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はる風かわら版

たかぎはるみつ の ぼやき・意見・主張・勝手コメント・コラム、投稿、原稿などの綴り箱です。・・・

NPOのマーケティング

2011-01-14 15:51:33 | NPO活動全般
今日は 札学大の河西先生の講義を聴講して勉強しています。

お題はソーシャルマーケティング。 NPO活動のマーケティングについては、研究者からまだまだあまり語られていません。私の考えも含めての講義メモ。


①知ってもらう マーケティング
 ・情報の発信 ・・マスコミ、口コミ、インターネット、紙媒体、講演、研修
 ・情報の内容 ・・使命→なぜ活動をしているのか、ビジョン、原理原則
          団体の主体性・・誰がどんな想いで活動しているのか
          活動内容 ・・どんな具体的な活動なのか、その成果は? 報告書
 ・ポイント    顧客に足してニーズに合わせたタイミングと方法で発信する
          わかりやすいことを伝えやすく 話題性を持つ

②共感してもらう マーケティング
 ・価値観の合致・・団体の理念が顧客に共感されるか?→思いこみに陥らない
 ・ニーズの合致・・理念実現のための個別事業が顧客のニーズにあっているか?

 すべての人に共感してもらうのは難しい → メインターゲットは誰か! 
 使命達成へのストーリーはあるか?  (例)ねおすの銀河ネットワーク、
 日の目を見る仕事には、たくさんのシャードワークが存在することへの理解

③ 関ってもらう マーケティング
 ・多様な関わり方 手法も多様、場所も多様・・そのバランシング
 ・スタッフのモチベーション維持、向上
 ・ボランティアとの関わり方
 ・健全なお金の流れ方  報酬と参加費のバランシング 

④ 満足してもらう マーケティング
・評価軸、評価項目の設定がなければ、満足度は図れない 
  自己評価 + 顧客からの評価 + 社会からの評価
・アフター・マーケッティング 
 サービスを利用した人から、関わったスタッフからの感想と評価
  ・解決を目指した課題は、解消されているのか?
  ・顧客がリピートするか、支援者となるか・・・
  ・スタッフは自己実現につながっているか・・・

 

社会企業とNPO

2010-12-28 21:54:33 | NPO活動全般
税収を上回る借金をする国家予算の審議が新年早々から始まります。小泉政権時代には確か30兆円であった国債が今や40兆円となる・・素人目に見ても国の財政が不健全であることがわかります。

しかし、日本の政治はますます混迷を深め、次の時代の目標を提示できていません。その原因は、経済ばかりの「成長戦略」という妄想から脱却できないことにあると思います。社会企業すら新しい産業いう位置づけになることに危惧します。一方、あちらこちらで地域の課題に向き合った元気なNPOの活躍も聞こえてきます。

2011年、農業、福祉、環境・・あらゆる分野の課題がよりわかりやすく人々の前に登場してくるやしれません。だからこそ、地域に根ざし、お互いに学びあいつつ、目の前の課題を解決してゆくNPO活動が本来の「社会企業」として成長することをNPOバンクは支援してゆきたいと思います。

北海道NPOバンク事業組合 理事長 高木晴光

NPOバンク事業組合 新年ご挨拶

2009-01-03 13:32:38 | NPO活動全般
 新年明けましておめでとうございます。

しかし、心からおめでとうと言える心境ではないのも事実です。昨年は、政治、経済ともに激動の一年でした。日本の政治は首相が再び民意を反映されるまま代わり、アメリカを発端とする世界的な不況が現実化する中でオバマ氏が今年より大統領として舵取りを始めます。雇用問題が悪化し、再び国の借金が増える、食の安全神話の崩壊、教育問題、次々と表面化する社会保険問題、医療や福祉の切り捨て・・・、これまでの社会の仕組みがことごとく機能不全になりつつあると言えば、おおげさでしょうか? 社会情勢が大きくターニングポイントを回った一年であったと感じています。

国や地域行政が国民を支える仕組みに期待しているだけでは、もはや人々の生活は展望を見出すことができないくらいに社会不安が高まって来ています。だからこそ、改めて「人が人を支える」仕組みを細かく編みだしてゆく必要性を強く感じています。

NPO活動が法律をもって認知され10年が立ちます。その数も増え活動は活発となり、それぞれの専門性が深まった一時代であったと思います。しかし、結果としてNPOの縦割りも深まったと思います。

