はる風かわら版

たかぎはるみつ の ぼやき・意見・主張・勝手コメント・コラム、投稿、原稿などの綴り箱です。・・・

札幌学院大新入生オリエンテーションでの講演要旨

2013-04-08 22:39:57 | 教育

◆自己紹介 NPO法人ねおす の活動理念
北海道の森や山、海や川、山麓の町や村に触れ、
自然豊かな地域に暮らす人たちに出会う、自然への旅と交流づくりを通して、
自然と社会との心地よい関係(人・地域)づくりに貢献し、
人々の心の糧になるような 北海道らしい自然体験文化を育ててゆきます。

ねおすの意味  北海道自然体験学校NEOS
• N  自然  Nature
• E  体験  Experience
• O  野外  Outdoor
• S  学校  School
Education(教育)、Enviroment(環境)、Ecology(生態学)、 Neo (新しい)

子どもの自然体験活動、エコツアー、国立公園や農山漁村地域での様々な地域活動
医療介護と自然体験活動、関わる人材育成(自然ガイド、地域コーディネイター)など

◆自分で自分を育ててオトナにする「学び方を学ぶ場」が大学。

◆東日本大震災から3年目. 被災地に独自のボランティアセンターを維持し、子どものケア、漁業支援、起業支援、交流・ツアー事業の継続支援をしています。この2年間の経験と激動する今の社会の中にあって、活動方針の原点に帰ろうとしています。

◆いつの時代でも大激動の時代があった。 その時期に世界は入っている。 これまでとは違う世の中に変わってくる時代に今、君達は生きている。  何が違うのか・・・3つばかりあげます。

①人口が減じる。 
それも先進国と言われる文化生活が進んだ国において、これから30年位の間に人口が3~4000万人も減る。太平洋戦争後からずっと統計数字が右肩あがりの状態から減少に転じた時代を生きる。 今、1億3000万いる人口が、君たちが私と同じような年齢になると、9000万人から8000万人になる。 どう考えたって、今の日本の社会とは異なる社会システムが必要だ。

②資本主義が行く着くところまで行くだろう。いわゆるグローバル社会だ。
みなさんが生まれた頃に、昭和の好景気が一気に落ち込む「バブルの崩壊」という時代があった。それから、今話題になっているデフレ経済に陥り、日本の経済力が落ちてきたと言われている。それを打開すべき、政府・日銀が市場資金を2倍にするという大政策を打ち出し起死回生しようと試みている・・・本当にできるのか・・。

人口が減っていくのに、GDPは経済成長させてゆく・・・私にはその算数がどうしても理解できないなあ。

③原発事故の影響
福島第一原発は今も壊れたままである。放射能を周辺に放出し続けている。電源も今だに喪失事故を連続的に起こしている。世界は日本をどのように見ているのか? 農業生産品の輸出を増やすことは本当にできるのか・ なぜ、国は国の調査団を送り込まないのだ???この事態への危機意識があまりにも政府・電力会社に希薄だと言わざるをえない。

◆社会は本当に変わってゆくのか?  変わると私は信じている。
 というよりも、この大きな社会課題さえしっかりと押さえておけば、一部でありとも解決の方向性はある。グローバリズムに対するローカリズムが社会のセイフティネットの役割を果たしてゆくと考えています。


◆そういう時代背景の中、大学を出ても就職が大変になってきた。
だから、どこの大学でも「キャリア教育」が盛んになっているようですね。ここ札幌学院大学でも力を入れていると聞いています。やっと受験が終わったばかりなのに、入学と同時に「自分の将来の職業、就職について考えなければならない。」 大変だね。 私がオリエンテーションで話をする依頼を受け、事務局と打ち合わせているうちに、「キャリア教育」との言葉のやりとりはありませんでしたが、どうも、このキャリア教育の一環であるらしいと感じました。

にも関わらず・・、企業の経営者でもない、人材育成の専門家でもない、NPOの経営者である、私を講師として呼んでくれた札幌学院大学は、かなり思い切った選抜をしてくれたなと、自分でも驚いていますし、札幌学院大学が、社会へ諸君を輩出する気概を感じました。

