はる風かわら版

たかぎはるみつ の ぼやき・意見・主張・勝手コメント・コラム、投稿、原稿などの綴り箱です。・・・

移住のすすめ

2011-08-26 00:18:28 | コラム記事

◆ 移住を決めた日
 私達が田舎に移り住んで、この春で7年目を迎える。あの移住決意の夜からもう6年がたちました。
ある日、札幌の行きつけの居酒屋でカミさんと未来を語りながら一杯やっていました。というよりも、私が勝手に自分の仕事のことをボソボソと話しているけれど、相手は真剣に聞いていないという状況だったかもしれません。お互いに違う事を実は考えていたのでしょう・・・。 すると彼女が、突然「かえりたい」と言ったのです。(と、私には聞こえた)

「えっ、帰りたいの?」
「違う!」
「えっ、何?」
「帰りたいのではなくて、変わりたいの!!」
「はっ・・・?」  それからが、急展開でした。

 その頃、三重県の山深い谷間の集落に自然学校を立ち上げるお手伝いをする仕事があり、「どうせなら、お前も行くか?」なんて無責任に問いかけていたのでした。結局、私だけが毎月10日間ほど出張で通うことで1年を終え、夫婦で住まうことはご破算となったのでしたが、彼女はその時から本気で「田舎暮らし」を考えていたらしいのです。
「それじゃあ、黒松内にゆくか?」
と何気なく聞くと、こちらがビックリするほどに元気よく「行く!」ときっぱりと答えたのでした。さらにはその晩、扶養の身の子ども達も、実に簡単にOKをだしたのです。それからはむしろ、彼女達の決定に私の方が置いていかれそうな勢いでした。そのわずか一月後には、人口180万人の札幌市から人口3400人の黒松内町へ移住をしてしまったのでした。
 移住の決定はタイミングが合っただけなのかもしれません。実は、「黒松内」は、カミサンも娘達も何度か訪れた場所であり、自分達の新たな故郷とするための下見は、案外何度もされており心の準備はできていたのかもしれません。
つまり、移住を決めるまでは、何度もその地を訪れ、地域を知り、知り合いを作ることが大切なのです。

◆ ネットワーク
 「デパートがないと生きてゆけない」と言っていた彼女の田舎でのフットワークの良さは、意外なほど機敏で神出鬼没でした。自動車は運転できないが自転車で10Km、20Kmを平気で走り回る。トラクターの牽引作業機で畑仕事を手伝っているかと思えば、おにぎり持って釣りに出かけ、ウニ剥きのアルバイトをし、留守かと思えば「漁協の婦人会に出ている」と電話が来る、といった具合でした。元来食いしん坊の彼女にとって、食料生産の現場体験は、とても楽しいもので新鮮だったのです。農村漁村の女性達のネットワークに関わってゆく彼女のバイタリティとコミュニケーション力は、私に持ち合わせていない能力なので、うらやましい限りでした。 彼女の力によって、これまでになかった自然学校と地域とのつながりが急速に深まってゆきました。
 移住をしてからは、地域内にいろいろな人間関係を作ってゆくことが大切です。その時、「食べ物」は、実に有効なコミュニケーション手段となることは、カミサンが実証済みです。

◆ 一般人の意味
 地区の会合で、「高木さんは唯一の一般人だからなあ」と言われたことがありました。その時は何気なく聞き流してしまいましたが、どうも気にかかる言葉となりました。「よそ者」として距離を置いているということではなさそうですし、言った本人達の方が特別だと考えているのでもなさそうです。その本当の意味がわかったのは、それからしばらくしてからでした。
 ある別の宴席で、お酒が入って賑やかになると、年配の人を若い人が、役職者同士が名前を呼び捨てにしながら話をするのです。これには最初、驚きました。でも皆さんの人間関係を知ってくると、これは当たり前のことだと知るようになりました。つまり、多くが遠縁の親戚であったり、半世紀を越えた幼馴染だったりするわけです。この密度の濃い人間関係が、地域の共同意識を高めているわけです。 だから、その過去の共有、人間関係のしがらみを知らないから、「一般人」なのです。つまり、5年や10年を経た移住者と、つらさも楽しさも、悲しさも嬉しさも共有してきた地域住民との「同じ時」「同じ経験」の差があまりにも大き過ぎるのです。しかし、移住者はそれを、あまり知らないほうがいいかもしれません。一方、知っていた方が失礼しないで済む場合もあります。
いずれにしても、移住者は、「後から」来た住人であることを意識していることが、まずは地域への礼儀であると思っています。


 都会と田舎、世の中には明らかに異なる人の住処(すみか)があります。人間生活全体にとっては、どちらもバランスよく存在していること大切でしょう。ところが今の世の中、都会に偏りすぎているように思えます。
都会はお金を使うような仕組みが巧妙に作られている。田舎は、それに比べてとてもシンプルです。私達は、そのバランスを崩してしまっているのではないでしょうか?
 都市生活をしている人達に、移住でなくても、ぜひ長期に田舎に滞在し、そのバランスを考えて欲しいものです。

ふたつの世界

2011-05-18 11:48:04 | コラム記事

随分昔のTVドラマ「太陽野郎」を知っている方はいるだろうか?

