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よっちんのフォト日記

旅先や日常で感じたことを
写真と文章で綴ってみたい。
そう思ってブログを始めてみました。

インバウンドの光と影-大阪市中央区:空堀

2025年07月26日 | 大阪(大阪市内)
Karahori, Chuo Ward, Osaka City

さてさて、大阪市中央区にある「空堀」と呼ばれるエリアを、ワタクシはカメラを片手に歩いていました


ワタクシが育った場所がこういう光景の路地裏だったんですよ。路地裏は車が入ってこないので、子どもには絶好の遊び場でした。
かくれんぼ、鬼ごっこ、缶蹴り、ビー玉、キャッチボール…飽きもせずに毎日のように遊び呆けていたものです。
今は路地裏に行っても子ども達の姿を見ることはほとんどありません。子どもの声が聞こえてくることはありません


空堀は大阪市中央区という、大阪市の中心部にあります。ですので、周辺は近代的な大都会です。
すぐ向こうには高層マンションが建っているのに、空堀には古い地蔵尊がいくつも残っています。この対比が面白い


ワタクシは昭和36年(1961年)生まれです。この界隈を歩いていると、ワタクシが子どもの頃に見ていたような風景が次々に現れます。
あの頃、子どもの目にも日本という国が右肩上がりで経済成長していることがわかりました。
日本中が豊かになったいく姿が、子どもの目にもはっきりと見てとることができました


大阪は1970年の大阪万博に向けて活気に溢れていました。あの万博は発展を続けていた大阪のピークを表していたように思います。
万博からわずか2年後、オイルショックが起こると中小企業によって支えられていた大阪は急速に衰退していきます。
もう大阪が「商都」「経済の中心」「東の東京、西の大阪」と呼ばれるようなことは二度とないでしょう


廃校になった桃谷小学校の跡地に二宮尊徳(金次郎)の銅像がありました。
薪を背負いながら本を読んでいる姿は、勤勉の象徴として全国各地の小学校に銅像として設置されたと言われています。
しかしながら、「児童の教育方針にそぐわない」「子どもが働く姿を勧めることはできない」「戦時教育の名残という指摘」
「歩いて本を読むのは危険」などの保護者からの声などを理由に次々と撤去されていき、今はほとんど見ることがありません


今回、空堀を歩いていて目についたのが「民泊反対」と書かれた貼り紙や看板です。
実は大阪市が認定する特区民泊の件数は国内全体の95%と突出し、周辺住民からの苦情が激増しているんです


ワタクシが大阪市内にある実家に行って近所を歩いていると、「えっ、こんな場所に民泊があるの」と驚くことがあります。
この状況で現在行われている関西万博の跡地にカジノが造られると、大阪はさらに外国人による犯罪が多発するかと思います。
外国人観光客、外国人労働者、さらには外国人移民との衝突や軋轢…その対策は喫緊の課題だとワタクシは思っています


ワタクシは大阪で生まれ、大阪で育ち、今も大阪で暮らしています。ワタクシが生まれてからもうすぐ64年になりますが、
大阪の町の変化をずっと見てきました。これから大阪の町はどう変わっていくのか、ワタクシには想像がつきません


願わくば、大阪は「大阪らしさ」を失わずに、日本人と外国人が共存できるコスモポリタンな町であってほしいです

使用したカメラ:FUJIFILM X-T30


私は比較的暑さに強い方で、生まれてから一度も「夏バテ」「夏に食欲が落ちる」といったことを経験したことがありません。
しかし、さすがにここ数年は夏の暑さが堪えるようになってきました。昼間は外に出るのが嫌になることが多いです。
あと5年もしたら、私も夏は家の中でジッとしているようなことになるのかなぁ。



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コメント (29)

「昔の大阪」が残る町並み-大阪市中央区:空堀

2025年07月25日 | 大阪(大阪市内)
Karahori, Chuo Ward, Osaka City

さてさて、「ちょっと大阪の町を歩きたいな」と思ったワタクシは、「空堀」の町を訪れました。
空堀というのは大阪市中央区に位置し、地下鉄谷町線谷町6丁目駅南側一帯が該当します


「空堀商店街」が東西に続いています。昨今、多くの商店街がシャッター街と化し、寂れていく姿を目にします。
しかし、この空堀商店街は活気があり、いつも多くの買い物客で賑わっています


空堀という地名は、大坂城の堀の名前に由来します。この場所には大坂城の三の丸の外堀である南惣構堀がありました。
南惣構堀は水のない空の堀であったことから空堀という名前になったとのことです


この南惣構堀は強力な堀で、大坂冬の陣で大坂城を取り囲んだ徳川軍が、この空堀を突破することができませんでした。
その後の和議によって空堀は埋められてしまい、大坂夏の陣がおきるのでした


太平洋戦争の末期である1945年には、大阪大空襲によって、大阪市内の多くの場所は焼け野原になってしまいました。
しかし、この空堀地区は幸運にも被害を免れました。そのため、空堀地区には江戸時代から戦前にかけての町屋や
長屋などの古い建物が多く残っているんです。今ではそういった古い建物を再生して商業施設として活用しているお店が増え、
若い人にも人気になっているんです