2009年は、初心に帰り改めて「協働」を模索する時代へのスタートに立つ年だと考えています。それは、行政との協働だけでない、NPOとNPOの協働、NPOと産、NPOと学との協働のあり方です。チェンジとは・・チャンスでもあり、チャレンジなのです。

新年始まったばかりですが、2010年の「明けましておめでとう」を目指して、皆さんと伴に前に進みましょう。

NPOバンク事業組合 理事長  高木晴光


銀河系ネットワーク

2008-02-12 16:31:44 | NPO活動全般
◆ねおすのビジョン

 ねおすの経営原則は「新しい出会い」の場の創出にある。「自然との出会いばかりではなく、多様な人と出会える場」は、新しい気づきをもたらし、新たなことが創造される可能性が生まれると考えている。目指す社会は、特性が異なるテーマ(例えば、子育て、農業、福祉、自然)で活動する小さな「コミュニティ」がたくさん存在し、それらが、関係性を持ってつながりあっているネットワーク型社会である。そして、これを「社会関係資本の整備」と考え、その実現へのプロセスを実行することを組織のミッションとしている。

 すでに、ねおすの活動にはコミュニティの様相を呈している事業が複数ある。NPO法人北海道山岳活動サポートは、ねおすから派生したNPOであるが、山登りが好きな人達が集まる山岳・野外行動技術と知識を持ったコミュニティである。また、登別のフォレスト鉱山は多くの住民が関わる子どもを主な対象としたボランタリーな活動を展開している。廃校舎利用した黒松内ぶなの森自然学校は農村に立地し地域社会の一員としての日常生活と業務が重なり合っている。そして、大雪山自然学校は大雪山国立公園をフィールドとしている。それぞれの地域に住むスタッフは、ライフスタイルが異なり、また質の異なる仕事をしているのだ。各担当職員とその家族、そして関わるボランティアや地域住民、事業の参加者で構成されるコミュニティであると考えている。

それぞれのコミュニティのコアであるねおす職員は、そのコミュニティの特性によって、異なる専門性や対人関係のコミュニケーション力を高めることができる。 そして、時にはそれぞれの得意な分野を生し他のコミュニティに出向き協働や相互研修によって、緩やかにつながり合える状態・ネットワークを構築している。この交流にはコストが掛かるが、それを意識的に経営のシステムとしている。異なるコミュニティを体験することは、普段の自分の生活や仕事を振り返る機会ともなり、またリフレッシュにもなる。それは、新たな気づきとなり、「自己実現」するチャンスが増えることにもつながるからである。

 現在、子どもの事業を特化したコミュニティ(NPO)の独立を目指しているが、将来的には高齢者福祉、障がい者福祉、農業、森林・木材などをテーマとしたコミュニティも創出され、ネットワークそのものが多様になることを理想としている。

この理想とするコミュニティ群の創出とそれらのネットワーク型協働事業、そして人材養成事業を重ね合わせた展開を、それぞれのコミュニティを個性ある銀河にたとえて「銀河ネットワーク構想」と称している。

◆エコツーリズムと地域・人づくり

一方、ねおすはエコツーリズムを経営の大きな旗印としてきた。そして、都市以外に活動拠点を持ち、スタッフがその地に居住することにより地域社会が抱える問題を現実に知るようになった。

それは、例えば、高い高齢者率からの高齢者問題、漁獲高の減少と漁村経済の問題、グローバル経済の中での農家経営の存続問題、雇用問題、都市と比べた収入の格差、地方財政の逼迫、田舎といえどもコミュニティが崩壊しつつある現状などである。エコツーリズムを産業から評価すると経済効果がその指標となる。しかし、それでは地域に内在する問題の解決を図ることは難しく、地域に立脚した事業を展開し地域社会に共存をめざすことはできない。

 これまで、エコツーリズムは、「経済」や「自然保護・保全」についてはよく話題になるが、「人づくり」や「地域づくり」についてはあまり論議されてこなかった。特に、大きな観光資源を持たない小さな地域の観光を考えるとき、それは、人づくりによる地域振興と重ね合わせる必要がある。

