《 義母、病院へ ① からのつづき 》
一昨日の土曜日の朝、歩くことはおろか、立つことさえできなくなっていた義母。
長ったらしくなるのを避けるため、オットーから聞いたことを基に、起きたことを箇条書きにしますね。
10月7日(土)
午前10時前: 様子を見に行ってそんな状態の母親を発見したオットーは、NHS(国民健康サービス)の、緊急ではない
相談番号111に電話をかける。が、誰も応答せず、やっと繋がったのはコール開始から31分後。
オペレーターは脳内が混乱している様子の義母にあれやこれやと質問し、オットーに現状も訊いたうえで、
「ドクターが折り返し電話します」。
正午過ぎ: ようやくドクターから電話がかかってくる。
ドクターもまた義母に、先ほどオペレーターがしたのと同じような質問をあれやこれやとし、オットーにも話を聞く。
そのうえで、「1時間以内に時間外(土曜日だったので)ドクターが往診する」 と約束。
午後3時頃: 時間外ドクターがようやく往診に来る。このドクターはとても良かった。
しっかり話を聞いてくれ、血液検査をし、
「血圧が低い(80/40)し腎臓の働きも鈍っているし脱水症状の兆候もある。
年齢も年齢だから(95歳8ヶ月)、ちゃんと病院で検査をしてもらった方がいい」 と、
その場でてきぱきとあちこちに電話をかけ、救急車を手配。
「今非常に混んでいるから、4~5時間待ちになる可能性もあるが、病院に着いたら
A&E (Accident & Emergency)ではない部署に直接受け入れられる手はずになっているから」
と、とても安心できる言葉をくれる。
さて私の場合、歩けないとなると真先に心配になるのが、トイレのこと。
朝のうちは 「立てない」 と言っていた義母でしたが、ドクターが往診に来る前の午後の半ば頃 「トイレに行きたい」 と言い、
オットーに介助されつつ歩行補助器を握って、10秒に一足・歩幅10cmのペースで、そろ~~~り、そろ~~~りと、
何とかトイレまでたどり着いたそうです。
義母が用を足したあと、オットーがリハパンの交換を介助。
(義母がそれまで着けていたリハパンはずっしりと重くて、とうの昔に交換されているべき状態だったそうです。が、
義母は節約のためか、それまでにも週にふたつくらいしかリハパンを使っていない様子だったので、
どうしたものか・・・と私たちは頭を抱えていたところでした。)
午後4時以降: 義母、オットーに勧められても、なにも食べず、なにも飲まず。
午後6時頃: ジェイン(義妹)、オットーから4兄妹間のメッセージアプリで現状を伝えられていたので、
「私たち(医者をしているウクライナ人の夫と自分)も行こうか?」 とオットーにメッセージ。
オットー、「救急車が来ることになっているから、その必要はないと思う」 と返事。
午後7時半頃: 救急車がまだ来ていないことを聞いたジェインからオットーに、
「私たちも行くことにした、今家を出たところ」 とのメッセージ。
しかしながら、M5高速道路で車両火災が発生したため、立ち往生してしまう。
ひとり娘のジェインが来ることをオットーから聞かされた義母、急に元気になり、
ケーキとビスケットを食べ、コーヒーを飲む。
午後10時半頃: ジェインと夫、ようやく義母宅に到着。(1時間の距離に3時間かかった。)
救急車は未だ到着しておらず。三人がかりでジェインたちの車への、義母の移動を介助する。
義母はヨロヨロ・フラフラで、敷居をまたぐにも悲鳴を上げたが、体格のいいジェインの夫が
義母をほとんど持ち上げるようにして車に乗せ、病院へと出発。
午後11時01分: 義母宅を片付け、救急車が到着した場合に備えてメモを玄関に貼り、オットー、帰宅。
午後11時半頃: 病院に到着したジェイン・義弟③・義母。とりあえず A&E で、
「救急車で到着するはずだった○○(義母の名)を運んで来た」 と報告し、どこに連れて行けばいいのか訊く。
が、受付は、「この時間帯の到着は、すべてA&E 経由でなければならない」 の一点張り。
患者の記録はすべてコンピューターで管理されているであろうこのご時世なのに、
午後往診に来てくれたドクターが言っていたことは、すべて水泡と化し、A&E の待合室で待つしかなくなる。
待合室には、義母の前には2組しかいなかった。1組は、警官にエスコートされた若い男。
A&E はものすごく忙しそうで、カーテンで仕切られた診察スペースすら空きがないとのこと。
義母は車椅子に乗せられ、通路で待たされる。ジェインと義弟③、義母と一緒に待つ。
他にも数人が、通路の椅子で待っている。義母は驚くほど覚醒していたものの、
「○○(4年近く前に亡くなったクソ野郎義父)は私がどこにいるかと心配しているかも・・・」 などと、
言うことはかなり混乱している。
10月8日(日)
午前4時頃: 肘掛け椅子のひとつが空いたので、車椅子は座り心地が悪いと訴えていた義母を、椅子に移す。
午前5時過ぎ: 義弟③、車で帰宅する。ジェインは引き続き義母に付き添う。
午前7時半頃: 理学療法士が義母を診に来、現在一日一回の訪問介護を、一日三回に増やすようアドバイスする。
ジェインが、義母の言うことが普段以上に混乱していることを訴えると、それが伝わったらしく、
ナースが来て義母に点滴を始める。
午後0時頃: ようやくストレッチャー(車輪つき簡易ベッド)が空いたので、義母、ストレッチャーに移される。
午後1時頃: 午前中に仕事をしたオットー、病院に行き、ジェインに交代して義母に付き添う。
徹夜で付き添ったジェインは、迎えに来てくれた義弟③の車で帰宅する。
義母はその後、落ち着きがなくなり、不穏な状態に陥り、絶え間なくストレッチャーから降りようとし、
手の甲に挿入された点滴針を、二度引き抜く。
(点滴針は二度とも、忙しそうなナースを呼び止め、挿入し直してもらったそうです。)
「トイレに行きたい」 と言うので車椅子を取りに行くと、オットーが戻るのを待てずにベッドから降りようとし、
車椅子は 「要らない」 と自力で歩こうとし、リハパンの交換が必要だからと介助しようとすると、
"Shut up!" や "Go away!" と叫ぶ。
(ここでオットーも限界に達し、声を荒げてしまったそうです。)
午後3時頃: 仕事に出ていた私に、「明日の朝まで付き添うことになりそうだ」 と、オットーからのメッセージ。
A&E に到着してから、この時点ですでに15時間以上経過するも、まだ医師による診察はなし。
オットーの長い、長~い午後は続き、やがて夜に。
午後10時前: 前夜に夜更かしした私、眠くてたまらなくなり、就寝。
10月9日(月)
午前3時過ぎ: トイレに起きた私、オットーの寝室をのぞいてみたら、オットーが眠っていてホッ
(上掛けを引張り合ったり、オ○ラでお互いを起こしたりせずに済むので、
私は元ムスメが使っていた部屋で眠っています )
《 ③ につづく 》