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はる風かわら版

たかぎはるみつ の ぼやき・意見・主張・勝手コメント・コラム、投稿、原稿などの綴り箱です。・・・

今、後志に生きる

2012-09-28 13:53:22 | 意見、主張いろいろ・・
今、後志に生きる  Bay Way 10号 2012 原稿

2012年の北海道の夏は100年この方なかったと言われるほどの記録的な暑さでした。寝苦しい夜が続き、9月も半ばを過ぎた頃にやっと窓を閉めて眠ることができました。ランニングコストが安い(発電に用いる燃料)原子力発電所が全国すべてにおいて停止していた夏でした。国民の節電意識が高まり、家庭ばかりではなく、社会のいたるところで冷房を制限されました。秋の冷涼な大気が流れ込むようになり、日本人は全国いたるところで、さぞかし秋風にほっとしていることでしょう。 原発エネルギー政策を推し進める日本にとって、記憶に残すべき歴史的な夏でした。

◆ 後志には原発がある。

後志地域には、北海道で唯一の原発があります。私が住む黒松内から岩内へ国道229号をゆくと、対岸に嫌がおうでも3基の泊原発が目に入ります。知らない人が見れば、工業地帯にある石油の備蓄タンクかと思うかもしれません。頭上は半球全天の青空、その下に深い緑の山々が連なる積丹半島が日本海に突き出す大きな風景です。そのど真ん中に白い原発構造物が自己主張するかのように並んでいます。泊村を通過する時には、これらの建物は見えません。泊村の住民より小さな湾をはさんだ対岸の私達の日常の視野に原発があります。

「できることならば、この原発は風景だけであって、放射能という危険な現実には無関心で生きてゆければよかった」「後志には原発があるとわざわざ言う必要はないだろう」とさえ思います。しかし、3.11東日本大震災後、日本のエネルギーと原発・放射能の危険は、後志の今、そして未来を考えるうえで、避けては通れない課題となりました。事実、私の身近でも、福島の農民が北海道に新たな農地を求めてきましたが、泊原発が近いことを知り選択をしませんでした。

◆エネルギー問題は経済の問題か?

毎週金曜日の夕方に全国各地で脱原発のデモが行われています。
私も札幌のデモに参加しましたが、参加はごく普通の市民ばかりでした。原発推進派が左翼と名指し対峙している反核運動の人もいるでしょうが、参加者の多くは、原子力発電=放射能汚染の心配から、再稼働を反対する脱原発社会を望む人達だと感じました。そして、パブリックコメント等の結果により原発ゼロ社会への模索がやっと政府レベルでも開始される「気配」が出てきました。しかし、選挙が近くなり、その場限りの迎合的な対応だったのか、原発ゼロ社会への道筋は閣議決定もされず、長い時間をかけ国民から集めた意見は、今後のエネルギー政策を考える上の「参考」と位置付けられてしまいました。原子力規制委員会や規制庁の重要ポストもこれまでの推進派と目される人々が占め、さらに、秋風が吹く頃になると、建設凍結だった大間原発の建築再開を経産相が認め、産業界はこぞって原発推進を国や原発立地自治体へ表明をし始めました。日本の産業と政治構造は明治以来、なんら変化することができないのでしょうか。

 電気エネルギーの生産は、国と電力会社が進める国策的事業として国民は黙って供給を受ける側であり、消費者でしかありませんでした。しかし、東日本大震災による福島第一原発の過酷事故は、原子力発電の危険性を国民の多くにわからせました。しかし、電力会社は放射漏れの原因が想定外の高さの津波によって冷却装置が故障したことによるとの主張を変えず、各地の原発の防波堤の嵩上げが始まっています。実際の地震の揺れによる故障や破壊の検証は全くされていないと言っていいでしょう。日本は地震が多発する地殻プレートの境界に生まれた列島であり、これからも巨大地震が発生し続けることは、今では子どもでも知っています。

福島の農産物が売れないことや観光客が途絶えていることを「放射能の風評被害」と消費者側を非難する報道の姿勢が目につきます。スポット汚染ははっきりと現象化しています。そして、福島第一原発は今も壊れたままで放射能が放出され続けているのです。すべての食品の全量検査などは到底無理なわけですから、サンプル検査だけで出荷される産物が安全と言い切れるはずがありません。風評被害で片付ける問題ではありません。売れない原因は、莫大な量の放射能という目には見えない危険な物質が広範囲に撒き散らされ、今現在も放出され続けていることにあります。この不安が払しょくされない限り「被害」はなくなりません。除染して放射性物質がなくなるわけでもありません。どこかに存在し続けるのです。
原発はリスクが高い発電技術です。一度、過酷事故が起こると周辺何百Kmに及ぶ被害を長い期間に渡り及ぼし、その地域の生活も産業も破壊してしまうことについて、私達はもっと直視しなければなりません。
 経済発展とエネルギー問題がリンクして議論されています。電力利用が減少すると経済も減少する、国の経済力が落ちると生活レベルも落ちる、だから安定した電力供給が必要であり、そのために原子力発電は不可欠だと、私達は刷り込まされて来ました。確かに両者には相関関係があるでしょう。しかし、ちょっと立ち止まって考えてみたいものです。
 「原子力発電のコストは本当に安いのか」
 「放射性廃棄物の処理は未来永劫続く課題である」
「片付けきれない放射性のゴミを増やし続けていいのか」
「私達は必要以上に電気を使っているのではないか」
「日本は地震が多発する地域である」

