Karahori, Chuo Ward, Osaka City
さてさて、大阪市中央区にある「空堀」と呼ばれるエリアを、ワタクシはカメラを片手に歩いていました
。

ワタクシが育った場所がこういう光景の路地裏だったんですよ。路地裏は車が入ってこないので、子どもには絶好の遊び場でした。
かくれんぼ、鬼ごっこ、缶蹴り、ビー玉、キャッチボール…飽きもせずに毎日のように遊び呆けていたものです。
今は路地裏に行っても子ども達の姿を見ることはほとんどありません。子どもの声が聞こえてくることはありません
。

空堀は大阪市中央区という、大阪市の中心部にあります。ですので、周辺は近代的な大都会です。
すぐ向こうには高層マンションが建っているのに、空堀には古い地蔵尊がいくつも残っています。この対比が面白い
。

ワタクシは昭和36年(1961年)生まれです。この界隈を歩いていると、ワタクシが子どもの頃に見ていたような風景が次々に現れます。
あの頃、子どもの目にも日本という国が右肩上がりで経済成長していることがわかりました。
日本中が豊かになったいく姿が、子どもの目にもはっきりと見てとることができました
。

大阪は1970年の大阪万博に向けて活気に溢れていました。あの万博は発展を続けていた大阪のピークを表していたように思います。
万博からわずか2年後、オイルショックが起こると中小企業によって支えられていた大阪は急速に衰退していきます。
もう大阪が「商都」「経済の中心」「東の東京、西の大阪」と呼ばれるようなことは二度とないでしょう
。

廃校になった桃谷小学校の跡地に二宮尊徳(金次郎)の銅像がありました。
薪を背負いながら本を読んでいる姿は、勤勉の象徴として全国各地の小学校に銅像として設置されたと言われています。
しかしながら、「児童の教育方針にそぐわない」「子どもが働く姿を勧めることはできない」「戦時教育の名残という指摘」
「歩いて本を読むのは危険」などの保護者からの声などを理由に次々と撤去されていき、今はほとんど見ることがありません
。

今回、空堀を歩いていて目についたのが「民泊反対」と書かれた貼り紙や看板です。
実は大阪市が認定する特区民泊の件数は国内全体の95%と突出し、周辺住民からの苦情が激増しているんです
。

ワタクシが大阪市内にある実家に行って近所を歩いていると、「えっ、こんな場所に民泊があるの」と驚くことがあります。
この状況で現在行われている関西万博の跡地にカジノが造られると、大阪はさらに外国人による犯罪が多発するかと思います。
外国人観光客、外国人労働者、さらには外国人移民との衝突や軋轢…その対策は喫緊の課題だとワタクシは思っています
。

ワタクシは大阪で生まれ、大阪で育ち、今も大阪で暮らしています。ワタクシが生まれてからもうすぐ64年になりますが、
大阪の町の変化をずっと見てきました。これから大阪の町はどう変わっていくのか、ワタクシには想像がつきません
。

願わくば、大阪は「大阪らしさ」を失わずに、日本人と外国人が共存できるコスモポリタンな町であってほしいです
。
使用したカメラ:FUJIFILM X-T30
私は比較的暑さに強い方で、生まれてから一度も「夏バテ」「夏に食欲が落ちる」といったことを経験したことがありません。
しかし、さすがにここ数年は夏の暑さが堪えるようになってきました。昼間は外に出るのが嫌になることが多いです。
あと5年もしたら、私も夏は家の中でジッとしているようなことになるのかなぁ。
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さてさて、大阪市中央区にある「空堀」と呼ばれるエリアを、ワタクシはカメラを片手に歩いていました



ワタクシが育った場所がこういう光景の路地裏だったんですよ。路地裏は車が入ってこないので、子どもには絶好の遊び場でした。
かくれんぼ、鬼ごっこ、缶蹴り、ビー玉、キャッチボール…飽きもせずに毎日のように遊び呆けていたものです。
今は路地裏に行っても子ども達の姿を見ることはほとんどありません。子どもの声が聞こえてくることはありません



空堀は大阪市中央区という、大阪市の中心部にあります。ですので、周辺は近代的な大都会です。
すぐ向こうには高層マンションが建っているのに、空堀には古い地蔵尊がいくつも残っています。この対比が面白い



ワタクシは昭和36年(1961年)生まれです。この界隈を歩いていると、ワタクシが子どもの頃に見ていたような風景が次々に現れます。
あの頃、子どもの目にも日本という国が右肩上がりで経済成長していることがわかりました。
日本中が豊かになったいく姿が、子どもの目にもはっきりと見てとることができました



大阪は1970年の大阪万博に向けて活気に溢れていました。あの万博は発展を続けていた大阪のピークを表していたように思います。
万博からわずか2年後、オイルショックが起こると中小企業によって支えられていた大阪は急速に衰退していきます。
もう大阪が「商都」「経済の中心」「東の東京、西の大阪」と呼ばれるようなことは二度とないでしょう



廃校になった桃谷小学校の跡地に二宮尊徳(金次郎)の銅像がありました。
薪を背負いながら本を読んでいる姿は、勤勉の象徴として全国各地の小学校に銅像として設置されたと言われています。
しかしながら、「児童の教育方針にそぐわない」「子どもが働く姿を勧めることはできない」「戦時教育の名残という指摘」
「歩いて本を読むのは危険」などの保護者からの声などを理由に次々と撤去されていき、今はほとんど見ることがありません



今回、空堀を歩いていて目についたのが「民泊反対」と書かれた貼り紙や看板です。
実は大阪市が認定する特区民泊の件数は国内全体の95%と突出し、周辺住民からの苦情が激増しているんです



ワタクシが大阪市内にある実家に行って近所を歩いていると、「えっ、こんな場所に民泊があるの」と驚くことがあります。
この状況で現在行われている関西万博の跡地にカジノが造られると、大阪はさらに外国人による犯罪が多発するかと思います。
外国人観光客、外国人労働者、さらには外国人移民との衝突や軋轢…その対策は喫緊の課題だとワタクシは思っています



ワタクシは大阪で生まれ、大阪で育ち、今も大阪で暮らしています。ワタクシが生まれてからもうすぐ64年になりますが、
大阪の町の変化をずっと見てきました。これから大阪の町はどう変わっていくのか、ワタクシには想像がつきません



願わくば、大阪は「大阪らしさ」を失わずに、日本人と外国人が共存できるコスモポリタンな町であってほしいです


使用したカメラ:FUJIFILM X-T30
私は比較的暑さに強い方で、生まれてから一度も「夏バテ」「夏に食欲が落ちる」といったことを経験したことがありません。
しかし、さすがにここ数年は夏の暑さが堪えるようになってきました。昼間は外に出るのが嫌になることが多いです。
あと5年もしたら、私も夏は家の中でジッとしているようなことになるのかなぁ。
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