《 義母、病院へ ② からのつづき 》
オットーから聞いたことを基に、起きたことの箇条書きを続けます。
10月8日(日)
午後1時頃、A&E での義母の付き添いを、徹夜で付き添っていたジェイン(義妹)から交代したオットー。
その後の義母は、不穏状態になり、ヨロヨロなのにストレッチャーから下りて歩こうとしたり、点滴針を引き抜いたり、
オットーの制止を振り切って実際にストレッチャーから下り、自分の病院バッグをつかんで 「私は家に帰るの!」 と
歩き出そうとしたり・・・
午後10時頃: 義母の状態に悪戦苦闘するオットーに、ナースから、「私たちのデスクからすぐのスペースが空いたから、
ストレッチャーを(通路から)そちらに移動し、私たちが見守ります」 との朗報。
ストレッチャーが移動された先の隣には、認知症らしい高齢女性が椅子に座って病棟のベッド待ちをしていて、
義母はその女性とあまり意味をなさない会話を始めた。それが結果的に、義母を落ち着かせた様子。
精神的に疲労困憊していたオットーは、限界に達していたので、帰途につく。
帰宅後、弟妹たちに現状をアップデートし、午後11時頃、床につく。
10月9日(月)
午前7時55分: オットー、A&E に何度か電話して義母の様子を訊こうとするも、誰も電話に出ず。
午前9時半頃: A&E のコンサルタント(医者のボス的な人←私の稚拙な解釈です)からオットーに電話がかかってくる。
女性のコンサルタントは、「(義母がA&Eに到着してから診察されるまで)33時間もかかってしまい申し訳ありません」 と
謝ったうえで、ナースたちの話では、義母はオットーが帰宅したあとは 「精神的に落ち着いていた」 と伝える。
義母は血圧が低く、腎臓の機能も低下しているし、年齢が年齢(95歳8ヶ月)なので抗生物質の投与は控えたいこと、
また常用薬も見直したうえでかなり減らすことにし、新しい薬のリストは、病院から義母のかかりつけ医の診療所に
送ってくれると説明。義母が歩けなくなったのは、おそらく膝の偽通風が原因と思われるので、
痛み止めを定期的に服用して欲しいとのこと。
義母は 「認知症を発症しているか」 とコンサルタントに訊かれたオットーは、
「正式に診断はされていないが、記憶力はかなり衰退している」 と回答。
するとコンサルタントは、「まず間違いなく認知症ですね」。
それからコンサルタントはオットーに、義母がDNAR指示書を提出していないことも指摘。
オットーが、義母は 「医療的緊急時には、できる限りのことをして欲しいと考えている」 と伝えると、
「私からのちほどご本人とお話してみます」。
午前10時半頃: 小学校の教師助手をしているジェイン、出勤したものの義母のことが心配なので、
「お休みをもらった、これから母さんのところに行く」 とオットーに伝える。
(ジェインは教師の資格を持っていますが、産休から復帰後は、長時間拘束されずに済む教師助手を、
パートでしています。)
午後1時頃: 女性コンサルタントが、義母とジェインと話しに来、先にオットーに伝えたことを二人にも伝える。
義母に、DNARに関する意思を問い、心肺蘇生が成功して意識が戻っても、(たとえば二度と立って歩けなくなっていたなど)
望むような状態で目覚められるとは限らない可能性があることを説明。それを聞いた義母、DNAR指示書にサインする。
義母は 「搬送の都合がつき次第帰宅することになる」 と、ジェインからオットーに連絡がある。
(義母があんなヨロヨロの状態なのに A&E から帰宅させられることに、正直驚きました。)
午後3時頃: 「母さんは今、病院を出るところ」 と、ジェインからオットーに連絡が来る。ジェインは当座用にと処方された
義母の薬を病院内の薬局にもらいに行ってから自分の車で義母宅に来るので、オットーが義母受け入れのため、
義母宅に向かう。
午後3時半過ぎ: 義母、自宅に到着し、介助されて居間の椅子に座る。疲れた様子で、オットーがあれこれ出しても、
ほとんど飲まず、まったく食べず。
午後4時頃: ジェイン、義母宅に到着。義母を励まし、いくらか食べさせ、飲ませることに成功。
オットーは、義母のための買物に行く。
義母にこれまで以上の介護ケアが必要なことは明白なので、ジェイン、介護ケアサービス会社に、
今後は午後6~7時の訪問介護もしてもらえるかどうかを問う。幸い 「翌日から可能」 との回答を得る。
午後6時半: ジェインが義母の就寝介助を引き受けてくれたため、オットー、帰宅。
10月10日(火)
午前9時20分: 私、平日だが(私は基本、土日のみ労働)仕事が入っていたため、仕事に出かける。
