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1 トリノエジプト展

2009-08-17 07:18:38 | ガラス/美術展 

《 古代エジプトの遺産 》

 イタリアが愛した美の遺産

「トリノ・エジプト展」

約5000年前・・・ナイル川の上流と、下流の地域を統一して、古代エジプト王朝が誕生しました たくさんの農作物が取れる豊かな土地に支えられた王朝は、紀元前30年頃にローマに支配されるまで、約3000年間もつづきました

王はアメン神に遠慮がち・・・王は神に従属する姿勢をとっている さらに神の肩に手を回し親愛の情を示す 小柄なツタンカーメンに対して堂々とした体躯で威厳を崩さない神 絶対的な権力を持つ王のわりには、ツタンカーメンが何故か遠慮がちに見える

 門外不出・・初公開・・・無傷

 ツタンカーメン

歴史から抹消される

抹殺されたわけ・・・父王の宗教改革に反発した神官団がいたことです 古代エジプトでは代々多神教の信仰だった 父王の治世には強大な力を持つアメン神を祀る神官団が王をしのぐ勢力を持つようになっていった 王は伝統的な神々を否定する宗教改革を実行した

歴史から抹殺・・・ツタンカーメンが、古代エジプトの公式記録から消されて20世紀まで知られなかった イギリスの考古学者カーターによって発掘されたのは、1922年11月のこと 3000年もの間盗掘されずに残った 王墓からは黄金のマスクほか副装品が発見され、世界各地で巡回展示され、世界を熱狂の渦に巻き込んだ

太陽神アテンを唯一神とした・・・多神教から一神教への大転換を起こした しかし宗教改革は失敗し社会は混乱に陥る その時即位したのが息子ツタンカーメンだった 1333年頃とされる 即位時は10歳、その後伝統的な多神教を復活させるが・・・

正式な記録から抹消・・・死後、アクエンアテン王からツタンカーメン王の次のアイ王まで記録から名前を抹消された こうして、ツタンカーメンは歴史から忘れ去られ、幸か不幸か墓は未盗掘のまま現代まで残ったのです

トリノ・エジプト博物館

トリノ・エジプト博物館

エジプト文明の秘宝をサボイヤ家が購入・収集

コレクションの歴史は・・17世紀前半まで遡り、19世紀にナポレオンの遠征に従軍したベルナルディー・ドロベッティが収集したものをサボイア家が購入収集したものです

サルディーニャ王国・・サボイヤ家の作った都として栄えたのは1861年から3年余り、イタリア統一後初の首都が置かれたところ 旧市街の中心にある 100体の大型彫像や170点のパピルス文書が収蔵されている

セメクト女神

 戦いの女神は・・病気を治す女神でもある  

エジプトコレクションの殿堂 

古代エジプトの神々1

オシリス神話・・・オシリスはやきもちを焼いた弟セトに殺され、身体をバラバラにされてナイル川に流されますが、妻イシスの助けで復活できました  

復活と再生・・・死者は死後の世界で生き返る・・・オシリス信仰となりました 死後の世界の支配者であるオシリス神は、豊かな実りをもたらす農業の神様です 肌の色は、植物の緑色か、ナイル川岸の黒色で表されます

息子のホルスは・・セトとの戦いに勝利し王となりました 古代エジプトの王は、生きている間はホルス神の生まれ変わり、死んでからはオシリス神となって死後の世界に生き返ると考えられています(パンフレットなどより転載)

古代エジプトの神々2

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死者は死後の世界で生き返る

身近にある自然や全ての生き物が「神」

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2 トリノエジプト展 

2009-08-17 07:17:40 | ガラス/美術展 

《 死者の復活と再生 》

ナイル川・・再生のシンボル

 

 会場・・・上野・東京都美術館 

生活の中心はナイル川

再生のシンボル・ナイル川・・・毎年夏に氾濫するナイル川上流から肥沃な黒土を運び、緑の作物が生育する そこに昇る太陽は植物を再生させる 太陽と緑の植物は再生のシンボルとして大切にされた

家族像・・・男性は、スカートのような腰布を巻いて上半身は裸、というのが基本スタイル 女性の衣服は時代を追って変化しました 古王国、中王国時代は肩から紐で吊るす胸から足首までのドレス 新王国時代には襞のある薄い衣服の重ね着が流行しました

 

