白黒一家

ネコ暮らし

「いてもうたれ」関西弁って素晴らしいな

2009-07-02 05:42:05 | 憧れて
桑田真澄がブログで「いてもうたれ」と言っていたので、
本人が言うとおりなんだか気合が入る言葉だと思うのは、
自分が関西人だからだろうか。


「いてもうたれ」は、「いてまう」の上から目線って感じかな。
もっと最上級になると、「いてこます」と言う。(笑)
「いてこます」って言葉だけでちょっと笑えるのは使う人や場所が
あんまりないからちょっと懐かしくて笑っちゃった。
「いてまえ」は「やってしまえ」の感覚で、ケンカする時の言葉。
なかなか「いてまう」はしょっちゅう出てくる言葉じゃないけど、
「しばく」は、よく出てくる。
日常会話にありふれてる「しばく」は「殴る」の意味合いに近いけど、
雰囲気的に色んな意味に使われてる。
関西弁って、言葉が正しくないといけないってより感覚重視だから
その感覚ってのは、慣れないと使いにくいかもね。
だけど、使い慣れてる人にとっては標準語で話すよりもっと
感覚を研ぎ澄まして使えるから伝わり方が繊細なところまで使えたり出来る。

って事で今日は、残りを関西弁で描いておこう。

めっちゃつまらんって言いっ放しの天地人。
今回はちょっとだけおもろかったで。
何がおもろいかって、冒頭の直江の残した詩は自分が知らんかったから
それがおもろかっただけやねんけどね。
でもさー、ほんまに脚本家はちゃんとドタマつかって考えやんと
今後の大河ドラマもあんなんかと思われたらかなわんよ。
先週は歯医者にも行ったで。
歯医者でミキティと見えの張り合いして帰ってった。
ちょっとおもろかったわ。ミキティはかわえぇって感じちゃうけど
性格がええんかな。かわぃい見える。えぇ顔しとるよ。
やっぱ、なんや言うても性格は顔に表れんなー。怖い怖い。
マクドの玄関で落ちて捻挫した足やけどなかなか治らん。
痛いのはだいぶマシやけどね、腫れがひかんし。
固定してへんのがあかんのかなー。
知らん間に腫れが自分の足になってたらどないするんや。
しっかり固定せな…。

7月に入ったし、色々忙しいけどぼちぼち頑張らんとあかんな。
気合入れて頑張ろう
イテモウタレー

「気が利く」いろいろ

2009-06-30 06:00:07 | 憧れて
金曜日、夜にホントに突発的に人と会う事に。
一番仲の良いトモダチ関係で集まることに。
その中に前々から知ってはいても初めて顔と顔を付き合わせる人が
いたんだけれど、とってもかわいい女性でした。
6つ位年上の彼女は、夜中に会ったにも関わらずキレイに化粧をして
かわいい格好をしておられました。
何より素直で、ほぼ初対面の私の前でも自分を作り込む事をせずに
素直なままで話していらっしゃるのを見てかわいいなぁとしみじみ。
旦那さんも一緒にきていて、旦那さんがすぐ掃除を始めるって事について
話していたんだけれど、それがちょっと嫌なんだよねって本人に
発言されるにも関わらず、それが愚痴にも悪口にも聞こえない。
なんていうかいやな感じを受けない。
素直な感覚が、相手を不愉快にさせるって事がなくてこりゃぁ
性格が良いんだなぁと。汚くならない所が羨ましい。
久しぶりに人とお会いして、グッと良い刺激を受けました。

その女性が、ご飯屋さんで細やかに皿やら飲み物やら気を使って下さって
私なんて座りっぱなしで、なーんにもしませんでした。
一番年下でしたので、あんまり気が利きすぎるのもこの場では
合わないし、こういう場では年上が気を利かせた方がキレイに収まる。
バカキャラ演じてる方が、この席ではぴったりだったし。
身から出る「気が利く」は、きれいだけど
取ってつけたような「気が利く」は嫌だな。
彼女はきれいに気を利かせてました。嫌味がなかったなぁ。

