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はる風かわら版

たかぎはるみつ の ぼやき・意見・主張・勝手コメント・コラム、投稿、原稿などの綴り箱です。・・・

海辺のフォーラム

2013-03-03 16:30:12 | 意見、主張いろいろ・・
発言・・原稿を珍しく書きました・・・。

*****

私どもは「自然と人、人と人、社会と自然のつながりづくり」「北海道らしい自然体験文化の創造」というミッションを掲げて、北海道の自然豊かな国立公園、農山村漁村をフィールドに活動をしています。札幌を始め、大沼、黒松内、登別、苫小牧、東川、弟子屈など道内各地にスタッフや私どもの研修制度を通過した人達が居住し、四季折々、その地の自然の移ろいを体感し、風土を味わい、歴史、文化、産業を地域素材としつつ、都市からの来訪者を向い入れる活動をしています。ツーリズムというと「観光」というイメージが一般的にありますが、私達は、ツーリズム・イコール・地域づくり・人づくりの仕組みづくりと考えており、地域にも参加者にも学びある交流を生み出そうと活動しているNPOです。

さて、本日は「海辺のフォーラム」ということで・・、私のお題も「海はぼくらのお母さん、海や浜辺は遊び場、そして先生」という「楽しい雰囲気」としました。これは、今年の初めでしたでしょうか、ご照会を頂き、お受けする時に考えてつけたのですが、実は、今の私は、このお題だけのテーマでお話をするのは、正直、つらいものがあります。

と・・いうのも、3月11日に東日本大震災が起こり、私どもの職員の実家が被災したこと、そして 私どもNPOのもうひとつの使命・災害地支援もあって、翌12日から支援活動を開始し、私も初動時、そしてその後も現地へ合計4週間ほど行き来しております。

猛烈な津波の威力を目の当たりにしているので、正直申し上げて、「海が怖い・・」と今、感じており、今日、ここでお話することは、ちょっとためらっていました。

こうやって、壇上でみなさんにお話させて頂く機会も多いのですが、普段は大方の筋道を建てて、話の流れで脱線しつつアドリブでお話させて頂いているのですが、今回ばかりは、自分の中でもまとまりがつかないので、実は「話し言葉」の原稿を作って来ました。

海は母・・「海はぼくらのお母さん、海や海辺は遊び場、そして先生」・・・う~、苦しいい!!! 地震による地殻変動による結果の高さ20mにも及ぶ大津波だったとはいえ、
海は、多くの人命と人間が作り上げた町を壊滅的に破壊しました。この目で目の前で見ても、想像を絶するというのは、こういうことなのかという風景の中で支援活動をしています。

金曜日の夕刻、札幌から私の住む黒松内へ車で帰りました。余市の近辺で海が国道にせまります。すると、どうしても津波の高さを考えてしまう私がおり、ここで地震を感じたら、どこへ避難するか高台に目を追ってしまうのです。 そして、このフォーラムで何を話したらいいんだと、戸惑ってしまう私に気がつかされてしまうのです。
岩内につき・・、「どうしらいいんだ・・?」と再び自問したら・・、

神様が・・もしかしたら、海が 応えてくれました・・・本当です・・。

「怖いって・・・いいなさい」って・・。海は人の命も人間の営みもすべて飲み込む、あんたが考えが及ばないくらい、ものすごい、猛烈な、すまじいパワーを持っているんだって・・、それも伝えなさいって・・あんたが、「海は先生っていうのなら・・・」

まがりなりとも、自然体験活動を仕事としてきた、プロなんだからね! そう、自分でいい聞かせました。 そして、岩内から寿都の海岸線を車で再び走りました。

「涙は・・海とおんなじしょっぱいよなあ・・。俺達、海から生まれてきたんだよなあ」

「やっぱり、海は俺たちの お母さんなんだ」って 寿都日本海の海は気づかせてくれました。・・それを伝えなさいって・・・

さて・・・、海に気合を入れられて、話します。

私は、黒松内町にすんでいます。黒松内町と言うと、ブナの北限、北限のブナの町で町おこしをしていると、自然好きな方はご存知かと思います。ニセコ方面から国道5号線を走って南下して、黒松内の道の駅、そして街中にはいると、黒松内は森の町と皆さんは監事らると思います。 しかし、実は海が間近にあるんです。

北海道の地図を思い浮かべてください・・・渡島半島がぐっとエビのしっぽのように曲がった場所に黒松内はあります。実は、太平洋と日本海が直線距離で20Kmちょっとしかない場所にあるんです。私が拠点にしている黒松内ぶなの森自然学校は 黒松内を流れる朱太川の中流域にあります。中流といっても全長40Kmしかない川なので、雰囲気は中流ですが、すぐに河口域で、海まで車で10分ともかかりません。秋には太平洋から日本海まで一日であるくという40K,mロングウォークを開催しています。