さて、ここで問題・・。今言った、「はいしゅつ」と「きがい」を漢字で書ける? ごめんね、こんなことを大学生に聞いて・・。 最近、学生さんの基礎学力が落ちていることにがっくりくることがあるんだな。  理科系の学生にカヌーが浮かぶ理由を説明しなさいと聞いたら「浮力」とは答えるが、浮力はどうして生じるのかを説明できない人がいた・・。

「わからない」と感じたことは、わからないままにしない、わかったつもりにしない。
これが、まず、オトナになる学び方を学ぶ第一歩だ。

さて、私たちの時代には、とは言ってもかなり昔ですが、「キャリア教育」なんてなかった・・・。

辞書を引いて見ると・・・、
「個々人が生涯にわたって遂行する様々な立場や役割の連鎖及びその過程における自己と働くこととの関係付けや価値付けの累積」 キャリア教育の推進に関する総合的調査研究協力者会議報告書-児童生徒一人一人の勤労観、職業観を育てるために-(平成16年1月)

 「望ましい職業観・勤労観及び職業に関する知識や技能を身に付けさせるとともに,自己の個性を理解し,主体的に進路を選択する能力・態度を育てる教育」 中央教育審議会答申 初等中等教育と高等教育との接続の改善について (平成11年12月)

 難しいなあ・・・なんだかおせっかいだよなあ・・・。
でもね、もう少しわかりやすく言うと、こういうことだと思うのです。

「子どものときは、家の手伝いをしなさいとか、下級生の面倒を見なさいと言われます。特に小中学校では、日直、給食係り、飼育当番など様々な役割があり学級という小さな社会での役割が与えられます。さらには、就職したり、結婚することによってまた新たな役割が生じます。私のように田舎にいると、地域社会とつながる中で、様々な役割を果たしていかなければなりません。すなわち、人は生まれてから死ぬまで様々な立場でいろいろな役割を果たしながら生活していく。」ということなんだよね・・と学ぶことがことだと思います。

だから、キャリア教育は 就職テクニックを学ぶことではない。
今から、自分が進むべき職種を限定してしまうこともない。
それを模索する、社会を少しずつ知ってオトナになる準備をするのが 大学なのですから。

では、私達の時代はキャリア教育なんて言葉は聞いたことがなかった。なのに何故、今こんなにもキャリア・キャリアというのか・・、考えてみたのですが・・、

私達の時代というよりは、ちょっと前までなのですが、あまりにも世の中がConvenienceになっちゃったんですよね。 皆さんが生まれた頃からではないかな。私が今のシゴトを始めたのは20年前ですが、パソコンは一人一台もなかった。まだワープロでした。携帯電話なんて金持ちが大きなサイズを持っているだけだった。 コンビニは人口2000人の田舎にもある。チェーン店の居酒屋なんてこんなにもなかった・・・。 ですから、アルバイト先は多種多様であったなあ。

 それに気づける者が時代のイニシアティブ(率先して物事の主導権をとること)を握ることができる。
 それを練習するのが大学時代だ。

◆まずは一番大切なことは何か?  「物事に関心を持つこと」です。
人間が持って生まれた、他の動物よりかなり秀でた能力は何だと思いますか?
それは、「好奇心」です。 他の動物に比べても特異的に好奇心が高い。この好奇心の有効利用こそが 非力であった我々のご先祖様の霊長類が自らを生きながえるためにとった生存戦略だ。

そのために人類は大脳の前頭葉を発達させてきました。前頭葉は物事を組み合わせて考えたり、理性的、論理的に考えることを司っています。この部分が活躍するようにするためには、特に幼児期が大切であることが大脳生理学によりわかっています。好奇心のままに動き回る乳児から幼児期に脳細胞のネットワーク・回路が複雑にできあがってきます。いわゆる物事を判断できるようになり、言葉も無意識のうちに論理的に組み合わせて使いこなせるようになります。 物事に関心を持てる能力は、幼稚園、小学校で身につけさせる最大の教育目標です。

しかし、能力だから生まれながらの特性もある、好奇心が強い人もいれば、そうでもない人もいる。あるいは、幼児期や小学生時代に大脳の前頭葉の刺激が足りなかった人もいる・・・
では、もう遅いのか・・・? そんなことはない、一般生活に必要なことは、幼稚園の砂場で遊んでいれば覚えることはできるが、学び方を学ぶことができれば、人間は成長し続けることができる。  
だから、大学にきたんでしょ? 
自分を自分で育てるための学び場として自分で大学を利用できないと、それは、やはり人生にとって大損だな。

