はる風かわら版

たかぎはるみつ の ぼやき・意見・主張・勝手コメント・コラム、投稿、原稿などの綴り箱です。・・・

子ども達と野山へ

2006-04-30 23:19:37 | コラム記事
生き物を持ち帰る選択

 ゴールデンウィークは、ぜひ、子どもと野山へ出かけましょう。
日陰に残雪が残るこの時期の自然遊びの足元は、春先と同様に長靴が便利です。
林道を歩くと、雪どけで小川が溢れて道いっぱいに流れていることもありますし、水溜りもたくさんできています。子どもは、元来水好きなので、必ず長靴を履かせてあげましょう。
小さい子どもに、「汚れるからだめ」と野暮なことは決して言わないで、汚させてあげてください。汚れても後で、洗ったり着替えたりすることを覚えさせれば、「汚れ好き」な大人には絶対になりませんからご安心ください。

水溜りを良く見ると、何やらゼリー状の長いチューブ袋が見つかります。さらに観察するとチューブの中に丸い球がたくさんあるものと、ないものがあります。どちらも黒い小さな粒が点在しています。気味悪がらずに、そっと触ってみましょう。簡単には壊れませんから大丈夫です。前者はエゾアカガエル、後者はエゾサンショウウオです。

子どもは、狩猟本能を当たり前に行使して、「持って帰る!」と簡単に主張するでしょう。ところが、持ち帰った後に起こる「飼う」ことの知識や大変さの経験がありませんから、そのやっかいさは、結局、親が負うはめになりかねません。

 ここは子どもの味方になってお願いです。適度に狩猟本能を満たしてあげることは、人間の成長には必要です。だだし、お持ち帰りはちょっとだけです。

(2006年4月30日掲載)

春の妖精

2006-04-30 23:15:36 | コラム記事
春の妖精達に会う

 そろそろ林床(りんしょう)に春の妖精達がチラホラと現れるようになりました。
林の床?ちょっと難しい言葉ですが、森や林の地面のことを言います。雪が消え気温が少し暖かくなると、一番初めに芽吹くのはフキ。そして福寿草。少しずつ緑が増えるにつれて、彼女達がいっせいにおしゃべりを始めるように花開きます。

 妖精とは、春先に咲く小さな可憐な野の花々のことです。白い幾重もの花びらをつけたキクザキイチゲ、よく見ると濃紺から水色、青紫まで多彩な色合いがあるエゾエンゴサク、カタクリは小さな太陽がたくさん輝くように華やかに咲き誇ります。妖精達は、5月の中旬まで次々と種類やしてゆきます。

背丈が高くなる草や樹木の葉っぱは、彼女達が精一杯に命を謳歌し種がつくまで、自分達の芽吹きを待ってあげています。森の植物の共存は本当にうまくできているなあと感心します。

 高校山岳部出身の私は、かれこれ30年以上も野山で遊んでいるのですが、こんなにもたくさんの種類のお花が野山にあることを「認識」したのは、むしろここ10年、最近のことなのです。

 一生懸命頂上を目指し、困難なルートを辿っていた頃は、時間をかけて足元を見ることをしませんでした。自然という驚異、あるいは脅威に対峙するように身を置くことを楽しんでいたのでしょう。自然の微細な変化は、見ようとしないと見えないのです。 北国の春はあっという間に過ぎてゆきます。ぜひ、近くの野山の林床を見に行きましょう。

(2006年4月23日掲載)




船中八策

2006-04-22 00:21:50 | 教育
 昨夜は大いに(とまでいったかな?)日本の未来を日本酒片手に語りましたが、お酒は、その前夜口切をして一人酒をした「船中八策」ではなくて、ゲストが持ってきてくださった黒松内の日本酒でありました。ありがたいことです。

