阪大弓道部リレーブログ

大阪大学体育会弓道部の部員の日々の生活などをリレー方式で伝えます。

コトバの不思議

2009年08月07日 | Weblog
こんばんは。O北です。遅れてごめんなさい。

F川からまわされました。
メールの文末には「大北のアツい夏の予定が聞きたいです。」と書いてありました。

閑話休題

 太宰治の『人間失格』を読みました。
 いたく衝撃を受けました。
 朝四時くらいまで眠れなくなりました。
 ああいう人を引き込んで離さない文章を書ける人はすごいと思います。
 言葉に何か魔性ともいえる力を感じました。
 言葉にそんな力を宿すのはとても難しいと思うのです。
 日本語は50音しかなくて、その「あ」とか「け」とか一つ一つの音が力を持っているわけではないし、「青空」とか「蟷螂」とか単語が力を持っているわけでもない。
 「今日はいい天気だ。」ってここに書いてみても、たぶん力は宿らない。
でも一方で、たった一語で人を引き込む時もある。言葉に力を持たせることもできる。書道、キャッチコピーetc.はきっとそんな感じ。
結局、その言葉の在る媒体、場面、状況、表現のされ方、そして言葉自身、そういったものが噛み合った全体を通じてその一音一音は力を宿し美しくなるんだろうと思ったりするわけです。
 弓道においてだって、見てるこっちがにやけてしまいそうなすごい美しくて力強い射をしてる人がいてる。そういった人がなぜ美しいかって考えたときに、肩線が揃ってるとか、下筋に張りがあるとか、いろいろ考えたりする。でも、肩線が揃ってたり、下筋が張ってても、相対的に力を感じない射手だっている。結局、その人が力があって美しい射ができているのはその人だからなんだと思うわけです。肩線揃ってるなど諸々数多の諸条件によって構成されたその人全体がその射を美しくしている。その射をどうやってしているのかは本質的なところではその人自身にしかわからないし、その人自身にだってわからないかもしれない。そんなことを思ったり思わなかったりするわけです。そしてそんな射手に近づくためには結局のところ全体の把握と部分の改善、そして何より自分の射に対するゆるぎない絶対的な自信が必要なんだと思うわけです。
 そんな感じで言葉も部分の改善によって磨かれるようになるのだろうか。自分の書いた銀弓が誰かを引き込んでいるかは気になるところ。あんまり気合い入れすぎたりすると失敗するから肩の力を抜いてみるのが肝心。
 あぁ、そういえば「工学部つながり」という言葉にとても強烈な力を感じるのは僕だけ?ずいぶん待ったよ回ってくるの。この3回生の過半数を占める工学部。いや、この部活の過半数を占めているのは工学部。げにおそろしきは工学部。このまま一、二回生にも回ってしまうのではないかとハラ×2ドキ×2。いつか工学部飲み会とか工学部旅行とかが開かれるのではないかとどぎまぎ。まぁたぶん大丈夫。ちなみに「文系」って見方をしてみると一回生はK田1人、二回生はY加部1人らしいですよ、奥さん。今更ながらに衝撃の事実。
 今日のはすごく読みにくそう。あと一回まわってくると信じてるから、その時はもっとちゃんとしたの書くよ。また10月半ばに回ってくると嬉しいな。たまにはこういうの書いてもいいっしょ。
 そういや言葉は同じ単語でも表現の仕方ひとつで全然変わってくることもあるよね。最後にそんなことを考えつつ、今日のところはこれでサヨナラ。安土崩しお疲れ様。

「馬鹿」
「ば~か」
「ばっかじゃないの」
「バカバカ」
「馬鹿だなぁ」
「馬鹿もんが」
「バカ・・・」
「ばかぁ」

あなたはどれが好きですか?僕は断然「ばかぁ」が好き。