◆ねおすのビジョン
ねおすの経営原則は「新しい出会い」の場の創出にある。「自然との出会いばかりではなく、多様な人と出会える場」は、新しい気づきをもたらし、新たなことが創造される可能性が生まれると考えている。目指す社会は、特性が異なるテーマ(例えば、子育て、農業、福祉、自然)で活動する小さな「コミュニティ」がたくさん存在し、それらが、関係性を持ってつながりあっているネットワーク型社会である。そして、これを「社会関係資本の整備」と考え、その実現へのプロセスを実行することを組織のミッションとしている。
すでに、ねおすの活動にはコミュニティの様相を呈している事業が複数ある。NPO法人北海道山岳活動サポートは、ねおすから派生したNPOであるが、山登りが好きな人達が集まる山岳・野外行動技術と知識を持ったコミュニティである。また、登別のフォレスト鉱山は多くの住民が関わる子どもを主な対象としたボランタリーな活動を展開している。廃校舎利用した黒松内ぶなの森自然学校は農村に立地し地域社会の一員としての日常生活と業務が重なり合っている。そして、大雪山自然学校は大雪山国立公園をフィールドとしている。それぞれの地域に住むスタッフは、ライフスタイルが異なり、また質の異なる仕事をしているのだ。各担当職員とその家族、そして関わるボランティアや地域住民、事業の参加者で構成されるコミュニティであると考えている。
それぞれのコミュニティのコアであるねおす職員は、そのコミュニティの特性によって、異なる専門性や対人関係のコミュニケーション力を高めることができる。 そして、時にはそれぞれの得意な分野を生し他のコミュニティに出向き協働や相互研修によって、緩やかにつながり合える状態・ネットワークを構築している。この交流にはコストが掛かるが、それを意識的に経営のシステムとしている。異なるコミュニティを体験することは、普段の自分の生活や仕事を振り返る機会ともなり、またリフレッシュにもなる。それは、新たな気づきとなり、「自己実現」するチャンスが増えることにもつながるからである。
現在、子どもの事業を特化したコミュニティ(NPO)の独立を目指しているが、将来的には高齢者福祉、障がい者福祉、農業、森林・木材などをテーマとしたコミュニティも創出され、ネットワークそのものが多様になることを理想としている。
この理想とするコミュニティ群の創出とそれらのネットワーク型協働事業、そして人材養成事業を重ね合わせた展開を、それぞれのコミュニティを個性ある銀河にたとえて「銀河ネットワーク構想」と称している。
◆エコツーリズムと地域・人づくり
一方、ねおすはエコツーリズムを経営の大きな旗印としてきた。そして、都市以外に活動拠点を持ち、スタッフがその地に居住することにより地域社会が抱える問題を現実に知るようになった。
それは、例えば、高い高齢者率からの高齢者問題、漁獲高の減少と漁村経済の問題、グローバル経済の中での農家経営の存続問題、雇用問題、都市と比べた収入の格差、地方財政の逼迫、田舎といえどもコミュニティが崩壊しつつある現状などである。エコツーリズムを産業から評価すると経済効果がその指標となる。しかし、それでは地域に内在する問題の解決を図ることは難しく、地域に立脚した事業を展開し地域社会に共存をめざすことはできない。
これまで、エコツーリズムは、「経済」や「自然保護・保全」についてはよく話題になるが、「人づくり」や「地域づくり」についてはあまり論議されてこなかった。特に、大きな観光資源を持たない小さな地域の観光を考えるとき、それは、人づくりによる地域振興と重ね合わせる必要がある。
◆ツーリズムの限界
エコツーリズムに社会問題の解決まで求めるのは、小さな地域社会が抱える問題は広範に及ぶだけにとても難しい。しかし、ツーリズムは人々の心に豊かさを提供するものであると捉えるならば、訪問地である地域社会の福利にも良い影響を与えるものであるべきだ。しかし、良いサービスを提供する観光業は労働集約型産業とも言える。エコリゾートが豪華になればなるほど、エコツアーの料金が高くなれば高くなるほど、つまりサービスが増えれば増えるほど、低賃金労働構造も増えるのではないだろうか。
