はる風かわら版

たかぎはるみつ の ぼやき・意見・主張・勝手コメント・コラム、投稿、原稿などの綴り箱です。・・・

自然学校の役割

2006-11-25 19:06:14 | ツーリズム
自然や農村が先生、スタッフも生徒達    
~ 自然・産業体験型、生活体験型 地域教育の場づくり ~
(自然学校の役割 2006年度版 農文教原稿改)

◆ プロローグ  黒松内ぶなの森自然学校の活動とその背景
 黒松内ぶなの森自然学校は、1999年4月、落葉広葉樹・ブナの北限の町、北海道の南・渡島半島の付け根に位置する黒松内町に、国(当時の環境庁)、町、(社)日本環境教育フォーラム、特定非営利活動法人(NPO)ねおすの支援のもとに開校しました。 純酪農地帯にある生涯学習館(元作開小学校)を拠点に、「自然体験型、地域産業体験型学習プログラム事業」の推進、「自主・自律した次代を担う人材の育成」、「子どもを中核とした地域交流促進事業」の展開を3つの主要事業とし着実な運営を続けています。

 設立当初から、「自然・環境」「教育」をキーワードに、田舎と都市の人々の交流を進めるために、地域資源(自然、産業、地域に住む人々)を活かしたエコツアーの実践、子ども達の自然・生活体験活動、教育旅行の実施、実務体験を中心とした独自の人材養成の仕組みづくりを進め、上記の事業に関わるプログラム開発能力やその実行ノウハウの蓄積をしてきました。

 2002年度からは、これまでの運営目的に、「地域と共に・・・」、いう大きなコンセプトを加えました。田舎(過疎地)が行う、都市との交流事業(受け入れプログラム)は、これまで都市のニーズに合わせた、外発的な作用により、企画・実施されて来たと思います。 行政予算で補助された、参加費が安いイベントが開催され、集客を図るという構図です。しかし、これだけでは、年に何回も田舎に訪れ、地域に多少なりともお金を落とし続けるリピーターを創出することには、難しいと思えます。また、地方財政はひっ迫し、イベントが開催できない事態も現実化しています。

 これからは、田舎自らが、その地の固有の良さ(地域のお宝)を探し出し、あるいは創りあげて、それらを自らが発信してゆくという、内発的なエネルギーの醸造が求められています。
ぶなの森自然学校も、地域の繁栄を築く一翼を担える事業体としての成長を図ろうと、今、もがいています。そのために、小さな地域社会の人間関係性を活かし、1次産業との連携・協働を進めながら、自然豊かな農山漁村全体を学びのフィールドとし、「教育」と「交流」が連動した、自然体験・産業体験・生活体験の仕組みづくり = 地域・ツーリズムづくりを手がけています。 

◆ 地域の教育力と自然学校の役割
「地域の教育力とは何か?」という論議がよくされます。難しそうに聞こえますが、その教育力を、地域外からの来訪者に向けて発揮されるものだと限定すると、農山漁村地域に住み暮らす人々が、案外気がついていないことがたくさんあります。 実は、自らの日常生活、仕事それ自体が、都市からの来訪者に対して、大きな学びを促す教育力を持っているのです。

自然学校に地域外からやってくる大人も子どもも、トラクターや大きな農業機械が大地を耕す、牧草を梱包して大きなロールを作る作業を見たことがありません。 牛の大きさも実感したことがありません。ですから、それらに風景として出会う、そして触れるという行為だけからでも、感じとることは、とても大きいものがあります。広い大地の中で作業をする農業者から声をかけられた時にも、実は大きな感動を味わい、「農業」の存在そのものを、体全体で感じ取っているのです。 農山漁村地域の教育力というのは、積み重なる体験により培われた深い存在感があるものです。それは、決して、単に知識として習得させる力ではなく、来訪者に体感させ、それまでに知らなかった、わからなかったような、何か「新しいこと」を感じ取らせることなのです。

自然学校の役割の第一は、地域に住み暮らす人達の協力を得て、来訪者を、地域に本来ある懐深い事象や人(農作業、農村風景、農業者など)に出会わせる、触れさせる、体験させることにあります。 そのことにより、まずは、田舎のファン作りを進めます。

役割の二つ目は、単に「楽しみ」だけに終わらない活動を企画する事にあります。つまり、体験する事によって、人生(生き暮らす事)にとって大切なことや自然の営み、動植物や作物についての新しい発見や気づきを促すような、流れのあるプログラムを構成するのです。自然学校は、プログラムを企画し、それを実施する場でもあるわけです。