  ♪寂しくなると、なぜか思いだす、
         あいつは空を降りた太陽野郎♪ 

という主題歌は今でも、ここぞといという踏ん張りどきに、今でも耳元にリフレインする応援歌です。当時、関東で暮らしていた少年を北海道好きにさせた思いで深いドラマです。その頃、運よく北海道へ初旅行をする機会を得ました。

 カーボーイハットをかぶり、首を傾けポーズをつけている恥ずかしい写真が残っています。その見下ろす背後は札幌の市街地・・、まぎれもなく藻岩山の山頂なのです。「俺はこの大地に根を生やしてやるぞ!」風情です。

 藻岩山の山頂に立つと、眼下に180万都市の街並みが広がっています。遠くに日本海も臨む広大な扇状地は豊平川、そして本流の石狩川が創り出し、かつて釧路湿原をいくつも包み込む湿原と深い森でした。一方、後ろ振り返ると、支笏洞爺国立公園に続く山々が連なっています。今も野生動物としては巨大なヒグマが住む森があります。藻岩山は、人工開発された地と多様な自然が残る地域との接点にある砦のような場所です。 
 格好つけたあの時の私は都市だけを見ていたと思います。2つの異なる環境の境目に立っていることには思いも及ばなかったでしょう。

 札幌は世界に類をみない大都市と自然が併存する街です。山頂に立った時、ぜひこの2つの世界を見比べて欲しいものです。


人が願うことは、必ず繁栄する!

2011-02-27 22:58:28 | コラム記事
小野有五教授の退官記念文集への寄稿


「小野先生との連携」
私のスケッチブックに、蛍光ペンで囲こんだ、ひと際目だった大きな文字が書き込まれています。北海道自然体験活動NEOSの名称で子ども向けの自然体験活動や大人向けの登山活動をしていた90年代の初め、環境教育という言葉に出あい、NPO法人化を視野に入れた頃でした。あちらこちらで人に会い、会合に出席し「自然と人、人と人、社会と自然のつながりづくり」を目指し情報を集めネットワーキングをしていました。

NPO設立に向けて理念を打ち立て、仕事を具体化し、社会貢献のストーリーを創り出す、そして支援者、賛同者を増やすために、スケッチブックには、気に留まった情報、気がついたこと、思いとどめたいことを雑多に書き込んでいました。ネットワーキングを進めてゆく中で、小野先生のお名前はあちらこちらから当然の如くお聞きし、ひと際大きく書き記したのです。

 当時、私達は組織としていくつかの課題を持っていました。ひとつは、人々を自然の中に連れてゆくガイド業が旅行業法に照らし合わせるとグレーゾンにあること。民間団体として大雪山国立公園に関わり保護・保全活動を展開すること。さらに、NPO法人化を前提に道東の環境省川湯エコミュージアムへの職員派遣等でした。しかし、どのように法的問題、地域へ関わって良いか試行錯誤していました。そのような時期に、小野先生と直接お会いする機会を得ました。 1997年の秋だったでしょうか、北大のとあるレストランの一角でした。私の考え、組織としての理念と状況をお伝えして、その場で新設するNPOの理事になって頂くことにご了解を頂きました。アウトドアガイドが増え、自然観光・体験観光の振興が北海道の目標となった時期でした。

 一方、研究者である小野先生と現場ガイドである私達だけでは、押し寄せるように始まった「体験観光」の波に対抗することは至難でした。そこで、小野先生と私が呼びかけ人となり「適切な自然の利活用を啓発・推進するためのネットワークづくり」を開始しました。そして、1998年4月に約40人の民間ガイド、研究者、行政、一般旅行者・愛好家が集まり小野先生を会長に「北海道のエコツーリズムを考える会」を設立することができました。何回かの会合を重ね、同年12月5-6日に初のフォーラムを札幌で開催しました。全国から100数十名が集まった盛会となり、「北海道(らしい)(エコ)ツーリズムとは?」をテーマに議論を展開し、その結果として次のような課題を共有しました。