◆ツーリズムの限界

 エコツーリズムに社会問題の解決まで求めるのは、小さな地域社会が抱える問題は広範に及ぶだけにとても難しい。しかし、ツーリズムは人々の心に豊かさを提供するものであると捉えるならば、訪問地である地域社会の福利にも良い影響を与えるものであるべきだ。しかし、良いサービスを提供する観光業は労働集約型産業とも言える。エコリゾートが豪華になればなるほど、エコツアーの料金が高くなれば高くなるほど、つまりサービスが増えれば増えるほど、低賃金労働構造も増えるのではないだろうか。

グローバル経済に飲み込まれた世相は、人々の生活を「上流と下流」、「勝ち組と負け組み」、「セレブとプアワーカー」と平気で色分けするようになってしまった。この傾向はとどまる事はないのかもしれない。日本にも格差社会は否応なしにも訪れている。ツーリズムがそれに加担してはならないとさえ思う。
 
 コスタリカのガイドもハワイのエコリゾートの従業員も決して高い賃金を貰ってはいないだろう。もちろん、より高収入を望んでいるだろうが、彼らの笑顔やホスピタリティに触れると、その仕事を自らが楽しんでいる様子が伝わってくる。そして、その笑顔の理由を考えたとき、その地域で「暮らす」ことが、「心の豊かさ」につながり、それが笑顔に反映されているのではないかと思う。

 つまり、地域社会の福利厚生度が満足できるものなのだと考えられる。子育てが安心してできる、自分の趣味の時間が持てる、話ができる友や仲間がいる、コミュニティが生活に保障されているなど、暮らしやすい社会環境があるからこそ体現できる「笑顔」ではないだろうか。

 日本の観光は「顧客満足」は要求されるが、サービスを提供する側の満足「雇用者・地域住民の満足」が考えられてきたとはいえない。雇用者がその地域粋に定着するか否かは、賃金だけが問題ではないだろう。その地域で生活することの社会的満足が必要なのである。

 訪問者が心豊かな気持ちになれる地域は、その地域が暮らしやすい地でもある必要がある。訪問者にとっては非日常であるが、その地に暮らす者にとっては「日常」である。

 ツーリズムの健全な発展のためには、地域の「日常生活の豊かさ」をつくることが実は、とても重要だと思う。

*****

(2008出版予定の本のコラム・・・でしたが・・没となった・・・ 残念)





連携と協働

2007-12-22 15:10:25 | NPO活動全般


「連携と協働」を新しい年のテーマに。

この冬は雪が多いのだろうか、少ないのだろうかと心配する北国ではあるが、それは身近な生活環境、除雪の苦労に対してだった。しかし、雪が少ない理由は地球温暖化であると疑う余地を持たない人も増えている。

北海道は暖かくなることで米作は豊かなになり、農業地域として良い傾向だと楽観する向きもあるが、多くの人々にとって地球環境問題は「漠然の心配」から「現実の不安」の領域になりつつある。

事象に対する人々の関心は何事もそうである。自分の身に置いて危機が迫らない限り、現実の対応を考えることはない。周りに楽観論があれば趨勢はそれに従う心理が働く。しかし、社会は地球環境問題ばかりではなく、グローバル経済のあおりを受けて、人々の生活は、これまでと違った激動の時代に突入すると私は思う。

NPOの活動は、現実の社会的事象に対処する活動ではあるが、予測に基づく「想像力」も大切である。このままでは、起こるべき事態に対処できないだろうという社会的リスクマネージメント力を養う事が重要である。そのためには、「特定」な活動をしつつも、他の領域で活動するNPOとの連携、協働が重要な行動指針となる気がしてならない。

新しい年は、このことを肝に命じて活動を展開したい。

北海道NPO事業組合  理事長 高木晴光 (バンクだより新年号)


成長とマンネリ

2007-10-06 15:28:56 | NPO活動全般
成長とマンネリ

 夏場は森のガイドや子ども達と飛び回っていることが多いのですが、長袖を着る頃からはワークショップ(研修)など室内の仕事が多くなります。これらの仕事は、事業の柱でもある「人が育つ場づくり」と位置づけています。

1対全体という教壇に立つような「スクール形式」の情報伝達の講演、事例発表もありますが、「人と人」との出会いを生み出す場づくりでもあるワークショップ(WS)の実施に力を入れています。WSは参加者同士のつながりを作ることができますが、さらには私達がこれまでにお付き合いをしたことがない新しい人達、組織との出会いの場ともなるネットワーキングでもあり、ねおす活動の真髄でもあります。