男がいると、張り切って気を使う女がいるけれど
あぁいうのって普段やってるのかやってないのかってすぐに判る。
匂いがする。
妙に張り切ってやってる奴ほど、打算的な感覚が身から
「どう?私って気が利く女でしょ?良い女でしょ?」って言ってる。
すぐにわかっちゃう。気をつけたほうがいいよ。(笑)
それに気を利かせるって事が時には、嫌味に見えることもあるしね。
実際、メンズがいた時とかは女はそういうところ見てたりするし。
気が利きすぎて、男にサラダを取り分けてあげてるのを見たりすると
「え?」って思うこともあるし。
私は、皿まではとりわけるけど、ソコまではしないタイプ。
例えばサラダを取り分けて配ったりすると
相手の好みがあるっしょ?トマト食べれないのにトマト入れんなボケとか(笑)
取り分けてあげたメンズに好意を寄せてる女がいたらチッって思われるし。
気が利いてるのか、効いてないのか判らなくなる。
だから、余計なことは一切しない。

金曜日に会った彼女は、自分の旦那さんにサラダを取って渡してたけど
いやらしい感覚も何もなかった。それが普通に見えた。
この感覚って、ちょっとやそっとじゃ出来ない。
きっと私なんかは、恥ずかしくてそんな事は人前では出来ないんだけどね(笑)
久しぶりに、グッと人と出会って自分の幅が広がる想いがしたよ。

2009-06-18 06:17:11 | 憧れて
6月21日は父の日。
実はゆっくり、記事を描きたかったのは月曜日6月15日。

私は、極度のファザコン。
それを辞めるつもりもなければ、恥じるつもりもない。
今の自分があるのも、ファザコンだからだと思ってる。
もし、お父さんが居なかったら平凡でちっぽけな安心感を求める
大人になっていただろうと。(それが悪いとは言わないよ。もちろん)
いくつになっても、変わり続けることを望む大人になったのも
お父さんが居たからこそで、お父さんは私にそんな事を望んでは
なかったかも知れないけれど、そうなってしまったよ。

青春時代、初めてタバコを吸う時に
ショートホープを買ってきて「やっぱり最初はこれからやで。」と
ニヤっとしたうちの父ちゃんは、今でも時々夢の中に現れては
笑っていたり怒っていたり。
何も言わずにむすっとしていたり。
30にもなって判るった事は周りにはきっと小難しい人間だったんだろうなぁ
って事で(笑)それでも、子供の私には優しかったし…
よく理解してくれようといつも子供の気持ちをわかろうとしてくれていた。
私はとてつもない親不孝者だけど、
いつまで経ってもファザコンで…それだけは変わりようがない。

「美しい」という単語は誰かを好きになって想う優しい気持ちの事だと
お父さんは、10代の私に言いました。
少し前まで違う人が好きで、また時間がたてば違う人が好きで
そんな私を見てお父さんが言った言葉です。
今ならなんとなくその意味がわかる気がします。

今でもしょっちゅう、夢の中に現れては怒ったり笑ったり。
時には、手助けしてもらって空から1万円が降ってきたり(笑)
何かある度に、ヨットに乗って出てきたり、今から行くと電話してきたり。
いつもそこで笑ったり怒ったりしてくれているのだと想っています。

私はファザコンで、いつまで経ってもファザコンで。
それで良かったとそれでいいのだと想っています。

三沢光晴 逝く

2009-06-18 05:43:30 | 憧れて
BLOGで格闘技について描く機会になかなか恵まれず、
描く事がなかったが、私は格闘技が好きだ。
格闘技に興味を持ったのがプロレスだった。
今は、格闘技とプロレスはまた違った意味合いを見せるが
それでも、「プロレス」が好きだった。

週刊プロレスを毎週購読していた当時、
「新日本プロレス」にしか興味のない私にでも
「全日本プロレス」の王道にはもちろん具の根も出ないモノであることは
知っていたし三沢光晴という選手が輝いていた事は間違いのないことだ。
間違いのないプロレス…それが全日本のスタイルだと思っていたし、
受けてなんぼなのが三沢光晴。
小橋健太が怪我で辛そうな時も、全てを引き受けて頑張っていた三沢。
三沢という選手の器の大きさ。

