歴史とドラマをめぐる冒険

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麒麟がくる・「大きな国」はいつ「天下統一」に変化するのか

2020-05-22 | 麒麟がくる
「麒麟がくる」には戦国大河におなじみの「天下統一」という言葉はほとんど登場しません。少なくとも私の記憶では一回も登場していません。

真田丸では登場したし、真田昌幸なども国人の分際で、秀吉を倒して天下をとってやる、とか思っている「ふし」もありました。

これも時代の流れというものでしょうか。天下統一を狙っていた大名などほぼいない。信長だってある時点までは考えていたかったのではないか。という認識が広まって、戦国大河もそういう意味では「窮屈」になっていきます。主人公の光秀にしてからがむろん「天下統一」なんて考えてもいないし、「天下国家のことすら」、「麒麟がくる世」という言葉以外で語ることはありません。とりあえず「現実に対応して生きていく」ので精一杯です。将軍義輝に「世を平らかに」と言った程度でしょうか。「国盗り物語」の光秀は、越前で貧乏して妻が髪を売って、それでも「いつか天下をとってやる」と言っています。総集編で見られます。大河にとっては「おおらかな時代」だったと言えます。SNSで「ありえない」とか言われることもなかった。

斎藤道三が亡くなる時に、「信長と光秀ならやれる」という言葉を残します。何を「やれる」のかというと「大きな国を作ること」です。ここでも「天下」とか「天下をとる」という言葉は使われません。ほぼNGワードと言っていいでしょう。

さて少し史実に触れながら。

信長が天下布武の印を使い始めたのは美濃攻略後です。天下は日本または畿内。この時点で信長は愛知県と岐阜県しか持っていません。しかも岐阜、美濃を盗るのに十年以上かかっています。その速度で東北を除く本州と四国あたりまで「支配」しようと思ったら、何百年もかかるわけです。さすがにこの時点で「日本統一」はないかなとは思います。いや別にあってもいいのです。チンギスカンや漢帝国の劉邦のためしもある。劉邦に比べれば、中国の統一に比べれば、日本は小さい。しかし劉邦には前例がありました。秦の始皇帝です。そういうものが信長にはありません。鎌倉政権だって、まして室町政権だって、日本全土なんか支配してません。信長の頭が相当おかしいと仮定すれば、そういう夢想を持ってもいい。しかしリアルさには欠けます。

そこに足利義昭がやってきます。ここで信長は義昭を利用して天下をとろうと考えたと書ければいいのですが、義昭のそれだけの利用価値はありません。室町幕府の支配地域なんて京都あたりで、その京都からもしばしば滋賀に将軍は逃げています。各地の調停の手紙を書いたり、自分の名前の一字を与えたりすることはできますが、「現実的な武力や力」は全くないわけです。

ところが、1568年に上洛戦をすると、美濃を盗ることに比べればはるかにたやすく滋賀の半分と三重県あたりが支配下に入ります(抵抗運動はあり)。滋賀の北の浅井長政も友好的な態度をとってきます。でもまあここでも「あれ、いけるんじゃない」とは考えなかったでしょう。日本全土なんてほど遠く、日本全土なんて頭の片隅にもなく、やはり「大きな国構想」ぐらいの段階ではなかったかと思います。で、よせばいいのに、北、福井の「朝倉義景」を狙います。美濃とは国境を接しています。で、浅井長政の反攻にあって、大失敗します。

で、1571年、1572年と織田家は大ピンチを迎えます。なにしろ本願寺が敵になります。浅井朝倉も健在、和歌山県あたりの勢力も離れていきます。そして武田信玄の西上。しかし途中で病死します。

で苦しかった「元亀の3年間」が終わり、天正がはじまります。まだ敵は多くいます。このあたりで、「大きな国なんて言ってる場合でもないか。敵を全部つぶさないと、生き残れないぞ」と考えたかなと思うのです。敵には義昭幕府も入ってきます。つまり「つぶされそうになって、天正元年頃、そういう考えが浮かんだ」というのが仮説というか「私の思い付き」です。

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