人は、自分自身の体験から来る「気づき」をもって学び成長するものである。
と同時に・・・それは、
個人が所属するコミュニティの成長にもつながる。

この「人が成長する学びの場」を生み出すための原則として「ねおすエコロジーの8原則」(1.相互協働 2.持続可能 3.生態的(循環型)影響 4.エネルギーの解放性 5.調和
6.変化受容 7.多様性 8.進化)を提唱し、NPOマネージメントを実践してきました。

その結果として、札幌、弟子屈、中頓別、東川、登別、黒松内の6地域にねおす職員が居住し、異なるタイプの交流拠点を持ち、独自の人材養成コース、研修生制度、他団体よりの実習生の受け入れ、起業支援などを行える体制がシステム化されて来ました。

 活動に参画する異性質な者が多くなる、つまり多様化は新たな活動の可能性を高めるというメリットがありますが、注意すべき弱点もあります。それは、異質な者同士であるのに仲良くできる心地良さから打開できなくなる危険・・つまりマンネリ化かな・・・。

スタッフの皆さん、ご注意を!! 

(季刊ねおす 0710)      

地方の自立と自律

2007-09-18 23:26:05 | NPO活動全般

「これをもって、長万部町・黒松内町の合併協議会を解散します」
予想された筋書きどおりの第9回目の協議ではあったが、その言葉は重くずしりと響いた。

 当時、私は協議会の委員を拝命していた。しかし、あれからもう3年がたとうとしている。合併せずに何が変わっただろうか? 
町村合併の話は、もう聞こえてこない・・。 10年かけた羊蹄山山麓町村による広域合併・後志市が時折取りざたされているようだが、その内容はわからない・・。

 いったい、あれから何が変わったのだろうか・・・・。

人口は、200人は減っただろう・・・過疎化は進行している。

大幅な公共事業の削減、行政職員の自然減、採用の取りやめ・・・。あまり明るい話はない。 町づくりとしては、守りの体制であるように思える。

 ねおすがコーディネイト(事業立脚を総合調整)し、行事・プログラムをディレクト(企画実施)している「ぶなの森自然学校」がある黒松内町は、北海道渡島半島の付け根に位置する人口3300人を本年度は下回ってしまいそうな町だ。

農業と福祉関係事業、そして役場、役場系事業体が大きな雇用先の小さな町だ。一般会計の歳入は約40億円を下回り、あの当時のシュミレーションされた財政は、現状維持では、もう2-3年後には赤字となる計算だった。だからと言って合併しても、明快なビジョンは描ききれない。

このままでは、福祉関係者と行政関係者だけの町になってしまわないだろうか。

さらには、国や北海道の行革、地方分権によって、権限業務約2000件が町村へ移される方向にあるという。しかし、財源移譲や国の補助金システムの変更は先行き透明の中にあり、一部の税の地方移譲は実現されたが、地方交付税はそれ以上に確実にカットされ続けている。10数年先の歳入予想は、現行の60%になるという驚愕する予想数字が合併協議会では提示されていた。
  
たとえ、税源が移譲されてもその徴収先が見当たらない過疎地。元閣僚が「国がなくて、地方はないでしょう」と言い放ったように、国家経営優先が現実化しているのだ。

黒松内に生活の基盤を置き4年目の合併協議破綻に直面して、地方の自立・自律の前に立ち阻む、厚く高く、重い壁の存在を肌身で感じ始めた。

 この忍び寄る、地方経営の破綻に対して、どれほどの人々が自らのこととして感じているのだろうか? 「行政がなんとかしてくれる・・」では、もう楽観・期待はできない。

 この活路は、どこに求められるのか?  それは・・・・、
小さな様々な形態、特性を持つコミュニティの創出、それらが有機的につながり、常に変化変容できる社会づくりだ。そして、それは小さな町の中だけでは解決できないことだろう。

 NPOとして存在する大きな大きなミッションは、ここにある!!

(季刊ねおす MISSON  原稿 2004.12 を改編)



中頓別町

2007-06-08 15:55:56 | NPO活動全般
道北の山村、中頓別町に今年は通うことになりました。私の住む町黒松内町からは、直線距離でどのくらいあるだろう? 400Km以上かな。 北海道は広い!!

黒松内とまた違った田舎です。 宗谷管内全体で人口が6万人くらいですから、実に人口密度が低い、でも密度ある森に囲まれた山村です。 北海道のルーラル(田舎)ツーリズムの魅力を発信してゆきたい私にとっては、中頓別町もはずせない、キービレッジとなりました。

夏過ぎをめざして、HPを立ち上げます。
みなさん、期待してくださいな。

現地特派員のやまちゃん たのみますぞ!!