 現代は、船中八策をねった坂本龍馬のような大計を描ける人は実はずっと増えていると想います。 「こうあるべきだ」ってね。 つまり、龍馬の時代よりずっと社会情勢が情報として誰でも入手しやすくなっている情報社会ですから、情報が無かった龍馬の時代よりも、みんなが情報分析できるようになっているのです。

 あの時代とちょっと違うのは、「熱くなれない」ということかな。なぜ?熱くなれなくなったのだろう・・・・ と考えていると・・・

実行すべき大計であるのに、実は自信を持てないままに結論づけてしまうからか・・・

後ろで せんちゃんが 一生懸命に回転盤を走っている・・・
これって素晴らしいよなあ。

一気に閉校の流れ・・・

2006-04-17 23:52:49 | 教育
 山村留学で関わりを持っていた中の川小中学校が本年度をもって閉校となることが、本日一気に決まりました・・・。 昨年来、保護者を中心に散発的に続いていた話し合いの流れからは、「決まっていた」のですが、誰も明確に口にしませんでしたが、今日PTA会長が、初めて言及しました。 地域内の議員さんや顔役の方とも話をし、「仕方なし」ということです・・・。

 現在は、小学生8人、中学生2人が在籍し、我家・自然学校を含めて5家庭。とても小さな学校です。 小さな地域の小さな学校の教育力を大いに評価し、存続を主張していた私としては残念ですが、地域と校区内の保護者が最終的には決めることなので、もはや仕方がない。

 山村留学は、もうひとつの小規模学校を特認校として残してゆく町の方針なので、来年度は移行することになるでしょう。

 何かせつない晩であります・・・。 

何に対して補助をするのか?

2006-04-14 23:22:50 | 教育
久しぶりに電話越しに文句を言った。
どんなに文句言おうと、規則に従って答弁している担当者なので、体制に変化は現れないことは知っていても一言いわせてもらわないと気が済まない・・・。

 子ども夢基金という子どもの活動を支援する文部科学省が主管する補助制度があるのですが、その補助対象がとても厳しくなって来ているのです。 当然にあてにしていた補助が事業が終わったあとに、「出ない」となると 文句も言いたくなる。(だけでなく言った)

私たちは、小さな地域で専従として活動をしている。夏の長期村などは準備期間も入れれば、一ヶ月もかかりきりになる。 しかし、主催団体の専従者の人件費や施設利用に対して補助は出ない・・。 その理由は、当該事業に使われるのではなくて、団体の運営に使われる心配があるからだという・・。  一見正しいようで、現実的でない論理で却下されている。

いったい私たちは、どこから資金を得て一ヶ月も仕事をすればいいのだろうか?

では、参加者からの負担金でまかなえばいいと思われるでしょうが・・、この補助制度はもちろん全額補助ではないですが(1/2程度にはなる)、すべての事業費を報告する必要があるのです。 つまり、その中に団体構成員の人件費や施設利用経費が読み込めないのです・・・。

「人も施設も限られている小さな地域で活動しているような私たちには使えない補助制度なのか?」

担当者は なんと答えたでしょう・・・・

「そういうことになります・・・」

こんなところにも 中央の人と資源がたくさんある地域に有利な資金の流れが組みあがってゆくのを感じます。

地方、切捨ての実感は、東京のお役人さんや 国のお金を運用している団体には共感してもらえないようです・・・。

ナニクソ!! であります!!


野菜の芽

2006-04-14 16:00:09 | コラム記事
 雪が多く、モノトーンの世界だった冬からようやく景色が色づいてきました。木々の芽吹きよりも、いち早く春の訪れに気がついて、苗床のキュウリやトマト、ナスが小さな芽を出しました。いつもは、育った苗を買って作っていた野菜ですが、今年は種撒きから挑戦しています。

 生まれたばかりの双葉が赤ちゃんのようでとてもかわいらしく思えます。
「この子達が実を付け、朽ち果てるまで、ちゃんと見取ってあげなければならないな」と、まるで野菜の親になった気持ちです。
都会に住んでいたときは、スーパーで買っていた野菜。値段や大きさを比べ、傷があるかないか、形の良し悪しも無意識のうちに選択条件としていたかもしれません。  

