ハリソン君の素晴らしいブログZ

新旧の刑事ドラマを中心に素晴らしい作品をご紹介する、実に素晴らしいブログです。

『特別機動捜査隊』#286

2022-11-10 23:55:06 | 刑事ドラマ'60年代

この時期(1967年=昭和42年の4月)より、それまでモノクロだった『特別機動捜査隊』がカラー放送に切り替わったそうです。

当時は誰しも喜んだであろうテレビのカラー化だけど、今こうして観返すとモノクロの方がスタイリッシュで格好良いですね。特に本作みたいなフィルム撮りの「テレビ映画」は。

4月19日に放映されたこの第286話(脚本=横山保朗/監督=北村秀敏)のサブタイトルは『女と赤電話』。

たしかに赤電話(公衆電話)が印象的に使われてはいるけど、それが深い意味を持ってるワケでもなく、たぶんカラー放送であることを強調したかっただけでしょう。

カラー化でそれくらい沸いてた世間の空気を、私はうっすら憶えてるような気がします。当時1歳半ぐらいだけど。



警視庁特捜隊’67・立石班のメンバーは、立石主任(波島 進)、橘部長刑事(南川 直)、荒牧刑事(岩上 瑛)、桃井刑事(轟 謙二)、岩井田刑事(滝川 潤)、松山刑事(松原光二)。



さらに今回から、事務員として佐藤敏子さんもレギュラーに加わります。

お茶汲みが主たる役目のようで、そういうマスコットガール的なポジションも当時からあったんですね。



さて今回は、少年院から3人の少女(桑原幸子、河崎いち子、桜井詢子)が脱走するシーンで幕を開けます。

それを手引きしたのは大塚(近藤 宏)という卑劣なヤクザ者で、彼女らを売春組織に売り飛ばすのが目的だった。

その大塚が他殺死体で発見されたもんで、立石班が少女たちの行方を追います。



↑少女をとっ捕まえて、なぜかニヤつく松山刑事w めちゃくちゃ真面目な番組なのにw

で、少女たちは結局シロで、真犯人は津島(入江洋佑)というバンドマンだった。大塚に弱みを握られ、囲われてた圭子(生田三津子)という女と恋に落ち、彼女を救おうとして大塚と揉み合い、弾みで殺しちゃった。



だから2人は別れを決意し、せっかく毎晩チョメチョメしてつくった子供を堕ろそうとするんだけど、やっぱり出来なくて、産婦人科から2人で逃げ出したところに、立石班の刑事たちが迎えに来るという、なんとも切ないラストシーン。



相変わらず刑事側には何のドラマも無いんだけど、少女たちの脱走からバンドマンの悲恋へと繋がっていくストーリーは面白く、意外性もあって見応えありました。

何より、女優陣が華やかなのが素晴らしい!



小川万里子、蔵悦子、松風はる美、古賀京子、三谷幸子、水沢麻耶、池田朱実、岩本好恵、石橋暁子etc…といった女優さん達に加え、特別出演として小桜姉妹(明子と康子)という、おそらく当時売り出し中だったデュオまで登場し、歌声を披露してくれてます。



しかし私にとっての白眉はやっぱり、ザッツ昭和!なロケーション。都心とは思えない素朴さ、泥臭さがたまりません!



今回のセクシーショットは、脱走少女3人組のリーダー格=ゆり子を演じた桑原幸子さん、当時19歳。子役から活躍され、東京12chのお色気アクションドラマ『プレイガール』(’69~’73) のレギュラーメンバー、原幸子役で注目された女優さん。



『特別機動捜査隊』は第159話にも登場されており、刑事ドラマは他に『鉄道公安36号』や『非情のライセンス』第1シリーズ等にもゲスト出演。ですが今年の春、心不全で亡くなられたそうです。合掌。


 

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『特別機動捜査隊/劇場版』

2022-11-07 21:45:07 | 刑事ドラマ'60年代

1961年10月、TBSの『七人の刑事』とほぼ同時にスタートし、’77年3月まで実に全801話という、60分枠の刑事ドラマとしては最も多い制作本数を誇り、また現在まで脈々と続くテレビ朝日&東映タッグによる刑事物の原点と言えるのが『特別機動捜査隊』でした。

で、本作は’63年3月に公開された、太田浩児監督による上映時間60分の劇場版。テレビのレギュラーキャストをそのまま使った『七人の刑事/終着駅の女』とは対照的に、役名はテレビ版に準じつつも劇場版オリジナルのキャスティングになってます。



↑どう見ても暗黒街の顔役にしか見えない、立石主任(安部 徹)と橘部長刑事(織本順吉)。



↑荒牧刑事(南 廣)と桃井刑事(亀石征一郎)。



↑そして若手の内藤刑事に扮したのが、まだ『キイハンター』でスターになる前の千葉真一さん。完全に新人扱いで、アクションの見せ場はおろか台詞もロクにありません。



↑ゲストは中原ひとみさん、曽根晴美さん、室田日出男さん。実に個性豊かです。

ストーリーは、撮影スタジオで殺された時代劇スターと、自殺した女子高生との意外な繋がりを警視庁特捜隊が炙り出すというもので、やっぱりドラマは犯人側にあり、刑事たちは狂言回しに過ぎません。