まさか、まさか?!
という気持ちでインターネットのニュースを深夜見ていた。
それだけで声が出ずに、這いずるようにベットに入って寝てしまった。
ソコに立っているだけで、光の当たるような大きな人だったんだなぁと
改めて。
NOAHを興行する時に、ほとんどの全日選手が三沢について行った。
ビックリした。
当時、おぼろげな私の回想では武藤や蝶野や橋本が団体を旗揚げするとか
しないとか誰がついていくのかとかそんな事がささやかれていた頃だった
気がするが…
武藤にだって橋本にだってそんなに多くの人間が賛同しないだろうと思っていた
時に三沢に殆どの選手が賛同した。
三沢に多くの選手がついて行ったという事に、
この人は、ファンのみならず選手からも愛される人なんだと
三沢という選手に深く興味を抱いた。

月曜日、私が学校に着ていったシャツの色を見て、
生徒の一人が、切なく笑って言った。
「タイガー・スープレックスが観れなくなりましたね。」
王道プロレスの最後の役者が逝ってしまった。
それも突然に。

みんなにも私にもしばらく遠ざかっていたプロレスが、
少しでもまた近づいてくればいいね。

R.I.P misawa

73とお茶+マルのこと③

2009-05-26 17:54:49 | 憧れて

今日は、卒業生?の73とプライベートで一緒にお茶。
73の将来のビジョンなど聞きながら、冷房の効いてるサイゼで凍える私。
なんつーか、性格がいい。
面倒な事とかあるのもわかってるし、面倒だと思ってるけど
73には嫌味がない。
顔にも出さないし、上手に切り抜けてる。
こういう子がモテるんだろうと思う。
次に生まれ変わったら、こういう女子になりたいなーと心から。(笑)

夢があるってのはそれだけで幸せな訳で。
こうしたい!こうなりたい!って見えていてそうなろうと
近づこうとするのは、幸せだなぁとぼんやり。
なりたい自分に近づく努力ってのは、人には判らないもので、
自分が好きなものだからこそ、努力を努力と認識しないで頑張れるし
そういった時が、輝いてるのかも知れない。
色々、愚痴などを聞きに行くつもりがこっちが元気を貰いました。
ありがとう73。

73の顔はどこか、マルに似ていて73を見るとマルを思い出す。
マルは、73とは性格は違うけど顔が似てるからかな。
年齢がいってるからなのか、この先の様子が見えてるからなのか
人に相談するって事が無くなったような気がする。
自分の個性と、自分の見解と、自分のキャパシティと
色んなものを総合して考えて、何とか1番良いと思える答えを
見つけ出そうとするんだけど。
その過程の中で、トモダチに、のりちゃんとかフジィに話を聞いて貰って
「うんうん」って言って貰ってて、でも相談じゃなくて答えは決まってる。
自分自身の答え。
自分自身の答えに、自信がないとかじゃなくてソコに立ち向かう勇気の為の
愚痴とか言い訳とか弱音とかそういうのを聞いて貰ってる感じ。
のりちゃんとかは笑って聞いてたりするし、何も言わなかったりするし
そう思うとありがたい。
私が、もう答えを持ってるのを知ってるから。
フジィなんかも、最初から最後まで心配して聞いてくれてて
そういう存在にも救われてる。

マルといた青春時代は、今よりももっと不安定だったのかな。
自分自身の答えが決まっていても、
マルが私らしいと思ってる答えが、たとえ私の思っている事と違っていても
客観的に見てる方が正しいのかもって思えたし。
私は自信のないコだったけど、マルはいつも強気な人間だったし。
そういうのもあるかも知れないけど。
(それでもマル自身は、自信のないことだってもちろんあったよ)
それを突っぱねるだけの自分の自信も意地もなかったから
それはソコまでの考え方だっただけかも。
今となってみれば、故郷から離れそれなりに自分らしいという自信もある。
マルへの相談は、マルへのヘルプであって決して相談じゃなかったかもだけど、
時々、マルの忠告を無視して突き進んだ後、
案の定、失敗して泣きついてもマルはいつもと同じように笑ってた。
泣きついて泣いてもそれも「あんたらしい」と。

結局、私は何が言いたいのか。
マルのことを書くと何が言いたいのかさっぱり判らないまま。
こんな文章を読んでもきっと誰もわからない。
でもいいや。こんな日もあり。
垂れ流し。