 田舎に移り住み、少しずつ畑作りを開始したのは、5年前。初年は、特段の苦労なく、露地で4,5種類の野菜を収穫しました。ところが、2,3年目は不作。4年目にはビニールハウスを建て、やや持ち直し。そして、昨年は農家にアドバイスを受けて、本格的家庭菜園(?)に取り組んだところ、ズッキーニ、白菜、たまねぎ、スイカ、かぼちゃなど10種類ほどの収穫に成功したのです。

ひとつの野菜であっても、育てることの大変さと楽しさを体感してきました。食べ物への想いも強くなりました。
食育は、食うために作ることから始めるのが一番だと思います。

(2006.4.9掲載)

春の花を待つ

2006-04-11 21:44:04 | コラム記事
 去年の秋の終わりにチューリップの球根を庭に植えました。地面が雨に濡れたまま半分凍っていた頃だったので、もしかしてそのまま冷凍されてしまったかもしれないと不安です。
 マーガレットは、夏の始まる頃にたくさん移植しましたが、ピキッと背筋を再び伸ばすことなく、しおれたままだったので、この春復活するのか気になります。
 スミレも種をたくさん飛び散らせたのですが、今だ花壇は沈黙しています。
 イタドリ退治に二年も精魂傾けた裏の小川の土手には、野の花が咲くでしょうか。

元来不精で不器用、色彩センスがないので、ガーディニングなどと言えませんが、ともかくも庭を造ろうとしています。


 「北海道には四季がない」と東京の人が言いました。三月は雪、四月は花も若葉もない春という印象があるそうです。かくいう私も、初めて北海道住民になった4月は、その前年に大流行した歌謡曲「襟裳岬」の歌詞「何もない春」に妙に感傷的になったものでした。

 あれから30数年、「雪が消えることこそが春なんですよ」と、北海道人として、喜びいっぱいに来訪者に話すことができるようになりました。
「来年の花壇の彩りを素敵にするためには、春先に移植するのよ」庭造りの指南役のWさんが教えてくれました。土いじりしながら、今年の春の花を待っているのですが、実はもう来年の春も一緒に夢見ているのです。春は、幾重にも嬉しいのであります。

おじさんのマーケティング

2006-04-05 19:37:06 | ツーリズム
おじさんがおじさんのマーケッティング

ここのところ・・頭を悩ましていることがある。けっこういつも考え続けているのだが、考えるほどわからなくなる・・・
 それは、おじさん達へ向けた体験型プログラムづくり。

 これからリタイアするシニア層への滞在型プログラムを作ってゆきたいのだが、我事のようであっても本心に迫るのは・・・。  高齢社会を研究するシンクタンクともやりとりをして、そのニーズを探っているのだが、本当に彼等(私ら)は、何を求めているのだろうか?

 団塊の世代が60歳の定年を迎え始める2007年。彼等は時には社会と闘い、時には高度成長を生み出し、熱く過ごした世代。 私は、「断層世代」と呼ばれることもある、新人類と呼ばれた世代とのはざまにいる世代。 といっても、もう50歳。
この3代の60代からの暮らし方というのは、その生活スタイルが少しずつ異なるかもしれない・・とぼんやりと考えている。

まだまだ年金を保証されながらシニアライフを過ごすのと、年金はあてにできない世代とのギャップは大きい。 団塊の世代は、本当にお金を使うだろうか?? 余暇を楽しむのだろうか?
現在の70前後の元気なお年寄りのように、旅を楽しみ、おいしい食事にお金を使い、生活をするのだろうか?
 むしろ 新しい仕事を作ろうとするのではないだろうか・・・
案外、再び働くために、手に職をつけようとするのかもしれない・・・

