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はる風かわら版

たかぎはるみつ の ぼやき・意見・主張・勝手コメント・コラム、投稿、原稿などの綴り箱です。・・・

くろす野外計画社設立趣意書

2016-04-03 14:45:53 | 活動理念
NPOくろす野外計画社 設立趣意書

私たちはいま、未来に向かって解決しなければならない、たくさんの問題を抱えています。中でも環境問題は地球規模的な大きな課題であります。しかし、地域に根ざした活動を展開してゆくと、環境問題のみならず、社会福祉、地域振興、活力ある社会を形成するために若い人材の育成、グローバル社会における国際交流など、さまざまな社会課題が複合的に絡み合っていることに気づかされました。そして、「自然と人、人と人、社会と自然」の繋がりづくりを使命とするとき、地域の特性に着目しながら各地で事業責任を持った独自な活動を展開すべきであるという考え方に到達しました。
本NPOの源流となる北海道自然体験学校NEOSは、1992年に子どもの自然体験活動、大人の自然講座や登山を中心に自然体験型環境教育の実践を旗印に設立されました。その後、「交流と学び≒エコツーリム」を実践することでNPO法設立と同時に全国でも先頭を切ってNPO法人化し「ねおす」となりました。以後、20数年をかけ、この活動は自然体験活動をベースとした地域づくりや人材育成へと広がりを見せ,北海道の各地に自然学校の設立を行ってきました。
私たちは、『限られた自然』と人間社会が共存できるシステムの創造が、持続可能な地球社会の実現につながるものだと考えています。そして、そのシステムは「自主自律できる個性ある・専門性ある小集団・コミュニティ」を数多く創出させ、それらのネットワーキングを緻密に進めることで「社会の真のセイフティネット」を育むことができると考えています。

その結果として、東川町、苫小牧市、登別市、七飯町等に「個性ある地域活動を展開する自然学校コミュニティ」を複数創業独立させ、各地に人材を輩出してきました。各地域の経営の自主自律性を育む方針を取り、NPOねおすは、2016年度より、いち組織ではなく、「自主自律する個性ある集団」による連携体へと発展的解散をすることになりました。

 人は価値観や行動様式が異なる非常に『多様な存在』であり、複雑な利害関係をもちながら社会を形づくっています。この人が他の生物の存在も考慮しながら、共生できる社会を構築するためには、まず人自身が、その立場、考え、暮らし方が異なる他のあらゆる人々(世代間、地域間、職業間等)の相互理解を促進してゆく必要があります。つまり、お互いに一緒に時を過ごす場をつくり、情報や考え方を交換し、自らの価値観の見直し作業を行いながら、これまでの生活様式(暮らし方)の変革を継続的に模索して行くことが、今の世の中に求められていると考えています。

 ここ黒松内町での活動現場でも同様であり、これまでの黒松内ぶなの森自然学校の事業を土台としNPOねおすの理念を継承しつつ、黒松内・寿都の自然豊かな北海道の大地を次世代にバトンリレーすべく、関わる人材を育成し自らの仕事と生活を生み持続可能な地域社会に貢献できる事業型小集団(コミュニティ)として、特定非営利活動法人くろす野外計画社を設立致します。

注釈) 「くろす」は、黒松内と寿都地域という語呂合わせと、さまざまな価値・活動をcross(十字継手、交差十字路)するという思いを込めています。

                                 2016年2月吉日
                                特定非営利活動法人 クロス野外計画社
                                設立代表者 高木晴光

生きる力

2013-12-20 09:59:25 | 活動理念
ねおすにて、子どもの体験活動の意義について小冊子を作ります。
編集者のちえさんからの質問

*****

ねおすが言っている「生きる力」を上手く表現し発信したいと思っています。
いろいろ周りでも「生きる力」が必要だとは聞きますが、
ねおすが言っている生きる力とは他とどう違うのか?
それは、「どうにかする力」ではないのかというところで上田さんとは腑に落ちています。
これはあくまでも私たちが考えていることなので、ねおすの歴史を振り返る意味も込めて
まずは、高木さんにとっての生きる力はどういったものなのかはお聞きしたいと思っております。

*****
私の回答エッセイ

♪そうだ! うれしいんだ 生きるよろこび・・なにが君のしあわせ なにをしてよろこぶ♪ 
アンパンマンマーチが頭の中を回っている。

思い起こせば1990年、私は21世紀にも対応するある大型レジャー施設の計画を担当していました。しかし、時代は高齢社会。難しい仕事でしたが、ある時はたと閃めきました!「建物ではない、自分がその時代に楽しめる仕組みを作ってゆけばいいのだ。私が年寄になるまでは30年はある!」と。

一区切りついたところで会社をやめ、自分がやりたいことに精力を傾けるために北海道自然体験学校NEOSを立ち上げました。そして、21世紀からは「新田舎づくり実践人」として黒松内に移住し、閃きから20年を越えました。

私にとってのよろこびは、自然の中で人と人が幸せに過ごすことです。子どもからお年寄りまで、障がい者や病を抱えている人も海外の人も。その「場」づくりを続けています。けれど一人ではできない。いろいろなキャラクター(スタッフ)達がいないと楽しい場はできない。ねおすは様々な場と担い手を作り続ける仕組みです。

21世紀は社会激動の世紀です。今目の前にいる子ども達は大人達の経験が役に立たないような困難に立ち向かうことになるでしょう。その時代であっても、生きるよろこびを自らが見つけられる若者に仕立てたい。そのためには、好奇心を育み想像力を養うことが大事です。「夢を見る力、実現に向けてあきらめない力と実行力、その時におこる変化を恐れない力」を身につけてほしいと願い、子ども達と向かい合っています。

♪時ははやくすぎる 光る星は消える だから君はいくんだ ほほえんで♪

生きるよろこび

2013-11-05 14:45:56 | 活動理念
♪そうだ! うれしいんだ 生きるよろこび・・なにが君のしあわせ なにをしてよろこぶ♪ 

アンパンマンマーチが頭の中を回っている。

思い起こせば1990年、私は21世紀にも対応するある大型レジャー施設の計画を担当していました。しかし、時代は高齢社会。

難しい仕事でしたが、ある時はたと閃めきました!「建物ではない、自分がその時代に楽しめる仕組みを作ってゆけばいいのだ。私が年寄になるまでは30年はある!」と。一区切りついたところで会社をやめ、自分がやりたいことに精力を傾けるために北海道自然体験学校NEOSを立ち上げました。21世紀からは「新田舎づくり実践人」として黒松内に移住し、閃きから20年を越えました。

私にとってのよろこびは、自然の中で人と人が幸せに過ごすことです。子どもからお年寄りまで、障がい者や病を抱えている人も海外の人も。その「場」づくりを続けています。けれど一人ではできない。いろいろなキャラクター(スタッフ)達がいないと楽しい場はできない。ねおすは様々な場と担い手を作り続ける仕組みです。

21世紀は社会激動の世紀です。今目の前にいる子ども達は大人達の経験が役に立たないような困難に立ち向かうことになるでしょう。その時代であっても、生きるよろこびを自らが見つけられる若者に仕立てたい。そのためには、好奇心を育み想像力を養うことが大事です。「夢を見る力、実現に向けてあきらめない力と実行力、その時におこる変化を恐れない力」を身につけてほしいと願い、子ども達と向かい合っています。

♪時ははやくすぎる 光る星は消える だから君はいくんだ ほほえんで♪

(ねおす子どものための自然学校 イエティくらぶ の紹介小冊子の原稿)


NPOねおすの経営 2. 組織

2013-08-17 13:14:33 | 活動理念
2. 組織
2-1 概要編
(1)組織形態: 特定非営利活動法人ねおす
(2)所在地:  本部事業所 北海道札幌市 (まるやま自然学校と本部機能)
 拠点活動地:  北海道東川市(大雪山自然学校)、同苫小牧市(いぶり自然学校)、
         同黒松内町(黒松内ぶなの森自然学校) 
(3)運営理念: 
北海道の森や山、海や川、山麓の町や村に触れ、自然豊かな地域に暮らす人たちに出会う
自然への旅と交流づくりを通して自然と社会との心地よい関係(人・地域)づくりに貢献し、
人々の心の糧になるような北海道らしい自然体験文化を育ててゆきます。

