歴史とドラマをめぐる冒険

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織田信長の二つの顔・革新性と伝統の重視

2021-03-26 | 織田信長
織田信長の「人間像」を構築するための最も良質な資料は「信長公記」なのですが、これは一級史料であっても、一次史料ではありません。信長公記なしに信長を語ることはほぼ不可能なのですが、「都合よく」利用されている感が最近はあります。例えば「常識人的な信長像」を描こうとすれば、信長公記にある信長の「異常性」や「非常識さ」は「一次史料じゃないから」と否定すればいいのです。同じくフロイスの「日本史」も一級史料なんですが、これも同じような使われ方をしています。

信長には「信長公記」のほかに「手紙」や「事務的文書」と言った史料があります。「事務的文書」とは「領地の安堵等」を約束した文章です。「事務的文章」を見てみると「寺社」とか「公家」といった「伝統的勢力」に土地を保証したようなものも多い。手紙も、手紙という文章の性格上、常識的なものが多い。誰だって手紙となれば形式ばるわけで、極端に非常識な手紙は書きません。そこから信長の人物像を構築すれば、当然ながら「ある程度の常識人」となっていきます。私も年賀状を書きますが、必ず「お世話になりました」と書きます。実際は20年以上会ってないから、お世話になりようもないわけです。でも手紙には「形式」がありますから、極めて常識的な文面になります。私には非常識な面も多々ありますが、年賀状にそんな面をにじませることはありません。

もっとも信長には「非常識」な手紙も多々あります。「武威」と言われる「おれは凄いんだぞ」を遠国の大名に知らせる手紙などです。「毛利も頭を下げてきた」とか平気で嘘を書いています。これについては東大の黒嶋敏さんの著作を見てください。「秀吉の武威、信長の武威:天下人はいかに服属を迫るのか」です。そうした「武威を誇る手紙だけから」信長像を構築すれば、非常識というより、「頭がおかしい」人間、平気で嘘をつける異常な人間、信長像はこうなります。

人間には建前と本音があります。しかも当人もどこまでが建前なのか、どこからが本音なのかが分からないこともしばしばです。それを踏まえると、当然ながら信長には「二つの面」があるわけです。一つの面は形式を重んじる建前の信長で、比較的常識的です。しかしその逆、本音というか「生の信長」は「革新的な人物」なのか。そこは非常に難しいところです。「常識的側面」の反対は、必ずしも「革新的側面」ではないからです。「戦争ばっかりやっていて、検地とかはしない。統治とか特に考えないいい加減な男」という像を浮かび上がらせることも可能です。黒嶋敏さんは上記の本の中で「信長のいう天下静謐には秀吉のような具体性はない」と論じ、「スローガンに過ぎない」と指摘しています。静謐に値する善政など少しも考えていないということです。

「信長には保守的な面もあった」という書き方なら特に異論はありません。人間の生活など90パーセントは保守的です。「コメかパンを食べて、日本語を話して、家で眠る」わけです。言語と食べ物はどうしても伝統重視にならざるを得ないわけで、およそ革新的人物と言っても、朝から晩まで非常識な行動をとり続けるわけはありません。もっとも信長は家で寝てません。晩年は天主で寝てました。さらに東大の金子拓さんの「戦国おもてなし時代」によれば、「膳のあり方」も信長は簡略化する方向に変えてしまったとこのことで、信長は実は食事の形態も変えてしまったようです。

「保守的側面もあったが、それに収まらない側面もあった」とこう論じるべきだと考えます。保守的という言葉が「政治性を帯びすぎる」のなら、常識的側面もあったが、非常識な側面もあったということです。「戦争ばかりしている」などはそういう非常識な側面でしょう。最近は「信長は革新的ではない。検地をしない。全部武将に丸投げだった」なんて論じ方をする人もいます。だとしたら、相当「非常識でいい加減な異常な人間」ということになります。義昭に言われて「はいそうですか」と京に上るのも異常ですし(そんな大名他にいない)、官位を辞退し、二位は保つものの、がんとして朝廷の官につかないのも異常です。信長はどの人間とも同じように、多くは伝統(言語とか食事とか所作とか)に基づいて生活していたと思います。しかし異常な面もあった。そしてその異常性こそ信長を読み解くキーになると考えています。同時代人の中に埋没できない過剰な何かが信長にはあるように思えます。そうした異常な側面と常識人としての側面を併せて勘案し、信長像を構築していく必要を感じます。それはおそらく「革新性」にはいきつきません。「非常識」「異常」といった面にいきつく可能性が高いと思います。

そうすると磯田道史さんが「英雄たちの選択」で言った「あいつはとんでもないサイコパスだ」という言葉が魅力的に思えてきます。信長は一向宗を皆殺しにしたあと、手紙を書きます。内容は「皆殺しにしてやったぜ。長年のうっぷんが晴れた。いい気分だ。」というもので「いい加減にしろよ」とも思えてきます。一向宗には「家族」も多く殺されていて、負けてばかりだったので、こうなるのですが、それにしても「なんだかな」です。サイコパスとすると「常識人に自分を偽装する」のも得意だったことになり、色々説明がつくような気もします。(むろんこれは半ば冗談で言っています)

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