まあまあ人生

70年の人生 まあまあですね

やっと ブログを書く気になりました

2012年05月12日 | Weblog
起床4時45分、一週間ぶりに大阪城に行く。今朝は、気温が低く風も少しあって少し寒かった。地下鉄の中でハッと思った。今朝は、第二土曜日で大阪旭朝祷会のある日であった。体操の出来る服装であったが、この
まま出席することにした。久しぶりの大阪城は気持ちが良かった。
久しぶりに元気に歌う。村のかじや、うぐいす、大きな古時計、海、星の界、菊、おぼろ月夜、ともしび・・・
最後、りんごの歌で13曲歌った。この1か月あまりバイトのストレスで眠れず体調が悪かったが、こうして、皆さんと歌うと、元気が湧いてきたように思った。

合唱後、歌仲間のTさんとカトリック今市教会に行く。去る5月5日に同教会で朝祷会近畿ブロック大会があったばかりで、体では朝祷会が終わった様に思っていた。
今朝は、キリストの教会寝屋川福音館のT師が「それでも 主イエスは 愛された」と題して、マルコ3:1~6からメッセージされた。主イエス様は、手のなえた人を癒すことで十字架の道であると分っておられたが、それでもその人を癒された。主は、怒ることのない方であるが、この時はパリサイ人にたいして怒られた。

帰宅昼食後、OCCカレッジに出席する。今日は、野崎キリスト教会のK師が「四条畷近辺キリスト教史(野崎観音の十字架)」と題して、河内キリシタンの繁栄と広がりについて詳しく語られた。当時の状況の厳しいなか信仰を全うする姿を聞き自らの不信仰が示された。当時の我が国の人口が1500万人で、その時代のキリシタン人口は75万人と言われ、その宣教の広がりに驚かされた。もし、伴天連追放令等がなかったならすばらしいクリスチャン国家になっていたのでは?と思わされた。三箇・岡山・砂地区(現在の大東市・四条畷市)は「一人の異教徒もない」百パーセントのキリシタンの街であったと。それがサタンの力で壊滅したのである。

私は、4月3日から、以前バイトをした時の上司が、バイトに来てくれないかと誘われた。私は、今のところ元気で、こんな者でも必要とされることと収入が入るとの欲?と考えがあり簡単に引き受けてしまった。仕事は中々理解が出来ず順調に進まず、ストレスが加わり、夜も眠れない日々が続き、辞めたいと思ったが、それも出来ず疲労困憊の毎日であった。何時も参加していた朝祷会や、我が家の家庭集会・歌声広場でも迷惑をかけている。当然、大阪城に行けなくなった。当然、ブログも書く気力がなくなった。今まで、サンデー毎日であったのが、全然自由がなくなってしまい、あのエジプトが懐かしく感じる日々である。自分で蒔いた種とはいえしんどい日々で、6月末までの辛抱と我慢の毎日である。前回の時は、一週間入院した経緯があり今回も同じ轍を踏むのかと心配したが、それは回避した模様であり一安心した。


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