(4)定款の目的 
この法人は、子どもから大人まで幅広い層を対象に、自然活動、環境教育、野外教育等のプログ
ラムの企画、運営など環境学習に関する事業を行い、人と自然、そして人と人との豊かな出会い
をつくり、持続可能な地球社会の推進に寄与することを目的とする。

(5)事業の大きな目標
   ①自然体験型環境教育や地域資源(文化、歴史、産業等)を教材化した体験型プログラムの企画実施
   ②子ども達が未来を創造的に生きるための基礎力の育成
   ③上記に関わる人材の育成
   ④上記を実施できる地域づくり

   法人名のねおすは、NEOSと表記されるが、そこには事業のキーワードが含まれている。
   自然(Nature),体験(Experience),野外(Outdoor),学校(School)である。
   また、Eは教育(Education)、環境(Enviroment),生態(Ecology)、楽しむ(Enjoy)
   でもあり、創造性(Neo)も意味している。

(6)事業の柱
   具体的な事業の柱は次の三本である。
  ① 地域協働事業 自然体験活動の活動拠点づくり
     目的や目標を達成するためには自然体験活動を展開する場所・フィールドが必要とされる。
  ② 自然体験プログラムの開発、企画、実施
     地域資源・素材をプログラムの教材化する。
  ③ 関わる人材の養成
     拠点を作る人、ネットワークをする人、プログラムを企画実施する人の育成

(7)組織図
 経営は特定非営利活動法人法(NPO法)に準じている。年間の事業計画、予算は本部事務局が策定し理事会の審議を経て、正会員による総会で最終意思決定をする。理事は事務局が推挙し、総会にて決定する。有給の理事者数は法律により理事者の1/3 以下とすることに定められている。具体的なNPO経営の最終決裁権は理事長にあり、最終事故責任と共に最高経営責任者として使命を果たす。
 また、本部統括事業や直轄する自然学校事業は5部門があり、理事長を含めた常勤理事3名と事務局長1名、合わせて4名が業務執行責任者となり責任分担をしている。
 
理事   10名  環境系大学教授、地方政府環境GO事務局課長、環境系コンサルタント会社代表、
         シンクタンク理事長、北海道ガールスカウト協会代表、子育て支援団体、
         若者支援NPO代表、ねおす常勤理事3名

正会員  30名  設立当初を含む一般市民 (総会での議決権あり)
(2013.06現在)


組織図省略

NPOねおすの経営 1.スタッフと人材育成

2013-08-17 12:51:37 | 活動理念
現在、依頼を受けて書いている「自然学校経営」の原稿の転載。

NPOねおす 北海道の未来に向かって進化中
地域・ミクロと世界の中の北海道・マクロの視点からの社会貢献

NPO法人ねおすの活動は、その前身である北海道自然体験学校NEOSを設立してから本年(2013年)で20年を超えた。ひとりが始めた自然体験活動は、その時々にキーパーソンが活動に参画し、任意団体→株式会社の事業部門→任意団体→NPO化し、徐々に経営形態を整えて来た。現在の年間事業は1億数千万円、独立をさせて来た複数の自然学校の事業を合わせると2億円ほどの規模がある。しかし、私達が大きな目標としているのは、「北海道らしい自然体験文化の創造」であり、その実現のためには、いち自然学校が巨大化するのではなく地域に立脚した、自主自立・自律した地域サイズの小さな自然学校をたくさんつくり、それらをネットワーク化する必要があると考えマネージメントをしている。
地域資源(立地する地域の人、地勢、自然、文化、産業など)は地域ごとで異なる。その地域にあったマネージメントの方程式は、その地域資源を因子にして独自に作り上げなければならない。
本マネージメント稿では、今現在、ねおすの直接管理下にある4つの自然学校の経営を統括しているNPO法人ねおすの経営全般について総括的に述べている。本稿が出版されている頃は、もしかすると、4つに分化しさらなるネットワーク化された経営になっている可能性もある。地域課題の解決に貢献する組織の経営方程式は、それぞれの地域独特のものではあるが、共通する法則や定理はある。
現在のNPOねおすは、「自然学校を作る」「自然学校や地域に交流事業を創出する」「そのための人材を育成する」ために必要な「ネットワーク」を各地に創り出す「仕組み・組織」であるとお考えになりつつ、お読み頂きたい。

1. スタッフ
NPO経営における共通するミッションは、社会問題の解決に貢献する人材の育成と輩出である。事業の実施と人材の育成は、車輪の両輪のように働かないとミッションは達成されない。特に自然学校は「学校」である。人材を育てる、輩出するという姿勢と態度は経営に重要である。

1-1 概要編
(1)構成 (2013.06現在)
①人数 正職員16名
②男女比 7:9 (正職員)
③年齢構成 20代 5名、30代 9名、40代 1名、50代 1名
運営理念にあった人材の育成、社会ヘの輩出が大きな使命なので、経営方針として力のついた人材は「起業や他の団体への就業」させている。

(2)採用と給与
 ①現業部門スタッフ (インタープリター、ガイドなど実際に事業を担当)
毎年1、2名の研修生を、研修期間が最低でも1年間として募集、採用している。有償。
手取り約100,000円 (支給ベース約115,000円,厚生年金、健康保険、雇用保険有)
これまで途中採用でインタープリター、ガイド能力の高い人材を募集雇用したことはない。
②管理部門スタッフ (経理、総務、企画など事務)
必要に応じて専門性のある人材の募集採用を行う。
 ③2年目以上の職員給与 支給ベース 13万から40万円

(3)職階(役割)
職階という明確な昇進制度はないが、組織の中で目指す役割を明文化した「ねおす参画の梯子」という事業運営のリーダーとして自らの能力をアップするための目標指針を明文化し組織内で共有している。
① プロデューサー(NPO経営責任者・常勤理事)、
② コーディネイター(各拠点の経営責任者・校長格)、
③ チーフディレクター(プロジェクトごとの統括企画実施責任者)、
④ ディレクター(個別プグラムの企画実施責任者)
⑤ 研修生

 職階というより役割であるから、事業によっては、プロデューサーがディレクターになることもあり、また、チーフディレクターが現場事業のガイドやインタープリターになることもある。また、企業で言う上級管理職(プロデューサー・40から50代)は、全体事業推進の統括責任者ではあるが、人材育成のチーフディレクターでもあり、育った人材を社会へ輩出する責任者でもある。

1-2 戦略編
(1)人材育成
人材育成においても、組織が目指すミッションや方針を明確に明文化し、目指す人材像も明文化
し組織内で共有することが重要である。しかし、特に地域に立脚する自然学校の経営を地域外の人間が始める場合の初期段階では、事業方針を具体化し過ぎると、地域内の多様な考え方や技術や知識を持つ人々が参画し難くなるので、当初の方針は大まかの方が良い。地域内の人間関係や地域の本当の課題がわかり、地域内で自然学校に協力する人物や関係機関を把握しつつ、地域個別のミッションの見直しや目指す人材像を固めあることを推奨する。
本稿では、現在のねおすが行っている人材育成の手法について紹介する。

①行動指針の明文化 
a)ミッション 組織全体としての大きな方針、ビジョン 
b)ねおすツーリズム憲章      ねおすが行う事業の方針の項目化
c)ねおす経営のエコロジー8原則  事業を行うときの姿勢や態度

②ねおす事業の安全管理のてびき 
事業実施時の具体的な安全管理の指針や対応を明示。拠点個別の手引きもある。必要に応じて新しい項目をつくり、変更を行う。項目は次のようなものがある。事業の事前の準備、参加者の受付、車両の管理、必要な装備と管理、緊急時の対応、基本的な応急手当、感染症が発生したときの対応、食中毒防止についてなどである。

③On the Job Training (OJT)
人材育成の基本は教えるではなく、まず自ら体験してふりかえり、助言をする、そして次へ活か
すという体験学習の循環過程による自らの学び、気づきを重要視している。