三十路に突入しました

2009-05-18 10:19:06 | 憧れて
生まれて30回目の誕生日を迎えました。
お祝いのメールを送ってくれた皆さん、ありがとう。

5月18日というのは、誕生日もあって思い出深く
特に25歳の誕生日は忘れる事の出来ない誕生日でした。
歳を重ねても、私はいつまで経ってもファザコンです。
きっとこれからもファザコンで、それでいいのだと思っています。
父親に言われた「お誕生日おめでとう」が嬉しかった。

素敵な女性になりたいですね。
どんな人が「素敵な女性」なのかはきっと人それぞれだと思います。
色々調べてみましたが、どれもこれもピンと来ないままでした。
自分の目標やどんな自分になりたいかを心がけて
自分らしくありたいと思います。
20代は自分に自信を持たせてくれました。
まだまだ、自信のない自分の方が多いですが
それでもこれだけは絶対に負けないという部分だって出来ました。
30代にはどんな自分が出来上がるのでしょう。
楽しみです。

桑田が清原を思うように・・・

2009-04-17 06:21:02 | 憧れて
昨日、彼について記事にしようとパソコンの前に座ってみたものの
あまりにも思い入れがありすぎて何も出来なかった。
再度夕方、チャレンジしても動画に釘付けで動けなかった。
このブログにも心の18番の記事を描いてきたがどうも上手く筆は進まない。

「自分の若い頃に似ている」
と、桑田真澄の顔を観て父親はよく言っていた。
(日本の怪物と言われた松坂は弟に似ているという・・・)
それはさておき、私が野球を知る頃の桑田真澄は
投げる不動産屋だとかそんな汚い野次が飛び交う頃。
桑田のピッチングは力強く、何の根拠も無く絶対に抑えてくれると
小学生の私は思っていた訳で。
(絶対に打たれるのは、立浪だけだとそういう観察力もついて(笑)面白かった。)
ドラフトの一件や、KKコンビの事は話したくないなと思う。
テレビでも雑誌でも色んな所で取り上げられているからね。
ただ、ジャイアンツを去った後に桑田が清原の事を
清原の事はずっと友達だと思ってる。
相手が自分を嫌いになっても、自分自身が友達だと思っている。
出会えただけで充分。
というような内容を話しているのを観て、ジーンとした。

こんな私にも友達がいる。
梨絵は、高校の時にアメをあげた事で仲良くなった。
高校卒業後も遊んだり電話したり、旅行に行ったりマメに連絡を取っていた。
「敵に廻したくない・同じ男を好きになりたくない」
唯一の女だ。(別にもう一人いるけど)
彼女の持つ優しさを尊敬し私は、彼女にかなわないと思う。
負けを認めたくなる位のいい女だ。
しかし現在、音信不通。
原因は私。
私が突発的に上京してきたから、連絡先もわからない。
相手側からしてみても、私の連絡先も手がかりも判らず・・・。
連絡一本もよこさないって怒ってるはず・・・きっと友達なのにと怒っているだろう。
怒っていてもいなくても、私は謝る。心から。
だけどきっと怒ってない気もする。
話せばわかってくれるという自信もある。
最高に嫌われたとは思えない。
どうしてそんなに自信があるかというと、相手の事を信じきってるから。
それにもし、嫌われていても私は相手が好きだと決まっているから
失うものは無く、故に怖さも全く無い。
友達っていうのは、自分自身が相手の事を好きで友達だと思うなら「友達」
ただそれだけの事だ。
私はきっと、おばあちゃんになっても、梨絵を友達だと思っている。

桑田の言葉を聞いているうちに、梨絵の事を色々と思い出した。
彼女は今、何をしているのだろうか。
いい母親になっているかな、きっと。

清原・桑田 KKコンビ25年目の真実 1/2


清原・桑田 KKコンビ25年目の真実 2/2


日本人メジャーリーガーで一番凄い男

2009-04-10 05:29:05 | 憧れて
スッカリ野球とは疎遠になっているこの頃ですが、
小学生の頃は毎日野球か時代劇を見ていた。
ソレは亡くなった祖父の影響で。
ルールくらいは知っている、当時の選手の名前はわかる。
そんなレベルの私がお話します。

