ハナママゴンの雑記帳

ひとり上手で面倒臭がりで出不精だけれど旅行は好きな兼業主婦が、書きたいことを気ままに書かせていただいております。

30年前の初ドイツ・後編

2014-11-18 20:31:02 | 自分のこと

 

シュヴァンガウ村からノイシュヴァンシュタイン城までは、2km強くらいだったか。

バスもあったが、あれほど恋焦がれてきたお城だもの。

のどかな田舎道を歩いて、徐々にお城との距離を縮めていくことにした。

 

ノイシュヴァンシュタイン城のふもとにあるのは、ホーエンシュヴァンガウ村。

ノイシュヴァンシュタイン城を目指して坂道を上っていったら、右手に黄色いお城が見えた。

ホーエンシュヴァンガウ城は、ノイシュヴァンシュタイン城を建てたルートヴィヒ2世が幼年時代に住んだ城。

まずホーエンシュヴァンガウ城を見物することに。

 

 ホーエンシュヴァンガウから見上げたノイシュヴァンシュタイン城と、その位置からはすぐのところにあるホーエンシュヴァンガウ城と、ホーエンシュヴァンガウ城へと続く道。

  

 

ノイシュヴァンシュタイン城と比べると、かなり規模が小さいホーエンシュヴァンガウ城

失礼ながら、(ちょっとラブホテルみたい・・・)なんて思ってしまった。

しかし、さすがは王の居城。

内部はなかなか豪華だった。

 

聖コロマン教会が左端に小さく見えた。               若きルートヴィヒの胸像          『英雄の間』                              

  

  ルートヴィヒ2世の肖像画               壁画におおわれた部屋                 深いエメラルド色の、アルプ湖(Alpsee)が見えた。       

  

 

そしていよいよ、ノイシュヴァンシュタイン城とのご対面!

岩山の上に立つ城まで歩く根性はなかったので、乗合馬車で上った。

 

馬車を降りたところから見上げたノイシュヴァンシュタイン城と、フォルッゲン湖とテーゲルベルク山(1881m)と、城門をくぐって中庭に入って見上げたノイシュヴァンシュタイン城。

  

 

当時は下界に 『チケット・センター』 なぞできておらず、

入場券は城門を入って右手の建物内で買えた。

人数が集まるのを待って、城内見学ツアー。

写真が残っていないところをみると、城内は撮影禁止だったか、あるいはフラッシュ禁止でろくな写真が撮れなかったか。

 

お城の全体像が撮りたくて、マリエン橋まで歩いた。

下の峡谷まで92mという高さ。

プロイセンの王女だったルートヴィヒ2世の母・マリー女王にちなんでつけられた名称らしい。

 

   マリエン橋                           あまりにも有名なこの構図                    帰りに見えたホーエンシュヴァンガウ城         

  

ヴィーナー・シュニッツェルで遅めの昼食。       だんだんノイシュヴァン城が遠ざかる・・・       ホーエンシュヴァンガウ城も・・・・・・           

  

 

 翌日は、1時間半ほどかけてオーバーアマガウ村(Oberammergau)までバスで移動。

ドイツ・アルプスのお膝元にある、宝石箱のように可愛らしい村だ。

 

オーバーアマガウ駅                   村の中心を流れるアマー川                                                   

  

 宿は、目抜き通りにあるホテル・ヴォルフに飛び込みで入って決めた。    ツインのシングルユースで、ここも清潔で快適だった。                    

  

 

村からバスで30分もかからない谷間にある、リンダーホーフ城

これもルートヴィヒ2世が建てたお城だ。

バスの本数が少なかったので、時間節約のためタクシーで行った。

 

 前庭の噴水にある金ぴかの女神像は、降雪に備えてすでに囲われてしまっていて残念だった。               庭園内に、ルートヴィヒ2世の胸像      

  

 

帰りはバスにしようかと時刻表を見ていたら、通りがかりの初老のご夫婦が、

「オーバーアマガウに戻るのなら、乗せていってあげましょう。」

有難くご好意に甘えた。

エッタールの修道院(Ettal Abbey)にもわざわざ寄って、見学させてくださった。

あれが私を、より一層のドイツ・ファンにしたのかもしれない。

 