④研修会
年に2回、職員全員を対象とした全体研修会を各2日間実施する。内容はその時々に応じて必要とされることを集中的に行う。 プログラムデザインやアクティビティの進行スキル、チームビルディング、コミュニケーショントレーニング、理念・ミッションの確認、重点事業の共有などである。また、事業において様々な研修会やワークショップを実施しているので、それらにスタッフが参加できるように各拠点責任者が配慮している。

⑤リスクマネージメント
事業に関わる法律の知識、具体的な応急手当、リスクマネージメントを高めるワークショップ(事故事例検証、危機回避トレーニング等)を全体の研修会中で、または個別拠点で実施する。特に心肺蘇生法については、毎年1回はダミー人形を使った訓練を義務付けている。また、施設拠点を持っている自然学校では法令に基づいた消防訓練を年2回実施する。

(2)ボランティアの募集と育成
自然学校の事業は多様であり、事前準備に時間と労力がかかる場合が多い。特に子どもを対象とする事業では参加者の面倒を見るボランティアが欠かせない。ボランティアを募り、また必要に応じて育成しなければならない。野外活動の経験・技術が不足している若いボランティアスタッフを対象に月に1回程度、1泊2日を基本とした研修的な行事を開催している。山登り、カヌーによる川下り、野外料理などをテーマにした野外自然体験活動である。

ボランティア募集と定着は自然学校経営にとって常に頭を悩ませる問題である。しかし、その方策はたくさんあるわけではない。ボランティアの獲得と定着にも時間と労力(ボランティアにかまう・関わる)をかける姿勢と態度が必要である。また、最近では職業人や会社を退職した人がその専門性を活かしてボランティア活動に参加するプロボノという存在がクローズアップされており、ねおすにも複数のプロボノが参画している。土木・建設の経験を活用し設備の補修や維持,工作や農業プログラムの指導、給食の料理などである。ただ、専門性が高いが故に現場ディレクターの方針と異なる考え方、やり方を取る場合も生じることがあり、他の若いボランティアスタッフがプロボノの価値観や行動様式に影響を受けて、組織的な動きに支障がでるケースも見受けられる。プロボノと現場ディレクターばかりでなく、コーディネイター、プロデューサーとの意思疎通が大切である。また、プロボノへ組織や事業ごとのミッションを浸透させる研修のあり方などは今後の課題である。

① 事業内容がわかるような広報や事後報告をインターネットや印刷物により行う。
② 常に新しい「今、必要としているボランティア」の情報提供。
③ ボランティアの希望することやボランティアに来た理由に応える。
④ ボランティアにスタッフが話しかける、話を聞く、必要に応じて助言をする。
⑤ 一緒に食事するなど日常での付き合いも大切
 
(3)自己評価チェックリスト
人が育つためには「自らが自らを正当に評価する姿勢」を持てることが第一に重要課題である。自己評価のために10項目10問、合計100題の6段階評価の自己チェックリストを利用している。項目を下記する。その自己評価が他者(上司役)とできるだけ一致することが望ましい。できていない箇所はできるように自らが目標を立て、適時に上司役が助言を行う。
① 自分自身に対処する能力
② 仕事に対する基礎となる姿勢・態度・能力
③ 仕事を進めるための基礎能力
④ 仕事を進めるためのマネージメント力
⑤ プログラム開発の基礎となる知識やその理解・価値観の形成について
⑥ フィールドワークについて
⑦ プログラム企画・マーケティングについて
⑧ プログラムの実行力
⑨ 学びの目標への総合評価
⑩ その他自己評価にたる能力の自己申告

(4)人材育成の「ろくろ論」
人の育て方を、ろくろを使って陶芸をすることに例えた考え方である。新人スタッフは社会経験
験や野外行動技術、自然についての知識、コミュニケーション力に差があり一様ではない。現状能力の人材を陶芸のろくろ台に乗せられる材料に例えて、大きく美しい器(器量・ability・優秀な人材)に整えて行くコツを比喩表現している。ろくろ台は現場である。器に整えるのは上司役である。ろくろ台の回転を速める(事業の展開速度)、手を強く添え過ぎると(助言、 指導、supervise)、器は壊れてしまう。容積を大きく(与える事業の大きさと責任)しようとしても不安定になり、壊れやすくなる。その時は、粘土量を増やす必要(研修等)がある。良い器(スタッフ)にするためには、台にのっている材料(人材)の様子をよく観察しながら適切な回転と手を添える必要がある。

(5)人事評価
給与や職階を査定する評価考課の基準や方法は明文化していない。現スタッフ人員は20名未満程
  度なので、お互いの技能・能力程度、考え方、行動様式はスタッフ間で比較的に共通認識を持てる。最終的にな職階(役割)は、常勤理事者(プロデューサー)が決定する。
最も大切にしている経営原理は、事業実施と人材育成を両輪として経営を推進することである。どちらかだけでは、ねおすの経営は成り立たない。ねおす・NEOSのSはSchoolである。スタッフは終身雇用でなく、ねおすという学校で力をつけ卒業、独立起業することが目標のひとつである。ゆえに、お互いに学び合うという組織風土を作り、組織の上位者が下位を人事評価するような組織維持にはこだわっていない。

ぶなの森自然学校通信誌復刊

2013-04-24 10:04:43 | 活動理念
通信誌復刊にあたって

黒松内に移住して早や12年目を迎えます。しかし、代々この地に生き暮らしてきた地域の方々に比べれば、はるかに新参者のままです。にもかかわらず、身の周りの風景は「囲まれているだけで安心あるもの」として意識しなくなり、関わり合う人も人々も固定化してゆきます。気づかぬものや気づかぬことが増えてしまっていると自省をしています。

 一方で、都会から来る地域づくり系の助言者は「地域に住む人が地域の宝に気がついていない」等と嘆きますが、何をおっしゃる、そんなことは住んでいれば当たり前になるもんだ。「あんたに言われたくない」と素直になれない時もあります。しかし、私達は自然学校という活動を展開し、その使命のひとつが「農山村と都市との交流人口の創出」と定めている限りは、しっかりと地域の自然や風土を肌身で感じ、習慣、産業や人々の暮らしや仕事も知っておくべきだ、と改めて原点的な姿勢を正したいと思います。

 2013年度は自然学校がある黒松内を選んで来た活動的な女性達がスタッフとなりました。彼女達の感性にあやかりながら、しばらく途絶えていた通信誌を復刊し、「地域に生き、暮らすとは」を改めて私も見つめ考え直す機会としたいと思います。どうぞ、購読お付き合いの程、よろしくお願い申し上げます。

                              黒松内ぶなの森自然学校運営委員長
                                          高木晴光

2012Ver.ねおす自然案内人 理念と倫理

2012-10-06 03:45:24 | 活動理念
はじめに

2011.3.11 東日本大震災は、自然が人間に対して圧倒的な力を持つことを示した。ねおすは、翌日に行動を起こし、今日現在においても釜石市にて被災地支援活動を展開している。その活動体験から、人間の暮らしに必要なコミュニティ、社会的サービスの在り方について、改めて考えることができる立ち位置にいる。

 一方、福島第一原発の震災による過酷事故は、放射能の危険性を広く国民に知らしめ、多くの国民が原発ゼロ社会を望むようになった。しかし、日本の経済・政治の権力の中枢は、国の安全保障問題をも絡めつつ、経済成長には原発エネルギーが必要との3.11以前の従来価値観のままである。
 私達は、被災地支援という貴重な体験をしている。 それを糧として、3.11以後、私達、ねおすの中核メンバーが、どのように今後、仕事をするべきか、総括する時期に来た。
 
このことを念頭に置き、「ねおす自然案内人・理念と倫理について」のテキストを加筆修正する。 
                                            
(2012.10.05 高木晴光)
 
   
(2002 北海道アウトドアガイド資格・テキスト基礎編 理念・倫理 高木執筆をねおす版に加筆修正)