移住のススメとその心得

2007-03-13 17:58:36 | NPO活動全般
◆ 黒松内に移住を決めた日

 私達が田舎に移り住んで、この春で7年目を迎える。あの移住決意の夜からもう6年がたちました。早いもんだなあ・・・

 ある晩、札幌の行きつけの居酒屋でカミさんと未来を語りながら一杯やっていました。というよりも、私が勝手に自分の仕事のことをボソボソとぼやき話しをしているけれど、彼女は真剣に聞いていないという状況だったかもしれません。お互いに違う事を実は考えていたのでしょう・・・。 すると彼女が、突然「かえりたい」と言ったのです。(と、私には聞こえた)

「えっ、帰りたいの?」
「違う!」
「えっ、何?」
「帰りたいのではなくて、変わりたいの!!」
「はっ・・・?」  それからが、急展開でした。

 その頃、三重県の山深い谷間の集落に自然学校を立ち上げるお手伝いをする仕事があり、「どうせなら、お前も行くか?」なんて無責任に問いかけていたのでした。結局、私だけが毎月10日間ほど出張で通うことで1年を終え、次年度も月に何日かは通い続ける計画がありました。

 夫婦で住まうことはご破算となったのでしたが、彼女はその時から実は本気で「田舎暮らし」を考えていたらしいのです。

ちょうど、黒松内プロジェクトのコーディネイターの転勤を考えていたので、
「それじゃあ、俺達が黒松内にゆくか?」
と何気なく聞くと、こちらがビックリするほどに元気よく「行く!」ときっぱりと答えたのでした。

 長男坊は札幌で働くと決めていましたが、私達が決めても、まだ高校生と中学生の娘達がいました。ところがその晩、その子ども達も、実に簡単にOKをだしたのです。(現在、黒い犬が我家にいることは、末娘の交換条件でしたが・・・)

それからはむしろ、彼女達の決定に私の方が置いていかれそうな勢いでした。そのわずか一月後には、人口180万人の札幌市から人口3400人の黒松内町へ移住をしてしまったのでした。

若いスタッフが小さな町村に住み、都市との交流事業を展開し始めていた時期であったので、私自身も「現場」に身をおかないと仕事ができないと考えていましたし、いつかは田舎で暮らしたと考えてはいました。

 移住の決定はタイミングが合っただけなのかもしれません。実は、「黒松内」は、カミサンも娘達も何度か訪れた場所であり、自分達の新たな故郷とするための下見は、案外何度もされており心の準備はできていたのかもしれません。

つまり、移住を決めるまでは、何度もその地を訪れ、地域を知り、知り合いを作ることが大切なのです。

◆ ネットワーク
 「デパートがないと生きてゆけない」と言っていた彼女の田舎でのフットワークの良さは、意外なほど機敏で神出鬼没でした。

自動車は運転できないが自転車で10Km、20Kmを平気で走り回る。トラクターの牽引作業機で畑仕事を手伝っているかと思えば、おにぎり持って釣りに出かけ、ウニ剥きのアルバイトをし、留守かと思えば「漁協の婦人会に出ている」と電話が来る、といった具合でした。元来食いしん坊の彼女にとって、食料生産の現場体験は、とても楽しいもので新鮮だったのです。

農村漁村の女性達のネットワークに関わってゆく彼女のバイタリティとコミュニケーション力は、私に持ち合わせていない能力なので、うらやましい限りでした。 彼女の力によって、これまでになかった自然学校と地域とのつながりが急速に深まってゆきました。

 移住をしてからは、地域内にいろいろな人間関係を作ってゆくことが大切です。その時、「食べ物」は、実に有効なコミュニケーション手段となることは、カミサンが実証済みです。

◆ 一般人の意味
 黒松内に移り住み数年が経ち、ある地区の会合で、「高木さんは唯一の一般人だからなあ」と言われたことがありました。その時は何気なく聞き流してしまいましたが、どうも気にかかる言葉となりました。

「よそ者」として距離を置いているということではなさそうですし、言った本人達の方が特別だと考えているのでもなさそうです。その本当の意味がわかったのは、それからしばらくしてからでした。