ですから、自然体験活動では、海によく行きます。 日本海です。7月から8月の夏休みになると、一週間に2,3度は行っています。 寿都湾沿岸は、砂浜もあれば磯場もある変化に富んだ海岸線がコンパクトにあります。石狩湾は大きいですから、もっと広範囲になりますが、石狩市も浜から磯場、漁港もある多様性ある海岸が続いていますね。

一昨年は、海辺の体験活動の指導者講習会をしました。いろいろな専門家の方に来て頂きましたが、改めて海辺の多様性を体験できました。

まず、砂浜です。みなさん、砂像ってしってますか? 砂像のコンテストをやっている地域が全国各地にあります。仮設を組んで高さ3mも4mも・・、巨大な砂の造形をつくるのです。巨大な砂の彫刻です。もちろん、そんな芸術的なモノが私達にはできませんから、段ボール程度の型枠を使って、作った砂の塊を削るのですが、これがまた、はまるのですね。 秋田でコンテストを主催している方が来てくださったのですが、砂の目が細かくて、とても砂像を作るのに適しているとおほめのことばを頂きました。

海藻押し葉の講習もしました。 伊豆の東海大学の実習助手の方に来て頂いたのですが、伊豆の浜を歩いて海藻を探すよりも、北海道の日本海は実に多様な海藻があり、ちょっとの時間でたくさん収集ができると驚かれました。 お恥ずかしいのですが、海藻が最も元気がいいのは、冬であることを知りました。

シュノーケルダイビングは、湘南や伊豆三宅島で活動をしている方を講師に及びしました。
めちゃくちゃ寒く、海も冷たかったのですが、ウエットスーツを着こんでシュノーケリングを楽しんだのですが、この方も、磯場が変化に富んで、とても面白いフィールドだと教えてくださいました。

プランクトンの採取、そして顕微鏡でそれらを見ると、見えなかった別世界が目に飛び込みます。や漁網についてくる・・う~んなんて言ったかな・・カイワレなんとか・・エビでもないカニでもない小さな生き物がエイリアンのようにたくさん付いているのにビックリもさせられました。

海って、分かりにくいんですよね・・。水の中だから・・。見せ方に工夫が必要です。
私はガイドもするのですが、陸上専門です。陸上であっても、見えないもの、聞こえこと、感じようと思わなければ感じられないことがたくさんあります。だからガイドがいるわけです。鳥のさえずりであっても、カッコウやカラスのように強い特徴ある声なら否応なしに耳に入りますが、居間鳴いた・・ヤブサメの声が聞えません。鳥の姿も見つけらせん。

陸上であってもそうですから、海の中の生き物を知ることは、それなりの道具がないと難しいですね。 いろいろと見えるようにする、分かりやすくするように伝える役割のことを自然案内人・インタープリターといいますが、海は直接見えにくい、わかりにくいからでしょうか・・・こんなにも海洋に囲まれている割には、山のガイド・インタープリターはたくさんいても、海のインタープリターは意外と少ない・・むしろ見当たらないと言った方がいいかもしれません。
ちょっと話題を変えますが、私の好きな語り話があります。
今日は、時間がないので、私の「芸」をすべてお見せはできませんが、子ども達に時々披露する・・「海はどこから来たのか」というお話です。

海は宇宙から来たなんて説もあるようですが、その話です。かいつまんでいると・・。

昔、昔、そのまた大昔のこと・・・、お月さまとお日様は地球に住んでいた・・。子どもへのお話ですからね・・・大きさがどうのこうのって、大人の理性で聞いちゃあいけません。子どもはすんなりと入ってくれます・・最近はそうでもないですが・・。

二人は仲好く楽しく暮らしていたのですが、友達が他にはいません。友達が欲しいと神様にお願いすると・・、神様は「海」を紹介してあげるといいました・・・そして、彼女を招待するために家を作りなさいといいました。

最初は草の家を作りました・・・サクサクと草を切っては それはそれは大きな家を作りました。そして海がやってきます・・・ザブンバァバァバァ・・・とね。でも入りきれないんです。

次に木の家・・それでも 入れない・・ 遂には穴を掘って大きな大きな家を作るんです。
そして海がやってくる・・・ザブンバァバァバァ・・・足が入って、お腹が入って、胸が入って・・、頭も額を残して全部・・入るんです。そして最後に・・海がいいました。じゃあ・・最後に髪の毛の海藻を入れると・・・・ ザブンバァバァバァ・・・

すると・・海藻の髪の毛と一緒に・・
貝やヒトデ、にヤドカリ、タコにイカにタイにマグロにカツオ、さらにはオットセイやラッコやクジラまでついてきたんで、屋根はふっとんで、地球は海でいっぱいになり、太陽と月はそれから空に暮らすことになりました・・

私、この話が大好きなんです。 生き物ってみんな海から産まれたんです。

これはストーリーテーリングと言う手法ですが、小さい子にイメージを広げてもらう、海の環境教育のひとつの手法でもあると思います。でも、海の環境教育って、とても大切だと思うのですが、なかなかプログラム集がないんです。