◆自然資源を枯渇させないため、利用者・業者などに対してのガイドラインやルールをつくる必要がある。同時に、環境容量や生態系などエコツーリズムに関する研究も必要である。
◆地元に根ざした案内人の存在と、その案内人が生活できるような支援をしていくことが必要である。また、案内する人の質を高めるための人材養成システムを確立する必要がある。
◆さらに、人材やツーリズムの情報に関するネットワークをつくる必要がある。人づくり、システムづくりを充実させるための行政の支援も欠かせない。

 北海道のエコツーリズムの歴史における大きな出来事でした。その後、「エコツーリズムガイドライン」の策定、「北海道ネイチャーツアーガイド(山渓社、2000)」の出版と同会のネットワークによる北海道のエコツーリズムの礎づくりが進みました。
 「考える会」は、その後「北海道エコツーリズム推進協議会」と啓発型から行動型ネットワークに発展させる議論もありましたが、中心メンバーそれぞれが研究やガイド現場の仕事が忙しくなり発展的解消とし、現在に至っています。

 NPO法人ねおすは、自然の保護保全と利活用(触れ合い活動)をミッションとして掲げているので、理事陣も多様です。その中にあって小野先生は、「自然に関わる人のあり方」「人の自然への関わり方」について私達にバランス感覚を指南してくださる大切な方です。

 現在のエコツーリズムにおける課題は人材の育成です。それは研究者やガイドだけでなく、実際に地域に根差して生活し、「自然と人、人と人、社会と自然」の賢いつながりづくり、持続可能な仕組みづくりを継続的に行ってゆくコーディネイター、プロデューサー的な人材です。

「人が願うもの(エコツーリズム)は、必ず繁栄する」
小野先生が、北海道のエコツーリズムを考える会で、私達に話された格言です。北海道大学はご退官となりますが、北海道のエコツーリズムはやっと各地に広がり始めたばかりです。これからも多方面に渡って後進のご指導ご鞭撻くださいますように、お願い申し上げる次第です。 

特定非営利活動法人ねおす
理事長 高木晴光

雪合戦

2011-01-14 09:18:53 | コラム記事
 「すいません。どおーか、もう一度お願いします!」

子ども達が雪の上に正座をして大人達に頭を下 げた。山の中で子ども対大人の肉弾雪合戦。大人なげないなんて言わない。大人の実力を見せてやるのだ。
 
 雪合戦とはいえ、戦場は平地ではなく山の中だ。人、地形の利用など作戦を立て、ダイナミックに格闘する。雪玉を作らせないように組み伏せてもかまわない。相手の陣地の旗を獲れば勝ちだ。1回戦は、知力と体力の差が歴然、あっという間に大人チームの大勝利。

 戦いは、負けた方の戦意 がなくなれば、終りだ。「もうやめよう」と子ども達が言えば、それでおしまい。だからもちろん、おおい に全身で勝利の喜びを表現する。
 「お前ら、大人の力を知ったか!あんまりいい気になるなよ!」 そんな 真剣勝負の雪合戦を子どもの冬体験活動でやっている。

 ところが、子ども達はめげない。「土下座して頼め!」と、とんでない大人の要求にも答えたのだ・・・。 しかたがない、願いを聞き入れ2回戦目。
 
 しかし・・・、初めてこの遊びに参加した大人が多いと、2回戦はやばい。大人は妙な情けをかけて手を抜いてしまうんだな。 ところが、子どもチームは知恵者、すばしっこい者が活躍し出し、かなりの拮抗・長期戦になるが、それでも大人は勝つ。

 しかし、子ども達は、「次は勝てる」と感じたのだろう、再戦のために、すぐに土下座願い・・。 大人達は、体力を消耗し、戦意は低いにも関わらず、申し出を受けてしまったので、3回戦は・・・、

当然に敗戦・・・。小憎らしい程に悪態をついて、勝利を喜ぶ子ども達を見て、今度は、大人が土下座 する番だ。「もう一度やってください!何でも言うことを聞きますから!」 その願いが後の祭り。 形勢は 逆転しているのだ。 勝ち方を知った子ども達に第4回戦も、惨敗してしまった。
 
 何を要求されるのか、 不安になる大人達・・・。 でも、肩で息をして雪の上に倒れている大人を見て、「いいよ、何もしなくて」 と優しい言葉もあがる。よっぽど、子どもの方が大人だ。