《家族像》 

装飾品・・・ウセクとよばれるビーズを重ねた襟飾り、腕輪や足環、指輪を身に着けるのは男女共通でした 男性の長めの髪形と女性の髪形にはかつらが使われ、外出時は頭に頭巾を被りました

化粧・・・化粧の習慣は、日光と乾燥から肌や目を守る為に始まりました 肌を清潔にし、潤いを保つ為に植物油ベースのクリームや花の香りの香油を塗っていました 男の顔は赤色、女はピンク色に化粧しました

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ミイラ・・・死後の世界

「葬送のマスク」の一部

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ミイラを作っている場面

ミイラを作った理由・・・古代エジプト人は、死体を腐らせずに保存する為にミイラをを作り、死んだ後に生き返ることを祈りました ミイラを作ったのは王族や貴族だけではありませんでした

完成まで70日必要・・庶民もミイラを作った ミイラ作りを専門とする職人がいました 重要なのは心臓です 心臓は体内に残され、内臓は取り出されてカノポスという壷に入れ保存しました 脳は保存さえされません

いろいろな副装品・・・死後の世界を大切に考えて、墓には来世で困らないように、ミイラと共にカポス壷のほか日常品など様々な副葬品が納められました

 

心臓以外の内臓は4つの神の壷で守られました

死者 の書も埋葬

死者の 「再生と復活」の記述

一日中美術館をめぐる・・・自宅を8:00に出て、上野・東京都美術館と、横浜桜木町パシィフィコ横浜・・・二つの「エジプト展」を見終わった・・・16:00会場をあとに18:00自宅へ着きました 一日仕事の美術館めぐりでした  

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一日中美術館めぐり

2009・8・15(土)

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1 海の エジプト展

2009-08-17 07:14:15 | ガラス/美術展 

《 アレクサンドリアの至宝 》

海のエジプト展

2千年前の美に浸る

海の底に沈むお宝

古代エジプトは・・・今から5000年前に王国ができ、3000年間つづきました 最後の王国、プトレマイオス朝の都として栄えた「アレクサンドリア」の一部と、その周辺の町、「カノープスとヘラクレイオン」は、何度かの地震や津波によって、8世紀末ごろ海の底へ沈んでしまいました

会場の広さは・・・通常の企画展展示室の3倍ほどの約6700m2 ここに約490点の発掘品や15年間撮りためられた海中での発掘映像が、三つの古代都市ごとに展示されています 

鏡張りの青いトンネル・・・入り口ゲートから最初の展示室へ 床には水紋が広がり水の音がして、海に中にいるようです 「2千年前の美しい古代都市」にタイムスリップする映像演出が素敵です 

入場制限でやっと入場しました

古代都市の海底発掘

海中の様子・・・水中カメラ撮影・水中でのスケッチ・掃除機で泥を吸い取ってコインを発見する

海底から大きな遺物が・・・ハピ神の虚像・プトレマイオス12世のスフィンクス・石碑・ファラオと王妃の巨像・「デカン」の祠堂などクレーンを使って海の中で引き揚げるバルーンが活躍

プトレマイオス王はクレオパトラの父

ハピ神の巨像・・ファラオと王妃の巨像

数多くの遺物を海から引き上げた

発掘に協力

海洋考古学研究者達

フランス人・フランク・ゴディアさんは・・・1990年代からチームを率いて、この3つの古代都市の海底遺跡の発掘を開始 綿密な調査や最新の機器によって、高さ5mもあるハピ神の石造から、クレオパトラの顔が刻まれた小さなコインまで発見されました (お宝がざくざく)

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世紀の大発見

会場・・・桜木町・パシフィコ横浜

 会期・・・~9月23日(水・祝)

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2 海のエジプト展

2009-08-17 07:13:58 | ガラス/美術展 

《 3つの古代都市

現在も発掘は続く

発掘船・・「プリンセス・デューダ号」

発掘場所の特定・・・ダイバーは10年間で3500回潜った 発掘船の中には、遺物引き揚げようバルーン・磁力計・ゴムボート・磁気探査機・磁気センサー・潜水具置き場・クレーン・居間・操舵室・作業台・遺物置き場等整備される

ピエログリフ(碑文)解読

マグネットより転載 

長い間解読は謎

古代エジプトで・・・使われていた文字で、神様に読んでもらうために作られました、ピエログリフ(碑文)とデモディック(民衆文字)、ギリシャ文字の3種類の文字で書かれたロゼッタ・ストーンが1799年に発見された 多くの研究者が解読に挑戦 1822年フランスのシャンポリオンがついに解読に成功

