はる風かわら版

たかぎはるみつ の ぼやき・意見・主張・勝手コメント・コラム、投稿、原稿などの綴り箱です。・・・

ツタを編む

2008-05-02 17:27:42 | コラム記事
森林レクリエーション 原稿改  080409

「ツタを編む」と銘打ったプログラムを3泊4日、たっぷりと時間をかけて企画実施した。場所は北海道の道南、黒松内町のトドマツの植林地。アケビのツルや草を編む専門家のTさんを講師に、1日目は素材の勉強会。二日目は籠編みに必要なツルを取りに許可をもらった山へでかけた。

手入れがあまりされていない森には思いがけない程の太さのコクワや山ブドウがあり、樹に巻き、あるいは地面から斜め上の高い梢まで伸びていた。時には4,5人で綱引きするような力技で大量の素材を確保した。

三日目は制作。廃校舎の体育館にツルを太さによって分けた後、制作にとりかかった。当初は小さな籠づくりと予想した講習会だったが、男の参加者が多い、素材が太くて長いこともあり、作品は事の外、大きくなり人間が座れるバスケット状が多くなった。太いコクワは水分を持っていて意外に曲がるのだが体力勝負。自分がイメージする形に曲げようと、中には二人、三人かかりで力闘し汗まみれになる参加者もいて、エクスサイズ効果抜群であった。苦労するだけ形も現れる。爽快な労働だ。夕刻には製作者の笑顔に囲まれた、たくさんの逸品と記念撮影ができた。

四日目は「暮らしの中にかごを取り入れよう」をテーマに、教室の一室を作品達で飾り、地元で取れた野菜、米や魚を使って料理を作り、みんなでゆったりと食事をする「時」を過ごした。

「樹木」と「材」・・木とじっくりと向き合う4日間となった。


私のこと・・・

2008-05-02 17:24:39 | コラム記事
(ぼらナビ機関誌 0805 原稿改)

私は今、北海道の南、渡島半島の付け根に位置する人口3300人余りの小さな農山村地域、黒松内に住んでいます。元小学校だった施設を借りて「ぶなの森自然学校」という都市や地域内の交流を創る事業を「仕事」としています。私が代表をするNPO法人ねおすが、全道に展開する拠点活動地(札幌、登別、東川、弟子屈、中頓別)のひとつです。

◆ぶなの森自然学校
 自然学校は、NPO活動と暮らしが一緒になったコミュニティ活動でもあります。私と妻、常勤のスタッフ3人、小学生の山村留学生4人、研修やボランティアで長期滞在する2人を含め、ヤギ3頭、羊2頭、犬2頭、ニワトリ5羽、合計11人と12匹が暮らしています。動物の世話があれば畑仕事もある、子ども達の学校のPTA活動や地域のお年寄りの私的な依頼ごとにも応える、地域の子ども達が遊びに来ることもあれば、全員で食卓を囲む事が何十回もあります。仕事と生活、仕事のONとOFFが重なりあって「しまう」暮らし方をしています。

 交流事業は、まずは子ども達の体験活動。特に夏休みには3週間の長期活動を30名の子どもとスタッフ20名で展開します。スタッフも台湾の大学から実習生、国際ボランティア組織NICEからはアジアやヨーロッパからの参加者があり、都合1ヶ月間、大人達の大合宿場と化します。また、北限のブナの森を初めとする自然ガイドもしますが、農家の女性と豆腐や味噌づくりをするような「田舎の旅づくり = ルーラルツーリズム」を行っています。
 そして、もうひとつの事業は、「未来を担う自主自律した人材の育成」と高らかにミッションを掲げる人づくりがあります。他のNPOや大学から若い人材が、時には年配の方々が中長期に滞在し、自然学校や地域活動を共にしています。
 そして、自然学校をコーディネイトするNPO法人ねおすのミッションは、自然体験活動をベースに「自然と人、人と人、社会と自然のつながりづくり」を目指しています。少し難しく言うと「社会関係資本を作る仕事」です。そして、北海道らしい自然体験文化を広めてゆきたいという思いがあります。