グローバル経済に飲み込まれた世相は、人々の生活を「上流と下流」、「勝ち組と負け組み」、「セレブとプアワーカー」と平気で色分けするようになってしまった。この傾向はとどまる事はないのかもしれない。日本にも格差社会は否応なしにも訪れている。ツーリズムがそれに加担してはならないとさえ思う。
コスタリカのガイドもハワイのエコリゾートの従業員も決して高い賃金を貰ってはいないだろう。もちろん、より高収入を望んでいるだろうが、彼らの笑顔やホスピタリティに触れると、その仕事を自らが楽しんでいる様子が伝わってくる。そして、その笑顔の理由を考えたとき、その地域で「暮らす」ことが、「心の豊かさ」につながり、それが笑顔に反映されているのではないかと思う。
つまり、地域社会の福利厚生度が満足できるものなのだと考えられる。子育てが安心してできる、自分の趣味の時間が持てる、話ができる友や仲間がいる、コミュニティが生活に保障されているなど、暮らしやすい社会環境があるからこそ体現できる「笑顔」ではないだろうか。
日本の観光は「顧客満足」は要求されるが、サービスを提供する側の満足「雇用者・地域住民の満足」が考えられてきたとはいえない。雇用者がその地域粋に定着するか否かは、賃金だけが問題ではないだろう。その地域で生活することの社会的満足が必要なのである。
訪問者が心豊かな気持ちになれる地域は、その地域が暮らしやすい地でもある必要がある。訪問者にとっては非日常であるが、その地に暮らす者にとっては「日常」である。
ツーリズムの健全な発展のためには、地域の「日常生活の豊かさ」をつくることが実は、とても重要だと思う。
*****
(2008出版予定の本のコラム・・・でしたが・・没となった・・・ 残念)
ねおすの経営原則は「新しい出会い」の場の創出にある。「自然との出会いばかりではなく、多様な人と出会える場」は、新しい気づきをもたらし、新たなことが創造される可能性が生まれると考えている。目指す社会は、特性が異なるテーマ(例えば、子育て、農業、福祉、自然)で活動する小さな「コミュニティ」がたくさん存在し、それらが、関係性を持ってつながりあっているネットワーク型社会である。そして、これを「社会関係資本の整備」と考え、その実現へのプロセスを実行することを組織のミッションとしている。
すでに、ねおすの活動にはコミュニティの様相を呈している事業が複数ある。NPO法人北海道山岳活動サポートは、ねおすから派生したNPOであるが、山登りが好きな人達が集まる山岳・野外行動技術と知識を持ったコミュニティである。また、登別のフォレスト鉱山は多くの住民が関わる子どもを主な対象としたボランタリーな活動を展開している。廃校舎利用した黒松内ぶなの森自然学校は農村に立地し地域社会の一員としての日常生活と業務が重なり合っている。そして、大雪山自然学校は大雪山国立公園をフィールドとしている。それぞれの地域に住むスタッフは、ライフスタイルが異なり、また質の異なる仕事をしているのだ。各担当職員とその家族、そして関わるボランティアや地域住民、事業の参加者で構成されるコミュニティであると考えている。
それぞれのコミュニティのコアであるねおす職員は、そのコミュニティの特性によって、異なる専門性や対人関係のコミュニケーション力を高めることができる。 そして、時にはそれぞれの得意な分野を生し他のコミュニティに出向き協働や相互研修によって、緩やかにつながり合える状態・ネットワークを構築している。この交流にはコストが掛かるが、それを意識的に経営のシステムとしている。異なるコミュニティを体験することは、普段の自分の生活や仕事を振り返る機会ともなり、またリフレッシュにもなる。それは、新たな気づきとなり、「自己実現」するチャンスが増えることにもつながるからである。