ならばどうするか・・・、 

◆自らを自らに刺激のある環境に置くことが大切だ!
・「安全の領域・Czone―Comfortable Zone」から出てみること。そのことによって自分の活動できる領域が広がる。
 この大学に来たこともCzoneを広げる大チャンスだ。 だから、いつまでも高校時代からの友達だけと付き合っていてはだめだ。 新しい仲間をつくらなければいけない。

「自らを自らに刺激のある環境に置く」とはどういうことか、具体的に3つあげよう。

① 自分と同年代以外の人と話をする 
 ソーシャルコミュニケーション力の基礎力をつける。

社会的渉外力(この漢字と意味も大丈夫かい)。人との交渉事は自分の思うようにゆかない。説得するだけでは人は本気で動かない、どんなにディベート・討論が上手でも普段の人間関係もうまくなるわけではない。相手の立場、意見も尊重しながら共感できる考え方、シゴトの進め方を一致させていくことは、とても難しい。それができるようになるためには、ソーシャルコミュニケーション能力を高めなければならない。 これは、試験勉強のようには行かない。とってつけた面接試験対策でも身につかない。 失敗を重ねながら、時には叱られながら、相手との距離感を測り、共感を呼ぶためコミュニケーション力は、長い訓練をしなければ身につかない。もちろん、技術として獲得できるるやり方もあるが、それを使いこなすためには、自分の元々の個性も活かしながら、人それぞれがそれぞれの方法で体得するしかない。

② 様々な職業人に出会う
会って話を聞くだけではわからない、その人と行動を共にする。
もし、自分がなりたい職業像がすでにあるのであれば、その職業についている人に数多くであう。 話だけを聞いて自分に「合う、合わない」を勝手に決めないことだ。

③ 旅に出る。 身体で確かめる
情報映像社会になって、それこそ地球の果てまでレポーターや芸能有名人が訪れて、あたかも自分が行ったような錯覚に陥る疑似体験ができる時代になった。いった気になってしまう。 しかし、実際に行って見る実体験には、匂い、音、肌に触れる感覚がある。
津波被災地の映像はたくさん見たと思うが、現地へ行き、その風景の中にいると映像では感じられなかったことが身体に襲ってくる。 そこで感じたことは、実感をもって伝えらるようになる。

****

私は、あの震災の後、北海道に居た民間人としては、おそらく一番最初に現場に入りました。なぜかというと、列車もフェリーも欠航し、被災地の空港も閉鎖されていた。だからあの時、北海道は本当の孤立した島国になっていた。その再開第一便のフェリーに函館から乗ったのだが、そのほとんどは港で足止めをくらっていた長距離トラックであり、一般乗用車は、最後の最後となり、待っていたうちの3台しか乗れなかった。その一台が私たちのワゴンだった。翌日の現地入りも、余震が続く中、土砂崩れの危険もあった。現地は津波が到達していた場所とそうでないところが、一線となり天国と地獄だった・・・。 今はがれきは多方かたづいているが、先週始めて現地へいったボランティアでさえ、その光景に絶句する。 私達が支援に向かった先は、現在封切りされている映画「遺体」のモデルとなっている遺体安置所があった釜石市鵜住居です。私たちはその横を毎日通っていました・・・・。

もう何年も遠い歴史のかなたのように風化しつつありますが、現地ではまだ仮設生活、職業がない人たちが大勢います。復興は停滞しています。我々の支援地での漁港再興第一次計画からは外れていますが、釜石、大槌で3万人以上の人々が懸命に生きようとしています。 現地に行っているから、それが実感できた。

****
ジャングルの奥地や被災地支援に行かなくてもいい、観光旅行であってもいいと思うよ。だだし、若いのだから観光旅行であってもパッケージ旅行ではなく、自分で情報を集めて、自分の力で旅をしてみる。自分で確かめることが大切だ。自分の言葉で実感を持って、しゃべれるようになります。


◆最後にひとつ・・・私が被災地支援において、自らキャリア教育されて気づいたことなのですが・・・、

役割は待っていてもこない。
役割は探し出すものだ。
その時、自らの能力を把握し、ない能力は他者と協力しつつ働く方法(協働)考えること。人と人をネットワークすること・・・ワーキングネット 徐々につくりあげてゆく。