今回の大震災は、海が恐ろしいと感じてしまう子ども達、そして大人もたくさん作ってしまいました。海って・・わからにことがたくさんあります。でも、とてもいろいろな学びができる、私達、人間にとって、切っては切れない存在です。

海のことを伝える、プログラムをいろいろ考えてゆきたいものです。

今、後志に生きる

2012-09-28 13:53:22 | 意見、主張いろいろ・・
今、後志に生きる  Bay Way 10号 2012 原稿

2012年の北海道の夏は100年この方なかったと言われるほどの記録的な暑さでした。寝苦しい夜が続き、9月も半ばを過ぎた頃にやっと窓を閉めて眠ることができました。ランニングコストが安い(発電に用いる燃料)原子力発電所が全国すべてにおいて停止していた夏でした。国民の節電意識が高まり、家庭ばかりではなく、社会のいたるところで冷房を制限されました。秋の冷涼な大気が流れ込むようになり、日本人は全国いたるところで、さぞかし秋風にほっとしていることでしょう。 原発エネルギー政策を推し進める日本にとって、記憶に残すべき歴史的な夏でした。

◆ 後志には原発がある。

後志地域には、北海道で唯一の原発があります。私が住む黒松内から岩内へ国道229号をゆくと、対岸に嫌がおうでも3基の泊原発が目に入ります。知らない人が見れば、工業地帯にある石油の備蓄タンクかと思うかもしれません。頭上は半球全天の青空、その下に深い緑の山々が連なる積丹半島が日本海に突き出す大きな風景です。そのど真ん中に白い原発構造物が自己主張するかのように並んでいます。泊村を通過する時には、これらの建物は見えません。泊村の住民より小さな湾をはさんだ対岸の私達の日常の視野に原発があります。

「できることならば、この原発は風景だけであって、放射能という危険な現実には無関心で生きてゆければよかった」「後志には原発があるとわざわざ言う必要はないだろう」とさえ思います。しかし、3.11東日本大震災後、日本のエネルギーと原発・放射能の危険は、後志の今、そして未来を考えるうえで、避けては通れない課題となりました。事実、私の身近でも、福島の農民が北海道に新たな農地を求めてきましたが、泊原発が近いことを知り選択をしませんでした。

◆エネルギー問題は経済の問題か?

毎週金曜日の夕方に全国各地で脱原発のデモが行われています。
私も札幌のデモに参加しましたが、参加はごく普通の市民ばかりでした。原発推進派が左翼と名指し対峙している反核運動の人もいるでしょうが、参加者の多くは、原子力発電=放射能汚染の心配から、再稼働を反対する脱原発社会を望む人達だと感じました。そして、パブリックコメント等の結果により原発ゼロ社会への模索がやっと政府レベルでも開始される「気配」が出てきました。しかし、選挙が近くなり、その場限りの迎合的な対応だったのか、原発ゼロ社会への道筋は閣議決定もされず、長い時間をかけ国民から集めた意見は、今後のエネルギー政策を考える上の「参考」と位置付けられてしまいました。原子力規制委員会や規制庁の重要ポストもこれまでの推進派と目される人々が占め、さらに、秋風が吹く頃になると、建設凍結だった大間原発の建築再開を経産相が認め、産業界はこぞって原発推進を国や原発立地自治体へ表明をし始めました。日本の産業と政治構造は明治以来、なんら変化することができないのでしょうか。

 電気エネルギーの生産は、国と電力会社が進める国策的事業として国民は黙って供給を受ける側であり、消費者でしかありませんでした。しかし、東日本大震災による福島第一原発の過酷事故は、原子力発電の危険性を国民の多くにわからせました。しかし、電力会社は放射漏れの原因が想定外の高さの津波によって冷却装置が故障したことによるとの主張を変えず、各地の原発の防波堤の嵩上げが始まっています。実際の地震の揺れによる故障や破壊の検証は全くされていないと言っていいでしょう。日本は地震が多発する地殻プレートの境界に生まれた列島であり、これからも巨大地震が発生し続けることは、今では子どもでも知っています。

福島の農産物が売れないことや観光客が途絶えていることを「放射能の風評被害」と消費者側を非難する報道の姿勢が目につきます。スポット汚染ははっきりと現象化しています。そして、福島第一原発は今も壊れたままで放射能が放出され続けているのです。すべての食品の全量検査などは到底無理なわけですから、サンプル検査だけで出荷される産物が安全と言い切れるはずがありません。風評被害で片付ける問題ではありません。売れない原因は、莫大な量の放射能という目には見えない危険な物質が広範囲に撒き散らされ、今現在も放出され続けていることにあります。この不安が払しょくされない限り「被害」はなくなりません。除染して放射性物質がなくなるわけでもありません。どこかに存在し続けるのです。
原発はリスクが高い発電技術です。一度、過酷事故が起こると周辺何百Kmに及ぶ被害を長い期間に渡り及ぼし、その地域の生活も産業も破壊してしまうことについて、私達はもっと直視しなければなりません。
 経済発展とエネルギー問題がリンクして議論されています。電力利用が減少すると経済も減少する、国の経済力が落ちると生活レベルも落ちる、だから安定した電力供給が必要であり、そのために原子力発電は不可欠だと、私達は刷り込まされて来ました。確かに両者には相関関係があるでしょう。しかし、ちょっと立ち止まって考えてみたいものです。
 「原子力発電のコストは本当に安いのか」
 「放射性廃棄物の処理は未来永劫続く課題である」
「片付けきれない放射性のゴミを増やし続けていいのか」
「私達は必要以上に電気を使っているのではないか」
「日本は地震が多発する地域である」

