goo blog サービス終了のお知らせ 

はる風かわら版

たかぎはるみつ の ぼやき・意見・主張・勝手コメント・コラム、投稿、原稿などの綴り箱です。・・・

開拓ハウスの住人達

2006-05-12 20:09:09 | コラム記事
自然学校に、通称「開拓ハウス」と呼ぶ家があります。戦後すぐに建てられた築60年近い木造住宅です。外観は傷んでいますが、見かけによらず室内は意外と広くしっかりとしています。「寿都吹き出し」と称される強い風雪が吹く地に建ち続け、根が生えたような存在感がある家です。

 晴れた日に、古ぼけた窓から陽光に輝く残雪の山々が見えるのですが、風景が窓枠に切り取られ、目まいがするくらいに、眩しく感じます。そんな年代物の家は、今年も、自然や農水産業、田舎の暮らしを学びに本州からやって来た実習生の住みかとなりました。
 都会育ちの若者には、汲み取りトイレも初めての経験。口には出さないが、カルチャーショックもあるでしょう。

 半径100m以内に住宅やマンションが密集し、あまりにも住民が大勢過ぎて、その数がわからない都会から、人影が見えない広い風景の中に何人が住んでいるのかわからない田舎に転居した当初は不安もあったでしょう。

でも、毎日窓から見ている山の木々が少しずつ色づいていることに気がつく余裕が出たようです。木の芽が柔らかに膨らみ幼葉が現れ初めているのです。「萌黄色」です。現代人にとって、この色は意識して見ないと、なかなか感じることができない色のようです。
45

5月に入り、北国の森の色合いはどんどん増えてゆきます。自然は、住人達の感性をきっと美しく磨いてくれるでしょう。

(2006年5月7日 北海道新聞掲載)

子ども達と野山へ

2006-04-30 23:19:37 | コラム記事
生き物を持ち帰る選択

 ゴールデンウィークは、ぜひ、子どもと野山へ出かけましょう。
日陰に残雪が残るこの時期の自然遊びの足元は、春先と同様に長靴が便利です。
林道を歩くと、雪どけで小川が溢れて道いっぱいに流れていることもありますし、水溜りもたくさんできています。子どもは、元来水好きなので、必ず長靴を履かせてあげましょう。
小さい子どもに、「汚れるからだめ」と野暮なことは決して言わないで、汚させてあげてください。汚れても後で、洗ったり着替えたりすることを覚えさせれば、「汚れ好き」な大人には絶対になりませんからご安心ください。

水溜りを良く見ると、何やらゼリー状の長いチューブ袋が見つかります。さらに観察するとチューブの中に丸い球がたくさんあるものと、ないものがあります。どちらも黒い小さな粒が点在しています。気味悪がらずに、そっと触ってみましょう。簡単には壊れませんから大丈夫です。前者はエゾアカガエル、後者はエゾサンショウウオです。

子どもは、狩猟本能を当たり前に行使して、「持って帰る!」と簡単に主張するでしょう。ところが、持ち帰った後に起こる「飼う」ことの知識や大変さの経験がありませんから、そのやっかいさは、結局、親が負うはめになりかねません。

 ここは子どもの味方になってお願いです。適度に狩猟本能を満たしてあげることは、人間の成長には必要です。だだし、お持ち帰りはちょっとだけです。

(2006年4月30日掲載)

春の妖精

2006-04-30 23:15:36 | コラム記事
春の妖精達に会う

 そろそろ林床(りんしょう)に春の妖精達がチラホラと現れるようになりました。
林の床?ちょっと難しい言葉ですが、森や林の地面のことを言います。雪が消え気温が少し暖かくなると、一番初めに芽吹くのはフキ。そして福寿草。少しずつ緑が増えるにつれて、彼女達がいっせいにおしゃべりを始めるように花開きます。

 妖精とは、春先に咲く小さな可憐な野の花々のことです。白い幾重もの花びらをつけたキクザキイチゲ、よく見ると濃紺から水色、青紫まで多彩な色合いがあるエゾエンゴサク、カタクリは小さな太陽がたくさん輝くように華やかに咲き誇ります。妖精達は、5月の中旬まで次々と種類やしてゆきます。

背丈が高くなる草や樹木の葉っぱは、彼女達が精一杯に命を謳歌し種がつくまで、自分達の芽吹きを待ってあげています。森の植物の共存は本当にうまくできているなあと感心します。

 高校山岳部出身の私は、かれこれ30年以上も野山で遊んでいるのですが、こんなにもたくさんの種類のお花が野山にあることを「認識」したのは、むしろここ10年、最近のことなのです。