◆ ソーシャルコミュニケーション能力を高める「そだちば」というインターシップ受け入れを仕組み化しようと動いています。
どんなことでもいい、こんな職業体験、地域活動がしてみたいことがあれば、相談に来てください。 何か今なくてもいい、「何かしたい」でもいい・・、相談に乗ります。

ねおすのインターンシップ

2007-09-18 22:56:54 | 教育

「また、必ず来ます!」
胸を張り、キラキラとした目でしっかりと私を見つめて、はっきりとMは言った。手を差し伸べると、力強く握り返してきた。青年らしい爽快な笑顔だ。未来に向けて、今日も一人が旅立って行った。ねおすグループには、「研修生」と呼ばれるスタッフがいる。彼もその一人で、「黒松内ぶなの森自然学校」にある築60年の通称「開拓の家」に3人のまさしく同窓の仲間と半年暮らし、たくさんの地域の方々と触れ合い、都市と農山村の交流、子ども達への自然体験活動を実務実践してきたのだ。

彼ばかりではなく、今年も20~50代の10数名が全国から参集している。本部やコーディネイトしている各地の自然学校やネイチャーセンターを拠点として、それぞれの現場の仕事を「実習」として、数ヶ月から1年の間、「地域」に住み暮らし、日々研鑽を積んでいるのだ。 ねおす自らの研修生制度もあるが、他団体や大学から期間を限ってやってくる人もいれば、国の緊急雇用対策制度に重ね合わせたケースもあった。

 彼、彼女らは、年齢に関係なく皆「若者」だ。未来を見つめ、その明日に向かって、今の自分を磨く人達だ。未知の世界に大いなる興味と関心を抱き、新しい物事に全身全霊を賭けて我身を投じている。その姿は、美しく素晴らしい。

だから・・、実は・・・、

研修させてもらっているのは、そんな若者達との関わりが持てる、私自身なのだ。
「みんな、ありがとう」
                             
(季刊ねおす MISSONより)

子ども長期自然体験村

2007-08-17 20:54:15 | 教育
子ども長期自然体験村

子ども長期自然体験村は、全国から30名の子どもと10代から70代、海外のスタッフを加え総数50数名が北海道黒松内の元小学校に集い20日間過ごす夏のワンダーランドで、今年9回目の開催を迎えます。

 ここは山と海に囲まれた農村漁村地域で北限のブナの里です。海に飛び込み、山に登り、カヌーに乗り、魚を獲り畑で野菜を収穫する自然体験活動、そして、日常とは異なる友達やたくさんの大人と一緒に過ごす生活体験活動でもあります。

コンセプトは「大家族」「全開遊び」です。「食べて、遊んで、寝る」がわかりやうし基本方針。ですから、日本の片田舎で「正しい」子どもの夏休みを過ごす活動だと自負しています。

集団生活ですから楽しい事もあればつらい事もあります。笑い声もあれば泣いている子もいます。怒られ褒められることもあれば、子どもが大人に交渉を持ちかけることも少なくありません。単なる体験活動の指導者と子どもという関係性だけでなく、共に過ごすということを大切にし、自然そして、人との関わりも直接自分の体と心で感じる「生身の体験」を重要視しています。

日常の子どもの回りには情報が氾濫し、いったいどれが自分にとって意味ある情報か選択することが難しくなっています。

近い将来、人口が減少しかつ人類が経験したことがない超ウルトラ高齢社会がやって来ます。その社会は、今とは相当異なる社会システムが必要な時代であるはずです。す。しかし、政治家、親、その他たくさんの大人たちは、どうもそんなことはイメージできていないように思えます。

しかし、その時代を生きるのは今の子ども達なのです。だからこそ、彼等には未来を競走だけではなく共創的に生きる術を養うことが必要です。

その術の獲得には、いつもと違う生身の体験を積み重ねることが重要だと信じて、村を運営しています。

黒松内ぶなの森自然学校 代表 高木晴光
(2007.8 朝日新聞コラム 改編)