ただ、ドキュメントタッチの『七人の刑事』とはこれまた対照的に、エンタメ要素が豊富なのが『特別機動捜査隊』の特徴。BGMも賑やかです。



派手さは無いけどカーチェイスや銃撃戦の見せ場もあり、終始淡々と進む『七人の刑事』より遥かに見やすいです。



ただし、せっかくの千葉真一さんにアクションの見せ場が皆無なのは、残念にも程があります。当時はまだ、千葉さんご自身もアクションで注目されるとは思われてなかったでしょうけど。

劇場版であること(すなわちグレードアップ)を意識してか、ロケーションも泥臭い場所が避けられたような感じで、やけにスタイリッシュ。

もっと昭和の匂いがプンプンする映像を観たかったもんで、私にとってそれは逆効果。その点で言えば、同じTVドラマの映画化でも『七人の刑事』の方が良かったですね。


 

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『七人の刑事/終着駅の女』

2022-11-06 21:21:35 | 刑事ドラマ'60年代

父が亡くなって、あっという間に1週間が経ちました。今日は日曜日。まだまだ山積みの手続きはいっさい忘れて、完全休養したる!と決めてました。

けど、思いのほか親父ロスが尾を引いてます。施設に入ってからの約1年間は、会えなくて寂しいどころか「別に会っても話すこと無いし」って感じだったのに。やっぱり死別っていうのは、普通の別れとは全然違いますね。当たり前だろうけど。

で、どうしても追想しちゃうのが、自分が幼かった頃の、楽しかった家族の想い出。小学時代の後半からは、家族に関して暗い記憶しか無いもんで、’65年から’75年ぐらいの約10年間限定です。(それも前半はまだ赤ちゃんですから、実質は5年くらい)

なので、その当時の町並みを写した映像には、過剰なほどノスタルジーを感じます。非常にタイムリーと言うべきかどうか、私の生まれた1965年=昭和40年に公開された日本映画がケーブルTVで放映されてました。

若杉光夫監督による日活映画『七人の刑事/終着駅の女』です。そう、’61年10月から’69年4月までTBS系列で放映された、伝説的刑事ドラマ『七人の刑事』第1シリーズの劇場版。

テレビの『七人の刑事』はVTR撮影だったのでテープが上書きされ、奇跡的に残った1話を除くと映像が現存しておらず、’78年の新シリーズも『太陽にほえろ!』の裏番組だったもんで、私は一度も観たことありません。今回が生まれて初めてです。

あの有名なハミングによるテーマ曲もナレーションも使われず、テレビ版とは雰囲気がかなり違うみたいだけど、刑事の顔ぶれはそのままなので、伝説の片鱗ぐらいは味わえるかも知れません。



↑赤木係長(堀 雄二)、沢田部長刑事(芦田伸介)、小西刑事(美川陽一郎)、南刑事(佐藤英夫)、中島刑事(城所英夫)、杉山刑事(菅原謙二)、久保田刑事(天田俊明)という、前述の通りテレビ版と同じ警視庁捜査一課のレギュラーメンバー。私は芦田伸介さんしか存じ上げません。

そしてこの劇場版では、所轄署の刑事に扮する大滝秀治さんはじめ、草薙幸二郎さん、梅野泰靖さん、庄司永建さんなど’70〜’80年代の刑事ドラマで活躍される名優たちや、北林谷栄さん、三崎千恵子さん、日色ともえさん等の若きお姿も見られます。



映画としては、ハッキリ言って全然面白くありません。上野駅で若い女性が刺殺され、その身元と犯人を刑事たちが捜査し、事件を解決させる。ただ、それだけ。

地方出身者が大都会で味わう悲劇という、後の『太陽にほえろ!』でもお馴染みのテーマを扱ってはいるけど、刑事側には何のドラマも無く、しかもテーマ曲はおろかBGMも一切使われず、まるで記録映画を観てるよう。当時の警察物は皆そんなもん?

だから、見どころは名優たちの若かりし姿と、KTさんも大好きな昭和の町並み、車、ファッション。それに尽きます。いや、それを観てるだけで充分楽しい!



お茶を淹れる場面1つだけでも味わい深い! ザッツ昭和! ザッツ日本!



上野駅を行き交う女性たちの和装と洋装、半々ぐらいのファッションがまたノスタルジック!