 ある別の宴席で、お酒が入って賑やかになると、年配の人を若い人が、役職者同士が名前を呼び捨てにしながら話をするのです。これには最初、驚きました。でも地域の皆さんの人間関係を知ってくると、これは当たり前のことだと知るようになりました。つまり、多くが遠縁の親戚であったり、半世紀を越えた幼馴染だったりするわけです。爺さんのそのまた親からこの地に住んでいる人達がたくさんいるわけです。この密度の濃い人間関係が、地域の共同意識を高めているわけです。また、変えることができない「しがらみ」であったりするわけです。

濃いも薄いも知っている人達ですから、単純に「よそ者」と「地元の人」と言い分けられるような関係性とは、ちょっと異なると思います。 

だから、その過去の共有、人間関係のしがらみを知らないから、「一般人」なのです。つまり、5年や10年を経た移住者と、つらさも楽しさも、悲しさも嬉しさも、何代に渡って共有してきた地域住民と私ら新参者とは「同じ時」「同じ経験」の差があまりにも大き過ぎるのです。

 しかし、移住者はそれを、あまり知らないほうがいいかもしれません。一方、知っていた方が失礼しないで済む場合もあります。
いずれにしても、移住者は、「後から」来た住人であることを意識していることが、まずは地域への礼儀であると思っています。


 都会と田舎、世の中には明らかに異なる人の住処(すみか)があります。人間生活全体にとっては、どちらもバランスよく存在していること大切でしょう。ところが今の世の中、都会に偏りすぎているように思えます。
都会はお金を使うような仕組みが巧妙に作られている。田舎は、それに比べてとてもシンプルです。私達は、そのバランスを崩してしまっているのではないでしょうか?

 都市生活をしている人達に、移住でなくても、ぜひ長期に田舎に滞在し、そのバランスを考えて欲しいものです。

(後志BAYWAY 下巻原稿 改編)

国民総幸福量

2007-02-28 20:15:08 | NPO活動全般
◆ GNP(国民総生産量)ではなくてGNH(国民総幸福量)へ

 このごろ、GNPならぬ、GNHという指標についてぼんやりと考えています。

これは、1976年(S 51 ) 12 月にスリランカのコロンボで開催された第 5 回非同盟諸国会議の記者会見席上での、当時 21 歳(国王就任 4 年目)のブータンの国王が、

「 Gross National Happiness is more important than Gross National Product 」 国民総生産量よりも国民総幸福度の方が重要である。

と述べたことからGNHという概念が提唱されました。国家元首が述べた国家の理想であったわけです。次にGNHという理念が注目を集めたのは、1998 年の秋に 韓国ソウルで開催された国連開発計画( UNDP )のアジア太平洋地域会議の席で、当時のブータン王国であり首相も兼務する、ジグミ・ティンレイ( Jigmi Y.Thinley )の発言からでした。

「 Gross National Happiness はブータンの開発における最終的な目標である」 そして、
「どのようにして物質主義と精神主義とのバランスを維持しつづけるか、私達は自分達に投げかけている」 と、先進国の示すグローバルスタンダードに対して大きな提議を投げかけたのです。

これは、経済成長を大きな発展指標とする国際社会に対するアンチテーゼであったのでしょう。「物質的豊かさを求めただけの開発ではなく、心豊かであることが重要で、それにより国は栄える」という、痛烈な投げかけでもあわけです。

経済力で言えば先進国よりはるかに貧しいこの小さな国の発想は、今だからこそ目新しく感じるのかもしれません。しかし、GNH の考え方は、まだまだその理論は確立しておらず、どのように指標を具体化するかはこれからの課題です。

ぶなの森自然学校で具現化してゆくのは、このGNHでありたいなあ・・・。

複雑化 5年の検証

2006-11-17 14:35:27 | NPO活動全般
 ねおす通信が「季刊ねおす」として再編集され発刊されたのは、創立10年周年であった。新たなる10年に向かい再スタートを記念した創刊号での私の巻頭言は、「ねおすを複雑にできるか」であった。
効率化、費用対効果の向上が経済原則である社会で、なぜ、複雑化をめざしたのか・・、

「それが生命(いのち)の本質だからだ」と、高らかに歌い上げている。

ひとりで始めた活動は、多くの異質な仲間との出会いと分かれの繰り返しを経て進化してきた。生命システムと同じ原則を持って、新たなる体質と体力・耐力を獲得しながら、ねおすというシステムは変容してきた。そして、次なる10年は、「個人が成長できる仕組み」と「心地よく身を休める仕組み」を合わせ持つことを課題として、この5年間を過ごして来た。 達成度合いはいかに・・・

