こころラボ

楽しく幸せなこころを育てる実験

猫がいない

2022-01-20 12:38:41 | 日記

16年間一緒に暮らしてきた猫が昨年12月下旬に亡くなりました。
人生2匹目の猫、初めてのメス、初めて子猫から育てた子でした。
主に手作り食を与えていて、かかりつけの動物病院もあったけどちょっとした不調はホメオパシーで対処していました。

16歳を迎えて、いずれはやってくる別れも意識していました。
初代のオス猫は13歳で感染症のため亡くなりましたが、病院でひとりで死なせてしまったので
できれば2代目の猫は看取ってあげたいと思っていました。

1年前くらいからよく水を飲むようになり
老猫は腎疾患が避けられないと聞いていたので病院で検査をしてもらいました。
検査値はさほど悪くはなかったのですが、年齢を考えると徐々に衰えていくだろう。
薬で症状の進行を遅らせたり緩和したりすることは可能かもしれないが、腎臓は悪くなると回復しないとのことでした。

半年後の検査でも検査値が急激に悪化したということはなかったのだけれど
だんだん食べる量が減り、少し多めに食べても吐き、本当に羽のように軽くなりました。
人間も老衰で亡くなるときはだんだん食べなくなって枯れていくと聞いていたので
食べなくてもあわてないようにしよう、水は適宜あげようと思っていました。

いつもいる日当たりのいい2階の部屋に閉じ込めておこうとしても
重いはずの引き戸を開けて階段を降りてくる。
落ちることも心配したけれど、好きなようにさせることにしました。

結局、まったく食べなかったのは最後の2日間だけでした。
それまでは一口だけでも食べたりしていた。
亡くなる2日前まで、昼はヒーター座布団の上に寝ていたけど夜は私の布団に潜り込んできて一緒に朝まで寝ていた。
足元はおぼつかなくなっていったけど、最後までちゃんとトイレで排泄しようとしてた。
介護する覚悟もしていたけれど手間がかかることはほとんどなく、とても自由で自立した子でした。
よろよろ歩いてたのに、抱き上げると嫌そうにしてたな。

亡くなる前日の夕方に立ち上がれなくなり、私の布団の横にヒーター座布団を置いて添い寝していたけど
寒いかもと思いタオルで下半身をくるんで布団の中に入れた。

翌朝、いつもの部屋のいつもの位置にヒーター座布団を置いて寝かせた。
今にも逝ってしまいそうで犬の散歩に行くのもためらわれたけれど、ちゃんと待っててくれた。

最後、前肢を少しバタバタさせ、ゆっくり呼吸したあと動かなくなった。
私の目の前で天寿を全うした。

**********

記憶の中に猫はちゃんといると思っているので(写真もたくさんある)
思い出の品にはさほど思い入れもなく適宜処分しました(食器、首輪など)。
思い出の品があると余計に猫がいないことを意識させられそうで嫌なんですよね。

あまりめそめそすることもなく、平常運転の日常に戻りました。
と思っていたら.....

先日、就寝時に猫がいないことがすごく怖くなった。
「悲しい」ではなくて「怖い」

今まで猫がいた空間を何か別のものが埋めているような
猫がいた記憶が自分の中で薄れていくような
息が詰まるような感覚。
猫がいないことに慣れていく自分。

今まで何頭もペットを見送ってきたのにこんな気持ちになるのは初めてだった。
怖くて苦しかった。

そしたら先日掃除をしていたときに、猫用トイレの紙の砂がひと粒でてきた。
亡くなって1ヶ月もたっていたのに、掃除もほぼ毎日してたのに今頃どこから?
もしかして私が怖がってたから、うちの猫が紙砂をひと粒よこしてくれたのかな。
「確かにいたよ」って。

まだ少し怖い気持ちもあるけれど、それも否定しないで
「ああ、理由はわからないけど私は猫がいないことが怖いんだな」と認めています。

生きているときはお互い我関せずでそれぞれ好きなように過ごしていたけど
確かに存在を感じて毎日暮らしていたんだな。

 

   

艶やかな柔らかい毛と薄緑色のきれいな眼が大好きだったよ。
16年間ありがとう。


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