地域ツーリズム

2012-03-14 01:56:45 | 活動理念
地域ツーリズムという言葉がやっと歩き始めた感がある。どこを?歩き始めたか? それは旅行業界のマーケットを・・・。ツーリズムで地域活性はいいのだけれども、これは危険な目もある。ある大手旅行会社である某Jさんのお偉い方が言ってました・・。

「高木さん、どんどんと体験観光をする人、地域を作ってください。玉石混交になることで旅行代理店が活躍できますから」

ガイドや体験活動の廉売も起こる、隣同士の地域で地域間競争が起こってしまい中域連携をとりにくくなる。地域格差を生みだしてしまう。

地域ツーリズムは、地域づくり、人づくりだと思うのです。そこに住む人が楽しげに暮らしていることが重要。その地を繰り返し訪れるファンづくりが目標。福祉も農業、漁業、林業も一緒になって地域ごとのスケールで田舎の暮らし方の豊かさを維持、あるいは創り出すことが理想・・なかなか難しいんですけれどね。

体験観光は、もともと「儲かること」ではないと思うのです。

ゆるやかな移住が地域に起こることが最終目標だと思うのです。

認知症と自然体験

2011-03-01 00:21:37 | 活動理念

ひょんなきっかけから、認知症の患者さんをどのように社会で受け入れてゆくか、認知症の啓発や受け入れの仕組みづくりをする事業提案をすることになりました。
時間がないので、作りこむことができないのですが、高齢者プログラムは、これから目指してゆきたい大きなテーマでもあるので、良い機会ととらえることにしました。

事業の思いを書かなければならないのですが、一気に書きました。

***

◆社会背景から私どもの新たな役割の模索

 地方社会では都会より早いペースで高齢社会に突入している。黒松内町においては、すでに65歳以上の高齢者が人口の30%を占める状況にある。介護にあたる社会福祉協議会や高齢者施設の職員は、目の前のお年寄りの介護サービスで手一杯の状況で、新しい介護プログラムや療法を試みることが難しいように見える。
 認知症等高齢者に対応する介護・療育プログラムは、異なる専門性を持った分野との連携がなければ、閉ざされた関係性だけの中での介護・療養となってしまう。

 多様な価値観を生きて来た世代がこれから高齢化してくる時代にあっては、対応するプログラムも多様性が必要な時代になると思う。私達が専門としている「自然体験活動」と医師、理学・作業療法との連携により、効果的な療養ができる可能性がある。その実証的活動を展開したい。

◆新たな役割を持つ人材の育成

 社会一般的に言えることだが、あらゆる分野での専門的知識と技術は高くなっている。一方、それぞれの専門領域をつなぎ、重ね合わせ、新たなる社会サービスを創造する機会とそれを実行するコーディネイターの存在は極めて少ない。医療と社会とをつなげる役割も同様である。本計画では、自然体験活動という専門分野を持って、医療活動と連携し、新しい社会サービスを創出する人材育成を試みたい。

◆モデル化へのトライアル

 黒松内・寿都地域の医療をカバーする寿都診療所は、家庭診療科という地域に根差した医療活動を所長である中川貴史医師を中心として行っている。高齢者医療にも力を入れており、認知症患者の家族の会も行政とも連携し立ちあげた。本計画では、療法士もいる寿都診療所の全面バックアップを受け、医療に自然体験活動を取り入れる先駆的な取り組みを展開し、他地域へのモデルを提示したい。

 
◆個人的な背景

1980年後半に健康レジャー産業において施設計画・運営を行った。高齢な方も利用できる温泉・スポーツクラブを核とした複合健康レジャー施設を行った。私は30代中半であったが、当時の高齢者問題に対応するサービスと多様な価値観の中で育った自分自身が高齢になる時代のサービスは異なると考えていた。ある特定な専門家や施設が高齢者福祉を担うだけでなく、異なる分野で仕事をする者も高齢者福祉、健康づくりにも関わることが必要な時代になると感じていた。
 そして、自分自身が50代の後半に入り、高齢者と世代を越えた多様な地域住民や専門家が関わりを持てる社会サービスづくりに傾注したいと考えている。

◆組織としての背景

 「自然と人、人と人、社会と自然」のつながりづくり、が私どもNPOのミッションである。
 ミッション実現の具体的社会サービス提供として、高齢者対応のプログラムも当初より目標のひとつにしていたが、まだ着手していない。今回は、その試行開始として、とても良い機会だと考えている。



信頼できる行政職員Kさんへの書簡

2011-02-27 23:04:49 | 活動理念
ご無沙汰しています。何日か暖かでぐんぐんと雪がとけましたが、今日は気温が低く雪が降っています。それでも春は近付いていますね。

さて、雇用対策から、例えば地域おこし協力隊、地域支援員など様々な行政施策が雇用対策があり、私どもにも各地から募集協力の依頼が参ります。一方、都会に置いても同様の施策がたくさんあり、主にITなどのスキルを学ぶ、あるいは起業支援と称した事実上の生活費支給の研修支援金が頂けると言う制度が乱立?気味になっています。

はたまた、にわか、中間支援、起業コンサル業も増え、さらには、既存の広告代理店、コンサルも(私に言わせると・・)なりふり構わぬ感じで、NPO的な事業に参入し、お金はどこに流れているんだという感じで、ソーシャルビジネスバブルなんて言葉も都会から聞こえてきます。

この国の節操のなさというか、拠り所のなさが、戦後60年を過ぎで露呈している感じがします。 私は、バブルが崩壊する直前に不動産開発、ディベロッパーなる仕事をしていました。大きなレジャー・健康施設の立ち上げに、銀行からお金を借りるために、一生懸命にコンセプトをつくり、具体的な計画を作っておりました。

しかし、いざ融資が実行され、施設が建設され、運営がスタートすると、目の前の利益、売上を追って、コンセプトが崩れてゆく事業を現場で何度も経験してきました。

しかし、あの時代は、それでも「バブルな好景気」が支えて、お金さえ借金できれば、物事が動きました。 だから・・借金が返せなくてバブルが崩壊したんですがね・・。

今や、国や地方自治体も同じ状況に突入しだしたと感じています。

評論家的な人物や中間支援者、コンサルが増えても社会状況は変わりませんね・・・。
現場(地域)に直接入って、生活し公私ともども地域に関わる、自分の収入が少なくても頑張れる人がたくさん増えてこないことには、日本の社会状況は変わらないと思います。

そもそも、○○隊のような事業は・・は最初から地域において「収入格差」を産んで言います。少ない給与で襟首を掴まれているのに、「期待」だけが強くなります。これはとても厳しい現実です。

地道な人材養成が今の日本には必要です。百年の計とは言いませんが、今の地域は、今の日本は、10年、20年のロングスパンで、有意ある若者を日本に、地域に必要な人材
として育成するできるか、できないかが未来に持続可能な地域となるか、につながると思います。

 人を配置しても、そんな一、二年で「経済活性化」にはつながりません。経がバブル以前のように右肩上がりになるなんて、むしろ幻想だと思います。経済を活性するという概念自体を変えてゆく必要を感じています。お金の量だけで計るのではなく、「新しい暮らしの豊かさ」その「見直し」が必要です。あちらこちらに若い人材を送り込んで、あるいは受け入れて・・、この頃つくづく思います。

経験が浅い人材を地域がいかに育てるか・・、その人物がその地域でとりあえず、生活できる、つまり食べることができるか、暮らすことができるか、そんな最低限の受け入れが可能な地域であるか否かが、これからのポイントです。

なんとか協力隊、支援員という国の補助事業がある2、3年で、なんとかできたモデルはあるでしょうが、それは、どの地域でも無理です。

新規移入者を送りこむ側から言わせて頂くとすると、○○○は、送りこんだ子(人材)に対して地域として相談に乗ってくれる、橋渡しをしてくださるカウンターパートナー
がどなたなのか・・・ それが見えません・・・・。