役割の三つ目は、この活動を展開するための人材の育成にあります。プログラムを企画・実施できるだけでなく、地域との関係性を築き上げることができる人材を育成することにも役割を果たしたいと考えています。
  
◆農山村漁村の社会的価値を高める
 都市生活者は、自らの生活の基盤に農山漁村地域があることを普段はほとんど認識していません。食料品は、自宅からわずか数分の距離にあるスーパーの棚に並んでいるので、私達の命の源となるエネルギーが、田舎から供給されていることを忘れがちです。食料の供給地として、農山漁村地域が存在することの意義を都市の人達に改めて見直してもらい、その社会的価値(存在価値)を高めてゆくことが必要です。そして、そのプロセス自体が、過疎地=農山漁村地域の活力再生につながると考えています。

 都市からの来訪者に、すぐ近くの日本海寿都(すっつ)湾で捕れた魚、地域の農家の協力を得て作った畑の野菜など、地域内で生産された新鮮な食材をつかった食事を提供する、ちょっとした農作業でいいですから、農家と一緒に農作業を体験する、そういった、接生産者、生産地に消費者が直接触れ合い、体験することが、農山漁村の社会的価値に気がつく、まず第一歩だと思います。

◆ 多様性の原則 
 ぶなの森自然学校は、自然豊かな第1次産業地域に立脚した自然体験・地域産業体験型学習プログラムを開発、実行することにより、それらに関わる人々(プログラムの参加者、実施者、地域住民)が相互に影響を与え合いながら自ら育つ「相互学習」を促進する「交流拠点」と「交流の仕組み」を創り続けています。そして、交流の拠点と仕組みを整備することにより、より多様な人々が、自然学校に関わりを持つことができるようになります。

現在、自然学校のプログラムの参加者は、幼児から大人まで幅広く、学生、社会人、外国人もスタッフとして活躍しています。訪れる人を多様化することにより、新たな人のつながりが生まれ、また新たな人が訪れるようになるのです。 多様な人が集うと、複合的かつ交錯的な「交流」が広がり、プログラム開発の更なるシステム的な発展が期待できると考えています。
同じ価値観や生活圏の人ばかりでは、均一で同質でしかありません。異質な考え方、生活をしている人達が集まってこそ、新しい気づきや発見がなされ、新しいものが生まれる「可能性」があります。

◆ モデルとする、「繁栄ある地域」とは何か
現代社会は、さまざまな社会問題を未来へと先送りをしているかのように感じます。そして、その未来を生きるのは、今の若者や子ども達です。少子高齢化社会、経済の仕組みの変化、それに伴う雇用形態の変容、政治までも変わりつつあります。社会全体が大きく変化しない限りは、抱える社会問題も解決してゆかないでしょう。つまり、人々、特に今の若者や子ども達には、その変化に対応する新しい生き方、暮らし方が求められているとも言えます。

人が生きるためには、さまざまな能力が必要です。その力は、「体験」の積み重ねに「知識」が付加されて身につくものです。 しかし、現代の若者や子ども達は、日常生活の中で、多様な人に関わることや、多様な生き物や環境に出会う「体験」の場はとても少なく、限られた狭い環境の中で生活をしています。彼等の交友関係や活動範囲は極端に狭められ、特に子どもの姿自体が街から見えなくなってきています。これは、都市だけの問題ではなく、農山漁村地域を含めた社会全体で、起きている現象です。このことに、大人たちはもっと注視すべきです。

子どもの歓声や笑顔がある地域は、活気があります。それは、大人達が相互に関わり合っている地域でもあるはずです。つまり、子ども達を安心して養育・教育できる地域こそが、今後「繁栄」してゆく地域でもあると思います。
これは、若者にも言えることです。自らの成長、自らの未来の生き方に大いに参考になる「体験」ができる場所を若者に提供することは、大人の役割です。一生懸命に大地や海や森と格闘しながら働く人達、心を癒す美しい自然、それらに若者が出会うことにより気づかされることはとても大きいのです。 心やすらぐ地域、新しい自分を発見できるような体験ができる場所を若者は欲しています。 繁栄する地域とは、子ども達の笑顔と歓声に満ち溢れ、未来を築く若者達が自らに磨きをかけようと暮らしている地域だと考えています。

