◆ 移住を決めた日
私達が田舎に移り住んで、この春で7年目を迎える。あの移住決意の夜からもう6年がたちました。
ある日、札幌の行きつけの居酒屋でカミさんと未来を語りながら一杯やっていました。というよりも、私が勝手に自分の仕事のことをボソボソと話しているけれど、相手は真剣に聞いていないという状況だったかもしれません。お互いに違う事を実は考えていたのでしょう・・・。 すると彼女が、突然「かえりたい」と言ったのです。(と、私には聞こえた)
「えっ、帰りたいの?」
「違う!」
「えっ、何?」
「帰りたいのではなくて、変わりたいの!!」
「はっ・・・?」 それからが、急展開でした。
その頃、三重県の山深い谷間の集落に自然学校を立ち上げるお手伝いをする仕事があり、「どうせなら、お前も行くか?」なんて無責任に問いかけていたのでした。結局、私だけが毎月10日間ほど出張で通うことで1年を終え、夫婦で住まうことはご破算となったのでしたが、彼女はその時から本気で「田舎暮らし」を考えていたらしいのです。
「それじゃあ、黒松内にゆくか?」
と何気なく聞くと、こちらがビックリするほどに元気よく「行く!」ときっぱりと答えたのでした。さらにはその晩、扶養の身の子ども達も、実に簡単にOKをだしたのです。それからはむしろ、彼女達の決定に私の方が置いていかれそうな勢いでした。そのわずか一月後には、人口180万人の札幌市から人口3400人の黒松内町へ移住をしてしまったのでした。
移住の決定はタイミングが合っただけなのかもしれません。実は、「黒松内」は、カミサンも娘達も何度か訪れた場所であり、自分達の新たな故郷とするための下見は、案外何度もされており心の準備はできていたのかもしれません。
つまり、移住を決めるまでは、何度もその地を訪れ、地域を知り、知り合いを作ることが大切なのです。
◆ ネットワーク
「デパートがないと生きてゆけない」と言っていた彼女の田舎でのフットワークの良さは、意外なほど機敏で神出鬼没でした。自動車は運転できないが自転車で10Km、20Kmを平気で走り回る。トラクターの牽引作業機で畑仕事を手伝っているかと思えば、おにぎり持って釣りに出かけ、ウニ剥きのアルバイトをし、留守かと思えば「漁協の婦人会に出ている」と電話が来る、といった具合でした。元来食いしん坊の彼女にとって、食料生産の現場体験は、とても楽しいもので新鮮だったのです。農村漁村の女性達のネットワークに関わってゆく彼女のバイタリティとコミュニケーション力は、私に持ち合わせていない能力なので、うらやましい限りでした。 彼女の力によって、これまでになかった自然学校と地域とのつながりが急速に深まってゆきました。
移住をしてからは、地域内にいろいろな人間関係を作ってゆくことが大切です。その時、「食べ物」は、実に有効なコミュニケーション手段となることは、カミサンが実証済みです。
◆ 一般人の意味
地区の会合で、「高木さんは唯一の一般人だからなあ」と言われたことがありました。その時は何気なく聞き流してしまいましたが、どうも気にかかる言葉となりました。「よそ者」として距離を置いているということではなさそうですし、言った本人達の方が特別だと考えているのでもなさそうです。その本当の意味がわかったのは、それからしばらくしてからでした。
ある別の宴席で、お酒が入って賑やかになると、年配の人を若い人が、役職者同士が名前を呼び捨てにしながら話をするのです。これには最初、驚きました。でも皆さんの人間関係を知ってくると、これは当たり前のことだと知るようになりました。つまり、多くが遠縁の親戚であったり、半世紀を越えた幼馴染だったりするわけです。この密度の濃い人間関係が、地域の共同意識を高めているわけです。 だから、その過去の共有、人間関係のしがらみを知らないから、「一般人」なのです。つまり、5年や10年を経た移住者と、つらさも楽しさも、悲しさも嬉しさも共有してきた地域住民との「同じ時」「同じ経験」の差があまりにも大き過ぎるのです。しかし、移住者はそれを、あまり知らないほうがいいかもしれません。一方、知っていた方が失礼しないで済む場合もあります。
いずれにしても、移住者は、「後から」来た住人であることを意識していることが、まずは地域への礼儀であると思っています。
都会と田舎、世の中には明らかに異なる人の住処(すみか)があります。人間生活全体にとっては、どちらもバランスよく存在していること大切でしょう。ところが今の世の中、都会に偏りすぎているように思えます。
都会はお金を使うような仕組みが巧妙に作られている。田舎は、それに比べてとてもシンプルです。私達は、そのバランスを崩してしまっているのではないでしょうか?
都市生活をしている人達に、移住でなくても、ぜひ長期に田舎に滞在し、そのバランスを考えて欲しいものです。