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創世記1章

2021年09月27日 07時04分05秒 | 創世記
創世記1章 天地創造の初め
おはようございます。本日から旧約聖書の通読が始まります。一日一章、完読まで約2年半を予定しています。既に、約1年の新約聖書を読み終えた方は、その勢いで読み切りましょう。また、途中で躓いてしまった方も、人生なんやかんやの積み重ねです。続かないということをあまり気にせず、また新たにスタートしてみましょう。聖書が面白くなるには、ある程度の積み重ねが必要ですから、忍耐力をしっかり働かせて、取り組みたいところですね。では、読んでまいります。
1.黙示録とのつながり(1:1-25)
まず、開口一番に、聖書は言います。「初めに神が天と地を創造した」万物の源となる神が紹介されています。歴史を始め、先の黙示録で読んだように、歴史を閉じられる神の存在を著者は明確に示すのです。この神がおられなかったら、この地球はもちろんのこと、あなたも私も、何も存在はしなかった。全ての始まりは神にある、というわけです。
さて、創世記も、黙示録と同じで、その最初の部分は、人類が経験していないことを伝えています。ですから、ここは、いささか文学的に読んでいくところなのでしょうね。実際、その最初の物語については、いささか文学的、技巧的な書き方がなされています。地球の始まりを科学的に説明しようとしているわけではなく、始まりの要点について、記憶し、伝えやすくする書き方をしているのです。そのような意味で、この箇所を科学的に、あるいは60億から130億とする地球の誕生や進化論の仮説とすり合わせて読もうとするなど、無駄なことでしょう。ですから5節、ここに第一日、とありますが、それは文字通りの24時間ではなく、ある一定のまとまった時間ないし、時代を意味し、六つの段階を経て今に至っているのだ、と理解すべきところです。ですから、明日の2章でさらにはっきりしますが、著者は「夕があり、朝があった」という決まり文句を各日にちにつけていて、第七日には、これを省いています。つまり、神がすべての創造の業を終えて休まれている第七日目には、まだ夜は来ていない、となれば、第七日は今の私たちの時代に至るまで続いている、というべきではないでしょうか。こうして今日、聖書の第一頁目を開くや否や、初めに万物の根源である神がいる、人類はその神の祝福の中にある、そして、黙示録も語るように、まだ世の終わりは来ていない時代に生きていることをまず教えられるわけです。
2.創造される神(1:26-31)
 さて大筋だけ見ていくこととしましょう。神の創造のプロセスを見ていくと、各創造日ごとに、創造行為→機能の付与→確認行為という、一定のパターンが繰り返されていることがわかります。神の創造行為は、無から有を生じさせる、いわゆる創造行為と、すでにあるものを配置する、二種類の作業の組み合わせです。しかし著者の意図は、天地創造の始まりを科学的に説明しよう、あるいは理解してもらおうということにはなく、むしろ、意図的にこの世界をお造りになった神がおられること、世界のあらゆるものを計画し、意思し、積極的に造り出された神がおられることを伝えようとしているのです。
 ですから、神抜きに物事を考えていては、私たちは、この地球が出来上がった意味も、私たちがそこでどう生きるべきかもわからない、ということになります。今日科学は多いに発展し、人間は遺伝子や核を操作する時代に生きています。この創世記が書かれた時代とは比べ物にならないほど、複雑な時代に生き、そして、薄々、私たちは、自分たちの思うまま、願うままに世界を操作してきたことで、今やそれが逆に思い通りにはならない事態を招き始めていることを薄々感じているところがあるのではないでしょうか。この先人類はどうなるのだろう、と不安を感じる人も多いことでしょう。しかし、そうであればこそ、今こそ、すべての根源に、この世界をお造りになられた神の意思と目的を認め、それに従っていく、神への信頼を回復すべき時なのではないでしょうか。
 26節、神は、人を神の似姿に造られた、ご自身のかたちとして創造された、とあります。既に新約聖書を通読して、神については、愛と正義と聖さに満ちたお方であることを学びました。神は、そのようにご自身のかたちに創造された人に、この地上のすべてを任されたというのが、1章後半に語られたことでしょう。この地球上のあらゆるものは、力のある者のもの、あるいは権力に就いた者のもの、ではなく、神に委ねられたもの。私たちは創造の冠のようでありながら、神に全てを任された管理者に過ぎません。神の信任を受けて、この地球上のものを万人の益のために用いていくように期待されていることを覚えたいものです。では今日もよき一日となるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に昨日のクイズです。「天地創造の際に、いのちの木と共に園の中央に作られていながら、終末の御国の光景からは消え去ってしまった木は何でしょうか?」答えは「善悪の知識の木」(創世記2:9)です。創世記では二つの木、黙示録ではいのちの木のみとなっています。では、今日の聖書クイズを一つ。神は、天地創造の初め、人をどのようなものとしてお造りになりましたか?答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。

<天草さんのフォローアップ>       
パスターまことの聖書通読一日一章をフォローし、さらに掘り下げにチャレンジしている、天草さんのサイトはこちら⇒「天草幸四郎」http://progress-to.jugem.jp/
私の願いは、聖書が国民の愛読書になることです!
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