生の時。小1だった聖弥も同じチームに入りました。でも最初に聖弥を見た監督さんが、父に「兄貴はあかんけど聖弥は相当センスがあると思う。強いチームに行かせた方がいいんちゃうか?」って話すのが、僕にも聞こえてしまって(笑い)。その後、聖弥は桑田真澄さんも在籍していたボーイズリーグ「八尾フレンド」に移籍してプレーしたんです。
 でも仙台育英高ではほとんど試合に出られなかった。聖弥の中では「もっとできるはず」っていうのがあったらしくて。大学でも野球を続け、ドラフトでは先に育成2位で高校生外野手の加藤脩平選手が指名されました。父親と2人で「さすがにないな。夢を見過ぎた」なんて話をして、ほとんどテレビも見ていなかった。そうしたら「読売 松原聖弥」って。父は町中に響くくらいの声で「よっしゃー!」って叫んでいました。僕も鳥肌がブワーッて立ったのを覚えています。もしあそこでドラフトにかかっていなかったら「バックパッカーとして世界を旅する」って言ってました(笑い)。
  • スライディングポーズで巨人のリーグ優勝を喜ぶロングアイランドの松原侑潔
 小さい頃は金城選手、石井琢朗選手、イチロー選手が特に好きでした。そこに石井さんが巨人のコーチとしていらっしゃった。最初の頃は石井さんからアドバイスをもらっても「石井琢朗が俺にしゃべりかけてる…」って。そんなことばかり考えているから、何を言われたか全然覚えてないらしいんですよ(笑い)。
 今は坂本さんや丸さん、岡本くんら“億プレーヤー”の中に年俸600万円の聖弥の名前がある。本人もよく言ってるんですけど「丸さんみたいなこと求めんといてくれ」って。「丸さんの100分の1しか給料もらってないんだから、丸さんくらい頑張ろうと思ったら100年働かないといけない」と(笑い)。でもそこに名前を連ねているのは感動しますよね。グッズなども家族で大量に購入しています。家は報知新聞の在庫の倉庫みたいになってますよ(笑い)。
 日本シリーズでは少しでも貢献できるように頑張ってほしい。僕らもまだまだ太田プロの補欠なので、しっかり活躍して、なんとか聖弥との格差が埋まるように頑張っていきたいです。
 ◆松原 侑潔(まつばら・ゆい)1991年12月11日、大阪府生まれ。28歳。小学4年で野球を始め、内野手でプレー。桜宮高では甲子園出場なし。関西外大では主に代打で、特技はバント。「ファウルもなく、一発で全部送っていました」。16年1月に「ロングアイランド」を結成。ツッコミ担当。太田プロ所属。身長172センチ。右投右打。
 ◆V一夜明けで大暴れ
 聖弥は31日のヤクルト戦で、打っては初の4打数4安打の大暴れ。「しっかり集中して打席に入れた」。守っては2回2死一、二塁から中村の右前安打で捕手の大城へノーバウンド返球。本塁を狙った二塁走者をタッチアウトにした。

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イチャモン解説の岡田彰布の野球解説はまず聞かないが

2020-10-08 06:14:25 | スポーツ
イチャモン解説の岡田彰布の野球解説はまず聞かないが、2020年10月4日のデーゲームの試合は最後まで聞いてみた。すると9回表のジャイアンツの攻撃中にとんでもないことを言い始めた。7対1でジャイアンツがリード、二死1塁で4番岡本が打席の時に、申告敬遠でもいい。走者をわざと得点圏にやるから、不自然さをなくすために投手がワザと暴投してから申告敬遠でもいい、と。大山と岡本は本塁打争いをしているが、タイガーズの監督が岡田彰布でなくて本当に良かった。
 
 点差が開いて場面での打者への四球が嫌われるのは、3割の強打者でも7回は失敗するという統計に基づいている。本塁打となるともっと確率は下がり、岡本は、96安打-24、大山は、89安打-24である。本塁打は安打の約4分の1である。よって3割打者相手でも、投手は打者と勝負して本塁打を打たれる確率は0.075程度である。1割以下なのであり、岡本・大山は3割打者でもない。


 6点リードされているチームが、得点圏に走者を故意に進める戦術は試合放棄と変わらない。ウィキペディアの岡田彰布の説明にはこうある──「チームの勝利が最優先であることが大原則」。よってこの解説は大嘘である。


 個人記録優先で勝負を放棄した事例には、横浜の関根潤三が投手に田尾への5敬遠四球を命令したのが有名だが、NPBはこの野球協約違反について何も発言していないはずだ。また暴君・星野仙一は、先発投手を4回で交代させ、吉見に最多勝を取らせる戦術を駆使したが、それへの批判もほぼなかった。日本のプロ野球記者には批判精神がないのである。