(義母は 『我が子大好き』 な人なので、私は後方支援に徹し、頼まれない限りは義母のケアには関わりません。)
午前10時半頃: オットー、義母宅へ。義母はベッドに腰掛けていて、上半身だけ着替えていた。
義母はオットーに 「自分がどこにいるのか、何をするのかわからない・・・」 と言い、前日まで病院にいたことも、
すっかり記憶から消えている。夜間にベッド脇の簡易トイレを使った形跡あり。
義母が介助を拒否するため、着替えを済ませるよう促し、オットーは朝食の準備のためキッチンへ。
歩行補助器を使ってそろ~りそろ~りと居間に来、自分の椅子に腰掛けた義母、少量のシリアルを
何とか平らげる。出されたコーヒーはふた口ほどすすったのみ、ジュースには手をつけない。
午前11時過ぎ: 訪問介護ヘルパーが来たので、いつものように掃除をしてもらう。
午後1時頃: 義母が 「お尻が心地悪い」 と訴えるので、トイレに行ってリハパンを交換するよう促すが、
「まだいいわ・・・」 「そのうち・・」 と、義母、トイレに行こうとせず。あきらめたオットー、
新しいリハパンをトイレの脇に置いて、今度トイレに行ったら必ず交換するよう念を押し、帰宅、仕事。
(義母は相変わらず、オットーはもちろんのこと、一人娘のジェインにさえも、トイレ介助をさせようとしません。)
午後5時頃: 初めての夜の訪問介護が始まるため、オットー、義母宅に行き、待機。
トイレに置いた新しいリハパンは、そのままになっていた。
義母は午前中よりは頭がはっきりしていて、記憶も多少は戻っていて、オットーの冗談に笑い声を上げる。
到着した介護ヘルパーさんを迎え入れ、義母の性向や必要な介助(義母が受け入れるかは別として)を説明。
ヘルパーさんがレディー・ミールを温めて義母に出すのを横目に、オットー、義母宅を辞去。
午後6時過ぎ: 私、帰宅。オットーも間もなく帰宅。
夜、オットーと私とで、いろいろと義母の今後について話しました。幸い義母は、辛うじてまた何とか歩けるようにはなったものの、
相変わらずほとんど食べず・飲まずなので、また弱って動けなくなるのは時間の問題でしょう。リハパンを交換するタイミングも
もう自分ではわからなくなっています。あの状態ではもう、一日に二度~三度の訪問介護では、不十分。そうなると、
次の段階は、養護施設か、住み込み介護ヘルパー導入です。オットーは、4兄妹チャットアプリで、あれこれ意見交換を
していました。
10月11日(水)
午前9時半過ぎ: 今日はジェインが義母宅を訪れる水曜日だが、「昼過ぎになってしまう」 と連絡があったため、
オットー、義母宅へ。義母はベッドに入ったままで、起きて着替えて居間に来るよう促しても、ベッドから出ようとせず。
オットーがシリアルやケーキやビスケットやコーヒーをベッドに運んでも、「欲しくないわ・・・」 と一切手をつけず。
オットー、義母の飲食拒否は、(意図的なもの?) と訝る。
水曜日の午前中はヘルパーさんが来ないので、オットーは簡単な掃除や簡易トイレの洗浄などをしつつ、
義母を見守る。
午後0時半頃: ジェイン到着。ジェインも義母の枕元にあれこれ運んで食べさせ飲ませようとするが、
義母はコーヒーをすするのみ。ジェインが今日は夜のヘルパーさんが来てくれるまでいられると言うので、
オットーは帰宅、仕事。
午後6時50分: オットー、義母宅へ。義母はベッドに入ったまま。ジェインと今夜のヘルパーさんがいた。
ヘルパーさんは、間もなく時間が終わって辞去、ジェインも自宅に帰っていった。
義母は結局、今日は一切固形物を口にせず。コーヒーやジュースに、少しばかり口をつけただけ。
オットー、義母をときどきチェックしながら、居間で終末期ケアや養護施設を検索。
義母は三回、簡易トイレを使うために床を出るが、体力がないうえバランス感覚も失われているようで、きちんと
簡易トイレに排尿できず。それでもオットーの介助を拒否し、トイレを使っている間はオットーを寝室の外に出す。
オットーに強く促されたリハパン交換も、介助を拒んでやっとのことで自力でしたものの、床に戻るために
ベッドに腰掛けるともうそこで体力が尽き、両脚をベッドに載せて掛け布団を引き上げるのに苦労する。
義母の三回目のトイレのあと、オットーは義母がベッドに落ち着くのを手伝い、辞去。
午後10時20分: オットー、帰宅。
自宅に戻ってきてからの義母の様子を見てきたジェインとオットーは、
義母が現在の状態から回復する可能性はかなり低いと考えるようになりました。
それゆえ義母には、現在の時点では、
終末期ケアを提供する施設への入居か、あるいは、
終末期ケアができる住み込み介護ヘルパーさんの導入
が必要ということで同意したそうです。
《 義母、病院へ おわり 》