それでも、経済成長のために原子力発電を続けるべきなのか、これから原発とどう向き合うかは、国民ひとりひとりが「自分の暮らし方」の問題として捉え考える必要があります。ましてや後志に住む我々は、原子力発電所を事実抱えています。たとえ廃炉になったとしても、電源開発の恩恵を直接受けて来た地域の振興、放射能汚染廃棄物の処理の問題と難題がなくなるわけではありません。今、後志に住む私達は、これからの日本の「生活・暮らし方」を考える絶好な立ち位置にいます。

◆いなか(後志)の価値を見直そう

 後志には豊かな大地があります。尻別川の源流は支笏洞爺国立公園です。広葉樹も針葉樹もある針広混交の深い森が広がり、大型哺乳類のヒグマを始め数多くの野生動物が住んでいます。広く大きな空を目指すように羊蹄山が聳え立ち、その周囲の大地は広大な農業生産地です。小樽から積丹の海岸には何百年も変わらぬ荒々しくも見事な風景があります。半島を回りさらに寿都、島牧まで続く国道を南下しても、いつまでも様々な岩礁風景を堪能することができます。その海岸線には次々と小漁港が現れ日本海の海の幸が水揚げをされています。
 この豊かな大地での暮らしを一瞬に失うのが原発の過酷事故です。

 人々は都会に集中し生活をしています。人々と経済が集中すればするほど、森は消え、食料生産の場も押しやられてゆきます。食糧は田舎から供給をされるようになります。さらに、今回の原発事故を契機に、電気エネルギーも田舎から都会に供給されている事実に改めて気づかされました。

◆リアルに生きる・暮らすいなか(後志)

 女性たちは、男どもより「いのち」に対して敏感な感性を持っていると思います。生きるか死ぬかはビジネス社会の闘いの問題ではありません。今を生活すること、そして、目の前にいる小さな「いのち」を育てること、明日生まれてくる「いのち」を大切にすることが上手だと思えます。私は原発の是非は経済の問題ではなく、直接的に生き死に関わる生理的な問題だと思います。
いなか(後志)の農林水産業に関わる男は、都会の男より自然の中で「生きる」ことに対して、リアルに向かい合っています。毎日、空を見やり明日の天気を予想し、作物の日々の成長を思いやり、明日の仕事の段取りを考えています。せっかく育てた作物が風水害で一日にしてだめになることもあります。海水の温度が漁業に影響をします。波に揉まれる網は破れ常に補修し、農作業機械の整備も怠りません。常に道具に対して気をかけ整備しています。牛が健康に少しでも快適にするためには労力を惜しみません。何が安心して消費者に買ってもらえる収穫物なのか、どのようにしたら安全に作業をできるのか、生き物を収穫する仕事は、人間も生き物としてリアルに対峙する必要があります。

◆過疎はデメリットか
 
 人口減少と高齢化にともなって、田舎はますます人が減っていきます。一方、都会はいっそう人口が集中していくでしょう。しかし、過疎はデメリットなのでしょうか? 視点を変えると、過疎であるからこそ、現代社会に必要とされる社会サービス、産業の担い手不足という社会問題が見えやすく、やらねばならないことが分かりやすくあります。
 「田舎で住み暮らす人材育成」を大きな目標にした自然学校を黒松内町に開設し14年がたちました。その間に数多くの若者が後志の自然、暮らし方を体験から学び巣立ちました。その行方を調べてみると、南は沖縄、北は稚内まで全国各地の田舎で働く若者達100人ほどの消息が分かります。結婚や出産の話も聞こえてきて、とても嬉しい。子どもが生まれるようになって世代交代が進むと考えれば、やっと芽が出たという感じでしょうか。土地を開き土壌を作り、種をまき、芽が出て茎が伸び始めた段階にはきていると思います。
 しかし、その多くは後志圏以外の田舎に定住の場を求めて卒業して行きました。私の力不足はもとよりですが、まだまだ未熟な彼らに次の修行地、受入地を圏内に見つけ切れなかったという事情もあります。感じ学んだことから自分の力で自己実現できる「場・地域」が今の後志には足りないと思えます。