 選手をぶん殴る監督なら、選手こう言うかもしれない──「俺がお前のタイトルを取らせてあげた」。選手にあれこれブツブツ言う監督なら、選手にこう言うかもしれない──「俺がお前のタイトルを取らせてあげた」
 「ムチとアメ」を駆使する監督がもしいたなら、それ自体が監督自身のためにおこなう行為なのであることを理解していた方がいい。




■岡本監督が絶句した主力の"造反劇"
2012/09/26
https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/42418/


・・・主力選手から耳を疑う言葉が発せられたのだ。「監督がベンチであれこれ言うので選手が萎縮して本当の力が出せません」


■岡田彰布
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E7%94%B0%E5%BD%B0%E5%B8%83


自らが現役時代に首位打者まであと一歩に迫りながら逃した経験から、選手起用において個人記録を重視しており、「チームの勝利が最優先であることが大原則」という条件つきながら「監督として手助けできることがあれば最大限に手を貸したつもりである」と述べている[50]。金本の連続試合フルイニング出場、鳥谷敬の連続試合出場の記録更新、坂口智隆の首位打者争いなどにも全面的に協力する姿勢を貫いていた。


■巨

1 2 3 4 5 6 7 8 9
0 1 1 0 0 0 3 0 2
0 0 1 0 0 0 0 0 0
計 安 失
7 12 0
1 7 1

大江 竜聖
(3勝0敗0S)

秋山 拓巳
(6勝3敗0S)
https://hochi.news/npb/main/?bw_pageId=oneball&gameId=2020100403&mode=text
9回表 巨人の攻撃
1
8番
増田 大輝
無死走者なし
投手交代:齋藤→横山 守備変更:坂本→キャッチャー
6
内角のストレートを見送りフォアボールを選ぶ 1塁
2
9番
若林 晃弘
無死1塁
5
3-1からレフトスタンドへの2ランホームラン 神1-7巨
3
1番
吉川 尚輝
無死走者なし
5
外角の変化球を打つもレフトフライ 1アウト
4
代打
石川 慎吾
一死走者なし
バッター松原に代わり、「ダイナマイト・フルスイング」石川
3
低めのチェンジアップをレフトへ打ってヒット 1塁
5
3番
小林 誠司
一死1塁
2
外角のストレートを打つもセンターフライ 2アウト
6
4番
岡本 和真
二死1塁
5
高めの真っ直ぐを打つもセンターフライ 3アウトチェンジ




■田尾5敬遠で首位打者獲得の舞台裏――「大洋ホエールズOB」としての長崎慶一さんに会いに行く(後編)
文春野球コラム ペナントレース2019
黒田 創
https://bunshun.jp/articles/-/15366


 82年の長崎さんは5月23日中日戦でお釣りなしの逆転満塁サヨナラホームランを放つなど打ちまくり、打率.351のハイアベレージで首位打者に輝いた。79年のF・ミヤーンに続く球団2人目の栄冠である。しかしこれには、シーズン最終戦となった大洋-中日戦を長崎さんが欠場し、打率1厘差に迫る中日の田尾安志を5連続敬遠したという側面がある。しかもこの試合、中日が勝つか引き分けで中日優勝、負ければ巨人優勝となる大一番だったことで、大洋が勝ちよりも長崎さんのタイトルを優先し、相手の一番打者を全打席出塁させたことに批判の声が多く挙がったのだ。


「あの件では嫌な思いもしたけど、オフの表彰式で王貞治さんに田尾君と2人で呼ばれてこう言われたんです。“田尾君が長崎君に勝つには、最後の大洋戦の前に抜かないといけなかった。だから長崎君はタイトルを誇っていいんだ”って。これですっきりしましたね。田尾君も納得していたし、その後阪神で同僚になる訳ですが、わだかまりもなく普通に麻雀していましたから(笑)。あと、あの試合前に中日の黒江透修コーチに呼ばれて冗談交じりに“首位打者はお前にやるから田尾を歩かせてくれよ”と耳打ちされた。その時は自軍の選手がタイトルを獲れるかどうかの瀬戸際に何を言うのかと不思議だったけど、後に阪神で優勝を経験して黒江さんの真意がようやく分かったんです。個人記録は二の次で、あくまで優勝するのが一番なんだと。当時の僕にはその価値が理解できなかった」


 すでに5位が決定している状況からすれば、せめて個人タイトルだけでも、と手が届きかけている選手をアシストするのは自然な流れである。そして、当時の大洋は毎年Bクラスが定位置だった。そういうことなのだ。

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