こころラボ

楽しく幸せなこころを育てる実験

親もどうでもいい

2016-07-29 07:01:05 | 日記
他人が何をしてもどうでもいいって思った。

そんなことを考えていたら
お父さんがわたしをほめなかったのも
わたしが嫌がる方法でお母さんが編み物を教えたことも
どうでもいいって思えた。

正確には
お父さんやお母さんも
どう(であって)もいい
ということ。

わたしがわたしの好きなことを
好きなようにやるように
お父さんもお母さんも
好きなようにしていい。

そんな「どうでもいい」が降ってきました。

小さいわたし

2016-07-28 07:30:49 | 日記
お父さんにほめられない
とすねてる小さいわたしをイメージすると
いつも薄暗い部屋の隅で
膝を抱えて
壁の方を向いて
うつ向きぎみに座ってた。

心をほぐそうと
やさしく話しかけても
頭をなでても
抱きしめても
その子は振り向かなかった。
返事もしてくれなかった。

心屋式も他の方式も
いろいろ試したけど
頑固ちゃんは
かたくなに大人のわたしを拒否してた。

そんな状態で10年あまり。

ふと「もういいかな」って言葉が降りてきたのがつい先日。

小さなわたしはもう壁際にはいない。

その子はいま
わたしの胸の真ん中に
ちょこんとおさまって
ぬくぬくしてる。
そしてなんだか
ニコニコしてる。

やっと大人のわたしが
小さなわたしのことを
わかってあげられたんだな
って気がする。

大人のわたしも
なんだか胸がポカポカして
うれしくなる。

これからは
ふたりで一緒に
しあわせになっていくんだね
    

もういいかな

2016-07-26 05:48:17 | 日記
最近の心屋さんのあんな記事こんな記事を読んで思ったこと。

わたしの悩みなんて小さいな

虐待とかいじめとか貧困とか命に関わることじゃない。
離婚とかDVとか病気とか大変な経験をしたわけでもない。

父親にほめられたかっただけのこと。

自分が望むように
生まれ持った容姿を父からほめられることはなかったけど
学業や仕事など努力したことは第三者からほめられてた。
自分が受け取らなかっただけ。

父にほめられなかったことは
子供のわたしにとってはショックで
心の底から悲しかったけど
こんな小さなことにとらわれて
ずっとずっとすねてきたんだなあ。

こんなに長いこと抱え込んで
さんざんすねてきたんだから
もういいよね
手放しても。

ほめられなかったことにもうこだわらなくてもいいや。

お父さんにほめられなくて泣いてたわたしの頭をなでて

お父さんにほめられたくて頑張り続けてきたわたしに
よくやったねと声をかけて

そんな可愛らしいわたしを
胸の奥に大切にしまって

前を向いて生きていこう。
幸せだけ見て生きていこう。

小さなわたしにありがとう。

(あかん、涙が出てきた)

自由な人

2016-07-23 10:12:12 | 日記
わたしが尊敬する動物研究者は
コンラート・ローレンツ博士
アンリ・ファーブル先生
カール・フォン・フリッシュ先生
日高敏隆先生です。

日高先生の「世界を、こんなふうに見てごらん」を読んで
ちょっとびっくりしました。

他人の言うことに左右されない。
反論、批判されても
「そんなものかなあ」と思い
議論しない。
でも自分の面白いと思うことをする。

京大の教授になって
学生が山が好きだと聞いて
「では山へ行って不思議なことを見つけてらっしゃい」
と言って放牧。
学生さんたちは才能を伸ばして立派な研究者になってる。

研究室の飲み会でダンスを恒例にし
学部長になったら
学部長主催のディスコ大会を開催して
自ら踊る。

「鼻行類」という実在しない生き物の生態を
詳細に書いた海外の本を翻訳して
読者から「標本はどこにありますか」と聞かれたとか
冗談みたいなことも面白がってやる。

タバコもお酒もたしなむけど
いい、悪いで判断しない。
あれば口にするし
なくてもイライラしない。

子供の頃は
犬の死骸を段ボールで隠し
そこに群がる昆虫を毎日観察してた。

心屋マスターコースで学んだこと全部自然にやってる
なんて自由な人だろう。

カバーの写真の顔も
わたしが好きな自由な芸術家
岡本太郎さんにも似てるような…

本の中で日高先生は
「イリュージョン」という言葉を使ってます。
その意味は「個々の生物が認識している世界」。

わたしなりに解釈すると
「信じ込んだこと」
「前提」

心屋とおんなじ‼

さらに解説を書いた作家さんによると
日高先生は対談の時
「お腹がいっぱいになるから」と
出された料理の半分も食べなかったとか。
ちょうどいいものを
ちょうどいいだけ食べてたんですね!

そして日高先生は
「いいかげん」という言葉を
よく使っていたとか。

これも心屋とおんなじ!

日高先生、すごいです
自分の心を大切にして生きた人なんだと実感しました。

生きてるうちにお会いしたかったです



外見と中身

2016-07-21 22:03:29 | 日記
心屋のまりこさんが
自分は外見ばかり誉められて
中身を見てもらえないと思ってた
という記事を書いてました。

わたしは外見が誉められないことが嫌だったな。
頭いいけどキレイじゃない
キレイじゃないと男の子に好かれない
彼氏もできない
結婚もできない
って信じた。

思い込みはちゃんと現実になっております 


昔から背が高くてやせていたけれど
これはコンプレックスでした。

祖母に
「あんまり背が高くなると嫁のもらい手がなくなるね~」
と言われたし
メリハリのない薄い体は男の子みたいで
かわいい服は似合わなかった。
わたしの大きな足に合うかわいい靴なんてなかった。

妹が顔ばかり誉められてたので
わたしの中では「美人=顔面美人」

でもまりこさんの記事を読んでいるうち
背が高くてやせているもキレイの一環かなと思えてきました。

そういえばわたし、声を誉められたことある。
鼻筋高い、目がキレイって言われたことある。
これもキレイの一環?

くるくるくせ毛もキレイの一環?

片付け上手もキレイの一環?

知的もキレイの一環?

顔面美人しか認めてないから苦しいのかもしれない。
〇〇(スタイル、声、ふるまい)美人でいいと思えたら楽になるのかも。

ちょっとしたプチぱっかんでした。
まりこさん、ありがとう