ELKのティータイム

子育ても終わり、のんびり普通に過ごす私のつぶやきです

被災地の教員配置のあれこれ

2011-05-16 15:27:06 | ニュースから
こんな震災時でも、教育と言うのは休まないんだ…
と言うよりは、そうならない為に努力をしているんだ。



教職員配置、頭痛の種 学校が避難所「絶対数足りない」(産経新聞) - goo ニュース
■児童・生徒が転校、人余り現象も
 東日本大震災の被災地の児童、生徒が避難したことで、教職員の過不足が問題となっている。被災した岩手、宮城県などは文部科学省に教職員の増員要求をし、4月下旬には、小、中学校などの教員計424人の加配措置が取られた。ただ、被災地によって状況は異なり、福島県は多くの児童、生徒が他県に避難したため、逆に学級数に比べて教職員が多い現象も生まれている。文科省は教職員の増減に伴う定数の調整は行うが、実質的な任採用は県教委が行うことになっており、他自治体からの派遣受け入れや教員の配分に頭を悩ませている。
 加配は特例的に自治体の教員定数を上積みする制度。今回は被災した児童、生徒の心のケアや、学習の遅れに対応した個別指導のための増員が主で、宮城236人、岩手155人など。原発事故の影響で県外への転校が多い福島県は学級数の動向が定まらず、要求にいたっていない。
 県内の公立小中学校などで計270人以上の増員要求を検討していた宮城県。津波被害などで校舎やその一部が使えなくなった学校は50校に上り、多くの生徒が転校した。受け入れる学校側で教職員の増加を要望する声が上がっているが、公立学校教員の震災での死者・行方不明者は18人。12日現在でも計77校が避難所として使用され、その運営に残る教職員もいるなど、県内だけでは絶対数が足りない状況という。
 宮城県教委は「残った教師が不眠不休でカバーしているが、限られたマンパワーの中、長期化には耐えられない」と他自治体に教職員の派遣を求めた。
 岩手県では、沿岸で被災した多くの生徒が内陸部の学校に転校。県内の臨時職員などの採用で教職員を再配置したが、戻ってくる生徒や学校の被災状況が異なるため、教職員の配分に流動的な要素が残る。岩手県教委は「津波で教材が流され、学習環境を確保する作業に負担は増している。今後の生徒の移動でまた状況が変わるかも…」とする。
 一方、東京電力福島第1原発事故で生徒8千人以上が県外に避難する福島県では、学級数が極端に減少。そのため、学級数に応じて任用された教職員が多くなる逆転現象が生まれている。
 福島県教委は「教えるべき学校がない皮肉な状況。教師をリストラするわけにもいかず、予算上、『加配』という形をとらざるをえない」と別の問題も生じている。



学校復興に難題…応援教員、100人以上不足(読売新聞) - goo ニュース
東日本大震災で、被災地の岩手、宮城両県の学校が応援の教員不足に陥っている。
 学習の遅れを取り戻したり心のケアにあたったりするため、文部科学省は「教育復興担当教員(復興担)」を新たに配置する予算配分を決めたが、現実の教員確保は難しく両県で100人以上足りない状況だ。住宅が確保できず受け入れを断念するケースもある。
 文科省によると、岩手、宮城、福島の3県では16日現在で少なくとも20人の公立校の教職員が死亡。沿岸地域からの転校生を受け入れた内陸の学校や、各学年が別の学校に間借りする「分散授業」実施校などでも教員が不足する。同省は4月末、国費で、阪神大震災のピーク時(207人)の2倍以上にあたる計424人を被災4県に配置する方針を決定、宮城、岩手両県教委などでは教員を緊急募集した。
 しかし現場で授業にあたる教員を充てることは難しく、OBらも数が少ないなどで確保が難航。宮城県教委では、東京都から派遣された68人と地元採用の講師を合わせても、必要な270~280人のうち「少なくとも40~50人は足りない見通し」という。特に被害が大きく人手が必要な石巻市、気仙沼市で増員が進んでいない。岩手県教委も必要な200人のうち確保できたのは約130人で、残りはメドが立たないという。