山村留学

2007-02-24 20:15:26 | 教育
山村留学生のIDUのお父さんとお母さんがIDUには内緒で今日やって来ました。バトミントンの試合から帰ってきて、食堂にいた二人を見つけたときは驚きの大きな声をあげました。 来年も引き続き留学することになっているIDUとご両親の関係を・・・里親と言う当事者で見ていると、時には、両親と一緒に居たいと強く願っている時もあれば、やはり黒松内にいたいと思っている時もあり、揺れる心がわかり、私の方がせつなくなることもありますし、親子関係の絆をかえって深めているなあとも感じます。

山村留学を始めてもう3期目ですが、人様の子どもを預かる、親から言えば他人に自分の子どもを預ける行為は、案外今の時代だからこそ意味を持っているのだと思うようになりました。 つまり、家族以外の他人と関係性が少なくなっている今の時代だからこそ、「他人の飯を食う」ということは、子どもの時の貴重な体験として意味があると思います。

考えてみれば、他人の家に世話になっている子どもも大変ですよね・・。 肉親と同じような甘えをできるわけでありませんし、強い反発もできないかもしれません。おのずと他人と付き合う加減というものを 体験的に学ばざるを得ない状況にあります。

来年は5人もお預かりすることになりました。 責任も大きくなります。
里親として、子ども達に良い体験をさせてあげたいと思います。

人が育つ場

2007-01-08 16:03:33 | 教育
◆ 人が育つ場
   ~ ロマンティシズムとリアリズムの並存 ~

「君は何をしたいの?」「来年の今頃は何していると思う?」
スタッフによく問いかける言葉です。何気ない質問のようですが、実は、重みを持った問いかけであり、時には、グサッと核心に刺さり、考え込ませてしまうこともあります。 

 一般の会社の目標は明確です。良い商品を作り、それをどれだけ売るか、どれだけの利益率をあげるか、たくさんの人を集め対価としてのサービス料をどのくらい稼げるか、目標値を分かりやすく設定できます。一方、NPOの目標値の設定は、売り上げだけを目標設定にできません。関わる人の「成長」という難しい目標があるのです。

 NPOが生み出すのは、商品ではなくて「人」です。ねおすが実施する事業は、「人が育つ場」でもあることは、ねおすの重要な経営原則です。自然体験活動を広めることができる、人と自然、人と人、社会と自然の関係性(社会関係性資本)を生み出すことができる人材を輩出するための人材養成は、欠かせない事業なのです。

 関係性を生みだす自然ガイド、地域マネージメントの力を備えた人材は、知識だけでなく、自らが自然の中で、あるいは人の中で新しい体験をし続けることで育ちます。その場、機会を提供し続けることが必要です。ですから、顧客(事業の対象者)は組織外部だけでなく、内部にも存在するわけです。また、実務が伴うだけに、この養成は、既存の大学、学校教育だけで果たせることではありません。そして、時間がかかります。

 ねおすは、独自の人材養成コース、研修生と称するスタッフ制度、他の団体からの実習生の受け入れ制度を持っています。そして、その制度を維持するために、地域の人達、大人や子どもの参加者、研究者など多くの人との関わりあいを生み出すという循環型のシステムを作り上げています。

とは言え・・、事業維持には、資金も必要という大きな矛盾を抱えています。

「ロマンティシズムとリアリズムは個性において、並存し得る」
座右の銘です。

(季刊ねおすのコラム MISSON 07.01 改編)

教育基本法の改正?

2006-12-17 00:25:00 | 教育
教育基本法は、改正されたのだろうか?
この問題に、今の私は、しっかりとした回答を持ちえていない・・・・。
文言には、強い違和感を覚えることは、ない・・。

子ども達に、故郷を愛する気持ちを養うことには賛成である。
公共への意識を育むことも賛成である。

しかし、違和感というか、不安があるのは、それを運用する政治と行政への「真意」である。 

我が連れ合いが、「孫はいらない」と言った。 この国の先に不安があるからだという。 それに対して、明確に反論することが、できない・・・。

***
自分で、しっかりと考えることができる大人を増やさなければならないと思う。
そのためには、
自分で、しっかりと考えることができる若者が増える必要がある。
そのためには、
自分で、しっかりと考えることができる中高生が増える必要がある。
そのためには、
自分で、しっかりと考えることができるようになるために子ども達を育む必要がある。
そのためには、
子ども達に、たくさんの体験をさせることがまず必要だ。