 

自然・宇宙・動物・全てに神が宿る

神々と死生観

再生・復活には

エジプトの王はハヤブサの姿・・・の天空の神、ホルス神の化身とされ死後は冥界の支配者オスリス神となって復活すると考えられていた このオスリス信仰は、やがて王だけでなく、一般の人々にも広がっていく

遺体を腐らせずに保存・・・することが必要と考えられた為、 ミイラ作りの技法が発達した 墓の中には死者が整然と変わらない暮らしができるよう、召使ノシャブティー像や装身具・家具・など枕・様々なものを入れた 墓の壁画には野鳥狩りや客人を招いた宴会など、生前の生活を描いた壁画も作られた

 エジプト人の生活用品

ネフェルタリ 王妃の墓の壁画

目元を彩るアイシャドウ・・孔雀石を砕いた緑色の粉や鉛の鉱物の一種から作った黒い粉 粉には殺菌や虫除けの効果があり、強い日差しから目を守る目的で使われました

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ミイラ・埋蔵品は来世への復活

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3 海のエジプト展

2009-08-17 07:13:35 | ガラス/美術展 

《 三都 古代都市 》 

何故水没したの

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エジプトの3つの古代都市

アレキサンドリア」は?

カノープス・ヘラクレイオン」って?

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聖なる癒しの町

カノープスとは?・・・プトレマイオス朝時代・・・カノープスには「セラピス神」をまつった神殿がありました セラピス神は、エジプト人とギリシャ人を癒すために作られた神殿です ギリシャ人のような顔をしています 他の国々との交易も盛んで、癒しや商売のチャンスをを求めてやってくる人々で賑わいました

ヘラクレイオンとは?・・・エジプトの玄関口地中海の商人が集まった町

ヘラクレイオンは・・・ギリシャ人や地中海世界からエジプトへやってくる商人たちの玄関口として栄えました また、ヘラクレス神殿があり、新しい王をギリシャ神話の英雄ヘラクレスのように力強くする儀式も行われました 経済的にも政治的にも重要な都市でした

なぜ3都市は水没したの?

「カノープス・ヘラクレイオン・アレキサンドリア」

3都市の一部は・・・地震や地盤沈下で、海水面の上昇など、複数の原因が重なって、8世紀末ごろに海中に水没したと考えられています 紀元前4世紀から数回の地震と津波の記録が残っている

プトレマイオス朝は・・・マケドニア(ギリシャ系)の血を引くプトレマイオスが王となって開いた王朝です プトレマイオス朝最後の支配者で、絶世の美女・クレオパトラ7世も同様にギリシャ人だったのです(パンフレットより転載

アレキサンドリアは?

紀元前331年・・・アレクサンドロス大王が建設し、大王の死後、部下だった将軍プトレマイオスが王朝を開き、その都としたがアレクサンドリアです 約70万巻を所蔵した大図書館もあり、文化人が集まったので学術都市としても栄えました プトレマイオス王朝最後の女王、クレオパトラ7世が最後を迎えた都市

写真はクレオパトラ七世

プトレマイオス王と同じくギリシャ人だった

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水没は地震・津波・地盤沈下が原因

クレオ・パトラはギリシャ人

アレキサンドリア在住

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阿修羅展

2009-05-29 17:42:21 | ガラス/美術展 

《 阿修羅展  拝観

東京国立博物館

「平成舘」

 

2009・4・5(日)鑑賞しました

 

顔三つ・・頼れる美少年

興福寺創建1300年事業

「中金堂」の再建・・・興福寺創建1300年にあたり「仮金堂」老朽化の為再建されることになりました 再建にあたり名宝が一挙に出展され、奇跡の展覧会が実現しました 「阿修羅像」の他に「仲間の仏像」も一緒に拝観出来ます

東京国立博物館の「平成館」・・・5・29(金)現在80万人を超す人気です 阿修羅展追っかけ少女・少女のアシュラーも出現しました 入場は1時間待ち・・・とも云われています

「興福寺」は藤原氏の氏寺です・・・710年平城宮遷都により藤原不比等が着手し、714年金堂を建立し、名を「興福寺」としました 江戸時代の大火により消失 大火から100年後の1819年、「仮金堂」を建立して「阿修羅・八部衆・十大弟子像」を安置しました 