 過疎地の社会課題の解決を地域行政任せにしない、あるいは行政が抱え込まない、従来の仕事を外からの新しい力にゆだねて、多少の時間がかかっても、地域内の混乱があっても「人が育つ場」づくり意識して行ってゆくことが、今の後志には必要だと考えます。 後志には、その自然と社会環境があります。

 原発が立地しているからこそ、後志は改めて「人の暮らし方」をリアルに考え、提示してゆける地域だと思えます。

札幌市ビジョンづくり審議会提出レジュメ その1

2012-03-14 12:00:00 | 意見、主張いろいろ・・
◇重点戦略「安全・安心」

 ◆ 地域とは何か・・新しい概念が必要な時代
  いつも同じような言葉が並ぶ「地域コミュニティの促進、地域住民同士の支え合いやつながり
を生み出すコミュニティ形成、様々な団体の活性化や連携、適切な支援にたどりつける・・・」。新しく、具体的な施策を打ち出すための戦略ビジョンであるからには、施策を企画する段階でイメージが膨らむものでありたい。固定概念を打ち破る必要がある。

 ① 地域住民とは? 地域の範囲は?  既存の「地域づくり」の概念からの脱却

  行政では、地域を土地的範囲、地域住民とはそこに住む人と想定しているのではないか。
  この概念を脱却しなければ、独創的・斬新的な施策は生まれないと考える。

 人それぞれでもつ「地域概念」が異なる・・・札幌市内で実施した複数回のまちづくりワークショップでは、「自転車で動き回れる範囲」「最寄りの駅から歩いて帰る範囲」「小学校の学区くらい」「商店街も含む広さ」と様々であった。一方、「貴方にとって地域で幸せに暮らすとは?」と聞くと、「仲間、家族、信頼、安心、安全、笑い、会話・・」といった「人」にまつわる言葉が多く出る。病院、スーパー、銀行などのハードはむしろ少ない傾向がある。

 地域とは、住む人が安心して暮らせる「居場所」が複数重なり合って初めて感じる概念ではないか? 

 このように考えると、人の行き来が盛んで、かつ情報社会の現代の「地域で暮らす幸せ感」は何も隣近所の顔が見える範囲だけに求めなくてもいいのではないか。異なる個性や役割を持つ人同士が、お互いに複合的、年代を越えて関係性を持てる、支え合いを「心」で感じることができる新しい「場」があっていいと思う。 インターネットを介在した「場」、隣近所だけではなく、多様な人が遠くからもいつも人が訪れることができる「場」であってもいい。
 
地域づくりとは複数の「居場所づくり」であり、それらも重なり合うのが理想である。

ビジョン2 コミュニティとは何か

2012-03-14 11:00:00 | 意見、主張いろいろ・・
② コミュニティとは何か?

 「地域住民同士の支え合いやつながりを生み出すコミュニティの形成を促進する」だけでは社会問題は解決しない。高齢化が進み子どもや若者住民が偏在する、マンション住民が多い札幌では、そもそも従来のコミュニティの再形成がしづらい。コミュニティについての新しい概念も必要である。

ビジョンでは、社会問題の解決を地域住民が自己完結型で目指すようなイメージにならないように表現すべきと考える。限定的な範囲の地域住民以外とも「関わりづくり・ネットワーキング」の促進が必要であるとの認識を反映させたい。

コミュニティづくりの概念を、地域限定した地縁性だけでなく、知縁も含めた広域なつながりも創造できるように、コミュニティの地域限定感から脱却すべきである。
 
◆ 顔の見える関係性づくり
「様々な困難を抱える市民が孤立することなく適切な支援にたどりつけ・・・」として、社会的包容力の強化との位置づけについて・・・。

 その社会的包容力を誰が担うか、顔の見える関係性が必要である。

社会的サービスの機能は増えても、それを担っている人の人柄までがわからなければ、支援を必要とする人との「信頼関係」は生まれない。単なる機能でしかない。社会的包容力の強化には、「それを担う人」の存在が必要である。

 担い手(人材)の養成が、安全・安心の確保には必要である。

ビジョン3 災害支援・広域的観点からのコミュニティの概念

2012-03-14 02:15:15 | 意見、主張いろいろ・・
◆より広域的な視点からの安全・安心 新たなコミュニティの創出

①災害支援
 私達は10年ちょっとの間に西日本、東日本と大震災を経験し、その間にも数多くの自然災害が地域局所的に日本を襲った。そして、今日、日本は地殻の活動期に入ったと指摘され全国で次の大地震が不安視されている。大災害の救助・被災地支援は、当該する市町村、都道府県の単位では処理できない。全国広域的な連携を日頃より考えて、「その時」に備えておく必要がある。この備えは、自らの足元での災害対策意識を高めると考える。

 また、人口が集中する大きな都市にはマンパワーや技術が集中するので、過疎地の災害支援の責務があるのではないか。日本全体の支え合いをリードする位のビジョンがあってもよい。