キップ切りの駅員さんや、常駐するホームレスさんすら懐かしいw



アチコチにあった公衆電話、そして個人情報あけっぴろげの掲示板。昭和、昭和……おれの昭和……また泣けて来ました😢

エアコンも無い、スマホも無い、けど、今より確かに楽しかった、おれの昭和。と言ってもこの映画が撮影されてた頃、私はまだ母のお腹にいました。(11月生まれです)



 

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「私を変えた鬼教官の話」

2022-11-03 19:19:05 | 日記

今日は文化のホリデーってことで、午前中に葬儀屋さんと今後の契約を交わしたのと、休日でも電話で済ませる手配をいくつかしただけで、後はのんびり過ごしてます。ちょうど良い中休みになりました。

いや〜しかし、親の葬儀って、家族の想い出と、これまでの歩みと、自分自身の未来=終末に至るまで、ふだん考えないことを考えさせられる稀有な機会ですよね。

兄のことを「なにも出来ない人」って、さんざん書きましたけど、職業はコンピュータのプログラマーですから、けっこうな秀才なんです。社会人としてのステイタスは、私なんかよりずっと上でしょう。

だったら、社会常識だのコミュニケーション能力だの、別にそんなの無くたって生きて行けるし、ちゃんと人の役に立ってるワケです。

私とて、かつてクリエイターの端くれだった頃は、社会常識なんかクソ食らえ!って思ってたんですよね。そんなのに囚われてるヤツに面白い発想が出来んのかい?って。

そういう私を、1年間だけ一緒に暮らした女性が、スパルタ方式で変えようとしたんです。今回、私が兄に対して発した苦言って、まんま彼女から言われた言葉と同じなんですよね。

彼女から見た私は、私から見た兄とそっくりだったに違いありません。私はさすがに布団ぐらいは普通に敷けたけど、極端な完璧主義の彼女からすれば出来ないも同然だった事でしょう。とにかく毎日毎日、苦言を通り越した罵詈雑言を(酔った勢いで)浴びせられ、その1年間は我が人生最悪の想い出となりました。



で、その同居生活を解消したのとほぼ同時に、私はクリエイターの仕事にも見切りをつけました。もう既に創作意欲が枯渇し、父に「帰って来い」と言われたからだけど、あの修行みたいな1年間が無ければ、もうちょいズルズルしがみついてたかも知れません。

あの時が人生のターニングポイントでした。私は非常識な世界から、常識の世界へと大きく舵を切ったワケです。

同居した彼女は、単純に私を「頼れる男」に変えたかっただけと思うけど、結果的に私が常識の世界で生きて行く為の、言わば鬼教官の役目を果たしてくれました。今となっては感謝してます。



兄にはそういう出逢いが無かったみたいだし、必要無かったんでしょう。

私がクリエイター業から足を洗い、実家に戻ってすぐの頃は、まだ兄と共感し合えるものがあったんです。非常識な世界の名残を引きずってたから。

ところが「宅配業」という一般的な職に就き、今となっては幻みたいな「結婚」そして「離婚」も経て、いよいよ「親の介護」という究極にリアルな社会生活まで経験し、私はすっかり常識の中で生きる人になっちゃった。

だから、ずっと非常識の世界にいる兄の全てに違和感を覚えちゃう。もう私は元に戻れないし、兄もムリして自分を変える理由が無い。生活を共にするのは、かなり難しい。

どっちが良いか悪いかじゃなく、上か下かでもない。歩んでる道が、とにかく違う。交わりようが無い。

父が建てた家だから、いずれ兄が帰って来るのを拒否する権利は、私にはありません。もし同居するなら、徹底的に棲み分けして、お互い干渉しない「契約」を交わすしか無いと思うけど、厳しいだろうなあ……


 

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「人は笑いで救われる」

2022-11-02 22:48:10 | 日記


やっぱり笑いの力っていうのは凄い!

勤務を終えて一息つく間もなく始まった葬祭による疲労と、父を見送った切なさと、兄に対する絶望と、山盛りの手続きに追われるストレスと、地方法務局オペレーターの横柄な対応への怒り等々で、今日の私はズタボロ状態でした。

近所のオバサンに「あんた、よう頑張ったなあ」って、声を掛けられただけでボロ泣きしたりして、明らかに情緒不安定でした。

で、そんなフワフワ、ソワソワ、モヤモヤした感じのまま、夕食時に2週前の『探偵!ナイトスクープ』の録画を観てたら、愛犬の死を扱った1つ目のネタで、まず号泣。普通の時に観ても泣けそうなネタだけど、今はやたら死別に敏感で涙腺がバカになってる。

そこで2つ目のネタ、恒例の「爆笑小ネタ集」における金玉ネタ3連発ですよ!w もう腹抱えて笑って、巻き戻してまた観て笑って、気がつけば私はいつもの私に戻ってました。キンタマに救われた!

この3日間、ずっとさまよってた異世界からやっと帰還できた感じ。明日はホリデーで動きよう無いし、心身共に休めそうです。やっぱり、笑わなきゃね。



父は、介護施設で最期を迎えられて、本当に良かったと思ってます。私も母も、コミュニケーションがうまく取れなくなった父に、優しくしてあげることが出来なかった。

施設の人たちはプロだから、常に笑顔で父に接してくれる。施設で撮られた写真に映ってる父の表情は、家にいる時より穏やかでした。きっと、いっぱい笑って過ごしてくれたんだと思います。


 

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