それでも、経済成長のために原子力発電を続けるべきなのか、これから原発とどう向き合うかは、国民ひとりひとりが「自分の暮らし方」の問題として捉え考える必要があります。ましてや後志に住む我々は、原子力発電所を事実抱えています。たとえ廃炉になったとしても、電源開発の恩恵を直接受けて来た地域の振興、放射能汚染廃棄物の処理の問題と難題がなくなるわけではありません。今、後志に住む私達は、これからの日本の「生活・暮らし方」を考える絶好な立ち位置にいます。

◆いなか(後志)の価値を見直そう

 後志には豊かな大地があります。尻別川の源流は支笏洞爺国立公園です。広葉樹も針葉樹もある針広混交の深い森が広がり、大型哺乳類のヒグマを始め数多くの野生動物が住んでいます。広く大きな空を目指すように羊蹄山が聳え立ち、その周囲の大地は広大な農業生産地です。小樽から積丹の海岸には何百年も変わらぬ荒々しくも見事な風景があります。半島を回りさらに寿都、島牧まで続く国道を南下しても、いつまでも様々な岩礁風景を堪能することができます。その海岸線には次々と小漁港が現れ日本海の海の幸が水揚げをされています。
 この豊かな大地での暮らしを一瞬に失うのが原発の過酷事故です。

 人々は都会に集中し生活をしています。人々と経済が集中すればするほど、森は消え、食料生産の場も押しやられてゆきます。食糧は田舎から供給をされるようになります。さらに、今回の原発事故を契機に、電気エネルギーも田舎から都会に供給されている事実に改めて気づかされました。

◆リアルに生きる・暮らすいなか(後志)

 女性たちは、男どもより「いのち」に対して敏感な感性を持っていると思います。生きるか死ぬかはビジネス社会の闘いの問題ではありません。今を生活すること、そして、目の前にいる小さな「いのち」を育てること、明日生まれてくる「いのち」を大切にすることが上手だと思えます。私は原発の是非は経済の問題ではなく、直接的に生き死に関わる生理的な問題だと思います。
いなか(後志)の農林水産業に関わる男は、都会の男より自然の中で「生きる」ことに対して、リアルに向かい合っています。毎日、空を見やり明日の天気を予想し、作物の日々の成長を思いやり、明日の仕事の段取りを考えています。せっかく育てた作物が風水害で一日にしてだめになることもあります。海水の温度が漁業に影響をします。波に揉まれる網は破れ常に補修し、農作業機械の整備も怠りません。常に道具に対して気をかけ整備しています。牛が健康に少しでも快適にするためには労力を惜しみません。何が安心して消費者に買ってもらえる収穫物なのか、どのようにしたら安全に作業をできるのか、生き物を収穫する仕事は、人間も生き物としてリアルに対峙する必要があります。

◆過疎はデメリットか
 
 人口減少と高齢化にともなって、田舎はますます人が減っていきます。一方、都会はいっそう人口が集中していくでしょう。しかし、過疎はデメリットなのでしょうか? 視点を変えると、過疎であるからこそ、現代社会に必要とされる社会サービス、産業の担い手不足という社会問題が見えやすく、やらねばならないことが分かりやすくあります。
 「田舎で住み暮らす人材育成」を大きな目標にした自然学校を黒松内町に開設し14年がたちました。その間に数多くの若者が後志の自然、暮らし方を体験から学び巣立ちました。その行方を調べてみると、南は沖縄、北は稚内まで全国各地の田舎で働く若者達100人ほどの消息が分かります。結婚や出産の話も聞こえてきて、とても嬉しい。子どもが生まれるようになって世代交代が進むと考えれば、やっと芽が出たという感じでしょうか。土地を開き土壌を作り、種をまき、芽が出て茎が伸び始めた段階にはきていると思います。
 しかし、その多くは後志圏以外の田舎に定住の場を求めて卒業して行きました。私の力不足はもとよりですが、まだまだ未熟な彼らに次の修行地、受入地を圏内に見つけ切れなかったという事情もあります。感じ学んだことから自分の力で自己実現できる「場・地域」が今の後志には足りないと思えます。

 過疎地の社会課題の解決を地域行政任せにしない、あるいは行政が抱え込まない、従来の仕事を外からの新しい力にゆだねて、多少の時間がかかっても、地域内の混乱があっても「人が育つ場」づくり意識して行ってゆくことが、今の後志には必要だと考えます。 後志には、その自然と社会環境があります。

 原発が立地しているからこそ、後志は改めて「人の暮らし方」をリアルに考え、提示してゆける地域だと思えます。

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