源氏物語と共に

源氏物語関連

紫式部という人

2009-07-18 11:03:29 | 紫式部

イメージ 1


源氏物語は奥深く、色々な観点から切り込めると思います。


今の私の興味は、物語から離れて紫式部という人です。
まだ考えがまとまりません。


3年間の源氏講座でざっと感じたことは、
若菜以前と若菜以後の文章・内容に大変違いがあるということでした。


藤裏葉で終わっておけば、一応めでたしめでたしと終わるはずの源氏物語が、
若菜以降では違った内容になっているように感じました。
これが逆に源氏物語の重みになったようにも思います。


一体これはどこからそうなったのでしょう。


紫式部日記や紫式部集もまだちゃんと読んでいませんので、
その違いの結論を出す事が出ませんが、
紫式部という一人の女性の感覚・人生感が、
年月を経て少し違ってしまったように感じます。


これを人生の悲哀を知ったというのでしょうか、
私もまだその人生の途中だからよくわかりません。


推測するに、夫宣孝(のぶたか)との結婚生活が
夫の死によって3年間であっけなく終わったことが1番の原因かもしれませんし、
または、姉なる人や弟との別れ、あるいは道長の妾?となったことなどが
その原因なのかもしれません。
恐らく彰子の女房になったことも何かそのきっかけとなったのでしょう。


紫式部集には夫・宣孝(のぶたか)との和歌のやりとりが載っています。
その内容を見る限り、式部の態度は結構今で言う・高ピーな感じがします。


年老いた宣孝は式部と結婚する前に、すでに正式な妻がいたようですが
一生懸命紫式部にアプローチしました。


氷は溶けないといって拒否していた紫式部も
しだいにそのやりとりを楽しみ、
心がとけていく様子が歌からも感じられます。


そして父より一足先に越前から都へもどり、宣孝と結婚したようです。
結婚して子供が産まれ、宣孝も何かと行事に重宝されていました。
そしてたぶん流行り病であろう病気であっけなく亡くなっています。


亡くなった後の式部の歌は、
夫を亡くして悲しいというような直接的な感情の歌は式部集ではありません。
いつまでもそのことで悲しむ妻も、今も世間では多いというのに、
不思議に思いました。いやむしろ後世にその歌が伝わっていないのかもしれません。


寡婦である式部に言い寄った男性もいたようですし、
今後も考えていきたいと思います。


さて、昨日は祇園祭でした。
用事で行けませんでしたので、もらった画像をはっておきます。
(源氏物語には葵祭はあっても、祇園祭はなかった?)


確か祇園祭の日は市川雷蔵さんの命日だったと思います。TVでもしていました。
リアルでは全く記憶がなく、エテカワライゾウといっていたと聞き、
後にTVで映画などを見ましたが、とても素敵な方☆でした。本当に惜しいと思います。


昨日はTVで市川海老蔵さんも見かけ、眼力を感じたので、
この方の光源氏を見逃したことを残念に思いました。


蜷川十二夜も良いと聞きました
十二夜は漫画「チェンジ」があるので若い方もご存知だと思います。
(古典題材の漫画は結構わかりやすいです)


かなり蒸し暑くなってきました。
皆様どうぞお体をご自愛ください。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« うつき(空木)とホトトギス | トップ | NINAGAWA十二夜 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。