叔父の闘病記録です。
日赤病院での担当医師とのごたごたもあり、父が物事を解釈するのが微妙な感じで、いつも不安がいっぱいだった。
この頃には、その不安はなくなっていた。
それは、病気の情報がある程度分かったことや、往診の医師や看護師たちが細かいことまでホローしてくれたおかげだと思う。
≪2016年 2月27日≫
A病院へ入院する。
自分の力で立つことも歩くことも困難。
レントゲンとCTを撮って、一般病棟へ。
ぐったりした様子で、反応も少ない。
既に、左肺は機能していない。
この段階で、家族に今後の治療について確認があった。
看取りの為の入院であること。
延命治療について・・・
人工呼吸器・心臓マッサージは行わない。
補液のみ・・・
≪2016年 2月28日≫
点滴を受け体が楽になったのか、昨日よりも元気そう。
≪2016年 3月初旬≫
食事が出される。ゼリー食。
それでも、飲み込みが悪い。誤嚥の心配がある。
投薬は中止。
大好きなテレビにも関心はない。
足も手も浮腫んで、パンパン。
≪2016年 3月中旬≫
一般病棟から療養病棟へ。
食事は、ほとんど食べられていない。
体力が、一気に落ちる。
それでも、テレビをつけて覚醒させようと努力してくれている。
声は出るが、言葉にならない。
≪2016年 3月22日≫
酸素マスクをして、体中で呼吸をしている。
眼には膜がはっていたけれど、開かないぐらいひどくなっている。
モニターが繋がっている。
数値は、大きく乱れている感じはしない。
いつもより、血圧が高めかも・・・
意識はあり声も出るが、言葉にはならない。
段々と直視するのが、つらくなる。
先週から、2日に1回ぐらい顔を出すようにしている。
A病院は、今までにお世話になった病院で一番近くにあるので、短時間でもちょっこと行くことができる。
今までは、過去の事を思い出しながらアップしていたけれど、ここからはリアルタイムに書くことができる。
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