オーバーアマガウの次は、バスと列車でミッテンヴァルトを訪れた。

 

ミッテンヴァルト駅                       高い山々に囲まれて、なかなか日差しが届かない町だった。                            

  

 

ここでの宿は民宿になってしまい、バス・トイレは共同。 写真は撮らなかった。

ミッテンヴァルトはヴァイオリン造りの町として知られる。

 

教会の前に立つのは、17世紀にヴァイオリン造りの技術をもたらしたマティアス・クロツ(Matthias Klotz)像。

南ドイツの町や村には、フレスコ画が描かれた家々が多く、ミッテンヴァルトも同様だった。

  

 

 金曜日になり、午後ミュンヘンに戻った。

列車内は清潔。 (今写真で見ると、大分時代遅れの内装だけれど。)

絵のような田園風景を楽しみながら、ミュンヘンに到着。

 

  

 

 ハイジがミュンヘン中央駅まで迎えに来てくれ、ふたたび彼らの家へ。

土曜日は近くの湖を散歩した。

翌日曜日、二人はクラウスの同僚も一緒に、私をザルツブルクまでドライブに連れて行ってくれた。

 

途中にあったお城。 私有地なのでこれ以上は近寄れなかった。     休憩に入った山頂のレストランと、岩山?の上に見えるザルツブルク城           

  

 ザルツブルク市街地と、                             モーツァルト生家と、               飾り看板が美しい通り               

  

 

帰途、ミュンヘン南郊に住むクラウスのご両親宅にお邪魔した。

居間にはお父様の故郷であるドレスデンの絵画がかかっていた。

第二次大戦中、めちゃめちゃに破壊されたドレスデン。

戦後東独領となったドレスデンには、訪れることができずにいるとのことだった。

 

(その後のドイツ再統一により、クラウスのご両親はドレスデン訪問を実現できました。

 

左から:  私、クラウス(手前)、クラウスの同僚、クラウスの妹、ハイジ、クラウスのお母様、お父様、母方のお祖父様                          

 

 (ここで暴露しちゃいますが・・・ クラウスはものすごいイケメンだったのですっ! ハイジも美人で、空港で初対面したとき、私はUターンして帰りたくなりました・・・

 

 月曜日は二人は仕事、私は一人でもう一度ミュンヘン観光。

ミュンヘンは見どころが多すぎて、絶対また来たい、今度は一週間くらいかけて歩き回りたい!と思った。

その晩は大変お世話になったお礼に、二人を和食レストラン 『三船』 にご招待。

 

ミュンヘンと札幌は姉妹都市ですから、ビールはもちろん、サッポロビール?       二人とも、慣れないお箸で頑張ってくれました。              

 

(残念ながらその後閉店してしまった 『三船』 ですが、当時三船敏郎さんのご長男が経営されていたようです。 あのお殿様を演じられた、三船史郎さん。)

 

二人に厚くお礼を言って、翌日ハイデルベルクに移動。

最後の晩は、フランクフルト空港に近い町に泊まった方がいいと思ったので。

 

 町を流れるネッカー川                                                                                      

  

  カール・テオドール=ホイス橋と、                                   『哲学者の道』 からの眺め                            

  

 

こうして私の11泊12日の初めてのドイツ滞在は、無事終わりを告げた。

これに味をしめた私は、その後何度も 『命の洗濯』 と称してドイツに出掛けることになるのだった・・・

 

 

*      *      *      *      *      *      *      *

 

 

ホテルの領収書。 もちろん当時はユーロではなく、ドイツマルクだった。1マルク70円くらいだったかな?