私を探してくださった、そして長いお付き合いの ○○さんだからこそ、ちょっと辛口にはなりますが、長々と私の思いを お伝えします。

貴地へ送り込んだ△△さんを 何卒よろしくお願い致します。




子どもの成長に必要なコミュニティとは・・。

2011-02-05 11:34:46 | 活動理念
来年度に向けての子ども事業「イエティくらぶ」の見直しを進めています。

これまでの、自然体験活動による感性の育成、全開で遊ぶというコンセプトには、「なぜ?」を説明するストーリーは幾通りも持っています。これは変わらぬ位置づけ、土台としますが、もうひとつのコンセプト「大家族」には、いまひとつ説明が足りない・・・。

「子どもの活動をなぜするのか?」これをより明確に訴えてゆこうと思います。

今の社会、これからの社会を生きてゆく子ども達にとって、なぜ異年齢集団、世代を越えた集団での活動体験が必要なのか理由づけを深めてゆきます。

私は、小さな子ども達を見る視点はすでに「孫」になっています。ようやく、ねおす活動に現実感を持って「孫」をとらえることができる世代が登場したということです。すると、気づかされることがあります。

それは、「核家族」の善し悪しです。

人は、他の人との関係性なくしては「人間」という生態・暮らしができません。その最小単位が「家族」というコミュニティです。日本では昭和40年代から急速に核家族化が進みました。親と子どもだけの家庭。一人っ子も多くなり、母子や父子家庭も増えています。

人類が生きてきた200万年位の歴史を考えると、ずーっと「家族」という集団で暮らして来たのです。特に・・現代人・ホモサピエンスサピエンスは。子育ては爺婆が関わりつつ、その葛藤の中で行われていたのです。それが、ここ40年あまりで急激に核家族化して
しまった「弊害」が現代社会に現れているのではないでしょうか?

子は、他者と関わる術の最初を家族から学びます。昔は兄弟も多かったし祖父母も一緒に生活をしていました。兄弟姉妹の喧嘩、母とお婆ちゃん、父とお爺ちゃんの意見のぶつかり合い、葛藤などをあたりまえに体験し見ていたのです。はたまた、上級生から下級生までが一緒になって遊ぶことが当たり前でした。その中で起こる喜怒哀楽が、他者と関わる基礎的な力を子ども達に自然と育んでいたのだと思います。

大きな家族であると、年寄りは孫といると、頭も使うし、ほっと癒されます。子は親だけでなく祖父母からもかまわれてたくさんのことを学ぶ機会があります。

はたまた、兄弟姉妹のいない小さなお子さんは、中学生や高校生、そして大学生、青年達と出会う機会がなくなってしまっています。

だからといって、3世代で暮らすことを取り戻すことは、現代社会構造の中では無理でしょう。

ということは、子どもの他者に関わる土台となる力を養うためには、疑似的な家族性ある場・コミュニティを創り出す必要があります。

新年度のイエティくらぶの活動(ねおすの子ども体験活動)は、生活体験をより明確なコンセプトして、多様な世代が参加できるようなプログラムを考えてゆきたいと思います。

こんなことを考えるようになったのも、私が歳を取ってこれたからだなあ・・・。

ねおすフォーラム巻頭言

2010-12-28 22:03:35 | 活動理念
NPO法人ねおすの前身、北海道自然体験学校NEOSが任意団体として札幌で活動を開始したのは1992年1月でした。当初は子どもの自然体験キャンプ、大人向けの自然講座と山岳登山をメインとし、徐々に自然体験型環境教育を旗印に掲げ、その手法として「交流と学び≒エコツーリズム」と実践してきました。(株)社会教育研究所において事業化を図ったこともありましたが、行政のソフト事業や公共性の高い施設運営に携わるうえにおいて、必然的にNPOを事業形態として選んだ経緯があります。NEOSは、これまで社会の変化に求めらるままに変容をしてきたと言えます。

設立10周年フォーラムを開催した2001年の季刊ねおすの創刊号に、次の10年で「ねおすを複雑系システムにできるか」を大きなテーマとした巻頭言を書きました。その目標として「銀河ネットワーク構想」、そして「エコロジー8原則」は、そのための経営原則としてきました。これは、生命のシステムを組織にも当てはめるものです。「異なる性質を持つ小集団の創出、その緩やかなつながりと離脱が繰り返される」、環境・生態システム・ねおす・・・・。(最近になり、企業生命体論を唱える大手企業トップもやっと現れてきました)

進化は同質の集団となってしまえば止まります。変化を受容しなければなりません(原則6)。しかし、それを求め過ぎても生命は消滅してしまいます。持続可能なNPO経営には、その加減が必要なのです。
組織の生命力はイコール組織を構成する、関わる個人の生命力でもあります。だから、組織は、その相関関係で大きくなるだけでなく、小さくなってもいいのです。

「システムねおす」の生命力を高めるために、個人が「成長・進化できる仕組み」と「心地良い居場所を提供する仕組み」を合わせ持つことを目指してきました。

本フォーラムでは、その検証を改めて皆様と一緒にさせて頂き、NPO法制定10周年を経て、次の時代のNPOマネージメントについて考えたいと思います。

                    2010.2  NPO法人ねおす 高木晴光

ねおす風NPO経営

2009-12-01 23:27:21 | 活動理念
こちらのブログへ久しぶりの投稿・・・(ちょっと長いですよ)

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ねおす風NPO経営

「居場所づくり」と「北海道らしい自然体験文化の創出」この二つのキーワードが、私達の活動の大きな目標です。そして、私達が生み出す社会的サービスの第一の具体的な対象者(顧客)は、「未来を生きる子ども達」です。子ども達が元気に過ごせるコミュニティの創出は、親とお年寄りの世代の元気な暮らしに結びつくはずです。
 我が国は、右肩上がりの経済成長と物質的に豊かな生活を目指してきました。ところが、年金制度の人口予想を誤った国ですら、2010年に10歳の小学生が私と同じ歳になる2055年の日本の社会は、現在の人口の1/3が減少し9000万人を切ると予想をしています。新幹線を延長し、空港をたくさん作ったとしても、いったい誰が管理運営するのでしょうか?自分の周りの二人に一人は同年以上の人々、あるいは海外からの移民が多数増えている世の中かもしれません。現代を生きる大人達は、未来を生きる子ども達の社会の様子をしっかりとイメージすることが今必要です。
 現実に目の前にある社会課題に対応する解決策と行動は必要です。しかし、「未来の社会の暮らし方へ向けた対応準備」も今から始めなければなりません。NPO法人ねおすの活動の震源はここにあります。

◆価値観の形成 「旅」しましょう。

 関東で生まれ育った私が、北海道に初めて訪れたのは中学時代。苫小牧に走る汽車の前方に線路はどこまでも続き、遥かかなたの地平線から空に続くような点となって消えていたことに大そう驚いたことを覚えています。それから、この広い大地が憧れ19歳に移住をし、山登り三昧の青春時代を送りました。さらにはネパールの山間も旅をしました。そんな私も、1970年代終わりに人並みに貿易会社に就職し、後にバブル景気と言われた80年代には観光開発業者として、すっかりと自然から離れた生活を送った時代もありました。20歳から30代半ばの15年間、今の私の価値観の形成に大きく影響を与えた出来事が幾つもあります。

 憧れの北海道に来てすぐに母親がクモ膜下出血で倒れ、長期間意識がなくなり、その看病のために大学を休学、そして亡くしました。その後の虚無感は相当なものでした。それを事のごとく取り払ってくれたのが「ネパールの旅」でした。この世にこんなにも大きな山々があり、その山間で貧しくも明るく暮らしている人々の姿を忘れることはできません。私の生命観に大きく影響を与えた旅でした。

 商品の買い付けに北欧に出張する機会がありました。それもいつも厳寒期でした。北緯65度にある町の工場へ行ったことがあります。白夜で昼でも薄暗い街中で人々は心豊かに暮らしていました。バイヤーとして日本から来た若造の接待に「私の町を案内しよう」ということが、しばしばあったことも私の「暮らし方」についての価値観に大きく影響を与えています。
 「旅」することで、人に出会う、知らぬ事象や物に触れること、つまり多様な存在に思いを寄せる訓練は今でもとても大切なことだと考えています。私達の言葉でいうと「常にフィールドワーカー」であるべきです。

