国語と言っても、日本語と言うよりは学校の授業の国語。
私は、特に国語は苦手でした。
高校生の頃、定期テストでいつゼロ戦が飛ぶか、ヒヤヒヤものだった記憶があります。
だからと言って、中学時代はそんなにひどい物ではなかったと思います、たぶん。
印象に残っている国語の先生は、中学3年生の時かな。
美人でも無く、定年間近のおばさん先生だった。
この先生は、国語が好きなんだと感じました。
好きなものを伝えたい、共有したいと授業を進めてしたようでした。
この一年間は、国語も楽しかったな。
卒業のあいさつに言った時、友人は「きちんとした文章が書ける」と誉められていました。
私に言った言葉は「自由に文章が書ける」でした。
2人には、お互いに無いものがあると…
今も、この光景を忘れていませんね。
高校受験の時も、点数はとれていなかった訳ではなかった。
それは、作文が大きな割合をしめていたから。
点数を取るための作文を、しっかりマスターしてしまったから。
そんなものだから、高校では嫌いな道へ…
点数の取れる作文があるように、新聞のコンクールも入選する方法と言うのがあるようだ。
中学時代は、新聞部。
何か、形が残したかったので、コンクールへ出品。
一年目は、悲惨でしたね。
一年発起して、入選する新聞作りを始めた。
去年の入選作品を参考にして、紙面づくりの勉強から。
結果は、県内3位でした。
PTAの広報誌も同じ事が言えると思う。
しかし、自分の単Pにはそのようなやり方はさせなかった。
入選させる事より、伝えたい事をしっかり伝えて欲しかった。
まだまだ、その域には達していないけれど、意識は持って欲しい。
自分の苦手な「国語」がネタになるのが不思議。
今、「お母さんの子供だから国語は諦めて!」なんて、子どもに言われてしまってる。
それでも、やっぱり抵抗できない私。
数学なら教えてあげるからね。
私は、特に国語は苦手でした。
高校生の頃、定期テストでいつゼロ戦が飛ぶか、ヒヤヒヤものだった記憶があります。
だからと言って、中学時代はそんなにひどい物ではなかったと思います、たぶん。
印象に残っている国語の先生は、中学3年生の時かな。
美人でも無く、定年間近のおばさん先生だった。
この先生は、国語が好きなんだと感じました。
好きなものを伝えたい、共有したいと授業を進めてしたようでした。
この一年間は、国語も楽しかったな。
卒業のあいさつに言った時、友人は「きちんとした文章が書ける」と誉められていました。
私に言った言葉は「自由に文章が書ける」でした。
2人には、お互いに無いものがあると…
今も、この光景を忘れていませんね。
高校受験の時も、点数はとれていなかった訳ではなかった。
それは、作文が大きな割合をしめていたから。
点数を取るための作文を、しっかりマスターしてしまったから。
そんなものだから、高校では嫌いな道へ…
点数の取れる作文があるように、新聞のコンクールも入選する方法と言うのがあるようだ。
中学時代は、新聞部。
何か、形が残したかったので、コンクールへ出品。
一年目は、悲惨でしたね。
一年発起して、入選する新聞作りを始めた。
去年の入選作品を参考にして、紙面づくりの勉強から。
結果は、県内3位でした。
PTAの広報誌も同じ事が言えると思う。
しかし、自分の単Pにはそのようなやり方はさせなかった。
入選させる事より、伝えたい事をしっかり伝えて欲しかった。
まだまだ、その域には達していないけれど、意識は持って欲しい。
自分の苦手な「国語」がネタになるのが不思議。
今、「お母さんの子供だから国語は諦めて!」なんて、子どもに言われてしまってる。
それでも、やっぱり抵抗できない私。
数学なら教えてあげるからね。
数学が教えられるなんてすごいですね!
私は数字はぜんぜんだめです。
漫画家や小説家になりたかったけど、そこそこの想像力しかないので、だめですね。
>入選させる事より、伝えたい事をしっかり伝えて欲しかった。
そうですよね、広報誌は伝える人がいるのですものね。
読む人が知りたい事、読んで、そうだったんだって思えるような事、書きたいって、私は思っていました。
ところで、ELKさんは、私よりも若いのですね。私は6月でになると四捨五入したら50歳になってしまうのです。うぅ。
ELKさんの方が、とってもしっかりしていますね!私も頑張ろうっと。
数学が教えられると言っても、中学校ですからね。
それも、頭が動き出すまで時間がかかる。
普段は、数字と言っても¥マークが付いていますもの。
40歳過ぎたら年齢は、切り捨てるんです。
四捨五入なんて、滅相も無い。
現役のPTA会長の頃は、30歳代だったので、どこへ行っても一番若くって、歳を誤魔化したかったですね。
シッカリ者に見えて、実はうっかり者だったりしてね。