遊びの加減を学んでいるのは子ども達の方 だった。     

ツタを編む

2008-05-02 17:27:42 | コラム記事
森林レクリエーション 原稿改  080409

「ツタを編む」と銘打ったプログラムを3泊4日、たっぷりと時間をかけて企画実施した。場所は北海道の道南、黒松内町のトドマツの植林地。アケビのツルや草を編む専門家のTさんを講師に、1日目は素材の勉強会。二日目は籠編みに必要なツルを取りに許可をもらった山へでかけた。

手入れがあまりされていない森には思いがけない程の太さのコクワや山ブドウがあり、樹に巻き、あるいは地面から斜め上の高い梢まで伸びていた。時には4,5人で綱引きするような力技で大量の素材を確保した。

三日目は制作。廃校舎の体育館にツルを太さによって分けた後、制作にとりかかった。当初は小さな籠づくりと予想した講習会だったが、男の参加者が多い、素材が太くて長いこともあり、作品は事の外、大きくなり人間が座れるバスケット状が多くなった。太いコクワは水分を持っていて意外に曲がるのだが体力勝負。自分がイメージする形に曲げようと、中には二人、三人かかりで力闘し汗まみれになる参加者もいて、エクスサイズ効果抜群であった。苦労するだけ形も現れる。爽快な労働だ。夕刻には製作者の笑顔に囲まれた、たくさんの逸品と記念撮影ができた。

四日目は「暮らしの中にかごを取り入れよう」をテーマに、教室の一室を作品達で飾り、地元で取れた野菜、米や魚を使って料理を作り、みんなでゆったりと食事をする「時」を過ごした。

「樹木」と「材」・・木とじっくりと向き合う4日間となった。


私のこと・・・

2008-05-02 17:24:39 | コラム記事
(ぼらナビ機関誌 0805 原稿改)

私は今、北海道の南、渡島半島の付け根に位置する人口3300人余りの小さな農山村地域、黒松内に住んでいます。元小学校だった施設を借りて「ぶなの森自然学校」という都市や地域内の交流を創る事業を「仕事」としています。私が代表をするNPO法人ねおすが、全道に展開する拠点活動地(札幌、登別、東川、弟子屈、中頓別)のひとつです。

◆ぶなの森自然学校
 自然学校は、NPO活動と暮らしが一緒になったコミュニティ活動でもあります。私と妻、常勤のスタッフ3人、小学生の山村留学生4人、研修やボランティアで長期滞在する2人を含め、ヤギ3頭、羊2頭、犬2頭、ニワトリ5羽、合計11人と12匹が暮らしています。動物の世話があれば畑仕事もある、子ども達の学校のPTA活動や地域のお年寄りの私的な依頼ごとにも応える、地域の子ども達が遊びに来ることもあれば、全員で食卓を囲む事が何十回もあります。仕事と生活、仕事のONとOFFが重なりあって「しまう」暮らし方をしています。

 交流事業は、まずは子ども達の体験活動。特に夏休みには3週間の長期活動を30名の子どもとスタッフ20名で展開します。スタッフも台湾の大学から実習生、国際ボランティア組織NICEからはアジアやヨーロッパからの参加者があり、都合1ヶ月間、大人達の大合宿場と化します。また、北限のブナの森を初めとする自然ガイドもしますが、農家の女性と豆腐や味噌づくりをするような「田舎の旅づくり = ルーラルツーリズム」を行っています。
 そして、もうひとつの事業は、「未来を担う自主自律した人材の育成」と高らかにミッションを掲げる人づくりがあります。他のNPOや大学から若い人材が、時には年配の方々が中長期に滞在し、自然学校や地域活動を共にしています。
 そして、自然学校をコーディネイトするNPO法人ねおすのミッションは、自然体験活動をベースに「自然と人、人と人、社会と自然のつながりづくり」を目指しています。少し難しく言うと「社会関係資本を作る仕事」です。そして、北海道らしい自然体験文化を広めてゆきたいという思いがあります。

◆それなりに波乱の人生
 ねおすの前身・北海道自然体験学校NEOS(Nature Experience Outdoor School)を立ち上げた頃は、ちょうどバブルが弾けた時でした。大学を卒業してから貿易業や不動産開発を職として来たのですが、悩んで転職(3回)し、いわゆるリストラにも合いました。今思えば、その波乱がなかったら、本当に自分がやりたい仕事を考える機会を逸していたかもしれません。最初の就職後3年で一度、自然塾を立ち上げようと試みましたが、若気の至りで断念。その後は、バブルの右肩上がりの経済活動に企業戦士として、まさになり形振り構わずに「売れること」をミッションとして邁進していました。ですから、リストラは、それまでの自身の価値観を見直す再構築でもありました。たどり着いた決心は「自然に関わる仕事がしたい」ということでした。

