豊橋公園は、豊橋市役所の東側に隣接しています
かつての吉田城跡の三の丸の東側が野球場や陸上競技場・テニスコート・弓道場などに利用されて市民の憩いの場となっています
南側から野球場西側のテニスコート側の駐車場に
車を止めることが出来ました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/d4/5027cf2e0a4418c000143a5a37377561.jpg)
健康の道コース案内図です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
*吉田城について
吉田城(よしだじょう)は、三河国渥美郡今橋(現在の愛知県豊橋市今橋町、豊橋公園内)にあった日本の城。
戦国時代の16世紀初頭にその前身が築城され、16世紀末に大改築が行われた。戦国時代には三河支配の重要拠点の1つとして機能し、江戸時代には吉田藩の政庁としての役割を果たした。別の城名としては、築城当初に今橋城と呼ばれ、明治維新後に吉田藩から豊橋藩に改名されたことに伴い豊橋城とも呼ばれた。
吉田城は、本丸の北側に豊川が大きく蛇行した淵と支流の朝倉川が合流する場所に位置し、豊川左岸の河岸段丘のうちでも周囲より小高い場所で豊川とは約十メートルの段丘崖で接していることから、周囲を見渡すことができ豊川が自然堀の役割をはたす、自然の地形を利用した後堅固の平城である。
以上ウィキペディアからの一部抜粋です
公園の南側入り口左(西)脇に有料の
駐車所が有ります
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/bf/eebe0cf5e7a90a75b1d31bd01900570b.jpg)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/8a/5b0b4d8418b8284bd60491d79ba6e830.jpg)
駐車場の西端、吉田城三の丸の土塁東側に目的のケヤキです![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_en.gif)
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東側から![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
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とよはしの巨木・名木100選の43です
豊橋公園のケヤキ3
所在地 今橋町3-1
幹は空洞であるが、本市のケヤキの中ではもっとも太い。
幹周 530cm
高さ 10。2m
枝張り 21m×21m
推定樹齢 300年以上
科名 二レ科ケヤキ属
分布 本州・四国・九州
豊橋市
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/6a/7e3bc9518005ab5448bb68e4497f11c4.jpg)
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北東側から見上げました![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_sup.gif)
それでは、公園を東に行ってみます![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/arrow_r.gif)
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公園内にはいくつものカイズカイブキの株が有りますが、とよはしの巨木・名木100選の説明版がある三本がこちらです(東側から)![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_sup.gif)
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南側の二本です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
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とよはしの巨木・名木100選の説明版です
豊橋公園のカイズカイブキ
所在地 今橋町4
本市カイズカイブキの中ではもっとも大きい。
イブキの園芸種。
幹周 390㎝
高さ 9.0m
枝張り 15.6m×13.3m
推定樹齢 60年以上
科名 ヒノキ科ビャクシン属
分布 本州・四国・九州
豊橋市
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/59/b48d81493987aa2f1d160c5e3bdd1d52.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/f6/a80b49aed6344d40141d25461d28b5e8.jpg)
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一番南側が太さ最大のものです![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_en.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/fd/7056bbc69d7375747bce1035dc12015b.jpg)
陸上競技場入口脇に「史蹟 山田宗徧 邸跡」の碑です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/e7/11727f4ddfb087adb6e108a384491f7c.jpg)
裏面の碑文です
山田宗徧居士 宗惼流の開祖なり。幼少より茶の湯を好み、小堀遠州に師事す。
後、千利休の孫・宗旦に学び、茶道の奥義を究め、宗旦の四天王と称えられる。
吉田城主・小笠原忠知公、当時の茶道の華美に流るるを憂慮し、宗旦を吉田(豊橋)に召さんとす。
宗旦、高齢の故をもって固辞し、愛弟子の宗徧を推挙す。宗徧・明暦元年(1655年)29才にて小笠原家の茶頭となり、忠知・長矩・長祐・長重の四代に仕う。
吉田に在住すること43年、茶頭職の傍ら藩士庶民に至るまで身分を越え、利休正流の侘び寂び茶の道を流布す。故に世人この地を以って、宗徧流発祥の地という。
此処は流祖宗徧居士の住居址なり。宗徧直門の倚松軒の末裔・滝川宗興氏の永年の研究により判明す。因って宗徧の流れを汲む有志相集い、石碑を建立し、以て流祖宗徧居士を顕彰するものなり。
平成12年流祖宗徧居士祥月忌之辰
臨済寺住職 亀山琢道 謹書
では、三の丸から本丸へ移動します![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/up.gif)
