BLOGで格闘技について描く機会になかなか恵まれず、
描く事がなかったが、私は格闘技が好きだ。
格闘技に興味を持ったのがプロレスだった。
今は、格闘技とプロレスはまた違った意味合いを見せるが
それでも、「プロレス」が好きだった。
週刊プロレスを毎週購読していた当時、
「新日本プロレス」にしか興味のない私にでも
「全日本プロレス」の王道にはもちろん具の根も出ないモノであることは
知っていたし三沢光晴という選手が輝いていた事は間違いのないことだ。
間違いのないプロレス…それが全日本のスタイルだと思っていたし、
受けてなんぼなのが三沢光晴。
小橋健太が怪我で辛そうな時も、全てを引き受けて頑張っていた三沢。
三沢という選手の器の大きさ。
まさか、まさか?!
という気持ちでインターネットのニュースを深夜見ていた。
それだけで声が出ずに、這いずるようにベットに入って寝てしまった。
ソコに立っているだけで、光の当たるような大きな人だったんだなぁと
改めて。
NOAHを興行する時に、ほとんどの全日選手が三沢について行った。
ビックリした。
当時、おぼろげな私の回想では武藤や蝶野や橋本が団体を旗揚げするとか
しないとか誰がついていくのかとかそんな事がささやかれていた頃だった
気がするが…
武藤にだって橋本にだってそんなに多くの人間が賛同しないだろうと思っていた
時に三沢に殆どの選手が賛同した。
三沢に多くの選手がついて行ったという事に、
この人は、ファンのみならず選手からも愛される人なんだと
三沢という選手に深く興味を抱いた。
月曜日、私が学校に着ていったシャツの色を見て、
生徒の一人が、切なく笑って言った。
「タイガー・スープレックスが観れなくなりましたね。」
王道プロレスの最後の役者が逝ってしまった。
それも突然に。
みんなにも私にもしばらく遠ざかっていたプロレスが、
少しでもまた近づいてくればいいね。
R.I.P misawa
描く事がなかったが、私は格闘技が好きだ。
格闘技に興味を持ったのがプロレスだった。
今は、格闘技とプロレスはまた違った意味合いを見せるが
それでも、「プロレス」が好きだった。
週刊プロレスを毎週購読していた当時、
「新日本プロレス」にしか興味のない私にでも
「全日本プロレス」の王道にはもちろん具の根も出ないモノであることは
知っていたし三沢光晴という選手が輝いていた事は間違いのないことだ。
間違いのないプロレス…それが全日本のスタイルだと思っていたし、
受けてなんぼなのが三沢光晴。
小橋健太が怪我で辛そうな時も、全てを引き受けて頑張っていた三沢。
三沢という選手の器の大きさ。
まさか、まさか?!
という気持ちでインターネットのニュースを深夜見ていた。
それだけで声が出ずに、這いずるようにベットに入って寝てしまった。
ソコに立っているだけで、光の当たるような大きな人だったんだなぁと
改めて。
NOAHを興行する時に、ほとんどの全日選手が三沢について行った。
ビックリした。
当時、おぼろげな私の回想では武藤や蝶野や橋本が団体を旗揚げするとか
しないとか誰がついていくのかとかそんな事がささやかれていた頃だった
気がするが…
武藤にだって橋本にだってそんなに多くの人間が賛同しないだろうと思っていた
時に三沢に殆どの選手が賛同した。
三沢に多くの選手がついて行ったという事に、
この人は、ファンのみならず選手からも愛される人なんだと
三沢という選手に深く興味を抱いた。
月曜日、私が学校に着ていったシャツの色を見て、
生徒の一人が、切なく笑って言った。
「タイガー・スープレックスが観れなくなりましたね。」
王道プロレスの最後の役者が逝ってしまった。
それも突然に。
みんなにも私にもしばらく遠ざかっていたプロレスが、
少しでもまた近づいてくればいいね。
R.I.P misawa