30年はかかるか・・・。

教育とは・・・

2006-07-06 00:34:10 | 教育
 埼玉の自由の森学園の高校生を1週間受け入れました。今日、みなさん帰りました。 密度の濃い1週間を送ってくれたようです。 片道3,400mもある畑の草取り、漁師のおかみさんの浜料理体験、トドの死骸があった磯のロングウォーク、小学校との交流会、児童館の訪問、養護施設の子との出会い、たくさん釣れた川、真っ赤な夕焼け、雲海のニセコアンヌプリ、子牛の出産・・・などなど、黒松内でたくさんの体験をしてゆきました。

 彼等の心のアルバムにどんなキャプションのついた心象が残ったのだろうか・・・。 お別れ会のひとりひとりの感想は、いつもはあまり話さない生徒も一言一言、言葉を捜すように、しっかりと話してくれた。

ここでしかできないことを探していた・・・、でも、それは、暮らし方だった。 ただ寝ていても、ここでしかできない眠り方だった・・・そんな 気づきが嬉しかった。

引率される教員の「待ち」の姿勢が素晴らしかった。 生徒を信頼しているからこそできることだと思った。  「自由」とは・・・、「責任あること、束縛されることでもある」と、哲学をあっさりという生徒が複数いた。

教育とは・・、教えることだけではない・・・
学び方を時間をかけて気づかせることなのだろう・・・。

つまり、教育とは、自分で自分を教えることができるように育むことなのだ。

そして、そんな機会と場を提供することも「教育」なのだと思えた。

中ノ川小中学校・運動会式辞

2006-06-12 07:29:58 | 教育
おはようございます。 
数日間、風が吹き、雨が降り続いておりましたが、幸いにも、本日、大空のもとで、このように大勢の地域内外の方々と共に、中の川小中学校の大運動会が開催される運びとなり、とても嬉しく感じております。


さて、本日の大運動会は、みなさま方もご承知のとおり、小学校108年、そして、中学校58年の長い歴史の中でも、もっとも記念すべき大会となりました。 
「運動会」という言葉の響きから、大人になっても、忘れられない思い出がいくつも わきあがってくる方々も 多いかと思います。 それは、全身で感じた勝利の喜びで あるかもしれません。 また、仲間と協力し合った達成感や楽しさであったり、負けたときの悔しさであり、あるいは、悲しい、つらい出来事であるかもしれません。
しかし、大きな思い出として残っていることを 今、ふりかえると、それらは、間違いなく、自分の人生の糧(かて)となった、子ども時代の大きな出来事だったと思えます。

本年度の運動会開催にあたり、児童生徒会が決めたテーマは、
 一致団結 ~ 感謝の気持ちを込めて、目いっぱい楽しむ ~ です。

中の川小中学校の大運動会は、今回が最後となりますが、子ども達の 「心のアルバム」に 大きく残る 思い出深いものにするためにも、 参加者の皆様も存分に楽しみ、盛り上げて 頂きたいと思います。


簡単ではございますが、これをもって、PTAを代表したご挨拶に代えさせていただきます。

それでは、怪我のなき様、本日、いち日 よろしくお願いいたします。

船中八策

2006-04-22 00:21:50 | 教育
 昨夜は大いに(とまでいったかな?)日本の未来を日本酒片手に語りましたが、お酒は、その前夜口切をして一人酒をした「船中八策」ではなくて、ゲストが持ってきてくださった黒松内の日本酒でありました。ありがたいことです。

 現代は、船中八策をねった坂本龍馬のような大計を描ける人は実はずっと増えていると想います。 「こうあるべきだ」ってね。 つまり、龍馬の時代よりずっと社会情勢が情報として誰でも入手しやすくなっている情報社会ですから、情報が無かった龍馬の時代よりも、みんなが情報分析できるようになっているのです。

 あの時代とちょっと違うのは、「熱くなれない」ということかな。なぜ?熱くなれなくなったのだろう・・・・ と考えていると・・・

実行すべき大計であるのに、実は自信を持てないままに結論づけてしまうからか・・・

後ろで せんちゃんが 一生懸命に回転盤を走っている・・・
これって素晴らしいよなあ。

一気に閉校の流れ・・・

2006-04-17 23:52:49 | 教育
 山村留学で関わりを持っていた中の川小中学校が本年度をもって閉校となることが、本日一気に決まりました・・・。 昨年来、保護者を中心に散発的に続いていた話し合いの流れからは、「決まっていた」のですが、誰も明確に口にしませんでしたが、今日PTA会長が、初めて言及しました。 地域内の議員さんや顔役の方とも話をし、「仕方なし」ということです・・・。