◆それなりに波乱の人生
 ねおすの前身・北海道自然体験学校NEOS(Nature Experience Outdoor School)を立ち上げた頃は、ちょうどバブルが弾けた時でした。大学を卒業してから貿易業や不動産開発を職として来たのですが、悩んで転職(3回)し、いわゆるリストラにも合いました。今思えば、その波乱がなかったら、本当に自分がやりたい仕事を考える機会を逸していたかもしれません。最初の就職後3年で一度、自然塾を立ち上げようと試みましたが、若気の至りで断念。その後は、バブルの右肩上がりの経済活動に企業戦士として、まさになり形振り構わずに「売れること」をミッションとして邁進していました。ですから、リストラは、それまでの自身の価値観を見直す再構築でもありました。たどり着いた決心は「自然に関わる仕事がしたい」ということでした。

◆自然で飯が食えるか
 良し悪しは別にして、「自然を壊して」飯を食う仕事はいろいろあります。高校時代は自然保護活動もしていた私も、ディベロッパー仕事では「ゴルフ場開発準備室主任」なんて肩書きを持っていた時代もありました。NEOSが有料で自然ガイドを始めた16,7年前は、まだそんな仕事をしている人種はごく稀でした。「自然へお金をとって連れ出す輩は自然破壊を助長する」と新聞投書があったくらいです。 しかし、バブルの崩壊は人々の価値観も多少なりとも変化させ、「モノから心の豊かさ」というキーワードがマーケティングに登場したと思います。さらには阪神淡路大震災の復興への過程が市民活動の変容を促し、私達、環境・自然系の人種には「ガイアシンフォニー」というドキュメント映画がこの頃に大きく影響を与えていたと思います。実際、1992年前後に「自然体験活動」を仕事として始めた仲間は全国に数多くおり、それぞれ一人で始めた活動が多くの人々を巻き込めるようになっています。その仲間達もいつの間にやら50代越えており、若い人材も数多くなりました。一方では、NPO家業へ転じる若い世代がここへ来て変わりつつあることも感じています。「今だけの好景気」のせいなのでしょう。そして、未来への漠然とした不安が更に大きくなり、若者の保守化も心配です。新しい時代を築く夢を持ち、その実現にあきらめない力、そして自分の変化を恐れない心を持って欲しいものです。

◆今の私のミッション
 ずっと都会育ちだった私が田舎を生活拠点として8年。都会では見えにくい社会の矛盾、問題を数多く実感して来ました。農業や漁業、高齢者福祉、医療、子どもの環境、コミュニティの崩壊、さまざまな社会問題は、のんびりしているように見える田舎ほど、実に深刻に身近な課題として複雑に絡み合い存在していることが、わかりやすく感じられるのです。
しかし、本来田舎が持っている機能、食糧の生産、風景、緑、おいしく透明な空気、輝く星空、ゆっくりとした時間の流れを感じる精神保健性など、田舎の社会的価値というものがあります。
それらを改めて、都市生活者に感じて欲しい、そして地域住民にも再発見して欲しいという気持ちが今は段々と強まっています。田舎こそ物事の様々な社会問題をホリスティックに捉えて解決してゆける可能性があります。「新田舎づくり」それが、私の今の使命です。


ミミズへの好奇心

2008-05-02 14:52:13 | コラム記事

北海道自然体験学校NEOSを始めた16年前も、今の「森のようちえん」のようなイエティキッズという事業を実施していたことがありました。

 「自然の中で遊ばなくなった子どもに自然を体験させることは大切だ」というただ単純な使命感から何のノウハウもないまま活動を始めました。 当時私は勤め人の忙しい仕事が嫌になり、辞めて思い切ってNEOSを設立したのですが、他の仕事も兼務しており、結局また違った忙しさの中にありました。一人では心細いので、専門家と一緒にプログラムらしきことをしました。 今考えると・・・私には余裕がなかった・・・。

ある時あるオジサンと円山公園に幼児とお母さん4組と出かけました。いろいろなモノが公園にもあることを知って欲しいとのねらいだったのですが、そのオジサンは、途中で見つけたミミズを子ども達に見せ続けるのです。お母さんも何で?という感じとなり私もイライラしました。

しかし、子ども達は、オジサンのちょっとした声掛けで、徐々にミミズに手を出し、その不思議な形、動きに興味を持って行くのです。見ていた私は、その子どもの変化に驚きました。

 実はこれは、待つ という技なのです。人の成長は 好奇心 が源泉です。

しかし、その好奇心は、感じる力が備わっていないと健全な心となりません。自然体験活動は感じる力を育む活動なのだと、今は信念を持って子ども達と過ごしています。気づかせてくれたSさんに感謝です。

(イエティ通信 0805)