◆人生は出会いと別れ、そしてタイミング

経済がどこまでも拡大してゆくと信じられた、小さなアブクが大きな膨らみを増すような勢いがあった時代は観光開発の先兵として、我が子の寝顔しか見ないような仕事漬けの典型的サラリーマン生活を送りました。ついには、企画開発してオープンまで手掛けた大型レジャー施設では、深夜2時まで営業するスポーツクラブのマネージャーを担当し、「接客現場」にも2年ほど立ちました。ここで一緒に仕事をしたスポーツインストラクターや調理人、広報、営業マン達も、私にそれまでになかった「人や職業」に対する多価値観を与えています。その事業の中で「子ども相手のキャンプ」を始めて実施しました。しかし、その直後に起こった「バブル崩壊」。企業ビジネスの過酷さを肌身で感じ、冷徹に実行もしました。自らがヘッドハンティングして来たスタッフを自らが切るといった阿漕なこともしました。しかし、これが契機に「社会が大きく変わり始めた」ことは実感としてあります。

バブルがはじけたおかげで、人生を見直す機会を得ました。「始めたばかりの自然体験活動」への思いは返ってつのりました。挫折と後悔・・そして懺悔もあったのでしょう・・、自分の「思い・モチベーション」がある子どもキャンプを継続できる、携わる人材育成ができる仕事場を探しました。そして、ある専門学校の理事長に出会うことができました。
 専門学校の経営再建に参画することを条件に、私の思いを実現する支援者が現れたのです。しかし、すぐに壁にぶち当たりました。私一人では到底事業を立ち上げることができません。そこで企画書を携えてあちこちを歩き回り同志を探しました。ぼんやりとした「思い」では物事は進みません。「ゆるがぬ思い」に昇華し固め発信することが大切です。すると、似たような別の「思い」を持った人が匂いを嗅ぎつけて必ず現れて来ます。エネルギーが集まり始め、成就するタイミングが自然と図られます。私に現れた盟友は樋口和生氏でした。山岳のスペシャリストで、私と少し違う角度で「アドベンチャー教育」という分野に興味を持っている男でした。
 彼と私は性格がまったく異なります。それなのに、その彼と一緒に仕事を始めることができたのは、それまでの経験から「異質」に近づく能力が私の中に培養されていたからでしょう。

専門学校の付帯事業として子どもの自然体験活動とアウトドアのコースの創設を進め「北海道自然体験NEOS」をプロジェクト名にしました。平日は専門学校、土日は自然学校という山岳ガイドを中心とした仕事に明け暮れました。時代は「物(ハード)から心(ソフト)へ」という変化をし始めていました。会員登録者も二年間で100名を超え、スタート時の事業高60万円を2年度目400万円、3年度目600万円と伸ばすことができました。ところが、人生とはうまくゆかないもので、採算が取れそうな見通しがついた頃、親方の専門学校の経営の再構築、つまり、2度目のリストラに合う羽目に陥りました。
専門学校に残るか、外部に出て独立するかの選択でした。しかも独立資金は専門学校との売り上げを按分した残高現金、240万円也。スタッフは専門学校から一緒に抜けた職員三人と研修生二人。人はいる、事業はやれる、しかし金はない。腹を括るような決断でした。ちょうどその頃が「市民活動促進」の法案(その後の非営利活動法案)が阪神大震災の経験した日本の社会の話題に上がり始めた時期でした。私達は、専門学校で新たに集まった講師陣とも事業を分けることになりました。

◆ネットワーキング

 一方、自然活動と言う守備範囲の広い事業は、「お金」以外にも新たな課題を抱えていました。最大の課題は「私自身」にありました。事業のサービスの主な相手(顧客)は私より年配の方々、そして子どもの後ろには親御さん方がいます。「うまく話せない」その方々に対するコミュニケーション能力の欠如が露呈してしまったのです。これには苦しみました。私は自分自身で「努力した」と胸を張って言えることはほとんどないのですが、このコミュニケーション力の自己開発だけは一生懸命にやりました。一念奮起して行動を起こしたのは、個人ではなく集団として異質な存在に近づくことでした。「環境教育」という全国的なネットワークへの参画、アイヌとの交流、そしてニューエイジと言われた精神世界です。さまざまなワークショップに参加しました。ストーリーテーリングから始まり、乳幼児と親向けの保育活動、環境教育系、コスミックダンス、サイコセラピーやインディアンのスエットロッジ、お坊さんとの交流などなど・・、たくさんの人と出会いネットワーキングを進めました。NEOSの活動にも各方面のアウドアの専門インストラクターや研究者との交流も始めてゆきました。
 
 龍村仁監督の「地球交響曲(ガイアシンフォニー)」の自主上映の実行は、ネットワーキングの意義を実感した出来事でした。阪神淡路大震災のあった1995年でした。環境や自然のことに関心がある、日頃自分の周囲には居ない顔ぶれの人達が職業や立場を関係なく大勢集まりました。どこから集まってきたのだろう、と考えるうちにネットワークの大切さ、そしてネットワーキングの手法を認識ことになりました。

 色々な分野の人々とつながらなければ、子ども達の体験活動や自然の保護保全もできないし広がらない。スタッフのトレーニングもできない、NEOSの専門知識の蓄積には異分野の情報が必要だ。自分たちだけでやろうとすれば、事業の参加者も増えないし参画者も現れない。そのことに改めて気づかされました。
 何もかもが暗中模索でしたが、「これからやろうとしていること」は前例がない、だから「ノウハウの蓄積は実践しかない」という気持ちで、行政や研究機関にも積極的に近づき、都市以外の地域への関わりを強め始め、スタッフ研修には演劇のトレーニング法やまちづくりのワークショップの手法を取り入れるなどの事業展開を始めました。「依頼されたことは断らない」何もかもが新たな社会実験だと思えば何にでも挑戦できました。
NPO法成立に合わせた独立を契機に、NEOS改め「ねおす」として、事業型NPOとして生計を立てて行こうと、決意も新たにしました。

◆法律との戦い

 山岳や自然ガイド、子ども達への自然体験キャンプからスタートし、「エコツーリズム=教育と交流」をテーマに徐々に北海道各地にスタッフを定着させる「自然学校づくり」が大きな目標となりました。札幌から地域に活動拠点を移し、資金も必要になってくると様々な法律的な問題点にも直面しました。

 第1は、自然体験活動を包括する法律がないため、私達の業務は現行法律で規制されることでした。主催事業は、「車による送迎」と「旅程(プログラム)」、時には「宿泊」がともないます。これらが適応される現行法は主に四つあります。一つは旅行業法。旅行業者の資格がなければ、移動や宿泊を伴うツアーの企画・販売ができない。二つ目は運送事業法。ガイドは車で移動しますが、有料での送迎ができない、三つ目は旅館業法。宿泊が収益事業の目的に含まれている場合は旅館業の免許が必要、そして四つ目は飲食業法。食事が収益事業に含まれている場合はこの免許も必要です。当たり前だと言われてしまいそうですが、日本各地にどこにでもあるような小さな地域にこの法律群を適応すると、地域が自立することが難しいことが分かるでしょう。旅行代理店が販売しないサイズ(多く人が集まらない、あるいは少人数で実施する)の旅程があるプログラム、安い公共交通機関や宿がない地域、旬な食材の提供、どれも私達の業務とは切れないサービスなのです。それぞれの資格を現行法の元で取得すれば、初期投下資金も運転資金も事業採算には合わないのです。小さな地域からは、自分達の手でプログラム販売ができないという現実となっています。
 この問題に対応するために、さまざまなことを実行しています。旅行業法に対しては会員組織や小さな旅行会社との資本提携(個人として)、簡易宿泊許可や飲食業許可も取得した運営施設もあります。しかし、それは、地域振興という点からみれば、それが可能な場所だけの対処療法でしかありません。
 この問題を「課題」にするために、1999年「全国エコツーリズム大会in福島」で提議し、前総理の麻生氏が政党の規制緩和懇談会で司会をしていた会合では、真っ先に手を挙げて、現場の実情を率直に訴え、居並ぶ国の官僚から事情聴取を受けたこともありました。その後グリーンツーリズム特区による規制緩和が始まり、旅行業法も改革も少しは進みましたが、地域立脚・地域発信の「交流事業推進」にはまだまだ法的な環境整備が必要だと考えています。