 現在は、小学生8人、中学生2人が在籍し、我家・自然学校を含めて5家庭。とても小さな学校です。 小さな地域の小さな学校の教育力を大いに評価し、存続を主張していた私としては残念ですが、地域と校区内の保護者が最終的には決めることなので、もはや仕方がない。

 山村留学は、もうひとつの小規模学校を特認校として残してゆく町の方針なので、来年度は移行することになるでしょう。

 何かせつない晩であります・・・。 

何に対して補助をするのか?

2006-04-14 23:22:50 | 教育
久しぶりに電話越しに文句を言った。
どんなに文句言おうと、規則に従って答弁している担当者なので、体制に変化は現れないことは知っていても一言いわせてもらわないと気が済まない・・・。

 子ども夢基金という子どもの活動を支援する文部科学省が主管する補助制度があるのですが、その補助対象がとても厳しくなって来ているのです。 当然にあてにしていた補助が事業が終わったあとに、「出ない」となると 文句も言いたくなる。(だけでなく言った)

私たちは、小さな地域で専従として活動をしている。夏の長期村などは準備期間も入れれば、一ヶ月もかかりきりになる。 しかし、主催団体の専従者の人件費や施設利用に対して補助は出ない・・。 その理由は、当該事業に使われるのではなくて、団体の運営に使われる心配があるからだという・・。  一見正しいようで、現実的でない論理で却下されている。

いったい私たちは、どこから資金を得て一ヶ月も仕事をすればいいのだろうか?

では、参加者からの負担金でまかなえばいいと思われるでしょうが・・、この補助制度はもちろん全額補助ではないですが(1/2程度にはなる)、すべての事業費を報告する必要があるのです。 つまり、その中に団体構成員の人件費や施設利用経費が読み込めないのです・・・。

「人も施設も限られている小さな地域で活動しているような私たちには使えない補助制度なのか?」

担当者は なんと答えたでしょう・・・・

「そういうことになります・・・」

こんなところにも 中央の人と資源がたくさんある地域に有利な資金の流れが組みあがってゆくのを感じます。

地方、切捨ての実感は、東京のお役人さんや 国のお金を運用している団体には共感してもらえないようです・・・。

ナニクソ!! であります!!


山村留学の意義

2006-04-05 00:27:04 | 教育
本年度の山村留学生の二人が我家の、自然学校の一員となりました。
小さな子どもがどうして1年も親元を離れる必要があるのか・・・。そんな問いかけも無きにしもあらず。 我子達は、例えば、今、学校に行けないわけではありません。今の学校に不満があるわけでもありません。  ならどうして・・?

都会でできない生活体験、学校体験が「ここ」にあるからです。
小さな地域の小さな学校  人と人とのふれあいがとても密度濃い中で過ごす1年。他人の家で暮らす1年。自分の生活圏と異なる風土の中で過ごす1年。

好奇心が旺盛で、いろいろなことを吸収できる子ども時代こそ、多様な環境の中で暮らすことがとても重要です。 都会は多様なようですが、子どもの生活圏で、ややもすると、単調で一様化しているのではないでしょうか。 それは、多様な価値観を取り込む「器」づくりには適した環境ではないかもしれません。

そこへゆくと、田舎は、子どもが自ら発見できる多様な空間があります。多くの人達とのかかわりが都会以上にできます。

何にもまして、他人の飯を子どもの頃に食べるということは、自分の家族、母や父という身近な肉親のありがたさを感じる機会にもなります。

山村留学・・・・日本の都会の子ども達は、全員半年くらいは田舎に留学し、田舎の素晴らしさを知る・・、逆に田舎の子は、都会の学校へ半年くらい通って、早いうちから、田舎と都会を比べさせたほうがいいと思う。

情報過多社会なのだから、子どものうちから、それぞれ知らない社会を実体験をさせた方が、子どもの将来の選択肢がかえって広がるのではないだろうか?