ここ二日程、夜中疲れているのか、熟睡ができず6時ごろにやっと眠ったので、何時もより寝すぎて、あわてて朝食をとり、出勤する。バスの中で、ささやかなデボーションを行う今朝の聖書の箇所は、創世記21:1~7であった。主は約束されたとおりにイサクを与えられた。サラは主人も私も年老いて到底子どもが生まれることがないと笑った。それにもかかわらず、主は約束どおりアブラハムとサラの間にイサクを与えられた。神様は約束を実行される方であり、状況はどのようで有っても、み旨を実行される方である。私の大きな願望も雲を掴むようなものであるが、主の語り掛けから導かれたもので、約束ではないにしても、それに近いものであると確信し、祈り続けている。
「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私達の確信です。私達の願うことを神が聞いてくださると知れば神に願ったそのことは、すでにかなえられたし知るのです。」ヨハネ第一5:14~15
「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私達の確信です。私達の願うことを神が聞いてくださると知れば神に願ったそのことは、すでにかなえられたし知るのです。」ヨハネ第一5:14~15
素晴らしことです。 このように、素晴らしいことを聖書に書き残し、後に後に語りつ がせることは、すごいと思います。