歴史とドラマをめぐる冒険

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織田信長の目指したもの・天下布武と天下静謐

2020-06-16 | 織田信長
織田信長は美濃を攻略すると「天下布武」の印章を用いるようになります。これについてはよくこう解説されます。
・天下とは五畿内のことで、日本全土ではない
・武とは「七徳の武」のことで、平和にするという意味(他の大名にそんなこと分かったのかな?という疑問はありますが)
・「天下布武」とは「五畿内を平和にするという意味」、これは室町将軍の当時のあり方を反映している。(室町将軍の支配地域は五畿内で、そこの安定を目指していた)

五畿内とは山城国・摂津国・河内国・大和国・和泉国のことです。ほぼ京都、大阪、奈良、兵庫の一部、、に相当します。

現代語の天下統一とは「日本全土の統一」でしょう。すると信長は天下統一なんて目指していなかったということになります。最後は目指したかも知れないが、少なくとも1568年段階では目指していなかった、これが最近の考え方です。信長の最期は1582年です。

では何を目指していたのか。それが「天下静謐」とされます。「せいしつ」と読む方がいるけど、おそらく「せいひつ」が正解でしょう。
天皇の代行者である将軍と信長が協力して五畿内の平和を守ること?なのかな。

谷口克広さんは「天下静謐意識」は徐々に変化して、1575年頃からは天下統一という意識を持ったと書いています。「信長の心中には明らかに全国統一のプランが芽生えていた」(織田信長の外交、211頁、2015年)

これは私なんかにはすんなりと納得できる意見なんですね。受け入れやすい意見です。ちなみに谷口さんは信長研究の大家です。

ところが「ずっと天下静謐だった」という方もいます。「あくまで五畿内の平和を目指していたが、結果的に周囲と抗争になってしまい、後から見るとそれが天下統一戦のように見える」という意見です。

金子拓さんなどが「史料をもとに」述べている意見で、それなりの根拠もあるのです。

ところが私なんかにはどうも納得できないのですね。私は素人なので学問的な問題ではなく、違和感という感じの意識です。「なんで天下静謐を目指しているのに、周囲と抗争が起きるのだ?」という根本的な部分がよく分からないのです。武田は好戦的ですから、向こうから攻撃してくるかも知れない。しかし毛利のように非好戦的な家は向こうから攻撃してこないし、実際、毛利輝元なんかは「戦になるかならないか、なったらどうすればいい」と考えたりしています。あと、五畿内ではない越前朝倉を真っ先に攻撃する信長をどう考えているのだろうとも思います。まあこれについては「天下静謐のために越前を攻撃した」と言われたりします。そういう風に、五畿内に属さない地域も、「積極的防衛によって攻撃する」なら、とても「天下静謐を目指していたとはいえない」ような気もするのです。つまりは違和感がどうにも大きいのです。金子拓さんの本では「信長が天下静謐のさまたげになるとみなした勢力を攻撃した」とかありますが、それなら「なんでもあり」ということになる。

信長が「天下静謐」という言葉を使っていたことは間違いありません。しかしどんな意味で使っていたのか。当事者の意識(表現)をそのまま用いて、それをあれこれと「過剰に深読み解釈」しすぎていないか。信長が使っていた言葉にしても、イデオロギー色が強い言葉をなんでわざわざ使うのか。そんな疑問が浮かぶのです。

これは素人の私の意見です。で、玄人はどう考えているのだろうと思うと、どうも「そうだそうだの大合唱状態」なんですね。体制翼賛会?谷口さんは除きます。学説は「批判があってこそ健全」だと思うのですが、それがなかった。金子さんの同僚である本郷和人さんは「本郷節」で疑問を呈しています(金子さん向けではなく)が、「本郷節」は面白いけど、苦言には意味があるけど、厳密な批判にはなっていません。

ところが、今日はじめて(素人の私がはじめてという意味)、「やや批判的」な本を見つけたのです。「やや」です。黒嶋敏さんの「秀吉の武威、信長の武威」という本です。金子さん、本郷さんと同じ東大の学者さんです。

批判ではないかな。ある意味信長を「買いかぶり過ぎだ」という意見のような気もします。「静謐」なんてそんな立派なこと考えてなかったというわけです。

引用226頁「静謐とは争いのない静かに落ち着いた状態だけではなく、そこから波及して守るべき秩序が遵守されることを意味する。けれど信長にとっては前者だけで「静謐」と表現した可能性が高く、平和な状態にしたあとの、社会の秩序や規範は現状維持とするだけで、その再建にはさほど興味をしめさなかったのではないだろうか。だとすると「天下静謐」もまた、彼にとっては戦争状態の対義語に過ぎず、自分の軍事的優位性を誇るだけのフレーズだったということになろう」引用終わり

黒嶋さんの見解では、信長の「像」を確定することはほとんど無理という状態であり、信長の自己規定を追うことはできない。非常に自由というか「空虚=フリー」な存在であって、だから人々が同時代においても「わたしが考える信長」を自由に規定できた部分があるのだとなります。(このまとめが合っているのか、後で訂正するかも知れません)

先の引用部分は「天下静謐といっても信長の場合は、(特に何も言ってはいないので)その具体的構想を史料分析から探ることは難しく、つまりは武威を誇るだけの言葉だよ」という意見でしょうか。こういう「批判」があるのはいいことだと思います。「天下静謐」について玄人の学者さんが、健全な批判を行ってくれることを期待しています。ただしその後、金子拓さんの説を読み返して、私が読み間違いをしていることに気がつきました。批判は天下静謐を「天皇の平和」と言い換えるような、政治色に満ちた歴史学者に向けられるべきで、金子さんは立派な学者だと思うようになっています。

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