みんな忘れてはいないだろうか?
Wまっつんやイチロー。
メジャーリーガーの名前を上げろと言われたら出てくる名前。
だけど、本当は誰が一番凄いかって。
そんなの絶対、野茂英雄

イチローや松井秀喜がメジャーに行く前に、
日本人プレイヤーとしてメジャーの道を均したのは野茂英雄である。
(野茂がメジャーに行く31年前に一人いたので2人目)
その事実は、あまりに取り上げられる事が少なく
成績を残す事も大切だが、野茂英雄だって良い成績を残していたことを
忘れてはいけない。物凄い成績の数々だ。
そして成績だけじゃない。
道を作った男なんだという事を
みんながもっと知るべきなのではないかと・・・・。
誰かが作った道を歩く事は、楽チンだ。
一番初めに道を作るという事がどれだけ大変で凄い事なのかって。
土を耕して、固めて、人が歩ける状態にする
野茂英雄はそんなことをやってのけたのだ。

イチローやまっつんの事が日本のTVで取りざたされる中、
年齢を重ねて来た野茂はメジャーを離れマイナーに行く。
最後の方は、ベネズエラで契約したりもしている。
メジャーという看板を離れても野球を辞めず最後の最後まで
野球をやり続けていた野茂英雄がどうして、神様扱いされないのか・・・。
腹がたってくる。
ただ、野球が好きで野球がしたくて道を均し最後の最後まで
野球をする事を諦めずに続けていた野茂英雄。
2008年7月17日、
「リタイアすることにした。プロ野球選手としてお客さんに見せる
パフォーマンスは出せないと思うし、同じように思っている球団も多いと思う。
自分の中ではまだまだやりたい気持ちが強いが、
自分の気持ちだけで中途半端にしていても周りに
迷惑をかけるだけだと思った。」とコメントし現役引退を表明。

去年の夏にひっそりと引退していた。
去年の夏も、スポーツニュースのイチローやまっつんのVTRの後に
ひっそりと読まれるだけの野茂英雄の引退報道。
淋しかった。悔しかった。
道を作った男は、最後まで野球道を歩き続ける。

プロ野球 野茂英雄 引退



緒形拳

2009-04-01 06:08:30 | 憧れて
うちの実家は当時、散髪屋を営んでいて家族で出かけるなんていうのは
幼稚園までのお誕生日か家族旅行くらい。
弟が生まれてからは、実際4人で出かけるっていうのは家族旅行のみ。
夏もお盆は仕事で、お盆を過ぎた頃に3日ほどの休みを両親が取ってくれ、
今思えば、どこにも連れて行ってあげれない事に引け目を感じていたのか
数少ない大人の夏休みは全て旅行の日程となっていた。
新幹線に乗る為に、京都駅に辿り着きたまたま乗り継ぎが慌ただしかったのか
急いで手を引っ張られていた思い出。
そこに一人、全身黒い衣服に身をまとい、黒いサングラスをしていた男性を
若い女性2-3人が囲んでいた。
小学生の私には、全身黒い男は怪しく「悪い人」なんじゃないかと・・・。
とーちゃんがかーちゃんに「緒形拳だ」って言ってるのを聞いて
かーちゃんが「ホンマや!」と若干、興奮してた気がした。
(弟はこのときの事を覚えているだろうか?)


私が生まれて初めて生で見た芸能人は、俳優 緒形 拳。


2年前の大河ドラマ「風林火山」の緒形 拳のイメージが強く、
緒形拳を語るにあたりどんな作品に出ていたのか調べてみたが
見たことのある作品が結構な数ある。
それでも2年前の大河ドラマの緒形拳がもう最高にかっこよかった。
のりちゃんには「緒形拳と結婚したい」と何度か言った。(笑)
とにかく俳優の演技というのは、こんな若輩者に何がわかるかと
言われるであろうが、全ては「顔」であると思っている。
もちろん、顔のつくりがいいとか整ってるとかじゃなくて
「顔」で演技をするって事だ。