東京の先生68人、被災地で奮闘「できることしたい」(産経新聞) - goo ニュース
“師”あり、遠方より来(きた)る、また楽しからずや-。東日本大震災で被災した児童や生徒のため、東京都の先生が宮城県内の学校で奮闘している。都が教員不足に悩む宮城県に派遣したもので、募集に応じた約150人のうち、68人が現地の計48校に着任、来年3月末までの日々を宮城の子供たちと過ごす。(酒井潤)
 5月12日朝、同県登米市立佐沼小学校。八重桜に迎えられて校門をくぐり、5月の行事予定がいっぱいに書かれた黒板の横を通る。ふと目についた二宮金次郎像には、震災の影響でひびが入っていた。
 同小学校には、南三陸町など、津波被害を受けた沿岸部から転校生50人を受け入れたため、クラスが増え教員不足に陥った。
 この日の3時間目、4年1組の教室に児童の間を歩き、時折、優しく声をかけて目配りする教諭の姿があった。担任をサポートするのは、同校に着任したばかりの鵜沢俊夫教諭(59)だ。
 東京では墨田区立外手小学校に勤務していたが、「これだけの災害、できるだけのことをしたいと思った」と募集に応じた。12月には60歳となり、定年は宮城で迎えることになるが、「いま手を挙げないと後悔すると思った」と決断を振り返る。
 「東京よりも、宮城県に先生を必要としている子供たちがいる」。外手小の児童にはこう説明した。連絡帳には「がんばって」と、好意的なコメントが寄せられた。5月6日にお別れ会が開かれ、同9日にあわただしく着任した。
 震災後の佐沼小の状況について、佐藤信男校長(59)は、「いつでも家族の声が聞けるよう携帯電話を手放せない子や突然泣きじゃくる児童もいる。肉親を亡くした子供もいるが、つらい記憶がよみがえる恐れがあり、聞き出す段階ではない」と説明する。
 鵜沢教諭は「低学年の子は屈託がないが、高学年の子は表情が暗い気がする」と語るが、「現地を見ないと生徒の痛みは分からない」と、この週末は南三陸町などの被災地を回るつもりだ。
 こうした鵜沢教諭ら派遣教員を現地で支えるのは都教育委員会の支援チームで、宮城県庁内に拠点を置く。都教委は4月4日に同県側に派遣の意向を伝え、約1カ月で着任にこぎ着けた。
 派遣教員のレンタカー代や家賃は総額1億円規模に上る。予算は6月の都議会で提案される補正予算に計上するが、まだ、同県との間で、教員派遣に関する正式な協定も締結していない。
 「できることをすぐやらなければ、と考えた。予算措置や手続きを考えていれば、こんなに早くは動けなかった」。支援チームの高畑崇久・人事企画担当部長は話した。
 ただ、住居と勤務先が長距離など問題も多い。鵜沢教諭も自宅から学校まで車で1時間以上かかるが、高畑部長は「震災や津波で家を失った人も住まいを探しており、そちらが優先」と説明。「それを承知で、何かしたいという先生方の思いには本当に頭が下がる」と話している。




大学生の次男坊は、教職をとっている。
だから、ちょっとは現場の事を気にしているように感じる。
感じるだけかもしれないけれど…

たくさんの難題があるんだ~。
でも、スムーズに進まない現状を見ているとイライラ…

子供たちが成長していく環境は、健全であるべき。
福島の現状を見ていると、そこでも疑問を感じてしまう。

でも、どこでも必死に戦っている人がいるんだ。
そう言うことは感じる。
福島第一原発でも…



次男坊は、母校の中学の野球部へ顔を出しに行った。
ここ数試合、負け込んでいるから喝でも入れにいったのかも…




Comment    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 福島第一原発 わからない事... | TOP | 福島の子供たち… »
最新の画像もっと見る

post a comment

Recent Entries | ニュースから