Hashimoto, Tawata City, Kyoto Pref.
さてさて、今日は少し前に撮影に行った京都府八幡市の橋本の町並みを紹介したいと思います。
橋本というのは京都府と大阪府の境界線に近い場所にあり、かつては京街道の宿場町として賑わいました。
宿泊客の多くは以前にこのブログでも紹介した、石清水八幡宮に参拝する人達だったそうです。
そんな橋本の街は京阪電車が通っておりまして、各駅停車しか停車しない駅があるのです。
今ではさほど乗降客も多くない駅なのですが、かつてはこの駅に多くの人がやって来た時代がありました。
駅前には歴史を感じる洋食屋さんがあったのですが、このお店も大繁盛した時代があったんですよ。
それはどういうことかと言いますと、今から順を追って説明いたしますね。
橋本駅前からこういう建造物がずらりと立ち並んでいます。この建物を見て、ピンとくる人もいることでしょう。
ここ橋本は1000年ほど前から遊里が置かれ、江戸時代の中頃には全国に名が知られた遊里でした。
1872年には京都府から遊郭としての認定を受け、最盛期には75の妓楼に400人以上の娼妓がいたそうなんです。
故夏目雅子さんの「なめたらいかんぜよ」のセリフが印象深い、「鬼龍院花子の生涯」にも橋本遊郭が登場するんです。
1958年に公娼制度が廃止され、今ではもちろん遊郭は営業していないのですが、当時の建造物がそのまま数多く残っているんです。
民家の屋根、玄関、格子の造りには遊郭の華やかな面影が残っておりまして、ワタクシは以前から一度この町を訪ねたかったんです。
これらの建造物は、かつての歴史を物語る貴重な建造物だと思います。。
しかし、そのことを自治体が声高に紹介することも出来ないでしょうし、自治体がお金を出して建造物を保存することも不可能でしょう。
いずれ、これらの遊郭建築は時代とともに朽ち果てていき、消滅していく時が遠からずやってくるはずです。
ワタクシ、まだ建造物が残っている間に橋本の街を歩いてみたかったんですよね。
ではでは、男と女の欲望が渦巻いていたであろう橋本の街を、歩いてみるとしましょうか。
使用したカメラ:FUJIFILM X-T1
私は1961年生まれですので、遊郭というものが公認されていた時代を知る由もありません。
ただ、こういう町で娼妓として働いていた女性の多くが貧しい農家などに生まれ、借金返済などのために売られてきた女性だと聞きました。
街の中を歩いていて、なにか寂しい空気を感じたのは、そういうことも理由なのかなぁ。
写真日記ランキングへランキングに参加しています。励みになるので、愛犬の紋を「ポチッ」と押してやってください
さてさて、今日は少し前に撮影に行った京都府八幡市の橋本の町並みを紹介したいと思います。
橋本というのは京都府と大阪府の境界線に近い場所にあり、かつては京街道の宿場町として賑わいました。
宿泊客の多くは以前にこのブログでも紹介した、石清水八幡宮に参拝する人達だったそうです。
そんな橋本の街は京阪電車が通っておりまして、各駅停車しか停車しない駅があるのです。
今ではさほど乗降客も多くない駅なのですが、かつてはこの駅に多くの人がやって来た時代がありました。
駅前には歴史を感じる洋食屋さんがあったのですが、このお店も大繁盛した時代があったんですよ。
それはどういうことかと言いますと、今から順を追って説明いたしますね。
橋本駅前からこういう建造物がずらりと立ち並んでいます。この建物を見て、ピンとくる人もいることでしょう。
ここ橋本は1000年ほど前から遊里が置かれ、江戸時代の中頃には全国に名が知られた遊里でした。
1872年には京都府から遊郭としての認定を受け、最盛期には75の妓楼に400人以上の娼妓がいたそうなんです。
故夏目雅子さんの「なめたらいかんぜよ」のセリフが印象深い、「鬼龍院花子の生涯」にも橋本遊郭が登場するんです。
1958年に公娼制度が廃止され、今ではもちろん遊郭は営業していないのですが、当時の建造物がそのまま数多く残っているんです。
民家の屋根、玄関、格子の造りには遊郭の華やかな面影が残っておりまして、ワタクシは以前から一度この町を訪ねたかったんです。
これらの建造物は、かつての歴史を物語る貴重な建造物だと思います。。
しかし、そのことを自治体が声高に紹介することも出来ないでしょうし、自治体がお金を出して建造物を保存することも不可能でしょう。
いずれ、これらの遊郭建築は時代とともに朽ち果てていき、消滅していく時が遠からずやってくるはずです。
ワタクシ、まだ建造物が残っている間に橋本の街を歩いてみたかったんですよね。
ではでは、男と女の欲望が渦巻いていたであろう橋本の街を、歩いてみるとしましょうか。
使用したカメラ:FUJIFILM X-T1
私は1961年生まれですので、遊郭というものが公認されていた時代を知る由もありません。
ただ、こういう町で娼妓として働いていた女性の多くが貧しい農家などに生まれ、借金返済などのために売られてきた女性だと聞きました。
街の中を歩いていて、なにか寂しい空気を感じたのは、そういうことも理由なのかなぁ。
写真日記ランキングへランキングに参加しています。励みになるので、愛犬の紋を「ポチッ」と押してやってください
ここの街並みもレトロな雰囲気に包まれて素敵な街並みですね。
洋食のお店も昭和の雰囲気がたっぷりで興味津々です。
今回も素敵なお写真を見せて頂き、ありがとうございます♪
P☆
「鬼龍院花子の生涯」懐かしい!
夏目雅子さん、美しい女性でしたね。
応援☆
なるほど。
これも歴史遺産ですね。
こういう情景はきっと少しずつ失われていくのだろうなぁ~
ちょっとノスタルジックな気持ちになるのは
田舎の風景に似ているからかもしれません^^
75軒もあるとは大きいです。
和歌山にも3ヶ所遊郭がありましたが、
今はその面影が残っているのは1ヶ所だけです。
私も写真にだけは撮っています。
ポチ♪
こう言った場所を見つけられるのが得意ですよね
何時も見させて頂き感謝です
大好きなんですよ~
又 宜しくお願いしますね
ポチ(*^^*)
こちらにも橋本あります。
レトロな街並みですね(*≧m≦*)
★
昨日から伊豆の先端にきています
懐かしい街の姿の中には、いろんな歴史もありますね
熱海あたりもそんなイメージのところがありますよ★
お仕事も、趣味も両立して、このまま頑張ってください。写真と語りを期待してます!
~☆
昔の遊郭だったことを知り、その内部構造から
想像に苦しんだ記憶があります
某国が他国である日本の文化遺産登録に口を挟む報道がありましたが
どんな歴史であっても残せるものは残して欲しいものです
気に入りました。
応援★