かつての吉田城跡の三の丸の東側が野球場や陸上競技場・テニスコート・弓道場などに利用されて市民の憩いの場となっています
南側から野球場西側のテニスコート側の駐車場に
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cars_red.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/d4/5027cf2e0a4418c000143a5a37377561.jpg)
健康の道コース案内図です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
*吉田城について
吉田城(よしだじょう)は、三河国渥美郡今橋(現在の愛知県豊橋市今橋町、豊橋公園内)にあった日本の城。
戦国時代の16世紀初頭にその前身が築城され、16世紀末に大改築が行われた。戦国時代には三河支配の重要拠点の1つとして機能し、江戸時代には吉田藩の政庁としての役割を果たした。別の城名としては、築城当初に今橋城と呼ばれ、明治維新後に吉田藩から豊橋藩に改名されたことに伴い豊橋城とも呼ばれた。
吉田城は、本丸の北側に豊川が大きく蛇行した淵と支流の朝倉川が合流する場所に位置し、豊川左岸の河岸段丘のうちでも周囲より小高い場所で豊川とは約十メートルの段丘崖で接していることから、周囲を見渡すことができ豊川が自然堀の役割をはたす、自然の地形を利用した後堅固の平城である。
以上ウィキペディアからの一部抜粋です
公園の南側入り口左(西)脇に有料の
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cars_red.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/bf/eebe0cf5e7a90a75b1d31bd01900570b.jpg)
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駐車場の西端、吉田城三の丸の土塁東側に目的のケヤキです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_en.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/a9/d8f4c02e5b908f72b415647afa1933d8.jpg)
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東側から
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/32/c0648800ad02259b5c226c33bc337f6f.jpg)
とよはしの巨木・名木100選の43です
豊橋公園のケヤキ3
所在地 今橋町3-1
幹は空洞であるが、本市のケヤキの中ではもっとも太い。
幹周 530cm
高さ 10。2m
枝張り 21m×21m
推定樹齢 300年以上
科名 二レ科ケヤキ属
分布 本州・四国・九州
豊橋市
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/6a/7e3bc9518005ab5448bb68e4497f11c4.jpg)
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北東側から見上げました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_sup.gif)
それでは、公園を東に行ってみます
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/arrow_r.gif)
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公園内にはいくつものカイズカイブキの株が有りますが、とよはしの巨木・名木100選の説明版がある三本がこちらです(東側から)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_sup.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/a6/ba0cb1a6afed22f9746cd16f12ba02be.jpg)
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南側の二本です
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とよはしの巨木・名木100選の説明版です
豊橋公園のカイズカイブキ
所在地 今橋町4
本市カイズカイブキの中ではもっとも大きい。
イブキの園芸種。
幹周 390㎝
高さ 9.0m
枝張り 15.6m×13.3m
推定樹齢 60年以上
科名 ヒノキ科ビャクシン属
分布 本州・四国・九州
豊橋市
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/59/b48d81493987aa2f1d160c5e3bdd1d52.jpg)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/b5/1916cf12c32996cae211fc17200c11b5.jpg)
一番南側が太さ最大のものです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_en.gif)
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陸上競技場入口脇に「史蹟 山田宗徧 邸跡」の碑です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/e7/11727f4ddfb087adb6e108a384491f7c.jpg)
裏面の碑文です
山田宗徧居士 宗惼流の開祖なり。幼少より茶の湯を好み、小堀遠州に師事す。
後、千利休の孫・宗旦に学び、茶道の奥義を究め、宗旦の四天王と称えられる。
吉田城主・小笠原忠知公、当時の茶道の華美に流るるを憂慮し、宗旦を吉田(豊橋)に召さんとす。
宗旦、高齢の故をもって固辞し、愛弟子の宗徧を推挙す。宗徧・明暦元年(1655年)29才にて小笠原家の茶頭となり、忠知・長矩・長祐・長重の四代に仕う。
吉田に在住すること43年、茶頭職の傍ら藩士庶民に至るまで身分を越え、利休正流の侘び寂び茶の道を流布す。故に世人この地を以って、宗徧流発祥の地という。
此処は流祖宗徧居士の住居址なり。宗徧直門の倚松軒の末裔・滝川宗興氏の永年の研究により判明す。因って宗徧の流れを汲む有志相集い、石碑を建立し、以て流祖宗徧居士を顕彰するものなり。
平成12年流祖宗徧居士祥月忌之辰
臨済寺住職 亀山琢道 謹書
では、三の丸から本丸へ移動します
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