それは、ここ数ヶ月に開催するさまざまなフォーラムの実行に現れている。「障がいある子ども達と自然体験活動・クロスフォーラム」「森の幼稚園全国フォーラム」「協働コーディネイター養成事業」などである。若手・中堅陣が確実に実力をつけながら自主・自律的に運営を切り盛りできるようになった。そして、足元の地域問題からより大きな視野で、問題の本質、つまり課題目標を抽出する力が蓄えられて来たと感じる。

その結果として、動物園での動物プログラム、森林環境教育、田舎づくり、障がい者へのプログラム、NPOマネージメントの支援、幼児への体験活動・・・と、この5年間、ねおすは、これまでになかった新しい領域で活動を開始できたのだ。

そして、次の5年の目標は、エコツーリズムとこれらを組み合わせて、複雑に楽しく、ためになるような、場と人とプログラムを生み出してゆくことである。

(季刊ねおす 2006.11)

命とネットワークについて

2006-11-09 15:26:53 | NPO活動全般
NPO活動の原理原則 ネットワーク

 その昔、スポーツクラブのインストラクターを育てる専門学校の教壇に立っていた頃、「命とは何か?」「君は何個の命を持っている?」と問答をふっかけていた。

「ひとつ? 母親と父親からだから2つかな?」と回答があると、すかさず、「体の中には、何兆何百兆という無数の菌がいる、白血球だって精子だって、君の意思に関わらず動いている。これらは一個一個違う命と言えないかな?」「移植するために取り出した臓器は命なのか?」と聞くと、「うーん」と学生達は考え込む。

命とは・・、「他と関係性を作る開放性のシステム」なのだ。

というのが私の解答だ。つまり、単体では存在できない、何か異質な他者・物とつながりがあってこそ、その単体の個性や役割が明確になり存在し得るのだ。つまり、「関係性を作る」というのは、命そのものの特性であり、原理なのだ。

躍動的なNPO活動も同じ原理、他との関係性をつくること・ネットワーク性があることで生まれる。

だから、活動の原則は、「異なる事象・人を出会わせ、つなぎ合わせること」にある。 最近、「みんな違う個性・Only-One」がもてはやされるようだが、そうじゃあないでしょう!! 「違うけれどもつながれる、君も僕も同じところがあるね」と共感・共鳴し、新たな関係性を作ることが大事でしょう!

(2004年 えぬぴおん投稿 改編)

NPO的経営談義 お金とボランティア

2006-10-13 20:51:24 | NPO活動全般
ねおすのNPO的経営談義

NPOの原理 その2 お金とボランティア

 もう2年前になるが・・、大きな話が舞い込んできました。
それは、年末年始に500人の子ども達と10日間の船旅をする企画への参画の打診でした。主催者は、子ども達の面倒みるリーダーを複数派遣して欲しいという希望でした。企業の社会還元事業だが、道や教育委員会が後援し、行政職員も実際にスタッフとして多数関わるので、「官民の協働事業」に位置づけてもいいのかもしれないものでした。

 参加者負担は26万円ほどかかる、うーん、すると1億円3千万円もの一大事業なのでした。 つまり、ねおすグループ全体の1年の事業規模に近い!! さらにいろいろ経費がかかるのだろうから、全体事業予算はもっと大きいものだったと思います。

 我々が得意とする20から30人の子ども活動でも多数の大人が関わるが、それとは違う、「組織キャンプ」であり、大人数を統率する活動であり、規模も巨大だ。 私達としても、経験を積み重ねる上で参画することにしました。

 しかし、よくよく話を聞いてみると、子ども達に関わるスタッフは、全員がボランティアとして参加することになっていたのでした。 だから、私達にも当然、ボランタリーな関わりが要求されました。 NPO職員を派遣する側としては、ここに大きなジレンマが生じたのです。

 船を運航する船会社の船員やスタッフとして関わる人、旅行を手配する旅行業として関わる会社員は、本人にも給与が出、会社にも収入がある仕事として関わるわけです。行政職員は年休利用が前提とは言え、月々の収入に変動があるわけではない。 つまり、収入が確保されたボランティアなのです。

ところが、我々は、他に事業収入が見込める時期に、それをやらずに完全無償のボランティア参加するということになったのです。私たちの収入はどこから生み出されるのだ・・?