現在、子どもの事業を特化したコミュニティ(NPO)の独立を目指しているが、将来的には高齢者福祉、障がい者福祉、農業、森林・木材などをテーマとしたコミュニティも創出され、ネットワークそのものが多様になることを理想としている。
この理想とするコミュニティ群の創出とそれらのネットワーク型協働事業、そして人材養成事業を重ね合わせた展開を、それぞれのコミュニティを個性ある銀河にたとえて「銀河ネットワーク構想」と称している。
◆エコツーリズムと地域・人づくり
一方、ねおすはエコツーリズムを経営の大きな旗印としてきた。そして、都市以外に活動拠点を持ち、スタッフがその地に居住することにより地域社会が抱える問題を現実に知るようになった。
それは、例えば、高い高齢者率からの高齢者問題、漁獲高の減少と漁村経済の問題、グローバル経済の中での農家経営の存続問題、雇用問題、都市と比べた収入の格差、地方財政の逼迫、田舎といえどもコミュニティが崩壊しつつある現状などである。エコツーリズムを産業から評価すると経済効果がその指標となる。しかし、それでは地域に内在する問題の解決を図ることは難しく、地域に立脚した事業を展開し地域社会に共存をめざすことはできない。
これまで、エコツーリズムは、「経済」や「自然保護・保全」についてはよく話題になるが、「人づくり」や「地域づくり」についてはあまり論議されてこなかった。特に、大きな観光資源を持たない小さな地域の観光を考えるとき、それは、人づくりによる地域振興と重ね合わせる必要がある。
◆ツーリズムの限界
エコツーリズムに社会問題の解決まで求めるのは、小さな地域社会が抱える問題は広範に及ぶだけにとても難しい。しかし、ツーリズムは人々の心に豊かさを提供するものであると捉えるならば、訪問地である地域社会の福利にも良い影響を与えるものであるべきだ。しかし、良いサービスを提供する観光業は労働集約型産業とも言える。エコリゾートが豪華になればなるほど、エコツアーの料金が高くなれば高くなるほど、つまりサービスが増えれば増えるほど、低賃金労働構造も増えるのではないだろうか。
グローバル経済に飲み込まれた世相は、人々の生活を「上流と下流」、「勝ち組と負け組み」、「セレブとプアワーカー」と平気で色分けするようになってしまった。この傾向はとどまる事はないのかもしれない。日本にも格差社会は否応なしにも訪れている。ツーリズムがそれに加担してはならないとさえ思う。
コスタリカのガイドもハワイのエコリゾートの従業員も決して高い賃金を貰ってはいないだろう。もちろん、より高収入を望んでいるだろうが、彼らの笑顔やホスピタリティに触れると、その仕事を自らが楽しんでいる様子が伝わってくる。そして、その笑顔の理由を考えたとき、その地域で「暮らす」ことが、「心の豊かさ」につながり、それが笑顔に反映されているのではないかと思う。
つまり、地域社会の福利厚生度が満足できるものなのだと考えられる。子育てが安心してできる、自分の趣味の時間が持てる、話ができる友や仲間がいる、コミュニティが生活に保障されているなど、暮らしやすい社会環境があるからこそ体現できる「笑顔」ではないだろうか。
日本の観光は「顧客満足」は要求されるが、サービスを提供する側の満足「雇用者・地域住民の満足」が考えられてきたとはいえない。雇用者がその地域粋に定着するか否かは、賃金だけが問題ではないだろう。その地域で生活することの社会的満足が必要なのである。
訪問者が心豊かな気持ちになれる地域は、その地域が暮らしやすい地でもある必要がある。訪問者にとっては非日常であるが、その地に暮らす者にとっては「日常」である。
ツーリズムの健全な発展のためには、地域の「日常生活の豊かさ」をつくることが実は、とても重要だと思う。
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(2008出版予定の本のコラム・・・でしたが・・没となった・・・ 残念)
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