大阪市は平坦な土地が多いのですが、上町台地という台地だけが少し小高い丘陵地になっているんです。
空堀界隈は上町台地の西側斜面にあたるので、坂道が多いのが特徴です


この建物と道路を見てもらえれば、空堀が坂道が多い町だということがわかっていただけるかと思います


こんな石畳が残っています。京都の路地を歩いているかのような気持ちになります


路地の奥に進んでいくと、昭和にタイムスリップしたかのような光景に出会いました。
「美空ひばりのキンチョウ蚊取り線香」「由美かおるのアース蚊取り線香」のホーロー看板です。
ここに「水原弘のハイアース殺虫剤」の看板もあれば、三役揃い踏みという感じがしますな


ワタクシが子どもの頃、近所の路地裏にも井戸があったなぁ…そんなことを思い出しました

使用したカメラ:FUJIFILM X-T30


この日は35mmf1.4、16mmf1.4という2本の単焦点レンズだけを持ってきました。
私のカメラはAPS-Cなので、フルサイズのカメラに換算すると約50mm、約24mmのレンズということになりますね。
町歩きの時は大袈裟なズームレンズよりも、単焦点レンズが相応しいように思います。



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素晴らしき伊那谷-長野県伊那市:高遠城址公園

2025年05月08日 | 大阪(大阪市内)
Takato Castle Ruins, Ina City, Nagano Pref.

さてさて、念願だった「高遠城址公園」のタカトオコヒガンザクラを愛でることが出来て、
ワタクシは素晴らしい時間を過ごしていました


西に聳える中央アルプス(木曽山脈)。この山々の存在が、高遠の桜を一層素晴らしいものにしてくれています


ここ高遠は伊那谷の一番北に位置しています。伊那谷とは、長野県南部、天竜川に沿って南北に伸びる盆地のことです。
伊那盆地や伊那平とも呼ばれます


長野県には県民の誰もが歌うことが出来る『信濃の国』という県歌があるのですが、
その中に「松本伊那佐久善光寺 四つの平は肥沃の地」と言う歌詞があります。
これは「松本平 伊那平 佐久平 善光寺平の四つの肥沃な平地」という意味になります


山が多く平地の少ない信州ですが、伊那平は肥沃な平地が開けており、古くから米作りが盛んでした。
野菜や果物の生産も多く、同じ信州南部であっても平地が少なく急峻な谷間が続く木曽谷とは雰囲気がかなり違います


伊那谷には独自の食文化があります。「イナゴの佃煮」「蜂の子」「ざざ虫」などの昆虫食は伊那谷ならではです。
ちなみに「ざざ虫」というのは清流に住むカワゲラ、トビケラなど水生昆虫の幼虫のことで、で佃煮や揚げ物などにして食されます。
海のない長野県では、貴重なタンパク質の供給源として古くから「昆虫食」が暮らしの中に根付いていました。
中でも伊那谷は、今でも昆虫食文化が色濃く残る地域として知られているんです


信州には上高地、志賀高原、白馬、蓼科、安曇野、軽井沢などの名だたる観光地が数多くあります。
その信州において、伊那谷というのは地味なエリアかと思います


しかし、ここ数年、ワタクシは伊那谷の素朴な魅力、観光地化されすぎていない雰囲気に心を惹かれています。
とりわけワタクシには東に南アルプス、西に中央アルプスが聳える山岳風景がこの上なく素晴らしく思えるのです


そんな伊那谷には、ここ高遠城址公園をはじめ、素晴らしい桜の数々があることも今回の旅でわかりました。
ワタクシ、今まで以上に伊那谷を好きになったのでした

使用したカメラ:2、3、8枚目はFUJIFILM X-Pro2、他はFUJIFILM X-T30


最近は山を見るたびに、「あとどれだけ山に登ることが出来るんだろう」ということを思います。
体力、脚力の衰えはトレーニングなどである程度カバーできるのですが、困ったのが「恐怖心」なんです。
若い時は平気にスイスイ行くことが出来た岩場、鎖場などで怖さを感じるようになったんですよ。
「怖さ」を少しでも克服するために、普段から出来るだけ山に登る機会を増やしておきたいです。



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コメント (26)

若者の町へ-大阪市中央区:アメリカ村

2025年03月26日 | 大阪(大阪市内)
America Village, Chuo Ward, Osaka City

さてさて、道頓堀から御堂筋を越えてさらに西へと向かいます。
すると、今までとはちょっと雰囲気が変わるオシャレなエリアが広がっているんですよ


心斎橋、道頓堀から御堂筋を渡った西側一帯は、1970年代後半ごろから「アメリカ村」と呼ばれるようになりました


もともとこのエリアは、企業の倉庫や駐車場、オフィスビルなどが並ぶ静かな街だったのですが、
1970年代に空いた倉庫や駐車場で、アメリカ西海岸やハワイなどから輸入した、
アメリカンカジュアルの服を販売し始めたことから「アメリカ村」と呼ばれるようになりました