 日常の生活収入がとりあえず保障されている前提で活動できる行政職員や会社員とは、やはり同じ土俵では仕事ができないのかなあ・・・、とつくづく感じた仕事でした。

NPO活動は、完全無欠なボランティア(ちょっと微妙な言い回しだなあ・・)だけでは成立しない経営が多々あることは少しずつ社会に認知されてきたと思うのですが、まだまだ一般社会からは、私たちの「生態=日常生活」まで理解されていないと思うことしきりです。

「ボランティアと収入ある仕事・・、どちらを取るか」これはバランスでしかない。
収入がなくても、私達だからこそできる、誰かのためになる、という理由があれば参画する。 しかし、そのときの誰かとは他者だけではない。
自らも成長できるか否か、というバランスを見定める必要があるのです。


組織と権限

2006-09-25 11:28:51 | NPO活動全般
NPOの原理 その1 権限と責任

 4、5年前までは、本当に考えられなかったが、意外なことに・・、行政職員の研修会へ講師として呼ばれることが多くなってきた。先日も大きな市の新採用者の後期研修なるもので、NPOや協働をテーマにお話をさせて頂いた。私達の活動に参加する市民の方でであっても、「普段は何をしてるのですか?」と質問されることが多いのだから、行政職員にとっては、NPOの専従として仕事をする「生身」の存在そのものを目の前にすること自体がとても珍しいようで、真剣に話を聞いて頂けた、と思う・・。 

研修に先立ち、「今の職場、仕事についての感想・意見」を求める調査があった。社会人1年生であるから、これまでの学生生活と異なる環境による、当たり前と言えば当たり前な不満が相当数あった。それは、例えば「職場の雰囲気や上下関係について」の不満であり、「市民からの苦情に対応する苦労・悩み」であるのだが、いつの時代も変わる事がない悩みだなと思うとともに、いささか、時代遅れな感じもした。

 第一に、行政職員に意識づけられていないことは、「法による公共サービスの実行権限(権力)が現在は、行政側に相当数ある」という事実だ。だからこそ、役場内の上下・左右間の指揮命令系統が厳格であり、自分勝手な判断、答弁はできないのであり、そのために市民から苦情も来るのだ。このことをまずしっかりと認識しないと、市民と協働という概念形成はできない。つまり、権力行使の方法を変容させてゆくことは、個人の意思ではできないのだ。 

 組織を持って活動する限り、NPOであっても組織上の上位者の権限と責任というものは、あってしかるべきである。しかし、これからの時代に求められるのは、権限と責任のバランスである。より現場(市民生活)に近いところに事業遂行の権限を委譲するが、そのリスクを含めて上位者が責任を持つ「裁量」が必要とされるのではないだろうか?

 てなことを思案しつつ、そろそろ、来年に向けての組織のあり方や体制を考えなければならない時期だなあと思うのでした・・・。

(えぬぴおん0401  NPO的経営談義 改編集)


 



地域を発信するポータルサイト

2006-08-31 17:46:40 | NPO活動全般
ポータルサイトばやりの昨今ですが、小さな町村をまるごと上手に地域発信しているHPはあまり見かけません。

現在、自然学校のホームページは、夏は200件、通常月で100件以上のアクセスが毎日あります。 私のブログも、同様です。ブログは、ひとりが一日に5回開いても1件と勘定されますので、一日100数十人が見ていただいているわけですので、どうでしょう・・・時々ウォッチしてくれる方を含めて・・、500人とか600人くらいが読者なのでしょうか・・・。 1年に1回でも見てくれた人がいても・・、そう大人数ではないでしょう。

つまり・・、自然学校や私の身の回りのことを情報発信しても、「黒松内」という地域に人々が興味を持ってもらうためには、限界があるのです。 もう少し、地域情報のコンテンツを多くし、地域全体を広報する必要性を感じています。

札幌のシビックメディアというNPOが、「ようこそさっぽろ」というHPを作っています。 これは良く出来ていて、札幌情報を観光の観点から、暮らしの観点からと縦横無尽に、とはいえとても整理して発信しています。  その田舎版を作りたいと思うのですが・・・

何を情報発信するか、このコンセプト、そしてコンテンツ(内容)も、大都市からのものとは異なるでしょう。
このHPづくりが、この秋から冬への大きな課題です。