 考えてみると、私自身がこの年代の男性とざっくばらんに、自分の持つ価値観に関わるような・・、雑談交じりの話していないことに気ついた。 話しているとしても、我業界の同じにおいのする人間ばかりかもしれない。
もっと 生身のマーケティングが必要だな。

山村留学の意義

2006-04-05 00:27:04 | 教育
本年度の山村留学生の二人が我家の、自然学校の一員となりました。
小さな子どもがどうして1年も親元を離れる必要があるのか・・・。そんな問いかけも無きにしもあらず。 我子達は、例えば、今、学校に行けないわけではありません。今の学校に不満があるわけでもありません。  ならどうして・・?

都会でできない生活体験、学校体験が「ここ」にあるからです。
小さな地域の小さな学校  人と人とのふれあいがとても密度濃い中で過ごす1年。他人の家で暮らす1年。自分の生活圏と異なる風土の中で過ごす1年。

好奇心が旺盛で、いろいろなことを吸収できる子ども時代こそ、多様な環境の中で暮らすことがとても重要です。 都会は多様なようですが、子どもの生活圏で、ややもすると、単調で一様化しているのではないでしょうか。 それは、多様な価値観を取り込む「器」づくりには適した環境ではないかもしれません。

そこへゆくと、田舎は、子どもが自ら発見できる多様な空間があります。多くの人達とのかかわりが都会以上にできます。

何にもまして、他人の飯を子どもの頃に食べるということは、自分の家族、母や父という身近な肉親のありがたさを感じる機会にもなります。

山村留学・・・・日本の都会の子ども達は、全員半年くらいは田舎に留学し、田舎の素晴らしさを知る・・、逆に田舎の子は、都会の学校へ半年くらい通って、早いうちから、田舎と都会を比べさせたほうがいいと思う。

情報過多社会なのだから、子どものうちから、それぞれ知らない社会を実体験をさせた方が、子どもの将来の選択肢がかえって広がるのではないだろうか?

田園自然再生シンポジウム

2006-04-02 17:12:31 | NPO活動全般
 1月15日、東京飯田橋で農林水産省などが主催する首題のシンポジウムで、黒松内ぶなの森自然学校の事例報告をしてきた。 会場には民間、行政から200人以上が集まり、各分科会では熱い議論が交わされていた。

 「牧歌的な憧れを満たすような体験活動」に対する痛烈な批判が、農村社会の質的向上をミッション(使命)としているNPOからあり、私が標榜する自然体験型環境教育との土俵の違いを感じ、若干戸惑いもした。

 しかし、人口3500人の田舎に移り住み5年目、同年代の農業者が経営に行き詰まり自殺するなど、都会で生活している頃は、知らなかった、分からなかった農村社会の抱える課題を体感しているので、自らの活動を振り返る良い機会にもなった。

 NPO活動は、企業や行政では提供しきれない細やかな社会サービスを生活者の視点から提供することにあり、私達のNPOのサービスの提供先の多くは、都市生活者である。
 都市と農山漁村の交流といっても、当初は都市生活者の受け入れが目的であった。ところが、農村に暮らすうちに、私の中に欠けていた視点が明らかになってきた。

 それは、農山漁村があって、つまり食料の供給地、保健的休養地でもある田舎が基盤にあってこそ、都会生活が成り立っているという、社会構造の見方である。
 田園自然=田舎を再生するには、まずは、都会の人々にこの田舎の社会的価値を理解してもらうことからアプローチすることも大切だと、改めて感じた。

(2005.1.18 新北の国から)

まちのイメージ

2006-04-02 17:01:11 | NPO活動全般
昨年来、まちづくりのワークショップを進行する機会が多くらあります。

 その中で、 「あなたにとって『まち』ってどのくらいの広さですか?」と質問すると、「小学校の学区の半分くらい」「自転車で動き回れる範囲」「歩いて帰れる距離だから半径4Kmかな」と、いろいろな答えが返ってきます。 人によって感じる『まち』は、どうも広さではないようです。