「興福寺」は絶大な権力・・藤原不比等の娘・宮子は「文武天皇」の夫人になり、藤原氏の権勢は揺るぎないものになります 「春日大社」も権力下に置いて、「南都七大寺」の中で最大の権力を持つ寺になっていきました

仲間と協力して仏教を守る

聖武天皇のお后だった・・光明皇后が亡くなったお母さんを偲んで建てたのが「西金堂」です 焼けてしまった為 、今日まで「阿修羅像・八部衆・十大弟子像」は「仮金堂」に安置され、お釈迦様にお仕えしてきました 仲間は仏教を守る守護神です  

「阿修羅像」と「八部衆・十大弟子像」 

 

脱乾漆法で制作

「脱活乾漆」という技法

「脱活乾漆」は天平期の作品・・・この技法は、中国唐の時代に完成し、日本では奈良時代を中心に多く用いられた 本家の中国や韓国では廃仏運動が繰り返され、古い「脱活乾漆像」が殆ど残っていないことから、これらの仏像は極めて貴重な仏像と云えます

「脱活乾漆像」とは・・・木で心棒を作った後、土で造形する 土が乾くと漆を使って麻布を貼り重ねる 中の土を取り除けば中は空洞になり、表面を漆に木の粉などを混ぜた「木くそ漆」で仕上げれば完成です 木彫りとは異なり柔らかな造形に仕上がり

火災の時は持ち出し・・・張りぼてのような構造で軽く、火災の度に持ち出した 高価な漆を大量に使うことが原因で、「脱活乾漆造り」は平安時代には廃れてしまった (写真はパンフレットより転載)

バーチャルリアルティー映像 

変わる表情・心の動き

「シアター」のスクリーン・・・会場最後のコーナーにある阿修羅像がコンピューターグラフィックス(CG)で大写しされます 左右と中央の顔、それぞれの眼差しや眉の向き、唇の様子がくっきりと映し出され、説明がよく解り、メモメモしました

左の顔は・・・心の中を見つめている表情 右の顔は戦いを挑んでいた頃の表情で、唇を噛んで悔しそうです 正面の顔は心の中を見つめて憂いの表情  年齢が上がるにつれ顔の表情も変わります 仏教を信じるようになって、顔の表情も微妙に変化したと云われています  

約6分の映像です・・・顔の表面の色を消した映像では、目の際に涙が溜まっている様子が見え、憂いを含んだ顔の表情までリアルです 会場で実物を鑑賞した来場者が、魅力を再確認する場所になっています  

     

haruちゃん阿修羅探検

身長・153cm・・・誕生・1300歳・・顔・三つ・・腕は・6本、 体重は・15kg(中学生くらいだよ)  アクセサリーも身に着けてる 上半身に細長い布、下半身はスカート風な腰布を巻いています  綺麗なネックレス・腕輪をし、足は板金剛というサンダルの履物

「阿修羅像」は何時作られた

734年なので・・1300年も前「奈良時代」だね 阿修羅はもともとインド神話に出てくる戦いの神だったんだけど、お釈迦さまの説法を聞いて仏教を信じるようになった 

火災にあう度助け出され・・・興福寺は何度も火災にあいました 阿修羅像・八部衆などの像は「脱活乾漆造り」 中は空洞になっていて軽いので、火災のつどお堂から運び出され助けたそうよ(朝日新聞参照)

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「中金堂の落成」

会期・・3月31日(火)~6月7日(日) 

完成予定・・平成27年(2015年) 

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片岡 球子展

2009-05-28 07:19:33 | ガラス/美術展 

《 片岡 球子展 》

天上に捧げる地上の花

 

会場・・・日本橋高島屋 

画業80年 片岡珠子展

追悼103歳・・図録より

「私は一生懸命描きます・・・お礼に私の描いた下手くそな着物を一年に一回づつお礼に差し上げますから、どうか私の願いを聞き入れてください」と云ってお辞儀をして「富士山」を描かせてもらった

「献花」のように・・「富士山の花の絵」を描く 「富士山」に着物を着せるつもりで必ず富士の身体に花を描いていった 私の「富士の歴史」です

 

 「富士に献花」 

1990年 球子85歳

 

