作家三島由紀夫は過去形を好まなかったと聞いたことがある。
彼曰く、日本語の過去形って基本的に「・・・でした。」「・・・した。」「・・・だった。」などなど、「た、た、た、た、た・・・・・」って機関銃のようだというのだ
英語は動詞の部分を過去形にするので文末が全部そろうということはない。
けれどもたしかにアナウンサーの伝える日本語のニュースを聞いていると、「・・・ました。」「・・・でした。」「・・・た、た、た、た、・・・」まさに機関銃になってしまっているう、うたれてしまうぅ~~
でもここですごいのが、それをさけるために私たちが無意識のうちにやっていること・・・
「その日はどうしてもモツ煮込みが食べたかった。そこで近所で新鮮なモツ肉を調達しちょっと辛めに作ってみた。」
これは普通の過去形の文だけれど、次のようにも言える。
「その日どうしても食べたかったもの、それはモツ煮込み。そこで近所で新鮮なモツ肉を調達しちょっと辛めに作ってみる。」
「機関銃」をさけるために、私たちって自然に倒置や体言止めを使ったり、現在形で代用したりちょっとした工夫をして変化を持たせている。そしてこの方がリズムもいいし臨場感もあるような。
このあたりは日本語って英語よりもフレクシブル・・・翻訳をするときなどある意味、日本語で「遊ぶ」ことができる。
こんな風に英語を勉強しながらも、日本語の楽しさを認識することが少なくない
もちろん英語にはまたちがった言語としての美しさや豊かさを感じる。
どちらも知れば知るほどに新たな魅力を見せてくれる・・・常に、そして永久にワクワクさせてくれる、、、私にとってはそんな存在ですね
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彼曰く、日本語の過去形って基本的に「・・・でした。」「・・・した。」「・・・だった。」などなど、「た、た、た、た、た・・・・・」って機関銃のようだというのだ
英語は動詞の部分を過去形にするので文末が全部そろうということはない。
けれどもたしかにアナウンサーの伝える日本語のニュースを聞いていると、「・・・ました。」「・・・でした。」「・・・た、た、た、た、・・・」まさに機関銃になってしまっているう、うたれてしまうぅ~~
でもここですごいのが、それをさけるために私たちが無意識のうちにやっていること・・・
「その日はどうしてもモツ煮込みが食べたかった。そこで近所で新鮮なモツ肉を調達しちょっと辛めに作ってみた。」
これは普通の過去形の文だけれど、次のようにも言える。
「その日どうしても食べたかったもの、それはモツ煮込み。そこで近所で新鮮なモツ肉を調達しちょっと辛めに作ってみる。」
「機関銃」をさけるために、私たちって自然に倒置や体言止めを使ったり、現在形で代用したりちょっとした工夫をして変化を持たせている。そしてこの方がリズムもいいし臨場感もあるような。
このあたりは日本語って英語よりもフレクシブル・・・翻訳をするときなどある意味、日本語で「遊ぶ」ことができる。
こんな風に英語を勉強しながらも、日本語の楽しさを認識することが少なくない
もちろん英語にはまたちがった言語としての美しさや豊かさを感じる。
どちらも知れば知るほどに新たな魅力を見せてくれる・・・常に、そして永久にワクワクさせてくれる、、、私にとってはそんな存在ですね
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英語の「時制」も行くとこまで行くと、現在進行形や意志未来や仮定法未来を見れば明らかなように、「時制」は「法」や「相」と渾然一体になりますよね。誤解を恐れず言えば、「時制」も物理的時間とは無関係で、「法」や「相」と同じでむしろ心持を表現する一つの仕組みなのかなと思います。
日本語の時制は、その英語とかドイツ語とかの観点から日本語のルールの体系を再編したものでしょう。これ日本人が日本特有の文化の中にベースボールを再編したのと同じかも。
でも、違う観点から日本語を見る楽しみは確かにある。それは楽しい。この世で一番とは言わないが第一グループには入る上質の人生の愉悦ですよね。そして、この比較作業は、「日本語には時制はなく、強いて言えば相(アスペクト)の差異しかない」などのこ難しいコメントとは無関係に、楽しい。
そんな小難しいコメントは余計なお世話である。
ところで、私は日本語の文末が「タ・タ・タ・タ・・・・」の機関銃になる原因は、三島大明神のご神託とは違って、「過去形」のせいではなく、後置詞(=助詞)を使って語と語との関係や語の文中での役割を示す、膠着語としての日本語の特徴からきていると思います。前置詞多用型の言葉(格変化が退化した英語がその適例)は文頭が単調になり、後置詞多用型は文末が単調になりがちなのではないか。そう思っています。確たる根拠はありませんがこれは、日→英、英→日、独→日、日→独、英→独、独→英の翻訳をやっていて、感覚的にそうなのかなと自分では納豆じゃなかった納得している結論です。ということで、ご挨拶に参りました。ハイジ先生、今後とも宜しくお願いいたします。
示唆に富むコメントをどうもありがとうございました。
何を隠そう、、私は日本語はネイティブですがきちんと勉強したことがなく・・・おはずかしい勉強不足です。
英語を教えるうちに無意識のうちにその文法を日本語と比較してあてはめていた部分があったのだと目からウロコでした。
ところで、いただいたコメントで思い出したのですが、
アメリカ滞在中に、日本人同士で日本語を話していたときに、現地の方から、machine gunのようだ、、と言われたかどうかは覚えていませんが、「タタタタタ・・・」と聞こえると言われたことがありました。
私の「早口」のせいもありますが(笑)KABU先生のおっしゃるように「過去形」のせいでなく、日本語の特徴なのかもしれませんね。
またそちらにもお邪魔させていただきます♪
こちらこそよろしくお願いいたします。