◆自然が先生、農村が先生 
都会に住んでいると、社会の仕組みは若者や子どもたちには分かりにくいものです。小さな農山漁村に住むことにより、見えてくる社会の仕組みは実はたくさんあります。「この畑でAさんが作ったものが、ここでBさんにより加工され、あそこでCさんによって売られている」ということが、いとも簡単に目の前の現実として体験的に理解することが、小さな社会では可能です。

 黒松内は、人口3400人の小さな町ですが、「町」が構成できるということは、人が暮らすために必要なのさまざまな社会的機能(例えば、議会や役場があり、福祉施設や商店、さまざまな職業人がいる)を有するということでもあります。ですから、体験プログラムを企画する時に協力をしてもらえる人が、相手の顔が見える中で身近に存在するというメリットがあります。自然ばかりでなく、社会(環境、環境、産業構造など)をしっかりと体験的に知ることも可能なのです。

環境運動に、「地球規模的に考え、足元から行動する」という有名なスローガンがありますが、小さな地域住むと、逆の考え方のほうが、分かりやすいことに気づきました。つまり、地域社会に住み・暮らしながら、「地域のことをしっかりと考え、地球規模的な行動ができる人づくり - We Think Locally, Act Globally !」という姿勢の方が、実は重要なのです。 人が健全で心豊かな暮らしを営むためには、まず、自らの地域社会でのあり方を問い、自らが地域社会で、相互扶助の役割を担えるようになることが基本です。 そのうえで、はじめて、全体として持続可能な地球社会への貢献が、身近なこととして、捉ええられるようになると考えます。 この考え方は、まさしく農山漁村の暮らし方にあてはまる、原理原則です。

このような視点に立ち、自然学校は、次のような基本姿勢で体験的な学びの場づくりを目指しています。
①人は、個々が相互に影響を与えながら「自ら育つ」 (相互交流学習)
②そのために、地域内外の様々な人々が交流する、多様な仕組みを作り続ける 

◆ 自然学校の生徒達
自然学校は、学校と言っても、たくさんの子ども達や学生が毎日通ってくるわけではありません。毎月1回金曜日の夜から日曜まで実施する子ども自然体験活動「イエティくらぶ」の子ども達、春夏冬休みに1週間から3週間にわたって実施する長期体験村に全国からやってくる子ども達、児童生徒数が10名という小さな学校に自然学校から通う山村留学生(06年度は2名在籍)や農村体験のスローツアーや森歩きのエコツアーにやってくる大人が、自然学校の生徒です。しかし、これだけでなく、自然学校が大切にする生徒は、実はまだたくさんいます。

 それは、プログラムを企画し、実施する私達を含めたスタッフ、プログラムを支えてくれる研修生や実習生、カウンセラーと呼ばれる子どもを相手するボランティアの若者達です。 「相互交流学習」という考え方に立っていますから、実は、私達も自然学校で学ばせてもらっているわけです。

研修生は、NPO法人ねおす(北海道自然体験学校NEOS)に在籍し、プログラムを企画・実施進行するディレクターを目指して、毎年2-3名程度が、1年単位に自然学校で研鑽を積んでいます。また、他の団体から、指導者養成の実習の先として1ヶ月から8ヶ月程度の期間、滞在する人も毎年3-4名ほどいます。卒業生はすでに20名となり、各地で活躍をしています。卒業生のITさんは、ねおすの事務局長として屋台骨を背負ってもらっています。三重県大杉谷自然学校を立ち上げたOKさん、アウトドアガイドのKさん、福島で自然学校を開設準備しているKSさんもぶなの森自然学校で研修を積みました。
このほか、札幌や台湾の大学から単位を重ねた実習として参加する人、教員の長期研修者(最長6ヶ月)の受け入れ、国際ボランティア組織を介して長期滞在するアジアやヨーロッパ人も毎年3名ほどいます。

◆エピローグ
事務所の窓を見ると、真っ暗闇が張り付いています。でも、外に出て、夜空を仰ぐとオリオン座が東の空に上っています。すると、サソリ座は空から姿を消してしまったなと、西の山陰に思いをはせました。実に壮大な物語が天空に展開されています。自然学校の夜空は四方八方に深く大きく広がっています。散りばめられた星達の間隙を埋める暗闇を見つめていると、宇宙空間の途方もない奥行きも感じられます。

大都市は、高層ビルの窓の明かりとネオン照らされて、夜空は薄明るくなり、星はまるで見当たりません。同じ空を見ているとはとても思えません。そんな東京が夕暮れを迎える頃、満員電車に乗り空港へ、そして黒松内まで帰ることがありました。すると、夜10時頃には、半径2km以内でも人影が見えない我地に到着することができました。つい、4,5時間前には、私の周り半径2m以内に折り重なるように、ずっしりと人がいたのに、我が地には、東京とは比べものにならない大きな空間が広がっていることに今更ながら気がつきました。

