歴史とドラマをめぐる冒険

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麒麟がくる・信長の革新性をゆるーく考える。

2020-05-24 | 麒麟がくる
最近の歴史学者は信長に「厳しい」ですね。「いかにオリジナルではないか」を探していく方向にある。あと室町幕府大切とかね。
人間って、朝から晩まで「革新的に生きる」ことも「保守的に生きる」こともできないと思うのですよ。例えば私は自分が保守的だと思わないけど、食事なんていつも同じで冒険しません。いや、生活そのものに冒険がなくて保守的です。伝統だって否定しまくって生きられるわけがない。全く否定してません。一方、ネット上で保守と言ってる人も、ネット社会に見事に適応して「革新的技術を身に着けている」と思うのです。境界線は極めてあいまいです。天皇とか中国韓国の問題となると先鋭化するだけです。

歴史学者でも「信長は保守的だ」と言い切る人は多くないわけです。「いわれているほど革新的じゃない、保守的側面もあった」ぐらいでしょうか。じゃあ、革新性を評価してくれてもいい。
市川海老蔵ばりの第六天魔王みたいなデフォルメは私もNGと思いますが「いわれているほど保守的じゃない、革新的側面の方が多かった」と思うわけです。

小和田哲男さんの指摘を、考える土台にさせていただきます。小和田さんの言う「信長の革新性・七つのキーポイント」 (歴史群像デジタルアーカイブス)

一 専業武士団の創設
二 居城の前進移転
三 人材登用の新機軸
四 権威への挑戦
五 政教分離への指向
六 軍装改革
七 新発想生む知的好奇心

オリジナルかと言うなら、信長に先立ってこういうことをやった武将はいますね。でも「全てを合わせ持った」上に「際立った個性も持っていた」武将がいるかとなると、そう多くはないというか、私は無知にして思い付きません。「二」だって探せばいるのでしょうが、毛利元就?、でもそんなにたくさんいるわけじゃないでしょう。全くいない可能性もあるのかな。

「ケチ」なら私でもつけられます。信長の兵農分離は徹底していかなった。人材登用だって尾張中心だった。権威を利用することも多い。意識的に政教分離を考えていたかは分からない。

でも他の武将なら、実力主義の人材登用をしただけで「合格」なのに、信長については採点が異常なほど厳しいわけです。何か他の力学が作用している感じがして、公平じゃないように感じます。

特に「四」の「権威への挑戦」などとなると厳しくなる。そんなことはないと。で、考えてみると「最終的には追放」しているわけです。尾張の守護斯波義銀も将軍足利義昭も追放している。途中で「仲が良かった時期」とかあったにしても追放している。これが厳然たる信長の「行為」です。途中でなにがあったとしても結果としてそうなっている。だから「権威への挑戦」を否定することは不可能だと思います。いろいろ「こじつけて」言葉遊びをやって否定しても、「実際の行為」がその「こじつけ」を否定します。

権威に挑戦しているからと言って、朝から晩まで革新的に生きたり、伝統を否定しまくって生きられないことは最初に述べた通りです。そんな人間、いるわけない。

軍装改革についても最近は鉄砲を取り上げられないから「長槍」が凄いのだ。とかなっていきます。でも長篠で千から三千の鉄砲と「玉と火薬」を用意して打ち続けている。武田も鉄砲を持ってはいたが、途中で玉や火薬が尽きてしまうわけです。3千丁3段撃ちじゃなくても、千の鉄砲なら、規則正しく撃たなくても、相当な威力です。評価すべきだと思います。

楽市楽座、都市政策だったとか座を守ることもあったとか、一応知っています。でも六角氏が先進的と評価されるなら、同じく先進的と評価しないといけないわけです。「1番だからえらい」とはならないでしょう。もちろん信長が座を安堵したことも知っています。

どうしてそんなに保守的な面にだけ偏った注目をするのか。なんとなくそのカラクリが分かってきましたが、自信はないので、今は書きません。


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