◆自然で飯が食えるか
 良し悪しは別にして、「自然を壊して」飯を食う仕事はいろいろあります。高校時代は自然保護活動もしていた私も、ディベロッパー仕事では「ゴルフ場開発準備室主任」なんて肩書きを持っていた時代もありました。NEOSが有料で自然ガイドを始めた16,7年前は、まだそんな仕事をしている人種はごく稀でした。「自然へお金をとって連れ出す輩は自然破壊を助長する」と新聞投書があったくらいです。 しかし、バブルの崩壊は人々の価値観も多少なりとも変化させ、「モノから心の豊かさ」というキーワードがマーケティングに登場したと思います。さらには阪神淡路大震災の復興への過程が市民活動の変容を促し、私達、環境・自然系の人種には「ガイアシンフォニー」というドキュメント映画がこの頃に大きく影響を与えていたと思います。実際、1992年前後に「自然体験活動」を仕事として始めた仲間は全国に数多くおり、それぞれ一人で始めた活動が多くの人々を巻き込めるようになっています。その仲間達もいつの間にやら50代越えており、若い人材も数多くなりました。一方では、NPO家業へ転じる若い世代がここへ来て変わりつつあることも感じています。「今だけの好景気」のせいなのでしょう。そして、未来への漠然とした不安が更に大きくなり、若者の保守化も心配です。新しい時代を築く夢を持ち、その実現にあきらめない力、そして自分の変化を恐れない心を持って欲しいものです。

◆今の私のミッション
 ずっと都会育ちだった私が田舎を生活拠点として8年。都会では見えにくい社会の矛盾、問題を数多く実感して来ました。農業や漁業、高齢者福祉、医療、子どもの環境、コミュニティの崩壊、さまざまな社会問題は、のんびりしているように見える田舎ほど、実に深刻に身近な課題として複雑に絡み合い存在していることが、わかりやすく感じられるのです。
しかし、本来田舎が持っている機能、食糧の生産、風景、緑、おいしく透明な空気、輝く星空、ゆっくりとした時間の流れを感じる精神保健性など、田舎の社会的価値というものがあります。
それらを改めて、都市生活者に感じて欲しい、そして地域住民にも再発見して欲しいという気持ちが今は段々と強まっています。田舎こそ物事の様々な社会問題をホリスティックに捉えて解決してゆける可能性があります。「新田舎づくり」それが、私の今の使命です。


ミミズへの好奇心

2008-05-02 14:52:13 | コラム記事

北海道自然体験学校NEOSを始めた16年前も、今の「森のようちえん」のようなイエティキッズという事業を実施していたことがありました。

 「自然の中で遊ばなくなった子どもに自然を体験させることは大切だ」というただ単純な使命感から何のノウハウもないまま活動を始めました。 当時私は勤め人の忙しい仕事が嫌になり、辞めて思い切ってNEOSを設立したのですが、他の仕事も兼務しており、結局また違った忙しさの中にありました。一人では心細いので、専門家と一緒にプログラムらしきことをしました。 今考えると・・・私には余裕がなかった・・・。

ある時あるオジサンと円山公園に幼児とお母さん4組と出かけました。いろいろなモノが公園にもあることを知って欲しいとのねらいだったのですが、そのオジサンは、途中で見つけたミミズを子ども達に見せ続けるのです。お母さんも何で?という感じとなり私もイライラしました。

しかし、子ども達は、オジサンのちょっとした声掛けで、徐々にミミズに手を出し、その不思議な形、動きに興味を持って行くのです。見ていた私は、その子どもの変化に驚きました。

 実はこれは、待つ という技なのです。人の成長は 好奇心 が源泉です。

しかし、その好奇心は、感じる力が備わっていないと健全な心となりません。自然体験活動は感じる力を育む活動なのだと、今は信念を持って子ども達と過ごしています。気づかせてくれたSさんに感謝です。

(イエティ通信 0805)

精二郎ブナのこと

2008-01-05 17:21:33 | コラム記事
NHKもぎたてラジオ便「北海道(もり)物語」 1月16日 の 原稿より

1、黒松内ぶなの森自然学校について
黒松内は札幌から車で2時間半ほど、渡島半島の付け根、道南の入り口に位置しています。「北限のブナの町」として町づくりが進められ、その流れの中で、ぶなの森自然学校は1999年に元小学校だった校舎を利用して開校されました。都市と農山漁村との交流事業やブナ林のガイド、子ども達への自然体験活動を展開しています。田舎の素敵な面をたくさん都会の人に知って欲しい、大げさに言えば、田舎の社会的価値を高めたいと考え、活動しています。