夜空は満天の星です。そして、ゆるやかなに時間が流れ、酸素をいっぱい含んだ新鮮な大気に包まれているのが、黒松内という田舎です。

 私達は、田舎と都会という、とても環境が異なる2つの世界の中で生きています。人間が作り出した多様な世界である都会、自然界という多様性が高い田舎。そのどちらが住みやすいかは、人それぞれでしょう。しかし、どちらか一方の世界だけでは、こんなにも増加し多種多様化した人間達を養いきれないでしょう。 また、どちらか一方の環境だけに身を置くのでは、社会全体のあり方に対して、バランスの取れた感覚を持った「人」は育たないと思います。

 ぶなの森自然学校は、田舎に存在していますが、「2つの世界」観から考えると、両者の波打ち際に立つ存在でもあります。二つの世界を知りながら、バランス良く未来を見据え、バランスがとれた未来を創造する人達が、自然学校から輩出されれば、嬉しいかぎりです。






複雑化 5年の検証

2006-11-17 14:35:27 | NPO活動全般
 ねおす通信が「季刊ねおす」として再編集され発刊されたのは、創立10年周年であった。新たなる10年に向かい再スタートを記念した創刊号での私の巻頭言は、「ねおすを複雑にできるか」であった。
効率化、費用対効果の向上が経済原則である社会で、なぜ、複雑化をめざしたのか・・、

「それが生命(いのち)の本質だからだ」と、高らかに歌い上げている。

ひとりで始めた活動は、多くの異質な仲間との出会いと分かれの繰り返しを経て進化してきた。生命システムと同じ原則を持って、新たなる体質と体力・耐力を獲得しながら、ねおすというシステムは変容してきた。そして、次なる10年は、「個人が成長できる仕組み」と「心地よく身を休める仕組み」を合わせ持つことを課題として、この5年間を過ごして来た。 達成度合いはいかに・・・

それは、ここ数ヶ月に開催するさまざまなフォーラムの実行に現れている。「障がいある子ども達と自然体験活動・クロスフォーラム」「森の幼稚園全国フォーラム」「協働コーディネイター養成事業」などである。若手・中堅陣が確実に実力をつけながら自主・自律的に運営を切り盛りできるようになった。そして、足元の地域問題からより大きな視野で、問題の本質、つまり課題目標を抽出する力が蓄えられて来たと感じる。

その結果として、動物園での動物プログラム、森林環境教育、田舎づくり、障がい者へのプログラム、NPOマネージメントの支援、幼児への体験活動・・・と、この5年間、ねおすは、これまでになかった新しい領域で活動を開始できたのだ。

そして、次の5年の目標は、エコツーリズムとこれらを組み合わせて、複雑に楽しく、ためになるような、場と人とプログラムを生み出してゆくことである。

(季刊ねおす 2006.11)

命とネットワークについて

2006-11-09 15:26:53 | NPO活動全般
NPO活動の原理原則 ネットワーク

 その昔、スポーツクラブのインストラクターを育てる専門学校の教壇に立っていた頃、「命とは何か?」「君は何個の命を持っている?」と問答をふっかけていた。

「ひとつ? 母親と父親からだから2つかな?」と回答があると、すかさず、「体の中には、何兆何百兆という無数の菌がいる、白血球だって精子だって、君の意思に関わらず動いている。これらは一個一個違う命と言えないかな?」「移植するために取り出した臓器は命なのか?」と聞くと、「うーん」と学生達は考え込む。

命とは・・、「他と関係性を作る開放性のシステム」なのだ。

というのが私の解答だ。つまり、単体では存在できない、何か異質な他者・物とつながりがあってこそ、その単体の個性や役割が明確になり存在し得るのだ。つまり、「関係性を作る」というのは、命そのものの特性であり、原理なのだ。

躍動的なNPO活動も同じ原理、他との関係性をつくること・ネットワーク性があることで生まれる。

だから、活動の原則は、「異なる事象・人を出会わせ、つなぎ合わせること」にある。 最近、「みんな違う個性・Only-One」がもてはやされるようだが、そうじゃあないでしょう!! 「違うけれどもつながれる、君も僕も同じところがあるね」と共感・共鳴し、新たな関係性を作ることが大事でしょう!

(2004年 えぬぴおん投稿 改編)