ビジョン4 道内過疎地と札幌の関係

2012-03-14 02:14:05 | 意見、主張いろいろ・・
②道内の過疎地との関係

 人口は総じて減少であっても、それは日本全体の問題であり、北海道における札幌の一極集中の傾向は変わらない。その中にあって、札幌市は食糧や人材を供給する過疎地町村との連携もしやすい環境づくりの責務があると考える。その履行はひいては、新しいコミュニティづくりにもつながる。

 例えば、
ある過疎農村地域と高齢者団地の関係性をつくり、直売を行う。
ノウハウを持つ高齢者グループ施設が、そのノウハウを転移する
子どや大人の農山漁村体験や社会的インターンシップ

ビジョン・重点戦略 次世代

2012-03-14 02:13:33 | 意見、主張いろいろ・・
◇重点戦略  次世代

◆付け加えたい現状と課題

札幌には大学、専門学校など高等教育機関が集中し、全国から多くの学生が札幌に居住するが、卒業後に道内・道外出身学生問わず、北海道から流出する。

未来に 夢を描き希望を持つ若者が少なくなっている。
就労した若者の離職率も高まっている。

雇用環境が大変化している社会状況のなかで、すべての若者がグローバル化に対応した人材、福祉介護を担う人材に育まれることは幻想である。また能力の高い若者だけに偏った育成しても、その他多くの 若者の雇用は望めない。だからと言って経済活性化、雇用数の増大だけを求めて、次のここ10年で解決の明確な目途はない。

さまざまな雇用形態の中で自らの能力を高めてゆける環境整備が必要

情報過多時代、安定的な雇用が続いていた時代の後に今の若者は置かれている。
様々な職業が二次情報、三次情報だとなり、自らが体験的に働き「働く」とは何かと問える機会が少なくなっている。

 21,22年度と国の社会起業創造のインターンシップ事業をコーディネイトし80名(学生、失業者、主婦)程の起業支援を行ってきた。実際に起業に至っている人は20名ほどだが、その他ほとんどの方が現在もアルバイト、パート契約をしながら未来の起業を目指している。

日本人は雇われる就労に慣れて来てしまった。雇用される関係ではなく、自ら小さな起業を起こし一人でも二人でも自らが雇用する起業精神・マインドの育成が今、必要である。


ビジョン 人材育成

2012-03-14 02:12:47 | 意見、主張いろいろ・・
札幌の将来を支える人材育成

 「グローバル化する社会経済環境の中で活躍できる人材育成」を掲げることは美しいが、これは、格差も広がる新自由主義の発想そのものだと思う。多くの若者にも期待と希望があるビジョンでありたい。

 人材像は都市像とも連結している。どのような札幌なのか? それは・・

・多様な人が集まり多様なモノ・コト・サービスが産れる創造的な、可能性ある街。
・文化、芸術、福祉、自然、国際が洗練し融合、そして仕事もある暮らしやすい街

その上での次代を担う人づくり、
 ①個々の個性を活かした多様な働き方を学べる仕組みづくり
 ②多様な人々が出会い、お互いに学び合い新たな仕事を創り出せる人材育成
 ③産・学・NPO・地域が連携した学びができる仕組みづくり

自然体験と高齢者活動

2012-01-30 16:41:08 | 意見、主張いろいろ・・
プレゼン研修のコーディネイトをしているのですが、せっかくなので、私も今でがけようとしている事業の原稿を作ってプレゼンデモ。

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与件対象・・・出前型で体験活動を受け入れ評価してもらえる施設や病院へのプレゼンです。

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NPO法人ねおすの代表をしております高木晴光と申します。本日はお忙しい中、お時間を頂き誠にありがとうございます。今日は、私が考えております「自然体験活動の出前広場づくりであるネイチャーワゴン3Gプロジェクト」のご説明をさせて頂き、ぜひ貴施設でトライアルさせて頂けないかとお願いに上がった次第です。

ねおす、NEOSの名称は、自然・NatureのN,体験・Experience・体験のE,Outodoor・野外のO,そしてShool・学校のS、つまり自然体験野外学校の略称であり、20年ほど前に北海道自然体験学校NEOSと称し「自然と人、人と人、社会と自然のつながりづくり」をテーマに北海道らしい自然体験文化を創り出したいとのミッションを掲げて設立しました。その実践手法としていは子ども達の自然体験・生活体験キャンプ、大人向けの自然への旅・山岳ガイド・エコツアーのガイド業から始まりましたが、現在は、本部事務所は札幌にありますが、北海道の自然豊かな国立公園や農山漁村に職員スタッフやさまざまな地域コーディネイターのトレーニングを積んだ人材を送り出し、ミッションに基づいた地域づくり・人づくりを実践しております。

さて、今回のネイチャーワゴン3G事業ですが、高齢者に向けた交流事業・世代間交流ができる場を自然の中で出前で行おうという試みです。この事業は○○会社の△△△さんと協働しています。元々は自然ガイドが認知症患者さんをガイドし、認知症進行の抑制効果をあげよう、また自然ガイドが社会的に新たな意義をもった役割を果たし、地域社会で高齢社会を支える仕組みづくりからスタートしています。昨年は実際に認知症、認知症傾向がある高齢者グループ、精神科病棟に自然体験活動を提供するなどして経験を積み重ねて来ましたが、ゲームや観察のような活動だけを提供をするのではなく、自然の中でガイドもするけれど、いつもの生活で出会う人以外との交流の場づくりをする方がより効果的だと考えるようになりました。

ふりかれば、昨年は東日本大震災の支援活動に置いて、避難所にいる被災者の皆さんを対象に「青空広場・青空喫茶」なる場づくりを展開していました。ワゴン車でお茶やお菓子の喫茶道具や椅子・テーブルや物資を積んで避難所近くに出かけ、フリーマーケットの様な形での物資提供し、お茶を飲みができる被災者の憩いの場、交流の場を提供する活動を展開しました。時には音楽ライブ、屋台、青空ランドリーを実施しました。これは、避難所の中にこもってしまうお年寄りを外に出てもらおう、気分転換して頂こうという目的で開始し、多くの若いボランティアとの交流の場ともなり、良い効果を生み出しました。 

この効果的な場を高齢者が多い地域や高齢者施設で展開してゆこうという試みが、ネイチャーワゴン・3Gプロジェクトです。

 Gの一つ目は、自然ガイドのG(これははずせません)、ふたつ目のGは爺さんのG・・これは私自身の世代、次期高齢者です。私自身20年近く前にNEOSを開始した目的のひとつに「私自身の問題があります」話せば長くなりますが・・、手短に・・、NEOSを始める前に私は不動産開発をしていました。当時、高齢者にも対応できる健康施設の開発を担当していたのですが、まだ30代後半の私には無理がありました・・当時は働き手4,5人に一人が高齢者を支える社会でしたが、将来は2人が1人を支える時代になる。なかなか事業計画が作れなかったのです。ところがある日はたと気が付きました。その高齢社会の真っただ中にいるのは誰なんだ・・・? 「それは、俺自身じゃあないか」今目の前の高齢者に対応するのと、私が年をとった時の高齢社会は違うものになると考えた時、企画書がスラスラと書けたのです。 私が60歳になるまでは、まだ25年もある、25年かけて私が年をとった時に楽しく生きてゆける社会サービスを創ってゆけばいいのだと考えて実践することにしました。 そして・・気がつくと私自身も50代の後半・・自然体験活動はさまざまな仕組みや人材養成をしてきましたが、私自身のミッションが達成できていない・・ヤバイ・・高齢者と自然体験活動の場づくりをせんと間に合わない・・。というわけで、ふたつ目のGは爺さんのGです。

三つ目のGは、女子のGirlのGです。 女性性と言った方がいいかもしれません。他者の気持を察する共感能力はやはり女性の方が男性より一般的に優れています。高齢者対応には生活感のある女性の優しい他者への思いやりが必要です。自然ガイド以外で、たとえば音楽や会話、人を癒すことができるセラピー的活動ができる人達の役割が3つ目のGです。 この3つのGの役割を持って、出前で交流の場を自然の中に創り出す活動が ネイチャーワゴン3Gプロジェクトです。

最近では、うつ病、統合失調症の患者さんが入院する精神病棟にもお邪魔して経験を積み重ねています。収支が計算できる事業としてまだまだ課題はありますが、世代間交流が必要なこれからの支えあう社会づくりには、必ずや必要な役割だと考えています。 

ぜひとも、場の提供、実施後のアドバイスを頂きたく、ご協力のほどよろしくお願い申し上げます。

原発に思う

2011-07-10 07:59:14 | 意見、主張いろいろ・・
原発は、電力会社や政府が宣伝するように、本当にエコでクリーンなのだろうか?
誇大広告ではないだろうかと、ツィッターに書き込んだら、「火力発電に比べたら相対的にエコでクリーンだと考える」との回答がありました。

原発については、「エコでクリーンで、かつ世界最高技術をもって安全な発電装置である」と私も不安はあるものの・・今の生活を維持するにはやはり必要なのだろうと、あまり深く考えずに、その存在を是非を自らに問うこともせずに、半場あきらめモードでいました。

黒松内から岩内へ国道229をゆくと、泊原発が対岸に遠望されます。遠望というよりすぐそこに立地しています。我が自然学校とは直線距離で40Kmほど離れているとは言え、MOX燃料をたくプルサーマルもあります。

この夏は、福島の子ども達を私達も合計で400人ほど北海道各地で受け入れます。外で遊ぶことができない環境を作り出した今回の事故は「想定外」で済まされる問題ではないのは自明です。原発の安全性については、原発を推進する国と電力会社の広報だけを聞いてきただけでした。原発そのものの本質的な危険について、真剣に考えなければいけない事態に私達ひとりひとりが直面しています。

ほんとうに、エコでクリーンなのか・・。 反原発派の研究者や関係者の主張を読み聞きすると、恐ろしくなります・・。原発問題の本質的なことが何もわかってなかった・・。それを知ることから避けていた自分を感じています。