 住宅や商店が密集する大きな都市でも、人口が少ない過疎の小さな地方町村でも、「まちづくり」といいます。住民の数で『まち』が決まるわけでもないようです。 また、駅や商店、消防署や役場も含まれない住宅地の範囲を、自分の『まち』と感じる人もいるので、生活に必要な施設の有無だけで、人は『まち』を意識しているわけでありません。

 「あなたにとって『幸せ』に必要なことは?」と質問すると、仲間、家族、信頼、安心、安全、笑い、会話といった「人」にまつわる言葉がたくさん登場し、病院やスーパー、銀行など生活に必要な具体的な機能的施設は、むしろ少ない傾向があります。 人々の『まち』づくりのイメージは、施設・道路などのハード整備から、『人と人との関わり』づくりに変わってきています。 

 『まち』とは、その地に住む一人一人が安心して暮らせる「居場所」の重なり合いで生まれるものではないでしょうか? 異なる、違う者同士が、お互いに複合的な関係性を持ち、支え合うことによって生まれてくるものです。

町づくり ・・・ 道路や住宅、商業地などハードな社会資本整備
まちづくり・・・ 人同士の関わり合い、支え合いなどソフトな社会関係性資本の整備

(2005.01 環境まちづくり読本)

環境って何?

2006-04-02 16:58:05 | NPO活動全般
 私の仕事は、自然体験型環境教育を旗印にしています。
環境問題は、やっと社会的問題となり、昨年は、国が環境教育推進法を作るまでになりました。 ところが、環境という概念はとても広く、あるワークショップで「環境とは何?」と聞くと、ある人は、森林やオゾン層の破壊、温暖化など地球環境問題を思い浮かべます。また、住環境、教育環境、町の環境など人が暮らす上で身近な環境を想像する人もいました。

 この一見異なるものであっても、実は関係性があります。
 私は、「環境」とは、「つながり合う」ことで現れる「場」と考えています。

大きく地球や宇宙規模でも環境を話題にすることは、できますが、私達が生活する身近な「場」のこともあります。

 私達を取り巻く環境には、大きな2つのつながりがあると思います。ひとつは、「自然とのつながり」そして、もうひとつは、人の人とのつながり、つまり社会とのつながりです。もちろん、自然と社会とのつながり(循環型社会)づくりも21世紀は大事な課題です。

 「居心地が良い環境」とは、心(人)と地(自然)の関係性が良い場ということです。

(05.01 環境まちづくり読本)

観光は経済か? 文化でしょう!

2006-04-02 16:52:57 | ツーリズム
 大雪のニセコのしゃれたリゾートホテルに泊りがけで、広域観光戦略会議なるものに参加してきました。観光が産業として大きくクローズアップされ、観光を経済振興とする勢いで、国や北海道は考えているようです。

 しかし、本当に観光で経済が潤うのでしょうか? 確かに表面的にはお金の動きは大きなものになるでしょうが、それが、観光に携わる雇用者に広く行き渡るかというとはなはだ疑問です。

 名物を見る観光から体験型へ、団体旅行から個人旅行へ移行している、多価値観社会の観光も当然に多様化しています。 お客様のニーズに応えるためには、ますます細やかなサービス、あるいは心地よい空間づくり、参加者の自己実現へのサポートが求められます。 つまり、労働集約型の雇用が進み、雇用数は確保できるかもしれません。 ところが、それは低賃金労働者を増やすということでもあるのです・・・。

これは、世界の観光先進地であって同じだと思うのです。しかし、日本と比べて、決定的に異なることがあります。
 それは、そこに働く人々が、実に「楽しげ」なのです。 

その地に暮らしていることを誇りに思い、愛しているんですね。 それが伝わるようなサービスを提供してくれるのです。 ところが、日本の観光地に働く人で、「楽しげ」に見える人ってなかなかお目にかかれないんですね。
 つまり、暮らし方が 心豊かにできるか、ってことがポイントだと思います。これって、その地に生活するに心地よい文化あるってことだと思うのです。

