ここからは2024年6月9日の取材分です
朝から雨が降っていたので、小降りになるのを待って「道の駅いたの」から出発、南へ吉野川の名田橋を渡って約11kmで徳島市国府町芝原宮ノ本です
国府町芝原宮ノ本地区は、徳島市役所の西北西約9km、徳島市役所国府支所の北西約3kmのところ
徳島市役所国府支所西側の道路を北へ出て、国道318号徳島環状線を西へ
約1.1kmの「県道徳島鴨島線29号⇒」の標識に従て信号を右(北北西)へ
約1.5km陸橋でJR徳島線を越え、「⇐県道30号・吉野川市」の標識に従って信号を左(西北西)へ
約400mでコンビニ手前の信号を右(北)へ入って飯尾川を新栄橋で渡ります
約400mで一時停止のある変形十字路を直進方向へ道成りに進むと
約200mで「芝原八幡神社の大鳥居」です、ここから参道が北へ約300m延びています

芝原八幡神社境内入口です
鳥居前の道路脇に
車を止めさせて頂きました
八幡神社の社號標です

説明石碑です
社名 芝原八幡神社(旧郷社)
祭神 応神天皇(品陀和気命)
相殿 仲哀天皇・神功皇后・豊磐窓命・櫛磐窓命
主な祭日 1月 1日 歳旦祭
旧3月13日 太々神楽祭
7月28日 夏祭(輪ぬけ神事)
10月17日 例大祭
神社由緒
千早ぶる是神域の奥深く鎮座し給う芝原八幡神社は、遠く鎌倉時代の創建と伝へらるるも、今尚その由来につき詳らかにするを得ず。
奉勧請豊前の国宇佐八幡宮より御分遷。品陀和気命他四柱の神々を祭神として奉祀されたり。
爾来、芝原郷・古川郷・黒田郷・佐野塚郷・祖母ヶ島郷、地区民六百余戸の総氏神として御神徳を慕ひ奉り、御加護を願ひて斎き祀り崇敬の誠を捧来しものなり。
天文21年(1552)御柏原天皇の御宇には、芝原城主久米安芸守義弘この地にあり、当社を厚く崇敬せり。
明治12年(1879)郷社に列格され、神奈備の森の樹立苔むす神域は敬神の象徴、また北井上地区文化崇敬の中心として、代々御神威赫々と輝き霊験弥々顕著なり。
昭和5年頃までは広く県内外より崇敬者が集ひ来り、神事競馬が馬場に於いて盛大に奉納されたりと聞く、その馬場長さ330余mにして今尚参道にその名残りをとどめる。
氏子崇敬者茲に斎を営み御幣帛を捧げ奉安して大御稜威の久遠なるを希ひ、氏子の家々益々立栄へ給へと拍手うち伏し、平安の無躳を祈り奉る。
時恰も、今上天皇御在位60年の記念の歳にあたり、是の碑を建立し益々敬神崇租の実を挙げられんことを期し、後世に伝ふものなり。
昭和62年4月吉日
芝原八幡神社 宮司 大和田奉政
芝原八幡神社 氏子中
手水舎です

拝殿です

本殿です

境内西端に目的のイチョウです


東側から

徳島市指定保存樹木です

南東側の幹です、目通り幹囲6.6mの巨木です


南側から

北東側の幹です



本殿北側にはクスノキの大木がありました
では、次へ行きましょう

2024・6・9・8・10
朝から雨が降っていたので、小降りになるのを待って「道の駅いたの」から出発、南へ吉野川の名田橋を渡って約11kmで徳島市国府町芝原宮ノ本です
国府町芝原宮ノ本地区は、徳島市役所の西北西約9km、徳島市役所国府支所の北西約3kmのところ
徳島市役所国府支所西側の道路を北へ出て、国道318号徳島環状線を西へ
約1.1kmの「県道徳島鴨島線29号⇒」の標識に従て信号を右(北北西)へ
約1.5km陸橋でJR徳島線を越え、「⇐県道30号・吉野川市」の標識に従って信号を左(西北西)へ
約400mでコンビニ手前の信号を右(北)へ入って飯尾川を新栄橋で渡ります
約400mで一時停止のある変形十字路を直進方向へ道成りに進むと
約200mで「芝原八幡神社の大鳥居」です、ここから参道が北へ約300m延びています

芝原八幡神社境内入口です

鳥居前の道路脇に


八幡神社の社號標です


説明石碑です
社名 芝原八幡神社(旧郷社)
祭神 応神天皇(品陀和気命)
相殿 仲哀天皇・神功皇后・豊磐窓命・櫛磐窓命
主な祭日 1月 1日 歳旦祭
旧3月13日 太々神楽祭
7月28日 夏祭(輪ぬけ神事)
10月17日 例大祭
神社由緒
千早ぶる是神域の奥深く鎮座し給う芝原八幡神社は、遠く鎌倉時代の創建と伝へらるるも、今尚その由来につき詳らかにするを得ず。
奉勧請豊前の国宇佐八幡宮より御分遷。品陀和気命他四柱の神々を祭神として奉祀されたり。
爾来、芝原郷・古川郷・黒田郷・佐野塚郷・祖母ヶ島郷、地区民六百余戸の総氏神として御神徳を慕ひ奉り、御加護を願ひて斎き祀り崇敬の誠を捧来しものなり。
天文21年(1552)御柏原天皇の御宇には、芝原城主久米安芸守義弘この地にあり、当社を厚く崇敬せり。
明治12年(1879)郷社に列格され、神奈備の森の樹立苔むす神域は敬神の象徴、また北井上地区文化崇敬の中心として、代々御神威赫々と輝き霊験弥々顕著なり。
昭和5年頃までは広く県内外より崇敬者が集ひ来り、神事競馬が馬場に於いて盛大に奉納されたりと聞く、その馬場長さ330余mにして今尚参道にその名残りをとどめる。
氏子崇敬者茲に斎を営み御幣帛を捧げ奉安して大御稜威の久遠なるを希ひ、氏子の家々益々立栄へ給へと拍手うち伏し、平安の無躳を祈り奉る。
時恰も、今上天皇御在位60年の記念の歳にあたり、是の碑を建立し益々敬神崇租の実を挙げられんことを期し、後世に伝ふものなり。
昭和62年4月吉日
芝原八幡神社 宮司 大和田奉政
芝原八幡神社 氏子中

手水舎です


拝殿です


本殿です


境内西端に目的のイチョウです



東側から


徳島市指定保存樹木です


南東側の幹です、目通り幹囲6.6mの巨木です



南側から


北東側の幹です




本殿北側にはクスノキの大木がありました

では、次へ行きましょう


2024・6・9・8・10
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます