歴史とドラマをめぐる冒険

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ドラマ「織田信長・桶狭間・覇王の誕生」の感想・「くわ」と「であるか」は採用されず

2021-03-27 | 織田信長
歌舞伎色の強い「ご存じ・織田信長」でした。「歌舞伎を見ているのだ」と思えばいいのだと思います。しいて言えば今川義元がやたらと天道を言い出すのが新しい。でも最後に「われこそは正統な天下人じゃ」というのですね。一気に昔の「義元上洛説」にもどっていました。これも「ご存知上洛説」ということになります。

多くの「ご存じエピソード」が詰め込まれていました。全体にじめっとした感じがしたのは歌舞伎の「人情もの」の要素が強いからでしょう。他の人は棒読みみたいなセリフ回しをする場合があるのに(松田さん)、海老蔵さんだけが強い歌舞伎調で、全体が歌舞伎調に見えるのはそのせいもあると思います。

「子を産まぬ正室であるうえに、敵の妹になりました」と「濃姫」がのどを突こうとします。「子を産まぬ」、、、、大丈夫かなと心配になります。「当時の価値観なんだ」という主張は無理でしょうね。子を産まぬからのどを突いた戦国女性、、、いるかも知れませんが、私は知りません。「敵の妹」って、最初から敵じゃないわけで、これまた濃姫とは何の関係もないことです。たいした問題じゃないのでしょうが「ひっかかる表現だな」とは思います。わたくしは男性です。ちなみに「子を産まぬ代表」は北政所ねねですが、いたって元気で、天寿を全うします。最近の研究では名は「ねね」なんです。たぶん。

歌舞伎的がキーワードかなと思います。歌舞伎ですから、儒教的な考えが作品から滲み出してきます。「仁義礼智忠信孝悌」そして恕。「悌」とは兄弟間の秩序です。兄を敬えということです。

なんで儒教なんて言い出したかというと、「信長が親父の葬式でくわと抹香を仏前に投げつけた」というエピソードと斎藤道三との対面シーンの「であるか」というエピソードが採用されなかったからです。儒教的道徳観念からしても、今回の信長の造形からしても、仏前に抹香を投げつけては「まずい」のでしょう。

この抹香のエピソードは「信長公記」に明記されていて「創作だ」とする人はほとんどいません。過去の回想だから太田牛一の「創作かも知れない」という人はいます。しかし何で創作するのか。太田牛一は信長を「ちょっとだけ英雄」として描こうという考えは一応持っていますが、創作に創作を重ねたわけではありません。信長公記は一次史料ではないですが、一級史料です。「さほど嘘はついていない」が多くの人の評価です。

そもそも「親父の仏前に抹香を投げつけた」ことは英雄につながりません。みんなが「やはり大うつけ」という中「旅の僧のみ」がそれを見て「大名の器だ」と言います。しかし旅の僧がなぜそう思ったのかは書かれていません。抹香を投げつけたは史実で、旅の僧のエピソードだけが太田牛一の「後付話」だと思います。
久々に「くわと投げつけ」のシーンが見られるかと思ったのですが、今回も採用NGでした。それにしても「くわと」ってどういう意味なのか。「くわ」というのは目を開く描写ですが、そうではないようです。

次に斎藤道三との対面シーン。やけに唐突に信長が人生観を語り出します。いろいろ言ってますが「一たび生をうけ、滅せぬもののあるべきか」という内容です。信長は今回も、するすると道三の前に登場しましたが、信長公記では道三を無視して柱に寄りかかって「しらん顔」をするのです。そこに堀田道空が「あれなるが斎藤山城守殿」と言います。

ここで有名な「であるか」という言葉が出てきます。これも今回は採用NGでした。一応道三は父ですから、儒教的にまずいのか、まあそこは断定はできないところです。

これだけ「ご存じエピソード満載」なのに、私の好きな二つのエピソードは採用NGで、「残念!」というところです。

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