 観光による経済効果は、結果であって、その振興のプロセスに地域文化の育成という大きなビジョンがなければ、本当の広域戦略は描けない!!!
 これを役人さんにがんがんと伝えながら、夜は更けたのでした。 わかってもらえそうで、わからない・・・

(2005.1.26 新北の国から)
 

来年度に向けて

2006-04-02 16:45:04 | NPO活動全般
「電気代の請求が20万円きました!!」
「どういうこと?! 何か月分なの?!」
 ここ、ぶなの森自然学校は、元小学校だった校舎を借りています。全てを借りているというわけではなく、元職員室と合わせて3つの部屋を間借りさせて頂いて、事業がある時にお安い使用料を加算して町にお支払いするという方式でいます。 今回は、何かの間違いか・・・・、 いいw一月1,2万で済んでいたのに、4,5ヶ月分合わせての請求だとしても高すぎる!!! 
どうも他のコスト負担も求められているようだ。 しかし、年度末に予定外の支出などできなあ~い!!

 学校ですから、施設としてはとても大きく、何の事業もしなくても稼動している機械や非常灯などがあります。だまっていても年間軽く100万円くらいの水道光熱費がかかります。
 これまでは、社会教育事業への支援的な意味合いもあり、町が負担してくれていたランニングコストはいろいろありました。例えば、水道光熱費や地域の生涯学習センターも兼ねているので、電話の基本料金やコピー機のリース代などです。

 ところが、行財政の厳しい状況から、経費の民間負担が徐々に始まっているのです。 国から交付されるお金が毎年、1割から2割もカットされている現実が小さな町村にあります。 町が臨時雇用している人達もだんだんとカットされ、小さな公共型サービスは削られてゆく方向にあるでしょう・・・。

 大きな都市に住んでいると、三位一体改革論は、身近なこととして実感が持てないのが、一般市民の感情でしょう。
 しかし、地方は、こんな小さなことからヒシヒシと痛切な問題として身近にたくさん現れて来ています。

 なんとか・・・、なんとか・・・・、
 小さな町村レベルで、人が暮らしてゆくに足るような、小さくても良いから、「稼ぎ」あるコミュニティビジネスを創出できないものか・・・。 でないと・・・、本当に 過疎化はますます進み、地域が疲弊し崩壊してしまう危機感を覚えます。
 来年度へ向けて・・・・
 知恵をしぼらねば・・・・、なんとかせねば・・・!!!

(2005.2.04 新北の国から)


自然学校という「田舎」づくり

2006-04-02 16:39:43 | ツーリズム
(2005,02.06 新北の国から)

 相変わらず、雪が降り続いています。 事務机の横の窓からは雪にふさがれ、外が見えなくなってしまいました。 明日は、窓周りの除雪をしなければならないなあ。

 4日の夜は、隣町のSさん一家がクジラ汁を持って宴会にやってきました。子ども達やスタッフも交えて、夜遅くまで歓談(?)をしました。そして、明けて5-6日にかけては、30から60代の5人の女性をお迎えし、「歩くスキー」を使ったネイチャーツアーを実施しました。 吹雪の中を小高い丘に登ったり、昭和50年頃まで蒸気機関車が走っていた寿都鉄道(なんと私鉄なのです!)の跡地を歩きました。なんと、朱太川の河畔林の柳は、芽をふくらませ白い綿毛をのぞかせていました。 まだまだ寒いとは言え、確実に春は近づいています。

 自然学校では、人が集まる「場」づくりをしています、。ツアーといっても、時間に追われた行程がぎっちりと決まったものではありません。ゆっくりと流れる時間を楽しみ、人と人との交流を大切にしています。 人が帰ってゆける場所、ほっとできる場所づくりをしています。

 自然学校という名の田舎づくりです。