Fuurin Kazan ep.32 (Gackt only) part 5


緒形拳っつー男は、歳を取ってからの方が最高にいい。
「風林火山」は、もう演技を重視した俳優人に囲まれたドラマだったが
その中に一人「ガクトの上杉謙信」がもう失笑を通り越して
怒りに変わるほどのヘタクソぶりで、
どうしたもんかと思っていたが・・・
それを隣でカバーしたのが緒形拳演じる宇佐美だった。
上記映像の真ん中部分で、「酒でも呑まぬか・・・」のくだりの後の
緒形拳の笑顔が未だに忘れる事の出来ないシーンだ。
数ある映画を見ても、俳優の顔を忘れる事が出来ないというのは
そうそうなかった。この緒形拳の笑顔に全てはやられてしまう。

人間の顔っつーものは性格が現れる。
どれだけ美人な顔をしていても、性格がとがっていたら顔もとがる。
顔は人の鑑だと思うようにしている。
緒形拳の顔は、緒形拳がいつもどれだけ温かい心を持っていたのかと思えるほどだ。
亡くなった後、肝臓癌だった事が息子で俳優の2人から発表されたが
その時に息子が故人をあったかい男だと言った。
息子に尊敬され、そう言われる父親は最高の一言である。
また、津川雅彦が緒形拳の親友として津川雅彦のブログに記してある最後
最後まで役者であり最後まで男前だなぁと・・。
余談ではあるが、緒形拳は猫を飼っておりそんなところも心通じるところがあり
緒形拳のブログ(もうすぐ閉鎖)にはいつも温かな写真が残っている。


私にとって、初めて生で見ることの出来た芸能人が緒形拳で
そしてこの人の笑顔に叶うものは、ないなぁと思うのです。

人に優しく

2009-03-29 20:29:48 | 憧れて
あるマニアックな趣味を共有している歳の離れた友達います。

その彼は、千葉で牧場を経営しております。
毎日365日を牛さんと暮らし牛さんのお世話にしています。
朝の早くから、夜の遅くまで。
暑い日は、牛さんの周りにはハエがたかります。
寒い日は、凍えるほど寒く雪がちらつきます。
時には小学生の牧場見学なども行いながら
毎日、泥だらけになりながらお仕事をされています。

秋のある日、彼のお家に遊びに行きました。
奥様が出迎えて下さって娘さんと一緒に遊びました。
彼には3人のお子さんがいて上の男の子は高校生。
一番下の娘さんが幼稚園の年長。
牧場には牛さん、そして野良猫の親子が住み着いています。(笑)
困るんですけどね~と笑顔で答える彼でしたが
困っているのに追い出したりはされません。(笑)

マニアックな趣味といえど、同じ趣味を共有する者が集まると
ヤッパリ性格が出ますね。
強いものには弱く、弱いものには強い人とか
プライドが邪魔して心を開かない人とか
いつもシモネタばかり話している人とか(笑)
この彼はその中でも仏のような人です。
いつもニコニコしていて、誰にでも同じ対応をされます。
誰にでも丁寧な対応をされるので年上からも年下からも
時には良い具合に扱われたりされているのを観て私は実際
かなり頭に来ていますが、本人はそれでもニコニコされています。

先日その彼とお会いしてお話をしている時に、
ふっとプライベートなお話になりました。
奥さんとケンカをしたことがないというお話どころか・・・
奥さんに怒られたことがないという・・・お話を聞きました。
嫌味を言われた事もなく、だから怒らせるのが逆に今となっては怖い
そんなお話の筋だったのですが・・・
彼もまた、奥さんに腹を立てたことが今までに3回しかないらしいです。
そしてその3回とも奥さんにあたることなく・・・自分の中で
解決されたそうです。
腹を立てて言葉にすると相手を傷つけてしまう事になるから
黙って過ごしたそうです。。。

結婚して20年以上・・・相手に腹を立てたことが3回・・・
その上、相手を傷つける事が嫌で言葉にしなかった・・・
私はその話を聞いた時に、少し元気になりました。
いいなぁ、こんなおおらかな人間になれたらいいなぁ
そう思ったのです。
10以上年下の私にもいつも敬語でお話してくれる彼です。
きっと、彼の奥さんも彼に似た性格の持ち主なんでしょうね。
彼の子供達は、親は仲の良い姿しか見たことがなく
ソレが普通で、そしてきっと子供達も彼のような人柄になるのでしょう。

彼と会うとなぜか少し元気が出ます。
そしてこんな人間になりたいなぁと思うのです。