2、森の活動
黒松内といえば、天然記念物であり、北海道遺産の指定も受けた「歌才ぶな林」が有名ですが、町内にはまだまだ素敵な森があります。例えば、私達は森林管理所にご紹介を頂きながら、国有林の利用もさせて頂いています。自然学校のすぐ目の前に丸山という小山があるのですが、ここで春から冬まで様々な体験活動をしています。、ツタを取り除くボランティアをし、それをちょこっと利用してクラフトづくりをしたり、子ども達と森の中で遊ばせて頂いています。

3、精二郎ブナ
昨年初夏に管理官から、この山で大きなブナが見つかったとのお知らせを受け、早速子ども達と見に行って来ました。 車を降りて30分ほど山道を歩いてから出あったブナは、とても大きく、円周355cmもあり、道内4位の大木でした。子ども達、付き添いの大人達も感動しました。管理所より命名の機会を頂き、子ども達と相談して、「精二郎ブナ」と名づけさせて頂きました。

4、精二郎ブナのいわれ
この丸山の麓は、作開と呼ばれる地域です。その氏神様として、地域の熊野神社に精二郎は、祭られています。本名は、「小池精二郎さん」といいます。本殿には天照大神が祭られ、その左隣に、小池一族と小池精二郎さんが祭られています。 小池一族は、私達の住む作開地区の開祖の一翼なのです。 出身は 明治維新で会津藩が取り潰された後の復興で、東北下北周辺に領地を与えられた、斗南藩の士族です。一昨年なくなれた地域の古老の話では、小宮一族は「ちょんまげを結っていた」と聞きました。

5、これからの活動
黒松内に限りませんが、原生からの森はほんのわずかです。その中で、「精二郎ブナ」は、
200年以上生きて来ました。小宮一族がこの地を開墾する様子も見ていたかと思うと、なにか感慨深いものがあります。 次代へこのような景観を引き継げるような活動をこれからも展開してゆきたいと思います。

月越峠のミズナラ

2007-03-17 11:31:53 | コラム記事
月越峠の大ミズナラ   (0403 北海道新聞連載 しまふくろ 改編)

 雪がたっぷりとある春休みが始まりました。いつものように道内外から40名ほどの子ども達とスタッフが自然学校にやって来ます。春の5泊6日の子ども自然学校のはじまりです。

 元小学校の校舎に皆一緒に泊まり込み、黒松内のスローライフを楽しみます。例年実施している活動ですが、私にとって今回は、どうしてもやらなければならないことがあります。それは、自然学校から車で20分ほど、歩いて○○分(ルートによって異なる)の月越峠の大ミズナラが元気に春を迎える準備をしているかを確認することです。

 そこは、夏は竹薮が深く、冬は天候が悪いため、子ども達とゆけるのは、毎年、雪が締まって歩きやすくなる春の初めだけなのです。昨年も訪ね、子どもがセミに見えてしまう巨大な幹を登り、太い枝から飛び降り遊びをする楽しい思い出をたくさんつくりました。

 ところが、その帰りに、「また来年会いにくるからね」と声をかけると、なんと彼は「もう会えないかもしれない」とつぶやいたのです。

あれから1年。

実は、彼か私、どちらかが倒れるのではないかと内心不安を持ち続けていたのです。私が体調を崩したこともありました。心身をすり減らしながら乗り切った仕事もありました。秋の台風は森を痛めつけ、もう一本ある大ミズナラが倒れたのを目にするなど、苦難はお互いに間違いなくありました。そしてこの冬の大雪。私も除雪で苦労はしましたが、彼は確実に、もっとたいへんだったでしょう。

 第1回目のトライアルは本日でしたが、峠は吹雪のため入れませんでした。 なんとか3月中に彼の無事を皆で確認したいものです。

***
(07.03追記)
この春、ミズナラは元気にしていました。翌年の大雪も乗り越え、そして今年07年の3月を迎えています。今日、ゲストの大人の人たちと再会しにでかけます。
最近、新聞に紹介されたりしたので、来訪者も現れているようです。 

子どもの笑顔と歓声

2006-06-30 23:08:36 | コラム記事
~自然遊びと地域づくり~

 6月1日から申し込みを開始した、夏休みに実施する「子ども長期自然体験村」は、初日で定員に達する勢いでした。
 この夏も、道内外各地からやって来る30数名の小中学生と17歳から60代、イギリス、イタリア、台湾人を含む20数名のスタッフと総勢50名余りと「大家族」をテーマに20日間を過ごします。