第2は、金融機関からの借り入れです。NPOというだけで銀行がお金を貸してくれない時代はつい最近までありました。ですから、北海道NPOバンクという市民サイズの貸金業の仕組みづくりにも参画しました。現在、銀行は事業規模の大きなNPOには1,000万円の単位で貸し付けはしてくれますが、信用保証協会から保証を取り付けることはできません。行政との委託契約書、理事会承認の書類の提出が必要で、個人として信用調査をされて約束手形まで切らされます。「こんな2重3重のリスクヘッジがある貸金業なら、誰でもできる」と、日本の金融は「事業を育てるコンサルティング力」を高めて欲しいと願うばかりです。

◆ 協働、地域に入る

 ねおすの本部は札幌にありますが、スタッフの多くは、北海道各地の人口が少ない町村のさらに住民が少ない地域・地区に住んで活動をしています。その全員が都会育ちで、もともと地元住民ではありません。小さな地域のコミュニティは都会には薄れてしまった様々な「つながり」があります。地域に関わる時には「その地域のことをよく知らない」と、いい意味での「よそ者」としての自己認識を持った謙虚な姿勢が必要です。コミュニケーション能力が育成されていないと、説明や表現不足のため、地域の人の立場や考え方、地域のルール、価値観に配慮しないような発言をしてしまうことがあります。よかれと思って話したつもりでも、複数の人を介するにつれ曲折があり、とんだ誤解を生むことも多々あります。地域で活動を展開するためには、その地域の人間関係を把握しなければなりません。そして、しっかりと「私」の欠点、弱点も披露しなければなりません。また、地域にある基本的なルールは守り、地域にとって必要な「役割」をもらい果たす必要があります。
 地域に住む時には、自分の仕事だけをしていては、地域住民にはなれません。地域の行事や会議に積極的に参加し、時には仕事より優先事項とすべきです。そこから信頼関係が生まれてきます。私が拠点にしている黒松内ぶなの森自然学校は1999年4月、ブナの北限である道南の人口3600人の黒松内に開校しました。国、町、(社)日本環境教育フォーラム、と「ねおす」がタイミング良く協働した結果であり、戸数60軒ほどの地区にある廃校を活用しています。事業は自然ガイド、学校団体受け入れ、主催の自然体験活動、地域交流事業、人材育成などです。ここでも、山村留学運営協議会、地域の生涯学習センターの事務局役、お年寄りの会の会員、水道組合の手伝い、子ども達の放課後活動、小学生の送迎、学校行事への参加など様々な地域活動を行っています。

◆ NPOのビジネスモデルって何?

 最近ある取材を受けた後、出版された本に著者が私やねおすの事業について次のように記述しました。
「彼はビジネスを営んでいるという意識はない。自分がやってきたのは人づくり、地域づくりだととらえている。今はまだ軌道に乗ってはいない。目を転じれば課題が山積している。それでも希望をもっている。」
つまりビジネスモデルとして成功していないということなのでしょうが、ちょっと納得ができない考察です。取材時は気がつきませんでしたが、そもそも著者と私は社会を見る違ったメガネをかけていると思われます。著者は、資本主義経済におけるビジネスの成功モデル像(軌道)を持ってNPOを見ようとしていると思います。NPOがどの位の事業収入をあげ、それによって日本人の年齢と平均収入を比較した物差しで、いったい何人が雇用されているかをもって、「軌道に乗ったか否か」を判断しているのではないかと思われます。

「お金」だけではない豊かさを測る物差しが日本にはまだないのかもしれません。私は、人づくり、地域づくりがビジネス(仕事)だと意識していますし、軌道を敷設する場所は「地域」だと考えています。これまでは、地域に軌道を敷くのも、軌道の上で客車や貨車を牽引する機関車となるもの行政でした。これからは、新たな「軌道づくり」が必要なのです。NPOはその新たな軌道づくりをしていると考えています。しかし、造った軌道には終点がありません。無限軌道です。世の中(人が住む地域)は課題だらけです。課題がやまないのが「人が生きる場所」であり「社会」なのです。だから、その軌道の地盤整備(地域づくり)と軌道そのものも常に保守点検もしなければなりません。そして、軌道上の課題を解決しながら自らも走る機関車(人材)づくり、それらの動きを止めない「解決し続ける仕組みづくり」が必要なのです。そのビジネスモデルはなんとかこさえています。行政の仕事(ビジネス)に終わりがないのと同じです。
「永遠の未完、これ完成なり」、宮澤賢治さんの私が好きな言葉です。ついでに、「風と往き来し、雲からエネルギーをとれ」これも座右の銘です。これは「希望を持つ」のとは異なります。そもそも私には、大した希望はありません。羊を飼いたい、おいしいコーヒーが飲みたい程度です。しかし、「願(がん)」はあります。地球平和級の大きな願いです。

◆ねおす風味のNPOマネージメント

NPOの経営が目指すところはミッションの実現です。しかしそれは、ゆるぎない確固とした事業推進の基盤となる考え方があって打ち立てられるものであり、ミッションは単なるフラッグ(旗)にすぎません。大事なのは掲揚台の「土台」です。そして土台を立てる土壌です。どこに掲揚台をつくるか、土壌は福祉という分野であっても、まちづくりであっても「課題解決が必要な」地域であり、現場です。私達は「自然がある場所」が現場ですが、最近は「農村地域」も土台を造る現場とするようになりました。土台には土中に深く埋める基礎が必要です。そして頑丈にするためには鉄筋が必要です。その鉄筋は、「ねおすツーリズム憲章」という9カ条の文言で作っています。例えば、第1条「学びの場の創造と提供」、第3条「環境保全と持続可能な利用」が謳われ、第4条には「世界へ向けて北海道らしさを発信する」、第5条には「訪問地へ愛と責任」について明文化しています。

しかし、掲げるフラッグ(旗)は一つでなくて構いません。むしろ複数ある方が多様な人々に目にとまります。そして、旗はいつもてっぺんに掲揚しなくてもかまいません。ある旗は途中に、ある旗は時には降ろすこともあります。そして、風になびくような「しなやかさ」が大切です。私達のミッションは、例えば「森づくり」、「森のようちえん活動」などでの具体的な行動目標で表しています。これは、できるだけわかりやすいことが大切です。
さらに、ミッションフラッグをどのように掲揚するか、行動原則もあります。経営者としての経営原則と言っていいでしょう。旗を掲げたのはいいが、誰も集まってこない、一緒に活動しないのでは運営ができません。「思い」ではなく「思い込み」に陥ります。経営のマンネリ化を防ぎ、スタッフや関わる人が集いやすい、働きやすい環境づくりのためには、フラッグの掲揚加減が必要なのです。その加減のあり方を「ねおす活動のエコロジー8原則」などと唱えています。「相互協働の原則」「変化変容の原則」「多様性の原則」「進化の原則」などです。最近では、「組織と個人のミッションのバランスの原則」なるものも加えています。

◆未来に向けて
100年という年月に起こった過去は、人間の寿命から考えると想像しやすい長さだと思います。北海道は、多くの和人が入植してからちょうどそのぐらいです。今ならまだ原生だった自然が想像できます。だとすると、100年先の未来がかなり異なる社会環境になることに想像も及ぶはずです。(環境教育でいう、時間的・空間的な視野の拡大)
これまでの借金にまみれた国家運営は続けば破たんしてしまうことは、想像に難くありません。国がコントロールし、全国同質な社会を目指していた高度成長型経済は転換せざるを得ないでしょう。国が公共を取り仕切り、地域を開発し国民と国土を護る施策から転じ、地域の独自性が問われる厳しくも「新しい時代」到来です。しかし、暮らし方の全国同一性化から、地域の独自性を生み出すことは、そうたやすいことではありません。
まずは、自らの生き方に誇りを持つ必要があります。その上で未来を想像し新たな「暮らし方」を創造することができるのです。都市住民は「田舎を愛する心」、地域住民にとっては「郷土愛」を育むことが今必要だと考えています。

