高瀬地区は、上板町役場の南南東約1.5kmのところ
上板町役場を東へ出ます、約100mで右(南)へ
約1.1kmの宮川内谷川を上板橋で渡った丁字路の信号を左(東)へ、県道14号線です
約800mで信号を右(南)へ、約800mで右(南西)へ、またすぐに左(南)へと曲がると
天目一神社の東側道路ですので、そのまま南側の参道に車を止めさせて頂きました
南側参道から
鳥居です、鳥居左手後方に見えているのが目的のクスノキです
「天目一神社」社號標です
説明版です
天目一神社(あめいちじんじゃ)
1、御祭神 天目一筒命(あめのまひとつつみこと)
1、鎮座地 板野郡上板町高瀬字天目一1015番地1
1、御由緒 当神社の御鎮座の年歴詳らかならざるも、古伝にによれば天平年間の創祠といふ。
高瀬村は、往古鋳物師村と称し、此の地にあって業を営む鋳物師たちが祖神の徳を敬仰して、神霊を勧請したものである。
鋳工、鍛工、鉄工の業に携はる人達、今も尚御神徳に厚い信仰が寄せられている。
現在の社殿は、昭和56年10月氏子崇敬者の寄付によって造営した。
祭日例祭10月10日、・祭12月8日
南東側から、太い注連縄が巻かれた御神木です
東側から
北東側から、樹高22m、目通り幹囲5.5mの巨木です
北側から
西側から見上げました
手水舎です
造営記念碑です
天目一神社御造営記念碑
鋳物師、鍛治、鉄工の祖神と仰ぐ天目一筒命を奉祀する。
天目一神社の由縁は、遠く天平年間の創建と伝えらる。
その御神徳弥盛に耀きて、古来鋳鉄工を業とする人達の崇敬殊の外厚し。
然るに、御本殿並びに諸建物、幾十星霜を経て、老朽著しく、御神慮を畏みまつる氏子等その総意を結集・・に御造営奉賛会を結び、熱誠以つて多額の浄財を寄進す。
氏子総代をはじめ奉賛会役員一同誠意を藎し、昭和の御造営見事竣成し境域の結構また一新せり。
茲に神域赫々たる天目一神社御造営奉仕の要録を誌す。
昭和56年5月吉日 天目一神社宮司 金倉文雄・天目一神社 氏子中
拝殿です
本殿です
境内社の石祠です
西側にイチョウです
南側から
北側から、幹の上部分が枯れてしまっています
本殿西側には、忠魂碑です
では、次へ行きましょう
2024・6・8・7・40
上板町役場を東へ出ます、約100mで右(南)へ
約1.1kmの宮川内谷川を上板橋で渡った丁字路の信号を左(東)へ、県道14号線です
約800mで信号を右(南)へ、約800mで右(南西)へ、またすぐに左(南)へと曲がると
天目一神社の東側道路ですので、そのまま南側の参道に車を止めさせて頂きました
南側参道から
鳥居です、鳥居左手後方に見えているのが目的のクスノキです
「天目一神社」社號標です
説明版です
天目一神社(あめいちじんじゃ)
1、御祭神 天目一筒命(あめのまひとつつみこと)
1、鎮座地 板野郡上板町高瀬字天目一1015番地1
1、御由緒 当神社の御鎮座の年歴詳らかならざるも、古伝にによれば天平年間の創祠といふ。
高瀬村は、往古鋳物師村と称し、此の地にあって業を営む鋳物師たちが祖神の徳を敬仰して、神霊を勧請したものである。
鋳工、鍛工、鉄工の業に携はる人達、今も尚御神徳に厚い信仰が寄せられている。
現在の社殿は、昭和56年10月氏子崇敬者の寄付によって造営した。
祭日例祭10月10日、・祭12月8日
南東側から、太い注連縄が巻かれた御神木です
東側から
北東側から、樹高22m、目通り幹囲5.5mの巨木です
北側から
西側から見上げました
手水舎です
造営記念碑です
天目一神社御造営記念碑
鋳物師、鍛治、鉄工の祖神と仰ぐ天目一筒命を奉祀する。
天目一神社の由縁は、遠く天平年間の創建と伝えらる。
その御神徳弥盛に耀きて、古来鋳鉄工を業とする人達の崇敬殊の外厚し。
然るに、御本殿並びに諸建物、幾十星霜を経て、老朽著しく、御神慮を畏みまつる氏子等その総意を結集・・に御造営奉賛会を結び、熱誠以つて多額の浄財を寄進す。
氏子総代をはじめ奉賛会役員一同誠意を藎し、昭和の御造営見事竣成し境域の結構また一新せり。
茲に神域赫々たる天目一神社御造営奉仕の要録を誌す。
昭和56年5月吉日 天目一神社宮司 金倉文雄・天目一神社 氏子中
拝殿です
本殿です
境内社の石祠です
西側にイチョウです
南側から
北側から、幹の上部分が枯れてしまっています
本殿西側には、忠魂碑です
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