放射能がどれだけ危険な物質なのか、自然界にも存在しているが、人間が大量に生産していること、
発電によって生じた放射性物質が大量に保管され続けていること、
再処理して燃料にするプラントの稼働は見通しが立っていないと言ってもいいこと・・。
日本は使用済み燃料をリサイクルするためにフランス頼みだということ、
その再処理されたMOX燃料を燃焼させた後に放射性物質はどのようになるのか・・その情報が公開されていないこと・・。
耐震構造が脆弱であるということを訴えていた技術者が大勢いたこと・・・。
津波による電源喪失でなくて、地震その時点で事故が発生したことがわかってきたこと・・
「想定外」という想定をしていたということ・・、

そもそも情報を操作してしまう、電力会社の体質そのもの・・、
原発立地の法律は過疎地での建設稼働を決めていること・・・

原発の発電コストには イニシャルコストの建設費、作られた放射性物質の処理、廃炉そのもののコストが計算されていないこと・・

放射性物質を燃料にして発電しているのに、わからないことが多すぎる

推進と反対の二元的立場で主張するのはなく、原発そのものが長期的視野に立って人間に本当に有用なものなのか、日本だけではなく、世界中の人々が考えなくてはいけないと思う。

年間20msv基準に反対!

2011-05-24 16:21:50 | 意見、主張いろいろ・・
文科省が決めた子ども達の被爆基準について反対をします。
基準を裏付ける科学的根拠はいろいろあるでしょうが、より
安全性が高い数値を選ぶべきです。

基準値は下げることは、より多くの避難地域を指定すること
にもなり、当該地域の方々のご負担も増しますが、
「安全・・」だというだけで、責任ある体制をつくれない状況は、
国民を戦争の追いやった当時の国家と同じままです。

これにも大いに危惧を感じています。

下記団体の要請文を支持します。


昨日の「福島の子どもたちを放射能から守るネットワーク」 
の文科省との20mSV撤回交渉の要請文を下記転送します。
_________________

文部科学大臣 高木義明 様
子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク
代表 中手聖一

福島の子どもたちの被ばく最小化のための行動を直ちに執るよう要請します
私たちは、自分たちの子どもを放射能から守りたい、ただただその一心で
集まった福島の親たちをはじめとする市民団体です。私たちの苦悩と悲しみ
がどれほどのものか、大臣はお分かりでしょうか。
貴省が4 月19 日に通知した「3.8μSv/h=年間20 ミリシーベルト」の基準は、
いわゆる安全基準として一人歩きし、私たちの愛しい子供たちは、部活や体育
などで、校庭へグランドへと駆り出されています。校庭には毎時数十~数百
マイクロシーベルトという、恐ろしいほどの放射線を放つ場所が、何の管理も
されずに放置されています。校舎内の放射能汚染は日に日に進み、子どもたち
は毎日毎日学校で被ばくさせられています。全国全世界から福島に集まって
いる関係者は、みな線量計で被ばくを管理しながら働き、その傍らで子どもたち
は無防備のまま生活しています。このような異常な状態を作りだしたのは、大臣、
貴省が出した“子ども20 ミリシーベルト基準”によるのです。
 私たちの我慢ももう限界です。のんびりとモニタリングをしているときでは
ありません。

高木大臣、以下の被ばく低減策を直ちに行うことを決断してください。
一、今すぐ“子ども20ミリシーベルト基準”通知を撤回し、あらゆる被ばく
低減策を、国が行ってください。
二、そのために、授業停止やいわゆる学童疎開・避難が必要なところは、躊躇
なく行ってください。また、自主的に避難や疎開を行う者への経済支援を行って
ください。
三、校庭削土をはじめとする除染作業、高放射線区域の隔離等を急いで行って
ください。その際に集められた放射能は、国と東京電力が引き取ってください。
四、マスク・手洗い等の励行はもちろん、給食食材の配慮など内部被ばく防護策
を徹底してください。
五、これらにかかった費用は、国が責任を持って負担し、東京電力に請求して
ください。

おかしいな「平成の開国」思想・・

2011-02-12 14:33:01 | 意見、主張いろいろ・・
「平成の開国」という言葉に、違和感を覚えていましたが、その違和感がなんであったのか、今日わかった。

そもそも幕末の開国は、外国から押し付けられてきた貿易に関する不平等条約を、粘り強く交渉して、関税自主権を国際社会の中で勝ち取った開国であり、圧倒的な国力の差がありながらも、列強の猛烈な植民地進出を断じて許さなかった、国際的歴史上においても特記されるべき出来事だったと思う。

ところが、この関税自主権を手放すことが、今回の管総理がいう「平成の開国」

アメリカを中心とする、さらには中国も進出を狙う、国際アグリビジネスの支配する世界へ日本の豊かな農地を明け渡すんだなあ・・・。 この開国は・・・

強い農業? そもそも農業に強い、弱いがあるんかいな?