これこそが、私達が見ざすNPO活動であり、掲揚台の土台そのものです。自然豊かな地だからこそできる、人が人に関わり合いながらお互いに育つ「心の豊かさ」を育む地域活動であり、農山村漁村の社会的価値を高めることにつながると考えています。
 私達の活動は、必然的に三世代の交流の場づくりを目指しています。今、目の前に居るこの子たちに託せる未来への軌道を作りたい、そう大人が感じてくれればいい。「子どもの笑顔と歓声がある地域や活動が、間違いなく未来を創る」と信じて「願かけ」をしています。

かつて、あるアイヌに、『嘘でもいいから祈れ。そのうち本当になる』と教えられました。
これが、NPO経営の本質かもしれないと思います。

田舎で働き隊

2009-03-27 20:27:52 | 活動理念
田舎ではたらき隊 ~農村活性化人材育成派遣支援モデル事業~

 2009年1月5日、恒例の新年祈祷を北海道神宮にて行い、引き続き常勤理事会を開催しました。一年の減り張り(めりはり)づけです。その中で、そろそろ明確に「農山漁村地域での活動」もねおす活動の柱として位置づけようという話がされました。北海道自然体験活動NEOSとして旗揚げしたのは1992年1月。以来、北海道そして日本のエコツーリズムの一翼を形成し担ってきたという、驕らない程度の自負はあります。しかし一方、エコツーリズムの旗を高く掲げれば掲げるほどに、「日本型のエコツーリズムとは何か?」という命題を深めていました。

 日本の自然公園は深い山岳地域をのぞけば、当たり前に人里を含んでいます。そこには、農業、林業、水産業があり人の暮らしがあります。つまり、日本ではオーストラリや中南米のように数日どっぷりと自然の中に入り込むようなエコツアーは形づくりにくいのです。また、自然体験、動植物観察に特化すると特定の自然愛好者だけのツアーとなり、一般の方の参加を増やすことができないというジレンマもあります。つまり、日本型のエコツーリズムは、第一次産業地域を当たり前に含んだ方が展開しやすいのです。実際に私達のツアーでは、農業者や漁業者と出会い、地域の食材を使った料理にこだわっています。

 そんな折、タイミングよく農林水産省の首題モデル事業受託の話が持ち上がり、1月中旬に急遽応募しました。これは農山村地域に将来住みたい、働きたいという有意ある人材を田舎に流入してゆく「きっかけや仕組み」を作ろうというものです。幸いにしてに採択となり、目下、春からの21年度にも応募しようと準備を進めています。

 日本の農山漁村地域は、過疎化、国際競争の荒波を受け、疲弊しつつあります。この事業受託をひとつの契機として、日本の国の基盤でもある田舎の社会的価値(食料生産地、国土保全、健康・保養性、自然体験活動、教育性等)を改めて見直す「ねおすツーリズム(交流と学習)」を展開してゆきたいと思います。

                         NPO法人ねおす 理事長
                         高木晴光

ねおす自己紹介

2008-12-25 11:39:55 | 活動理念
◆ 理念

「自然への旅と交流を通して自然と社会との心地よい関係づくりに貢献し、人々の心の糧になるような自然体験文化を育ててゆきます」

ねおすは、自然をテーマにしたあらゆる人たちが集い、暮らせるコミュニティづくりを目的に活動を行っています。

◆沿革

「自然と人・人と人・社会と自然のつながりつくり」をコンセプトとした自然ふれ合い活動を展開する任意団体として1992年に設立しました。ねおす(NEOS)は、Nature Experience Outdoor School(自然体験野外学校)の頭文字をとった名前です。社会教育系の専門学校の経営傘下に入り経営支援を受けた後、1997年に独立、1999年にNPO法人化しました。

本部を札幌に持ち、地域コミュニティづくり、自然体験型環境教育を旗印に、エコツアーや野外自然活動など各種プログラムを企画実施し、関わる人材の養成に力を入れています。法人化を契機に、自然豊かな地や農山漁村と都市との交流をテーマに、地域づくりや関わる人づくりにも傾注し、現在は、阿寒・屈斜路・摩周国立公園(環境省川湯エコミュージアムへの人材派遣)、大雪山国立公園(東川町、大雪山自然学校)、登別市(登別市ネイチャーセンター・ふぉれすと鉱山)、道南・黒松内町(黒松内ぶなの森自然学校)、大沼(自然学校設立プロジェクト)、道北・中頓別町(そうや自然学校)に常勤のスタッフを配置し、各地特有の地域資源を使った地域づくり、エコツアー、自然体験プログラムを展開する拠点を有しています。

◆現状認識と活動の方向性

人々の暮らしからかつてあったコミュニティが失われつつあります。少子高齢社会にあって、人と人、人と自然、そして、社会と自然の「つながり」が希薄になっています。人は一人では生きてゆけません。私達には、これまでに代わるコミュニティの創造が求められています。地域繁栄とは、人々の笑顔と子どもの歓声がある姿です。それは、勝組・負組、上流・下流と分けられるようなグローバル経済に翻弄されることなく、自然の中で心豊かになれるコミュニティづくりである、と考えて地域活動を展開しています。

豊かな自然の森や山、海や川、山麓の町や村を訪れ、その地に暮らす人たちに出会う、自然への旅と交流を通して自然と社会との心地よい関係(人・地域)づくりに貢献し、人々の心の糧になるような自然体験文化を育ててゆきたいと思います。私達は下記の憲章に基づき、活動を行ってゆきます。



☆☆☆ ねおす 憲章 ☆☆☆
(ツーリズム憲章を ねおす活動全体に合わせて一部改訂しています)
                           

第1条 ねおすは、「学びの場」を創り提供します。

  ねおすの活動に参加することにより、共に学び、気づきという知的なお土産をもちかえることをめざします。 何らかの形で、気づきが日常生活に活かされることをめざします。

第2条 ねおすは、「つながり」を意識し、心地よい「居場所」となるオルタナティブなコミュニティの創造をします。

  人と自然、自然と地域、人と暮らしのコミュニケーションを促進し、コミュニティの創造をめざします。 地域との関わりを意識し、農林水産業、教育活動、福祉、各種市民活動との連携を視野に入れます。

第3条 ねおすは、「環境保全、持続可能な利用」を目指します。

  少人数によるプログラムや旅を提案し、自然、地域、文化への影響をすくなくするように配慮し、地域の持続的な発展に貢献できるように努めます。

第4条 ねおすは、世界へ向けて「日本の田舎の魅力」を発信するものです。

  田舎は、都市の基盤として存在していることを実感でき、農山漁村地域の社会的価値観を高めることを目指します。

第5条  ねおすは、「地域への愛と責任」を持つものです。

  地域の自然、人にこだわり、その魅力を引き出し、自律を支援します。

第6条  ねおすは、「自然体験文化」を提案、実践します。

  農山漁村や豊かな自然がある地域との交流プログラムや旅のモデルの提案、実践を通じて、「自然体験文化の創造と向上」をめざし、日本の都市、そして世界へメッセージを発信し続けます。

第7条 ねおすは、私達「創り手」のライフスタイルに反映される活動をします。

   ねおすのスタッフは、スタッフ自らが新たなライフスタイルの創り手であり、モデルとなることを目指します。

第8条 ねおすは、以下のことを意識し実践します。

   ・創り手は、時空のデザイナーたるように努めます。
   ・メッセージを発信し続けます。
   ・多様かつ深さを持つ内容に心がけ、ゆとりあるプログラムを提供します。
   ・すてきな出会いを演出します。
   ・人と人、人と地域や様々な機関との「つながりづくり」をします。
   ・今を楽しみ、旬を味わいます。
   ・居心地の良く人と人、そして自然と人と関われる「場つくり」をします。
   ・常に安全を十分に配慮して行動します。

第9条 ねおすは、この憲章に基づいた人材の育成をします。

第10条 ねおすは、この憲章に基づく原理・原則をもったNPO活動です。