絵葉書

「富士山シリーズ」

最晩年に挑んだ富士山シリーズ

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球子83歳「春の富士」

書・「免許皆伝」に取得・・・嬉しい気持ちが絵にいっぱい表現されています 思わず購入した想い出の球子画

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画業75年「浮世絵師と富士」・・・ 昭和30年中頃から人物画の背景として描いてきた風景を独立し、主題にするようになった 歌舞伎の勉強をするようになった時、背景のことを考えて風景の研究の必然性を感じ、海山の写生を始めた 活火山を描く為に「昭和新山・浅間山・桜島」・・・と、北~南へと旅をして来た 

ついに「富士山」へ行き着いた・・休火山に至り噴煙の無い山々を描くことの難しさを知りました それが富士山です 幾つかの火山に取り組んだ後、ついに最晩年に「富士山」へ行き着いた 球子はその魅力に圧倒され、季節、時間、位置などによって異なるこの山の多面的な表情を追求していくことになりました  (片岡球子展図録より転載)

総数50余点

文化勲章受賞・・・日本画家、片岡球子さんは院展を中心に独創的で奔放な作品を発表しつづけ、現代日本画壇に大きな足跡を残して103歳で亡くなりました  その一周忌に、80余年の画業を回顧する追悼展が開催されました

面構えシリーズ・・・浮世絵師など歴史上の人物を描いた「面構えシリーズ」や、「火山シリーズ」などの代表作品をはじめ、小学校の教え子をモデルにした「初期作品」、故郷「北海道の風景」 78歳から挑戦した「裸婦作品」など (片岡球子パンフレットより)

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片岡球子の全容が展覧

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岡鹿之助展

2008-12-07 07:24:03 | ガラス/美術展 

《 岡 鹿之助 》

30年前この世を去った

《遊蝶花》

「芸能選奨文部大臣賞受賞作品」

《雪の発電所》

 ブリジストン本社入口にて写す 

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洋画家・岡鹿之助

終生こだわりつづけた場所 

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1、雪景色にひっそり佇む発電所 

2、花瓶や駕篭に活けられたパンジー 

3、空を背景にくっきりと立つ灯台 

4、森の中の古城 

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現代美術展・・最優秀賞受賞

京橋・・ブリジストン美術館

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ピカソ展

2008-12-05 12:55:48 | ガラス/美術展 

《 マリー・テレーズの肖像 》

新国立美術館

新国立美術館

黒川記章設計(2008・11・30) 

《マリー・テレーズの肖像》

 気品・優雅・美人 

 

《ドラ・マールの肖像》

ピカソ5番目の愛人・・・マリーテレーズが妊娠 している間に55歳だったピカソはドラ・マール(30歳助手)・・・に手を出します  ドラ・マールは写真家・・・ピカソが『ゲルニカ』製作中 を撮影ピカソと熱烈に愛し合ったものの同棲は固く拒否したといいます

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ピカソの愛した女性たち

オルガ・コクローバ・・・最初の妻で上流階級出

ロシア人マリー・テレーズ・・・17歳ピカソ45歳 年齢差29歳

ドラ・マール・・・画家でカメラマン シャープな行動派

フランソワーズ・ジロー・・・ピカソの元を去った唯一の女性

ジャクリーヌ・ロック・・・ピカソが晩年に得た二番目の妻 

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偉大な芸術家

「ピカソ」・・・スペインが生んだ『天才』 建築家・ガウディーと共に、 ピカソ美術館は10代から晩年までの約5千点を所蔵  その核となる作品群が、美術館改修に伴い世界巡回展の一環として来日しました

「ガウディー」・・・世界遺産指定・・・「グエル邸」「グエル公園」「カサ・ミラ」築た った100年の建物が・・・世界遺産登録されましたガウディーの偉大さが解ります  

建築は他に・・「カサ・バドリョ」「サクラダ・ファミリヤ」ガウディー晩年の建築は・・・サクラダ・ファミリヤ遺体は遺言によりサクラダ・ファミリヤ教会の地下に眠る73歳没後・・・後世に引き継がれ現在も建築中

「パブロ・カザルス」・・・アメリカ・ケネディー大統領の招待で(1961・11・13)   ホワイトハウスで「鳥の歌」を弾いた有名な反戦・チェリスト  パブロ・カザルス」もスペインの偉大な音楽家です

タフな創作活動に費やした・・・女性は欠かせないエネルギーの源泉  ピカソは91年の生涯で2回の結婚  3人の女性に4人の子供がいます

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ピカソ・・91年の永い人生 

後世に残るスペインの芸術家たち

ピカソ・・カザルス・・ガウディー

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