古着やジーンズ、中古レコード、雑貨などを販売するお店が次々とオープンし、近隣に大規模なショッピング施設も出来たことから、
若者の流行の発信地として発展を遂げてきました。今では爺さんになったワタクシですが、
ワタクシが高校生から大学生の頃は服や靴、CDなどを買いにきたものなんです


当初は大阪の若者達が集まる場所だったのですが、今では観光客がたくさん集まる人気の観光スポットになりました。
若い人の間では「アメリカ村」というよりも、「アメ村」の方が一般的かもしれません


ここが通称「三角公園」と呼ばれる公園で、正式には御津公園というらしいのですが、誰もが三角公園と呼びます。
この公園はアメ村での待ち合わせ場所であったり、食べ歩きをする人達が集まっていたりして、終日賑わってますわ


そろそろなんば駅の方に戻ろうかと、アメリカ村を南に向かって歩いて行くと、ちょっといかがわしいお店が集まっていました。
「起立!礼!着エロ!」「Hな部活コスプレ」などという文字に興味を惹かれます。
「こんな昼間から入店するヤツがおるんかいな?」と思っていたら、ちゃんと入店していくオジサンがいました。
「需要あるところに供給あり」という経済の大原則を思い出しました


「人妻・美熟女との濃厚なひとときをアナタに…」というキャッチコピーに目が留まります。
ここでも濃厚なひとときを望む若者がお店の中に入って行きました


道頓堀ホテルの入り口前に強烈なインパクトのある像が並んでいます。
ワタクシは何度も見ているので、今更驚くことはありませんが、初めて見る人にはなかなかのインパクトだと思います


この像は、向かって左から「東洋人」「アフリカ人」「アラブ人」「西洋人」を表現しているそうです。
これには「世界中のお客様をおもてなししたい」という道頓堀ホテルの想いがこもっているそうです。なるほどねぇ

使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2


この後、私はなんば駅まで戻り、自宅への帰路につきました。久々に難波の町を歩いたのですが、町の変化を強く感じました。
私は大阪人というものの、今では大阪市内から30分ほどの距離にある郊外都市で暮らしています。
ですので、大阪市という大都会の変化をあまり実感していなかったんですね。
時々は都心へ出てきて、都会の空気を感じないといけないな…そんなことを思った一日でした。



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ミナミのランドマーク-大阪市中央区:道頓堀

2025年03月25日 | 大阪(大阪市内)
Doutonbori, Chuo Ward, Osaka City

さてさて、「道頓堀」にやって来たワタクシは、道頓堀川へと向かって行きました


この道頓堀川なのですが、以前は異臭を放つほど汚染された川でした。
大阪市が長年にわたり水質改善に努めて来たおかげで、随分と川が綺麗になりました。
今では「とんぼりリバークルーズ」というクルーズ船が通航しています。
ただ、ワタクシは乗りたいという気持ちにはなりません


時刻も11時前になり、道頓堀川の周辺はかなりの観光客の数になっていました。
この写真の右端には、美味しそうにたこ焼きを食べている東南アジア系の外国人カップルがいました。
大阪というと「たこ焼き」「お好み焼き」「きつねうどん」などがガイドブックに載ってるんでしょうね


ビルの壁一面がド派手にペイントされています。鬼太郎の目玉親父が描かれていたり、
かつての大阪府知事だった横山ノックが描かれていたり、どういうコンセプトなのかよくわかりません


これはもう皆さんもご存知。道頓堀の、いやミナミのランドマークと言うべき「グリコの看板」です。
これ、正式には「道頓堀グリコサイン」と言いまして、1935年に初代のものが設置されているんです


その後、何度も付け替えが行われていき、現在のものは6代目になるんです。
代替わりがしても両手と片脚を上げる「ゴールインマーク」は変わることはなく、
今も看板の前で同じポーズを取って撮影している観光客が数多くいます


道頓堀を西に進むと大阪のメインストリートである「御堂筋」に辿り着きます。
御堂筋は梅田と難波を結ぶ全長4.4kmの道路で、イチョウ並木がシンボルとなっています。
奥の方に「大」と書かれた大きな看板が見えますが、大丸百貨店の心斎橋店なんです


歴史ある大丸百貨店の建物はウィリアム・メレル・ヴォーリズが手掛けたヴォーリズ建築の一つです。
ワタクシはヴォーリズの建造物が好きで、ヴォーリズを目的に滋賀県まで足を運ぶことがあるんです


御堂筋には高級ブランドの店舗も数多くあります。しかし、どの店舗もワタクシには無縁な存在です

使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2


グリコ(江崎グリコ)って大阪生まれの企業なんですが、考えてみると定番商品って多いですよね。
「ビスコ」「ポッキー」「プリッツ」などのお菓子類はもちろん、アイスクリーム、ヨーグルトやカレーなども人気です。
私はグリコ、森永、明治などの日本のお菓子類ってレベルは高いと思うんですよ。



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