シュヴァンガウのハンゼレヴィルトは2泊で48マルクだったから、1泊だと24マルクとダントツで安かったことになる。

オーバーアマガウのホテル・ヴォルフは1泊50マルク、ハイデルベルクのホテル・セントラルは1泊39マルク。

ハンゼレヴィルト同様これらのホテルも、30年後の現在も健在の様子。 

 

  

 

 クラクフ旅行の手配をしていて思うのだが。

30年後の現在、旅行はなんと手軽になったことだろう。

航空券も、宿も、自宅にいながら予約できてしまう。

現地での列車やバスの時刻表を見ることも、おすすめレストランを探すことも、観光名所の感想を読むことも。

 

30年前は、訪れたい観光地の情報を集めるには、

ガイドブックや紀行書や歴史書を、

本屋で買うか図書館で探して借りるかするしかなかった。

都内にある、私の場合はドイツの、政府観光局も訪れた。

ついでにイギリスの観光局も訪れてパンフレットを欲張ってもらってきたら、

帰宅途中にトートバックのストラップが切れたっけ。

 

旅行の手配が簡単になったことに安堵し感謝しつつも、

手づくり感満載だった昔の旅行も懐かしく愛おしく思う。

 

クラウスとハイジはあの後一男一女に恵まれた。

長男くんはチェルノブイリの年に生まれ、現在ベルリン在住。

長女さんは念願だったプロのダンサーになって各地で活躍中。

クラウスとハイジ(仮名)は現在、ヴィース教会にほど近い町に住んでいる。

 

昔から海外移住願望が強かった私も、

ドイツはかなわなかったもののイギリスに落ち着けた。

チェルトナムで知り合ったオットーは、驚いたことにイギリス人とドイツ人のハーフで。

これこそ 『意志あるところに道は開ける』 かな?

 

30年前の、初めてのドイツ。

一生忘れられない、大切な思い出です。 

 

 

《 おわり 》

 

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4 コメント

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Unknown (persimmon)
2014-11-19 08:39:58
私の場合も30年前に憧れだったトンガ王国に旅をしたのが始まりでした。ハナママゴンさんのおっしゃる通り、今は気軽に自宅からなんでも出来ちゃうけど、あの頃の海外旅行の下調べやら、旅行の手配やら、あれはあれで旅行の楽しみの一つでしたよね。
去年ドイツにセカンドハウスを購買しまして、遅ればせながら私もドイツファンになりつつあります。
いつも楽しいブログをありがとうございます。
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Unknown (あずきなこ。)
2014-11-19 15:31:19
いつも楽しく拝見しています。

私も社会に出てからあちこち海外旅行へ行きましたが、やはりヨーロッパの魅力には圧巻でした。

友人を訪ねるのが目的で降り立ったミュンヘン。当時はあまり興味がなかったのでガイドブックさえ持っていませんでした。友人がコピーしてくれた古いガイドブックを片手に滞在中はザルツブルグやスイス、プラハなどを巡りました。
今回の日記は自分の旅を振り返っているような錯覚に陥り懐かしく熱い気持ちがよみがえりました。

ハナママゴンさんの記事もですが、写真も大好きです。
これからも楽しい記事のアップ待っています!!
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persimmon さんへ (ハナママゴン)
2014-11-21 05:44:32
persimmon さんの初海外も30年前でしたか。 奇遇ですね~!
でもトンガ王国って・・・ おもしろい国に行かれましたね。
地理にうとい私は、トンガ王国がどこにあるかも知りませんでした。 

ドイツにセカンドハウス! 羨ましいです~!! 
ドイツ、いいですよね。 私も生計さえ立てられるなら、今すぐにでも移住したいです・・・・・ 
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あずきなこさんへ (ハナママゴン)
2014-11-21 05:54:59
ヨーロッパ、いいですよね 
と言っても私はドイツ以外はポーランドと、友人を訪ねてイタリアにちょこっと入ったくらいなんですが。
あずきなこさんは私の憧れのスイスやプラハも行かれたんですね。
行きたいところは多々あれど、全部訪れるには人生は短すぎ・・・ 
ムスメも巣立ったことだし、これからは経済事情と相談しながら年に一回は海外に出たいと思っています。

ブログの応援ありがとうございます。
書きたいな~と思ったことを垂れ流し的に書いているだけのブログですが、応援していただくと張り合いがでます。
これからもよろしくお願いしますね!
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