地域住民や町の協力を得て、元小学校を借りた長期滞在型の体験活動は、もう8回目となります。
黒松内町は人口3400人、山間(やまあい)の小さな町で、大都市札幌からも千歳空港からも車で2時間半はかかります。にもかかわらず、なぜたくさんの人が3週間も滞在してくれるのでしょうか。
それは、北海道らしいものが半径10Km以内にコンパクトに詰まっている地域だからです。日本海と太平洋が直線距離でわずか20数Km、漁師町寿都も間近な、海あり、山あり、川あり、第一次産業も盛んな地だからこそ、いろいろな自然体験活動、エコツアーが企画実施できるのです。

このような地域は、道内にまだまだたくさんあります。自然遊びは、個人の楽しみかもしれませんが、過疎に対する地域づくりにつながる可能性が大いにあります。  
子どもの笑顔と歓声がある地域こそ繁栄すると思います。全国、全世界の親が子どもを送り込みたくなるような北海道の田舎をつくりたいものです。

(北海道新聞 06.06.25 掲載)


水遊び

2006-06-26 15:47:40 | コラム記事
6月中旬になっても雪解け水が冷たくて、「川の下見はもっと後にしようよ」なんて弱音を吐いている私ですが、自然学校にやってくる子ども達は、水遊びを楽しみにしています。
黒松内は、全長40数Kmの朱太川を流域とする町で、海もすぐそこにあります。川の流れは町内どこでも見られるのですが、いつの頃からか、川や海は子どもだけでは近づいてはいけない場所になってしまい、田舎ですら水辺で遊ぶ子どもの姿はほとんど見られなくなりました。

 川や海は、地上と異なるたくさんの生き物が住む環境です。しかし、知識でそれを理解していても、本当の違いは、その中に入らない限り分かりません。だからこそ、大人が安全管理をしてあげながら一緒に水中の世界を楽しんで欲しいものです。

北国の水遊びには、上下に分かれた雨具が優れ物です。乾きやすいジャージーなどを下に、ライフジャケットを一番上に重ね着するように身に着ければ、全身が水に濡れても、ちょっとしたウエットスーツとなり保温効果もあります。気温の低い日の海水浴でも、私達はユニフォームとしています。

さて水遊び用の箱眼鏡は異なる世界を覗くための必携品です。石の間に隠れているカジカなどを探し、手持ちの網で捕獲するのにも使います。この「探して捕まえる」という一見単純な活動は、鬼ごっこにも通じるもので、我身の安全管理能力を高めるためにも、子ども時代にたくさん経験すべき体験活動でもあります。

(北海道新聞 06.06.18 掲載)

火を熾す(おこす)

2006-06-19 17:51:50 | コラム記事
火を熾す
 料理をする、お風呂を沸かす時、石油やガスを熱源とした器具を誰もが使っています。火を熾(おこ)すという苦労はまったくなく、その便利さに何の疑問も持たずに私たちは火を手にいれています。

 野外活動でもワンタッチで火が点くコンパクトに収納ができ、2つもバーナーがある格好良く使いやすい道具が増えています。しかし、便利ということは、作業効率が良いということで、つまり一人でもできるということにもなります。大量に食事を作る時は、私達も小型のプロパンボンベとガスレンジを車に積み込んで行くこともありますが、薪(たきぎ)で火を熾し手間をかけることもあります。 作業(手)と時間(間)がかかるということは、仲間との会話も増える、交流が深まるということにもなります。

使えるマッチは3本だけで薪に火を点け、高さ50cmに横に張られた凧糸を焼き切る競争は、子どもにも大人にも人気があります。炊き点けとなる乾いた小枝等をたくさん集め、火元に小さい枝、外側へ大きなものを段階的に組み合わせる、空気が入る方向を確保するなどコツはあるのですが、どうしたら上手くゆくのか、あれやこれやと仲間と相談しながら点火する、つまり準備することも楽しさになります。

 火を扱う術(すべ)を伝える時、子ども達の目はキラキラと光り、好奇心に満ち溢れます。ましてや、木を摩擦させ、切り屑に火を点けた大人は、大魔術を成功させたようなヒーローとなり、歓声を浴びます。人の火への執着心は、間違いなく本能に組み込まれているのだなと感じます。
そして、便利になると同時に、実は失われているものがたくさんあるような気もします。