 一生懸命頂上を目指し、困難なルートを辿っていた頃は、時間をかけて足元を見ることをしませんでした。自然という驚異、あるいは脅威に対峙するように身を置くことを楽しんでいたのでしょう。自然の微細な変化は、見ようとしないと見えないのです。 北国の春はあっという間に過ぎてゆきます。ぜひ、近くの野山の林床を見に行きましょう。

(2006年4月23日掲載)




野菜の芽

2006-04-14 16:00:09 | コラム記事
 雪が多く、モノトーンの世界だった冬からようやく景色が色づいてきました。木々の芽吹きよりも、いち早く春の訪れに気がついて、苗床のキュウリやトマト、ナスが小さな芽を出しました。いつもは、育った苗を買って作っていた野菜ですが、今年は種撒きから挑戦しています。

 生まれたばかりの双葉が赤ちゃんのようでとてもかわいらしく思えます。
「この子達が実を付け、朽ち果てるまで、ちゃんと見取ってあげなければならないな」と、まるで野菜の親になった気持ちです。
都会に住んでいたときは、スーパーで買っていた野菜。値段や大きさを比べ、傷があるかないか、形の良し悪しも無意識のうちに選択条件としていたかもしれません。  

 田舎に移り住み、少しずつ畑作りを開始したのは、5年前。初年は、特段の苦労なく、露地で4,5種類の野菜を収穫しました。ところが、2,3年目は不作。4年目にはビニールハウスを建て、やや持ち直し。そして、昨年は農家にアドバイスを受けて、本格的家庭菜園(?)に取り組んだところ、ズッキーニ、白菜、たまねぎ、スイカ、かぼちゃなど10種類ほどの収穫に成功したのです。

ひとつの野菜であっても、育てることの大変さと楽しさを体感してきました。食べ物への想いも強くなりました。
食育は、食うために作ることから始めるのが一番だと思います。

(2006.4.9掲載)

春の花を待つ

2006-04-11 21:44:04 | コラム記事
 去年の秋の終わりにチューリップの球根を庭に植えました。地面が雨に濡れたまま半分凍っていた頃だったので、もしかしてそのまま冷凍されてしまったかもしれないと不安です。
 マーガレットは、夏の始まる頃にたくさん移植しましたが、ピキッと背筋を再び伸ばすことなく、しおれたままだったので、この春復活するのか気になります。
 スミレも種をたくさん飛び散らせたのですが、今だ花壇は沈黙しています。
 イタドリ退治に二年も精魂傾けた裏の小川の土手には、野の花が咲くでしょうか。

元来不精で不器用、色彩センスがないので、ガーディニングなどと言えませんが、ともかくも庭を造ろうとしています。


 「北海道には四季がない」と東京の人が言いました。三月は雪、四月は花も若葉もない春という印象があるそうです。かくいう私も、初めて北海道住民になった4月は、その前年に大流行した歌謡曲「襟裳岬」の歌詞「何もない春」に妙に感傷的になったものでした。

 あれから30数年、「雪が消えることこそが春なんですよ」と、北海道人として、喜びいっぱいに来訪者に話すことができるようになりました。
「来年の花壇の彩りを素敵にするためには、春先に移植するのよ」庭造りの指南役のWさんが教えてくれました。土いじりしながら、今年の春の花を待っているのですが、実はもう来年の春も一緒に夢見ているのです。春は、幾重にも嬉しいのであります。

長靴でもり歩き

2006-04-01 14:48:44 | コラム記事
2006.04.02 北海道新聞

春弥生。日ざしが柔らかになりました。
我家の前はまだまだ雪原が広がり、山々は残雪がたくさんありますが、爽やかな大気を、光と一緒に吸い込むと、我細胞の隅々までにエネルギーが充填されます。「長い冬からやっと抜け出せたなあ」と、身体全体が嬉しがっています。

 よ~く見ていると山の色合いが少しずつ変化しているのが遠くからもわかります。この時期の楽しみは、長靴で野山へ出かけることです。冬場は、スキーや輪かんじき、ここ数年で流行り始めた素敵なデザインのスノーシューを足元に装備しないと、雪にもぐってしまい、森歩きはできません。ところが、春先の雪の性質はずいぶん違います。遠くを見ているだけではなく出かけてみませんか。

 車で近づいて、雪が残る道路脇からで十分です。まずは雪の上にそっと乗ってみましょう。沈まないかなと不安でしょうが、雪は固雪(かたゆき)、締まり雪。意外なほど歩きやすいのです。慣れたら、あたりを少し散歩してみましょう。雪解け沢のせせらぎも、春の到来を喜んでいるかのように軽やかに聞こえます。夏場は笹や低い木の茂みのために、雪の下が空洞の場所もあるので、時にはズボッと潜ることがありますので驚かないでください。

 木々に近づいてみると、色合いの変化は木の芽が膨らみを増していることがわかります。山の春も確実に近づいているのです。山深い森に入るときは、自然案内ガイドと一緒がオススメです。