《 繰糸所 》
国宝決定
富岡製糸場(Haru画)
富岡製糸場
環境に配慮した長~い煙突
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富岡製糸場は「世界遺産」に
「国宝」に決定
2014年12月10日(水)
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富岡市
妙義山の見える風景
富岡製糸場/正門
何度訪問しても感動
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週6日制/工女
夏休み・盆・暮れ・正月(休日).....明治5年操業開始/昭和に見られた「女工哀史」のような過酷な労働ではありません 全国各地から募集された若い工女(188人)は近代国家に相応しい8時間労働、当時としては画期的なことでした 賃金~労働条件~教育~医療~など当時としてはびっくりするほど守られていました
明治の時代に.....富岡製糸場は各人のレベルアップを目指しました 賃金が上がると各人のステータスも上がる...工女達の労働条件や職場環境には目を見はるものがありました 現代の「ブラック企業」は労働者を使い捨てにする醜い労働条件、大いに模範にすべき
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富岡製紙場
世界遺産/国宝決定
左/ 西繭倉庫 右/ 繰糸場
越屋根(蒸気抜き)
東繭倉庫
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近代国家の礎石
明治政府
明治政府は.....明治五年操業開始(1872.10.4) 明治政府は工場化された産業施設の建設を計画、「生糸の輸出振興」が打ち出されます フランス人「ポール・ブリューナー」を首長に迎えて、模範製糸場が設立されました 外貨獲得に「製糸業」が珍重されたのです
煙突は長く・環境に配慮.....梁は木造、壁はレンガの木骨レンガ造りです 特殊な工法で作られています 繰糸場は天井まで吹き抜け、柱が使われていません 繭の蒸気抜きのため、繰糸場の屋根には(越屋根)が設置されているのが特徴です
明り取りは窓ガラス.....電灯のない時代です 日差しと明り取りのため窓ガラスは天井近く迄あります 当時の日本では入手不可能だったガラス/レンガはフランスからの輸入品でした
富岡市・人口約54000人.....野菜は地元産で超安い 魚貝類は海がないので少ない ガソリンは他県より安い 交通量極少 地震ゼロ~雨~風~雪少なく一日中青空を仰ぐ住み易い土地柄 富岡市に永住してしまう工女がたくさんいたと地元の長老から聞きました 山・川が身近にある山紫水明の土地です
世界遺産迄の
長い道のり
昭和62年(1987年).....生糸の生産を引き継いでいた「片倉工業」は生糸の衰退により富岡製糸場を操業停止、115年の歴史を閉じました 操業停止後、片倉工業は18年間3人の社員を常駐させました 『富岡 製糸場』を富岡市に移管する日まで、建物の内部や/瓦/その他の管理を継続し見守り続けた 平成17年(2005.10.1)~富岡製糸場は富岡市に寄贈 その後国指定の「重要文化財」に指定されました
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130年輝き続ける
繰糸所 東置繭所 西置繭所
国宝決定/2014.12.10(水)
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