(06.06.11 北海道新聞掲載)

観る・覗く道具

2006-06-10 15:43:38 | コラム記事

 野山へゆくと鳥達のさえずりが賑やかになりました。ところが姿を見つけるのは意外と難しいものです。双眼鏡を買ったけど、さっぱり見えないと嘆いている方がいました。どれどれと覗いてみると、20倍も拡大できるものでした。倍率が大きいと当然覗ける範囲が狭まり、野鳥をとらえるのが難しくなります。6から8倍がお奨めです。

 大型のカメラ販店にゆくと、いろいろなルーペが売られています。写真の粒子や色合いを見るための5倍程度の筒状、三角錐状のものは、観察道具の優れ物です。焦点距離が決まっているので、虫や樹肌の上にかぶせて置くだけで、巨大な怪獣がうごめき、美しく複雑な模様が織り成す別世界な自然がくっきりと覗けます。

 同じ売り場を探すと、透明なガラスが両面にはめ込まれたスライドマウントを見つけることができます。これを使って、本物の花びらや草を挟み込んでステンドグラスのように飾り、日にかざしてみると、それは素敵なネイチャースライドになります。
 小さな葉脈や繊毛、花びらにある模様まで、まるで顕微鏡を覗いているようにその微細な形がわかります。

 実は、自然を見るには肉眼の1倍が最も優れた道具かもしれません。野鳥を見つけるのも、双眼鏡があるからできるのではなく、まずは自分の目なのです。
目は、マクロにもミクロにも焦点を合わせることができるのです。

(北海道新聞 06.05.28 掲載)

春もみじ

2006-06-08 11:04:51 | コラム記事
「春の森がこんなにも色づいていることをこの歳になるまで知りませんでした」
 木漏れ日のさす露天風呂で心地よく身をひたしていると、隣の男性がひとり言のような口調で話しかけてきました。一緒に学校近くの春の野山をのんびりと散策した後のことでした。

 北海道の落葉広葉樹の森は、このころ、遠くから見ると、淡い黄色や桃色、だいだい色や黄緑色など明るく柔らかなパステルカラーで彩られます。その様子はあたかも紅(黄)葉しているようです。これらは、花や葉の芽吹きの色なのです。
 「そんなものを見たことがない」と意外に思う方もいるでしょう。誰にでも見ることができるのですが、実はちょっとしたコツが必要なのです。物が見えるのは、頭で認識をする(わかる)からです。つまり見ようとしないと見えないのです。

 試しにいろいろな形の木があり、夏になると緑でこん盛りとしている山を遠くから、「どんな色があるかな」と好奇心を持って、焦点を絞るように目を凝らしてみてください。双眼鏡などは要りません。 目の不自由な方も、ぜひじっくりと全身で春の山に向かい合ってください。萌黄(もえぎ)色を感じることができるでしょう。

 ちなみに、色合いをにぎわす樹木は、ハウチワカエデ、イタヤカエデ、ヤマザクラ、ミズナラなどなど。どれがどの色かは、ぜひ森の中で確認しましょう。

(北海道新聞 5月14日掲載)

仲間と共に

2006-05-22 11:23:53 | コラム記事
仲間とともに

 自然学校は、自然体験型環境共育を旗印に活動を展開しています。なにやら難しそうな言葉の響きですが、つまるところ、まずは仲間と共に自然とのふれ合いを楽しもう、ということです。

休日ともなると自然豊かな行楽地は人で賑わい、美味しい食べ物屋さんには行列ができます。都会のビルの街並みで過ごすのではありませんから、観光客も自然を満喫していることでしょう。

緑が多く空気が新鮮ないつもと異なる場所に来て、日常のストレスから開放されたことに人々は満足するのでしょう。ところが、ほとんどの人達は、それだけに満足?して、目的地に到達しわずかな時間を過ごしただけで日常へ帰ってしまいます。より深く自然に親しむためには、目的地到達型ではなくて、好奇心を満足させるようなちょっとした体験活動をぜひしてみてください。

食事も自分で探し食べる時間があると体験度が深まります。ちょっと林道に入りフキを見つけて採る。港に行って漁師さんから今水揚げしたばかりの生きた魚を分けてもらう。いつもと違う場所にゆくだけでなく、いつもと違う行動もするのです。

山菜が見分けられない、漁師の知り合いがいないのなら、知っている仲間を作り一緒にゆくのです。
仲間と共に自然豊かな森や農山漁村の風土を実感することが、自然体験型環境共育の大切なテーマなのです。

(北海道新聞 2006.05.21掲載)